第4話 魔女の学園長と悪童になった主人公

 新徴学園、学園長室。

 今朝の学園内、校門前の騒動とは裏腹に、静寂に包まれた室内で、一人の男子生徒が腕を組んで憮然としていた。

 大層立派な英国来の執務デスクの席に深く座り、細長いキセルを手に持って、薄い紫色の煙をゆっくりと吐き出す女性を睨んでいた。

 女性は、魔女だった。

 陶磁器のように白い淑やかな肌。穏やかな輪郭の頬から顎にかけての曲線が悩ましく、鼻筋が通って唇の形も蠱惑的。尻の下がった弓なりの眉毛と目尻の上がった暗色の瞳。両耳を覆って肩や背中に流れる癖のない長い髪。

 女神像のように肉感的な肢体は、紺色のロングのイブニングドレスに包まれ。クロスホルターネックによって強調された胸の谷間が大きく目立つ。

 汚れ一つないイブニング・グローブは、右手はキセルを持ち、左手は行儀よくデスクの上で鎮座している。

 彼女のそばのコートハンガーには夜空色のローブとツバありのとんがり帽子。

 生きる時代を問わないクラシックな美貌と佇まい。

 とても教育機関に属する人間とは思えなかった。

「――――ふぅ・・・さて」

 如何にも、人を誑かして非道へと誘おうとする魔性の女という印象だが、憮然とする男子生徒に向き直った時の顔は、親身になって世話を焼く教育者のそれだった。

 キセルを西洋風の煙草盆に置いて、デスクに肘を置いて手を組む。

「今回の騒動イタズラは、随分派手な事になったようだな」

 ぷっくりとした唇が揺れて発する男好きする声に、男子生徒は不満気に鼻で笑う。

「それに、なんだその恰好は? 私がちゃんと魔法で治してやったではないか」

 男子生徒の松葉杖をついて包帯を巻いた偽りの格好に、呆れたように言う。

「五体満足で帰ってきたら、“なんだコイツ無傷で帰ってきやがった”って顰蹙を買うのが目に見えるからだよ! 現にさっきさぁ、よくわかんねぇ奴に赤い手袋投げられたしよぉ!」

「ふむ・・・決闘間もない日に決闘を挑むなど、非常識な生徒がいたものだな。

 ・・・それはそうとお主、いい加減我が箱庭で英気を養い、力をつけることにしたらどうだ?――――ああ、いやすまない。英気は養えなかったな」

「けっ、だぁれがで大人しくできるかってんだ!」

 男子生徒は向こう見ずの跳ねっ返りぶりを、学園の最高指導者にぶつける。傍から見れば問題児が身の程を知らずの放言で自滅の道を選んでいるように見えるが、実際は違った。こういったやり取りは二人にとって、ごく普通の会話でしかなかった。

「こんなところ、と言っても、が強くなるにはここよりよい環境は無いと思うがな。それにどうだ、お主のていたらくぶりは」

 魔女は説教というより、わがままな子供に言い聞かせるように話し始める。

「どんなに悪戯を繰り返したところで、おぬしは人としての道理を弁えているから、相手を憤然とさせる程度でしかなく、取り返しのつかない事はしとらんだろう。

 ランクDの悪戯者、『ソースボックス(悪童)』の称号を得た所で、退学処分にする要因にはならんさ。何せお主は我が箱庭を去る最終的な手段として、マリア・クロエに挑んだのだからな」

 魔女は組んでいた手をほどいて、デスクの引き出しから書類を取り出す。

 取り出した書類の一番上に、女生徒の写真と資料があった。

「マリア・クロエ。現状我が箱庭で最強のカタドリ使い。私の弟子ではないが、その実力は私の弟子に匹敵するだろう。いづれはどこぞの対魔人の軍事組織、あるいはお家の名誉のために最前線に赴くことだろう」

 この魔女は最近まで学園の経営や生徒に対して無関心だった。最後に経営に口を出したのは18年前。それ以来は現役の教員たちに任せっきりで、自身は工房にこもったり、弟子の面倒を見るくらいで、ときどき学校行事に顔を出す程度だった。

「そんな女に、お主は箱庭の風習に倣って正々堂々と挑んだな。

 これはどういう訳かな? そんな事をせずとも、奇襲なりなんなり、度を越した悪戯で傷物でもしてしまえば、それで十分退学処分。晴れて箱庭を脱出できたろうに」

「・・・・・・・・・」

「それに、少しばかり残念な所は・・・決闘の立会人から聞いた話では、お主負けたそうではないか」

「ぐぬぬ・・・」

「カタドリを破壊したのは見事・・・と言うとでも思ったか?

 お主の力量は知っているからこそ、もう一度苦言しよう。何たる体たらく。

 反論せず私の話を聞いているという時点で敗北を認めているのだろう?」

 男子生徒、オリエ・オハラの顔が不満気に歪む。

「ぐぅ」

 だがここは我慢する。事実だと本人も認めているのだから。

 まったくその通りなのだから黙っているしかない。

「これに懲りたら、しばらくは箱庭を出る算段を控えるがよい。

 ・・・しかし、お主が我が箱庭で力を示したのは良い傾向だ」

 ここで魔女が、マリアの写真とその資料をずらし、もう一枚の資料を見せる。

「一つ、望みを叶えてやろう」

 魔女が指先でピンとねつけて、オリエに渡す。

「前から言っていた『強い仲間』をこの箱庭に呼び寄せる願い・・・。

 お主が入院しとった間に手を尽くし、かろうじて一人出所と相成った」

「おお・・・!」

 手に取った資料を見て、オリエは歓喜の表情に変わる。

「他のものは残念ながら他の組織や箱庭に所属しており、本人の意向もあり転校手続きは無理だったが・・・」

「いや十分だよ! マキさんなら百人力だ!」

 オリエの機嫌が直ったのを見て、魔女が微笑む。

「うむ。5月の頭に編入学させる。それまでは大人しく・・・いや」

 魔女がパチンと指を鳴らして、学園長室すぐ隣の秘書室の扉を見やる。

 少しして、隣に控えていた秘書が静かに入室し、一礼する。

「クラスDの箱庭の習いはなんだったか」

「はい。5月に臨海学校。6月に学内の選抜大会です。選抜大会においてDクラスが出場するのは稀で、臨海学校の成績によって、クラス代表という形で出場権を得られますのが、現在の慣例となっております」

「ばあさん、枠組み増やしてくれ。マキさんの分だ」

 間髪入れずにオリエが注文する。

「いいだろう。では今年から志願したもの全員出場できるものとする」

「かしこまりました」

 恭しくお辞儀してから、秘書が退室する。

 余りにも簡素で静かすぎるレギュレーションの変更。このやりとりを選抜大会を仕切る教員が見ていれば、卒倒する事だろう。

「はぁ・・・まったく困ったものだ。何時からこうなのだ」

 魔女が自分の知らない、いつの間にかできた慣例に対してため息をつく。

「もとより実力があってもなくても戦いは避けられないのだ。カタドリを顕現できるというのはな・・・平和過ぎるのというのは改悪がまかり通ってしまうのだな」

 カタドリを顕現する。これは現代にまで受け継がれてきた魔法の系譜に連なる者になるという事。

 魔法が使えるという事は、魔法によって生み出された魔人に対抗できる手段を持つという事。

 対抗手段を持つ者は、魔人に命を狙われることと同義である。

 魔人と戦う目的と手段を、自分の創立した学園で教えず、強くなる機会を奪うというのは、人類の側に立つ魔女にとって許されない事だった。


「・・・少しは風向きがよくなったかな」

 オリエの言葉に魔女が呆れながら首を振る。

「いや、お主の周りは、相も変わらず退屈せぬよ。

 教員たちがお主についての罰なり行動の制限なり付けてくるさ。

 そうさな・・・さしずめ部活動の禁止や、他のグループの接触、他の生徒に刺激を与えて激動せぬように縛りを設けるだろう」

「別にそんくらいはいいぜ俺は」

「あとは事実上の決闘の禁止も盛り込まれるだろう」

「それは、退屈だな」

「そうかもしれぬな・・・・・・話は変わるがお主、私がここで治療を施したことにして、そろそろギブスぐらいは取ってしまわぬか?」

「お、そうだな」

 早速と言わんばかりに上着を脱ぎ捨て、三角巾を外し、シャツのボタンをはずし、ベルトを緩めてズボンのホックを外す。

 手を突っ込んで、一定の長さに切った包帯の束をガーゼでとめている程度のカモフラージュを、ベリベリとシャツとズボンの中から外してはその場に捨てる。

 左腕のギブスも包帯を取った後はするりと抜けて足元に落ちる。最後の頭の包帯を外した時、はじめて血が付いていることに気づいた。

「おや、それは血糊ではないのか」

「あれ? 古傷が開いたか?」

「どれ、見せてみよ」

学園長が席を立って、オリエのそばまで歩いていく。

オリエの頭を優しく添えるように持ち、前髪を撫で上げ傷口を観察する。

「これは決闘の時以前からあったモノだな・・・?」

「ああ~・・・多分」

「お主はよくここをかすめてから反撃を加える癖があるようだな。

 すこし分厚い皮膚になる程度に回復させてやろう」

 オリエが目を瞑って、学園長に向かって少し頭を傾げる。決して強調された深い胸の谷間を見たくない訳ではない。治癒の魔法が視覚的に眩しいからだ。

 魔女は片手を傷口に重ね当て、もう片方の手はオリエの頬を撫でるように添えて、魔法による治療を行う。

 傷口に流れていく魔女の魔力が、治癒の魔法の副産物で放出される熱を伴わない光となって表現化する。何せ目のすぐそばの光なので、どうしても目を瞑らざるをえなかった。

 人間が持つ自然治癒力を加速させる型の魔法なので、塞がった傷口周りの皮膚が分厚く盛り上がり、ミミズ腫れ状の傷痕へと変遷する。腫れ物が少しずつ沈下し、赤くなっている皮膚も元通りの色に戻り、治療はこれで終わる。

「これでよい。あとはステロイドでも塗っておくがよい」

「ありがとうよ、ばあさん」

 目を開けて、魔女から離れようとしたが、間髪入れずに魔女がシャツを掴んで、胸をはだけさせた後、オリエの胸に指をはわせる。

「?」

 この、極上と言っても差し支えの無い美しい女の前にあって、きょとんとした顔で魔女の行為を受け入れているのは、決して鈍感だからではない。


 オリエの胸には大きく、円形の紋様で描かれた術痕『呪いの魔法陣』があった。


 術者が対象に施した、決して容易に消える事のない呪いの爪痕。

 どんなに体を鍛え上げても、年老いて弛んでも歪む事のない紋様。

 ただの入れ墨では再現できない黒色。

 何も知らぬ者が見てもその技量の高さを伺える精密な文字細工。

 そしてなにより、見るだけでそれだと解る「穢れと闇」。

 齢15歳の少年にはあってはならない、魔法の痕跡だった。


 オリエは、何度も見せた事のある呪いを観察する魔女に首を傾げる。

「・・・いま見ても、これを解く方法はないんじゃなかったか?」

「いや、また見たくなってな・・・」

 俯きながら、魔女はオリエの襟を正して、ボタンをつけ始める。

 しばらくの静寂。

 ボタンをつけ終えた魔女は、少しだけ下がって、上着を拾い上げる。

「――――ない、とは言ったが、術者を探せばその限りではない」

「知ってる。ていうかばあさん――――」

 オリエはベルトをしめ直して、背中を向ける。ごく自然な動作で魔女の持っている上着を着ようと腕を上げる。

「何度も聞いてるぜ。この呪いは」

 背中にはうっすらと、また別の魔法陣が大きく描かれているのが透けて見えた。

 呪いの魔法陣は二つで一つ。表裏一体の難物だった。

「歯がゆいな。私はここまで古く、また複雑に構成されたに関しては、お手上げのようだ」

 袖を通し、オリエに着せてやる。

「ばあさんは悪くネェよ。これをつけたやつが悪い」

 上着を着せてもらったオリエは、魔女に向きなおす。

「とりあえず、しばらくはばあさんの言う通りにするよ。学園は出ない、問題は起こさない、カタドリは破壊しない。・・・まぁケンカ売られたら買うかもな」

 松葉杖を拾い上げ、魔女に背中を向ける。

「じゃあ、授業に戻って、この学園の生徒らしくするよ」

「ああ・・・」

 ゆっくりと歩いて、学園長室を出ようとする。

 扉の前まで止まって、オリエは振り向かずにこういった。


「なぁばあさん。あんたには感謝しかねぇよ。

 記憶と正気を失っていた俺を見つけてくれて事、これまで色々と面倒見てくれたし、俺の事を強くしてくれようとしているのも判っちゃいる。

 ・・・判っちゃいるが、やっぱ俺様ってやつは、この呪いをかけたと、記憶を失っても、この胸の中にある大事なもんが無理矢理エグリ取られるような喪失感があっても・・・“魔人をぶち殺してぇ”って思いが消えねぇんだわ」


 オリエの言葉に、魔女は優しく声をかける。

「わかっておる。好きに振る舞うがよい。好きに生きるがよい。

 ・・・しかしそれは実力が伴ってこそ」

わぁってるよ。じゃあな」

 オリエは分厚い学園長室のドアを開け、退室する。

 魔女は捨てられた包帯類を拾い上げ、ごみ箱に捨て、席に戻る。

 深く座り込んで、ため息。それからキセルを手に取ろうと手を伸ばすが、着火させるのが面倒になり億劫そうに手を止め、手を引いてから大きく深呼吸する。

「なんとかしてやりたいが・・・今すぐにはできない。

 遠大で気の遠くなるような、多くの順序を踏んで取り組まなければならない。

 まったく・・・一体どの魔女があんな呪いを施したのやら」




 この世界において、史上初めての司法取引は魔女からの魔法の提供による魔女裁判の免罪だった。

 それでも魔女裁判は開かれ、魔女狩りは続きます。

 恐れた魔女は観念して、人類に利益をもたらします。

 憎しみを抱いた魔女は人類に対し、敵対するようになります。

 利益をもたらした魔女の中に、憎しみを隠していた魔女が居ました。

 その魔女たちは上手く人類に取り入り、理性のタガを外し続けました。

 人類が「魔人」を生みだした時、魔女たちは三つの勢力に別れました。

 善意を以て人類の守護者になった魔女。

 悪意を以て人類の敵対者になった魔女。

 世を儚んで、世捨て人や中立を保つようになった魔女。

 人類と魔人との戦いに、多くの魔女が関わりました。

 関わるたびに、どちらかの魔女が命を散らしました。

 そして時は流れ、存命の魔女は10名。

 正統な魔法を行使できる存在は、今ではたったの10名にまで絞られました。

 そんな10名の魔女の中に、カタドリの才能を持つ者を保護し、一つの箱庭に閉じ込める魔女がいました。


 それが彼女、秩序の魔女「アレクサンドラ・ベリアル・ヴィクトリア」なのです。



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