第5話 セイナは激怒した。必ず、かの悪童を(以下省略)

 学園長室をから出てきたオリエに、サヨリが急ぎ足で近づいてくる。

「おいアンタっ、学園長との話は終わったんだな?」

「ん?」

 振り向くと、風紀委員の腕章をつけた女子生徒が大股で近づき、4m手前で突然糸が切れた人形のように転んでしまう。うつ伏せになって「あばばばばばばばッッ」と陸に揚がった魚のように痙攣して、ついには微動だにしなくなった。

「・・・おい、大丈夫か?」

 学園長が仕掛けた魔法の罠にひっかかり、サヨリが麻痺状態に陥ったようだ。

「魔力探知すりゃ一発でわかる罠だぞ? マジかこいつ」

 この罠の存在と学園長が口出ししなくなった為に、現役の教員たちは学園長に近づくことがなくなり、次第に自分たちで勝手に学園を運営、校則等の改定がやりたい放題になった遠因えんいんだと指摘されたのは、かなり後になっての事である。

 オリエが学園長の罠に引っかかった哀れなサヨリに近づき、罠の有効範囲外へと運び出す。

 仰向けにしてから側面に移動する。両膝を曲げて腕を入れ、手前の肩を前に押し上げて反対側の肩を背中から掴んで、お姫様抱っこの形でしっかり抱き上げて運ぶ。

 学園長室から遠ざかると、サヨリがもぞもぞと居心地悪そうに動き出す。

「もう平気か? 降ろすぞっと・・・」

 オリエがサヨリを降ろすと、少しばつの悪そうな顔でオリエを見るサヨリ。

「いやーワリィ・・・ダチから“学園長室は呪術系の魔法で保護されてる”って聞いてはいたんだけどよぉ、まさか廊下までだなんて・・・」

「いいんだよこんくらいは――――ところであんたは?」

 サヨリは気を取り直すように腕章を見せながら自己紹介する。

「ああ。あたいは風紀委員のサヨリ・オチアイってんだ。

 今朝の騒ぎがあったから、アンタの周りをあたいで固めて問題起こさないようにしろって言われてんだ」

「ふーん・・・」

 オリエは少しだけ屈み顔を寄せて、じっとサヨリの顔を見ている。お姫様抱っこから降ろしたばかりなので、二人の距離はとても近かった。

「な、なんだよ・・・」

「あんた・・・すっぴんなのにべっぴんだな」

「あぁん? いきなり何言ってんだよ・・・」

 唐突な言葉に目尻を険しくして怪訝そうにする。

「いや、素直に容姿を褒めただけだよ。・・・それで? これからどうするんだ?」

 半歩後退してから姿勢を正し、サヨリの顔をじっと見るオリエ。

 普通人間は、相手の目を合わせた後は口元を見て話をするのだが、オリエの目はサヨリの目だけをじっと見ていた。

「お、おう・・・とりあえずあんたのダミーを用意して、まっすぐDクラスへいける廊下に歩かせているから、あたいらは別ルートで教室まで送り届けるよ」

 今頃ダミーに選ばれた男子生徒は、別の風紀委員に守られながらオリエ目当てでごった返している人ごみの中をかき分けながら廊下を歩いている事だろう。

「俺様のダミーだって?・・・随分な念の入り様だな・・・」

 呆れ返って、ため息をついて松葉杖をクルリと回して手遊びをするオリエを見て、サヨリはここへきて初めて、オリエの傷が治っていることに気づいた。

「え? なんであんた・・・重傷だったよな?」

「ん? あ~・・・ばあさん――じゃなくて学園長に――治してもらったんだよ」

 両手を広げて、快癒したアピールする。

「この通りブスブスとレイピアで刺された体も元通りだ。まだ回復痛がして痺れていたり、肺に刺された部分はまだ違和感あるけどよぉ」

「ふーん・・・」

 ここで改めて、サヨリは自分なりにオリエの体を観察する。

「(身長タッパあるな・・・180cm以上はあるみてぇだし・・・肩幅も他の男子より広そうだな・・・ていうかなんか違和感あるな・・・?)」

「・・・ん? どうしたオチアイ」

 サヨリは考える時間が惜しくなったのでかぶりを振って、作戦通りセイナの下へと案内することにした。

「ああいや何でのネェ・・・こっちだ」

 サヨリは先導して歩きだし、オリエもそれに付いて行く。松葉杖の中程を右手で持って、左手はポケットに突っこんでいる。

 サヨリは歩きながら、さっきの違和感について考え始める。

 一見、人当たりがよさそうで、初対面のサヨリにも親しげにしてくれていたが、両手を広げて、おどけて見せた時のオリエの目は笑っていなかった。

 さらに言うなら、半歩下がって距離を取っていた時、目と目があった瞬間からずっと、オリエの姿が大きくなったような錯覚を覚えていた。

「(もしかしてあたい・・・値踏みされたか・・・?)」

 これには一つ、覚えがある・・・。

 そう確かマリアの姐さんが――――。



 サヨリ・オチアイは生まれも育ちも卑しい、蓮っ葉で図々しい女だった。豪快で危なっかしい、跡には何も残らないような生活を送る両親のもとで育つ。

 カタドリの才能を見出された時、両親は娘でひと儲けにできないかと算段していた所で危機感を覚え家出。以降は友達の家をはしごする生活を送っていた。

 中学2年の時。彼女は暴走族にすら入れないハンパ者を率いて「ブラッディマリー・クラブ」を旗揚げ。そのヘッドとして暴れまわる、地元で有名な不良娘だった。

 が、目立ち過ぎたせいか半グレ集団に壊滅させされ、悔し涙を流すことに。

 翌日、たまたま学校が近かったセイナ・クロエが偶然にも、その半グレ集団に絡まれていた。まだ怪我が治ってなかったサヨリは歯痒い思いで遠くから見ていた時、セイナは軽く男たちを打ちのめしていき、半グレ集団をあっ気なく壊滅させた。

 一見華奢に見えるお嬢様の力強い勇姿に惚れたサヨリは、気づかれないようにセイナの家まで着いて歩き、玄関の前にたどり着いた時、いまどき誰もやらない、誰も知らない『仁義を切って』挨拶した。

 そこで応対した使用人が大変良くできた人物で、仁義の心得もあった。女子中学生が一切の言い間違い、所作の間違いなく、つまり「驕り」なく仁義を切った事にいたく感心し、彼女を家に上げたのだ。

 、サヨリはセイナ・クロエの舎弟になり、クロエ家にタダで寝泊まりできる権利を得ることができた。

 公立中学を卒業し新徴学園に進学するまで、クロエ家の居候になっていたのだ。


 ある日。セイナの姉、マリアに会える機会があり、挨拶をしていた時の事。

 サヨリは礼儀を欠くことなくあいさつを済ませ、マリアと握手を交わした時にはじめて気づいた。自分が頭を上げた時から握手を交わすまで、まばたき一つせずこちらの目を見続けていた時に。

 刺すような鋭さは無く、しかし何もない所をぼーっとみている風でなく、自分を見ているようで違う自分を見られているような感覚を、今でも思い出せる。



「(マリアの姐さんと同じ事してるって事は・・・)」

 サヨリは教養こそ足りないが、直感は誰よりも鋭かった。他の生徒より喧嘩の場数を踏んでいる為、相手の実力を測る能力も相当なものだった。

「(マリアの姐さんに喧嘩売るだけの実力は、やっぱあるんあろうなぁ・・・)」

 なんとなくサヨリは、ここで殴り掛かったらどうなるかと想像しながら、チラリとオリエの方を視界の端で見る。

「ところでオチアイ」

「んっ」

 目があった瞬間、自分の考えが読まれたのかと思い、反射的に歩みを止めてしまい硬直する。

「俺様が問題を起こさないようにしようってのは解ったけどよぉ・・・から問題を起こすときは何もしねぇのか?」

「むこう?」

 まさかセイナが待っていることに感づかれたのかと、サヨリはセイナが待っている空き教室の方を見る。

「後ろだボケ!」

 オリエが後ろに振り向きながら松葉杖を乱暴に投げつける。

 松葉杖は何のない所でぶつかり、それから廊下を跳ね上げて転がる。

『いったぁっ!!』

 ゴンと鈍い音が廊下に響く。次の瞬間には、突然ナイフを持った女子生徒が、頭を抱えて悶えている姿があった。

「えっ――――あっ」

 サヨリはセイナの事ではなく、こっちの事だったと気づき、すぐに風紀委員の仕事に取り掛かろうとした。

 だがオリエの方が早く行動しており、すでに松葉杖を拾っていた。

「おい」

 オリエが声をかけると、悶えていた女子生徒が目を合わせ、仰向けのまま殺気立った顔でナイフを突きだした。その瞬間、松葉杖のカフを突き入れ、垂直に押し込む。

 カフはO型のクローズドタイプで、ナイフが届かない程度に体を離し体重をかけ、肘の内側を圧迫しながら女子生徒を抑え込んでいた。

「いぃたたたた!!」

「オチアイ」

「ああ!」

 サヨリはナイフを持つ手を蹴り上げ、女子生徒を完全に無力化させる。

 蹴り飛ばされたナイフは空中で消え去り、ただのナイフではないと分かる。

「ナイフ型のカタドリ。光属性の魔法でカモフラージュってところか・・・」

「テメェ! よくもこんな卑怯なマネができたな!」

 松葉杖を抜いて、オチアイが交代して抑え込み、改めて拘束する、

「えーっとなんだっけな・・・そうだ!

 カタドリの無断顕現および不適切使用で拘束する。再顕現を行った場合は実力で無力化する。おとなしくしろ!」

 女子生徒が抵抗を試みるが、腕っ節の差で何もできず、ただジタバタしているだけだった。

「ぐぅぅ! はなして!! 放しなさいよぉ!!」

 華奢な体つきなので普段から戦闘的な訓練やスポーツ等の運動をしているような人物には見えなかった。

 拘束された女子生徒に、オリエは覗き込むように腰を曲げる。

「一人みてぇだな、大したもんだ。ちゃんと息を殺して待っていたみたいだぞコイツ。拍手してやろうか?」

 オリエは感心する風に言っているが、カタドリを再顕現させようとする挑発的な発言に、サヨリが怒鳴る。

「バカ言ってんじゃネェ! お前を襲おうとした奴にそんなことしたら、またキレちまうじゃねーが!」

「別に俺はいいけどよ・・・ていうか、そもそも俺の周りを固めようっていう風紀委員が、お前さん一人って時点でおかしいだろ」

「!・・・」

「多分だけどよぉ。この女は想定外で、本来は誰かに合わせたかったんだろ?

 こいつが近づいてきたことには気づかなかったし、俺が『向こうから』って言った時、真っ先に進行方向を見ただろ。この時点で誰かに合わせたかったんだなって思うんだが、どうだ・・・?」

「・・・・・・・・・」



 学園長室に近く、Dクラスのある棟の反対側に位置する空き教室に、私は待機していた。なにもする事が無いので、独り扉のすぐそばの机の上に座っていた。

「・・・・・・早く来ないかしら・・・」

 そんなことを呟いて、嘆息する。

 まるで友達に気になる男子を連れて来てもらって、二人きりで話をするみたいだ。

 かつての中等部の友達の友達程度の知り合いに、その場面に出くわしたことがある。

 あれはなんというか、自分にとっては別世界の出来事のようだった。

 私はお姉さまのスペア。

 私はクロエ家の政略結婚の駒。

 私は結婚相手に相応しい理想の花嫁になる為に、花嫁修業を修めている途中だった。並行してお姉さまの妹に相応しい存在になる為、厳しい剣術修行もしていた。

 つまり私は比較的親しくない友人に構っていられるような余裕はなかった。

 見ているだけで胸焼けするような、初心うぶな場面を見せられても、当時は困ったモノだった。「このまま告白して、付き合ったりして?!」と一人興奮していた友人の顔は、未だに覚えている。


 “嗚呼、馬鹿馬鹿しい…”と同時に“私には縁が無いな…”と自虐なのか邪慳じゃけんなのか判らない、もやもやとした気持ちがあった。


 しかも友人の友人の告白は、残酷な結果に終わった。

 気になって呼び出された男子生徒は、彼女の真摯な言葉に対して薄情な事を言って、隠れてこの次第を見守っていた私たちに指をさし、私の方が良いと言ったのだ。

 即座に私は断って、それから顔を真っ赤に染めていた彼女のフォローに回って――しかし彼女のプライドを最低限キズつけない程度に突き放しつつ――その場をなんとか修めた。

 ああいうのを、思春期特有の窮地きゅうちといえばいいのか。

 残りの中学生としての生活を無事に終わらせるには、ああ云うしかなかったと、自分の中での見込んでいたエピソードを、なぜお姉さまの決闘相手を待っているこの時に、思い出してしまうのか。


 もう一度嘆息してしまった私は、辛抱できずに座っていった机から降りて、廊下を出る。

 別に話をすればいいだけなのだから、教室で隠れるようにするのは、今更ながらおかしいと感じたからだ。

「……ぅしろだボケ!」

 遠くから、大きな声が聞こえたと思ったら、廊下を打ちつけるように転がる金属音。痛みを訴える女子生徒の悲鳴――――サヨリではない。

 私は足早に音のした方へ歩む。

 曲がり角で立ち止まり、そのまま私はなぜか隠れる様に壁に身を寄せ、そのまま現場を覗き込んだ。

 見えたのはサヨリの後ろ姿。オリエ・オハラが松葉杖を拾い上げる姿。あと知らない女生徒が仰向きに倒れて悶えていた。

「おい」

 オリエ・オハラが声をかけると、女生徒は手に持っていたナイフのようなものを突き出す。と同時にオリエ・オハラが松葉杖のカフ(腕回りに通すリング)を素早く突き入れ、肘を床に抑え込んだ。

 速い。迷いが無いし精確だ。彼の実力の片鱗を初めて見れた気がする。

「いぃたたたた!!」

「オチアイ」

「ああ!」

 サヨリがナイフを蹴り上げて、それから松葉杖をどけて、改めて女生徒を確保した。

 ・・・彼女は誰だろう? 遠くからでは少し判り辛い。

 私はこのまま見ても仕様が無いので、堂々と曲がり角から姿を出し、廊下の真ん中を歩きだす。


 拘束された女子生徒に近づいたオリエ・オハラは覗き込んで。

「一人みてぇだな、大したもんだ。ちゃんと息を殺して待っていたみたいだぞコイツ。拍手してやろうか?」

 両手を出して、女生徒を挑発する発言にサヨリが怒鳴る。

「バカ言ってんじゃネェ! お前を襲おうとした奴にそんなことしたら、またキレちまうじゃねーが!」

 サヨリの言葉に、オリエ・オハラは傲岸に返す。

「別に俺はいいけどよ・・・ていうか、そもそも俺の周りを固めようっていう風紀委員が、お前さん一人って時点でおかしいだろ」

「!・・・」

 サヨリの動揺した表情を見た私は、フォローに入ろうとする。

「多分だけどよぉ。この女は想定外で、本来は誰かに合わせたかったんだろ?

 こいつが近づいてきたことには気づかなかったし、俺が『向こうから』って言った時、真っ先に進行方向を見ただろ。この時点で誰かに合わせたかったんだなって思うんだが、どうだ・・・?」

「・・・・・・・・・」

「ええ、確かにそうです」

 サヨリに代わって私が返事をすると、サヨリが驚いて私に振り向き、オリエ・オハラはゆっくりと顔をこちらに向けた。

 女生徒の顔を改めて見た私は、納得した。つい鼻でため息をついてしまう。

「その人は、私とサヨリとは無関係です。お姉さまの熱烈なファンだと記憶しております。他のファンからは“金魚のフン”と誹られている類の・・・」

「おねえさま、だぁ・・・?」

 ポケットに手を突っ込んだまま姿勢を正し、怪訝な顔で私を見るオリエ・オハラに――私は極力冷静に――少し長めに一礼して。

「マリア・クロエの妹、セイナと言います。はじめましてオリエ・オハラさん」

 カーテシーは絶対にしない。これは私なりの線引きだった。

「――――おう、あんたがマリア妹か」 

 傲岸不遜に、しかし威圧の類は一切ない。平然とした態度。

「私を知っているのですか?」

「ああ、・・・決闘前に1時間ぐらい普通にべしゃべってたぞ」

 決闘の事に触れた途端、心臓が跳ね上がる。

 露骨に決闘の件を聞く前に、すこしでも前置きをせねばと努める。

「・・・という事は、5時には第五武道館にいたのですね」

「いや、俺は4時半ぐれぇに」

「は、早起きだったんですね・・・」

「あー、ちょっと待て」

 オリエ・オハラはここで、自分に襲いかかった女生徒に向きなおす。

「離してやれ。一人で襲ってきたその度胸に免じて許してやるよ」

「はぁ!?」

 サヨリの素っ頓狂な声に、私は息をのんだ。

 女生徒が何かを言う前に、オリエ・オハラが指を刺し、釘をさす。

「いいか。これから卒業するまでの1年くらいは、で学園生活を送れていると思って過ごしておけ」

「――――え?」

 私は今、生まれて初めて一人称が『俺様』の人間を見た。

「どうせこのまま風紀委員につきだした所でよぉ、対して痛くもかゆくないだろ? そりゃそうさ。人間一人襲うんだからさ。罰を受けて当然って考えてんだろ? だからお情けで許してやった方が、お前、気が狂っちまうくらいには堪えるだろう?」

 ニヤリと、若い鬼が嗤う。

 サヨリが恐る恐る、女生徒を離す。

 女生徒は何も反論できずにオリエ・オハラを嫉視反目する。

「ほら、じゃあ判決を言い渡したから、黙って帰ってくれ」

 手の甲が見える側で“しっし”と厄介払いするオリエ・オハラに、女生徒は顔を真っ赤にする。


 ――――この場面、どこかで――――。

 ここで私は中学時代とは別の、思春期特有の窮地に立っていることを悟った。

 おそらくこれから先の私は・・・理性的になれないだろうと・・・諦めに似た感情を抱いていた。


「くっ――――ううっ・・・・・・!」

 女生徒は言葉を呑みこめきれず、涙を流しながらその場を後にした。

 オリエ・オハラはふら付きながら後を去る姿に嘆息して、私に向き直った。

「おまたせ・・・で? なんの用だよ。決闘なら受けて立ってやるのもやぶさかではないが、さっきばあさん…ああ、学園長が決闘は当分禁止かもなって話をしてたんだよ」

 さっきとは打って変わって、オリエ・オハラは少しだけ私との距離を近づけて話しかける。自分が再起不能にした相手の身内と思って気を遣ったのか、はたまた天然なのか、非常に判り辛い男だった。

「まっ、俺様にとってはけどな。結局はだったし」

 あまり聞きたくない単語が出てきて、私はオウム返しをしてしまう。

「むだ」

「ああ、俺の目的は“こんなつまんねぇ学園を去る”事でな。そのためにアレコレとバカな事をしたさ。思えばヤンチャしちゃったぁって反省してるわけよ・・・。

 んで、なかなか退学にならないから、この学園で一番強いヤツ倒して、この学園で学ぶことは何もないってのたまってやって、堂々と校門をくぐって出て行ってやろうと思ったけどよ――――」

 なんて、非情で手前勝手。

 自分から胸襟を開いては言いたい放題のオリエ・オハラに強い不快感を抱く。

 第一印象は「最悪」の一言だった。

「まったく笑えネェ話だ。結局ぜーんぶ学園長の手の平の上だったって訳さ。決闘には負けるわ。俺様はいい子するって学園長に約束しちまったし。このままマリア・クロエが目を覚まさずに犬死いぬじににでもなったら――――おっと」

 オリエ・オハラは、わざとらしく口を手で覆った。


 


 私はかつて胸に抱いた『名前の付けようのない、あらゆる感情がとどまる事無くあふれ出る』のを、再び感じとり――――吐き気がする。

「○○○○!―――――――」

 オリエの失言に怒鳴りこむサヨリの声が聞こえない。肩を竦めていなすだけの男の態度を見た私は、腹の底から熱いモノが込み上がってくる。

 こみ上がるように噴火したそれは米神コメカミのあたりを詰まらせて、そこから眉を通り眉間に向かって、虫唾が走る。


 落ち度も瑕疵かしも無しといった態度のオリエ。


 口うるさい母親のように叱りつけるサヨリ。


 この噴火寸前の感情に、何て名前を付けようか。


 決まっている。この感情は――――。


 怒りと憎しみだ。


 私は初めて抱いた感情に整理をつけるように、オリエ・オハラを初めて睨んだ。

「オリエ・オハラ」

 私の声は、腹の底から震えて出てきていた。

 サヨリが初めて聞く怒気のこもった声に、肩を一瞬だけ震わせて、私を見る。

「おう、なんでぃ」

 しかしこの男は平気そうだった。

 怒りが通じない。いまここで、どんなに怒りを伝えても馬耳東風。

 なら、言える事を一つずつ言うだけだ。

「あなたが、憎い」

「そうだな」

「わざと、怒らせている」

「そうだよ?」

「なぜかは・・・もう聞きません」

「あっそ・・・それで?」

「私が、あなたを、叩きのめして、お姉さまに代わって雪辱戦を・・・」

「無理だ、やめとけ。できない事を言うな」

 あまりにも淡々とした会話と異常な空間に、サヨリが歯をガチガチ震わせる。

 私の怒りの感情と、鼻で笑っているオリエの頭のネジが数本飛んでいるとしか言いようがない傲慢さに、脳が拒絶反応を起こしている。

「このまま1対2でも、俺はいいぜ?」

 チラリと、サヨリを見るオハラに、私はなぜか首を振っていた。

 本当はこのまま殺してやりたいのに、終始私の行動自体は落ち着いていた。

 これほど自分の思っている事とやっている事に乖離があるのも、初めてだった。

「いいえ。その手には乗りません」

「あらやだ」

 ここでまたわざとらしく、しなを見せて煽る。

「じゃあ何時がイイ? マリア妹」

 名前を言わないのも、煽る為。

「我が校の伝統で決着がつけないのなら・・・方法は一つ。

 学園の代表を決める、校内選抜で・・・!」

「いいぜ」



 校内選抜。あるいは選抜戦。

 全国各地に点在するカタドリ使いの卵たちが集う養成校が一堂に会し、その実力を披露し、実戦さながらに戦いあう「全国高等学校カタドリ選手権」。

 若いカタドリ使いたちの試金石。

 将来が決まる大一番。

 カタドリ使いにとっての甲子園。

 思春期の男女にとって、最大の晴れ舞台。

 その代表選手を決めるのが校内選抜である。

 代表選手は正規選手8名、補欠選手2名を含めた10名が選ばれる。

 元々は魔人を倒す為に育てたカタドリ使いの実力を測り、切磋琢磨と教育の一環としての姿をとっているが、実際は派手な祭りだった。

 公然と行われる選手のプライベート暴露。

 毎年加熱し暴走するメディアの報道。

 各選手への身体的、精神的負担。

 納得がいかないと言う観客の意向によって問題視された戦略が、魔人対策として有効なのに事実上禁止されている事。

 などなどエトセトラエトセトラ・・・。

 勝ち進めれば、将来を約束されます。しかし、一たび敗北すれば悲惨な人生が待っています。

 『人類の敵である魔人を倒す』という大きな目標は霞みがかって、国内の多くの人間が勘違いしてしまいます。

 そしてここに、本来の目的とは無関係な、個人的な事情で決闘を約束した若い選手がまた一組。



「じゃ、勝手にDクラスに帰らせてもらうよ」

 踵を返して、オリエはサヨリが案内する方向とは逆の、本来の道へと歩いて行った。

 緊張が解け、場の空気が元に戻った途端サヨリはヘナヘナと腰を抜かして、疲れ切った表情で息を漏らす。

「(ビビったぁ・・・! とんでもねぇモン見ちまったぁ・・・!)」

「・・・・・・・・・」

 セイナは俯いて、怒りを抑えつけるように、かつてぽっかりと空いた穴に収めていた。

 かつて心の中心に空いた巨大な穴は、お姉さまへの思いとその代行者としての使命を全うするという決意を埋めこんだ。

 ここにもう一つ。“オリエ・オハラ成敗”という決意を、更に埋め込んだ。

「サヨリ」

「オ、オウ!」

 私の呼びかけに、サヨリが跳ぶように立ち上がる。

「皆と一緒に、オリエについて調べてください。おねがいしますね。

 あと・・・しばらく一人にしてください」

 私はオリエとは逆の方向に踵を返して、女子寮に戻る事にした。

 こんな気持ちで授業に出れるほど、私は人間ができていない。

 少し気持ちを整理するため、先生方に頭を下げて休みをもらい、昼食を済ませた時にもう一度自分の気持ちを判断して、もう大丈夫と思ったら、授業に戻ろう。

 もう、お姉さま以外の誰にもいう事は聞けないだろう。

 多少は、目上の人達の話を聞くことができるだろうが。

 あの男に関する事には、自分で考えて行動しよう。

 こればかりは、誰にも譲れない。お姉さまも、納得してくれるでしょう。

 これが私の決めた事なら。


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