第3話 校門前狂想曲(カプリッチオ)
(1年Aクラス副担任マーカス・D・アベカワの視点)
生徒たちが静かに教室に入っていくのを見守りながら、私はAクラスの教室へと歩いている。担任の先生が不在の時は、私がホームルームを代行している。ホームルームが終わり次第、私の授業をそのまま続けられる日だったので、昨日の授業の続きは、どこから始めればいいか。昨日または一昨日の内容をかいつまんで説明した後、どの程度のペース配分で授業を進めようかと思案する。
「・・・そろそろ妹君が復帰するかな?」
“あのマリア・クロエの妹”というからには、姉の威光を笠に着るとんでもなくワガママなお嬢様かと思っていた。しかし入学式の新入生挨拶で代表者に選ばれた彼女を見た時は皆ハッとしたものだ。
名前を呼ばれて席を立ち、マイクの前まで歩く姿。
登壇し生徒、教師一同の前で一礼した時の所作。
たった1分にも拘らず印象に残ったスピーチの上手さ。
どれを取っても、優等生という言葉では収まらない逸材。
姉とはまた違った芯の強さと美しさをもっていた。
普段の学園生活は物静かで控えめな、しかし存在感は姉にも劣らない。
姉とは違って覇気を纏うことなく誰にでも優しく接する。
学業はご期待に応えるように優秀。剣術もこれまた優秀で、姉とは対極の技量を持ち合わせていた。
交友関係も完璧で、中等部からあるグループや新しいグループを問わず高い求心力を以て各グループの間に立ち、入学後必ず起こってしまう新入生同士の大立ち回り(喧嘩)は皆無だった。これはマリア・クロエ入学以来の事だった。
私が抱いた第一印象は「百点満点の優等生」。これ以上の生徒を高校1年生の中から見つけるとなると、世界中見回しても無理なのではないかと思ったものだ。
これは姉に続いて一時代を築くのではないかと、他の先生方と話をしていたのを覚えている。無敗の姉とまではいかなくとも、多くの友達と仲間に囲まれて、誰からも尊崇されるような恵まれた学園生活を送るのだろうと。
しかしここで悲劇が訪れた。
“マリア様がDクラスとの決闘でカタドリを破壊された”という、到底誰もが信じられない事が起こってしまった。
皆がショックを受けていたが、一番ショックだったのは彼女だろう。事実、セイナ・クロエは四日間、女子寮から出てこない。
「いつこの教室に戻ってきてもいい様に、万全の体制で迎えるようにしなくては」
そう呟いてから私は、自分が担当する教室の扉に手を掛けた。
扉を開けた途端、目の前に立っていたセイナ・クロエに面食らう。
「おはようございます。アベカワ先生」
久しぶりに見た彼女の眼は、凄みを帯びていた。ただでさえ美しく整った、完全な左右対称の顔に、背筋に一本の芯が通って鍛え抜かれたプロポーションなのだから、その眼光を一身に受けるには、気弱な性質の私には針の筵に座らされる思いだった。
しかもこの目には覚えがある。
かつてマリア・クロエが私に、さる学園内のトラブルの対処を願い出た時の事だ。私が「教員だけでは対処できない、学園長に掛け合う」と伝えた時の、あの目だ。
私に失望したとか、そういうのではない。悠長に構えている事態ではないから、自分たちで何とかしなければいけない。という、決意に似た目だったと思う。
「あ、ああ・・・おはようクロエ」
「先生。私、今朝のホームルームはお休みさせていただきます。私のお姉さまと決闘を果たした、オリエ・オハラさんが退院して学園に戻ってくると伺いましたので。彼に会わなければならない事情があり、こう致す次第ですので、あしからず」
早口にそう言って、彼女はやや深く一礼した後、反対側の扉へと歩いて行った。
自分に頭を下げたのも、反対側の扉へ向かったのも、普段の学園生活から逸脱した行為と、迷惑をかける自分への申し訳ない気持ちの表れなのだろう。
しかしそれ以上に自分の頭の中にあったのは、「彼女は間違いなくマリア・クロエの妹だ」という、今更な事実だった。
「あっ、ちょっと――――」
声をかけようと手を伸ばすが、彼女は足早に教室を出ようとする。私たちのやり取りを見ていたクラスの生徒たちは、無言で席を立って彼女の後ろへ付いて行こうとする。私は狼狽したが、どうしようもなかった。
彼女は、セイナ・クロエは間違いなく女帝と例えられたマリアの妹だった。
今の彼女を、恐れることなく例えるなら、女王。
厳格な強さと寛容ある優しさを兼ね揃えた、人々の希望を体現し、人々の輪の中心にいて、多くの人間を従えることに抵抗を覚えない。
導くのでなく率いる。多くの人々から祝福され、自らの意志で戴く。
時の試練の前にあっては後退を許さない、決意の体現者が、彼女の本質だった。
間違いなく女王の気質を持っている。しかし本人はそれに気づいていない。
この無自覚の女王を、悔しくも私は止める事が出来なかった。
「嗚呼せめて・・・」
私は廊下に出て、Aクラスを率いて校門へ向かう彼女の後姿を見ながら、他の教員に連絡する。
私だって、彼の事は知っている。
オリエ・オハラ。今年入学したセイナの同級生。あの女帝マリア・クロエに決闘を挑んだ、愚者の集まりと揶揄されるDクラスの一人。
ソースボックス(悪童)。代々Dクラスの中で最も悪戯が過ぎる生徒をそう呼称している。たいていのソースボックスはカタドリ使いとしての実力はないが、今年のソースボックスは、学園の盤石の戦力を壊す力があったようだ。
女帝を壊し、女王を生み出すほどの・・・。
(セイナ・クロエの視点)
「・・・随分集まってますね」
学園の校門が見えてきたところで、人だかりができていることに気づいた私は、一度を歩を止めて思案する。
どこで退院する噂が流れたか。どうやって朝のホームルームを抜けたか。私と同じように担当教師に断りを入れたのだろうか、それとも無断で自由意思の下でここまでやってきたのか、と。
考えていくうちになぜか自分が蚊帳の外に置かれた気分になる。
自分だけが彼に会えるものだと思っていた自分を戒める。誰もが皆――その胸に秘める感情を別々として――彼に興味を抱いているのだから。
「集まっているのはDクラスとCクラスのようです。他にも上級生たちが」
クラスメイトの一人がそう告げると、私は校門前の集団と向き直す。
「そうですね。別に彼等の中に割り入って、オリエ・オハラに会う程の事ではありませんので、このまま遠くから見守っていましょう」
「でもでもクロエちゃん。そのオリエって人、マリア様に・・・」
言いかけて、顔を俯いたのは私の隣の席の子だ。私は小柄で気弱な彼女に向いて。
「ありがとうございます。ですが私は大丈夫です。ここで心を乱されるようではお姉さまに御叱りを受けてしまいます。まずは彼が何者なのか、見極める時なのです」
この言葉に感嘆の声が上がる。私は私を褒め称えようとするクラスメイトの言葉を遮るように、校門前の集団たちに近づいていった。
「セイナー!」
歩を進めていくうちに、私の親友たちが集まってきた。最初はサヨリだった。
「わりぃセイナ! あたい以外にも話を漏らしたやつがいるらしい」
風紀委員の彼女が最初に現れるのは当然だ。他にも風紀委員の腕章をつけた生徒が、集まっている生徒たちに教室へ戻るよう命令し始める。
ここで烏合の衆が、風紀委員に対して明確な意思を持った生き物のように反発し始める。集団心理が働いて、学園内で下級に位置する彼らが気を大きくして意固地になってしまい、戻れ戻らないの押し問答へと発展する。
「この状況は、ちょっと近寄りたくありませんわね・・・」
ハルナがそう言って、私と肩を並べる。彼女の後ろには、貴族のご令嬢方が控えていた。幼等部から入園した生粋の、「お嬢様」と呼ばれてる人たちだ。
同じ制服を着ていても、その佇まいは確かに違うと、彼女らと校門前の彼らとを見比べて、私はそう感じた。
シュウカとコユキがミドリを引っ張ってやってくる。
「セイナ。このままじゃ全校生徒が集まるよ」
コユキの冗談とも取れる言葉に頷いた。次にミドリを見やって、なぜ二人に引っ張られているか尋ねる。
「キムラ一族が一ヶ所に集まって何か話していたから、無理矢理連れてきたの」
シュウカがそう言ってからミドリを放す。ミドリは観念してか、私にこう言った。
「私たちがオリエ・オハラを、放置するわけ無いじゃないですか。優秀なカタドリと遺伝子を持つと判断した場合、誰が彼の番になるか話し合っていたのです」
「つがい」
「そう、
「待って」
コユキがミドリの口を手でふさいで遮る。
「その話はえぐいからやめて」
「むふぅ」
ミドリは負けじと指を5本出して、“今のところ候補は5人”と報告する。
これがキムラ一族である。優秀な人間と婚姻しては生まれてきた子を研究対象にする、異なる恋愛観を持った貴族。それ故に強力で幅広いネットワークを構築しているし、対魔人の多大なる功績もあるのだから、性質が悪い。
「そうですか」
もうそうとしか言えないので、この話は打ち切った。
無言で事態を見守っていた時、集団の中から大音量の音楽が流れる。誰かがスピーカーを取り出して、再生のボタンを押したようだ。
アップテンポのギターサウンド、波乗りする小気味のいいベース。ご機嫌なドラムのタム回しでイントロが始まり、ボーカルが煽るように叫ぶ。
イタリアの海岸線で流れていそうな、季節外れのサマーソング。
校門前はよりカオスな状況へと転がり落ちていく。オリエ・オハラ抜きで。
「こいつはヤバェ! ちょっくらあたいも行ってくるよ!」
サヨリこのままエスカレートしたら大喧嘩になると言って、腕章をつけて風紀委員の中へと走っていく。
大音量の音楽が流れた事で収拾がつかなくなっていく。流れているご機嫌さとは正反対の怒号が飛び交い、共に力強い音調で反響する。Dクラスを中心とした学園内のヒエラルキー下位がガス抜きをするには、過激な事態へと悪化している。
「――――アッ、来たよ! 来た来た!!」
誰かがそう叫び指さす。皆が一斉にとまではいかないが、何人かが指さす方へ振り向いた。それから波紋のように広がって、騒ぎは一つの方向性を得て変化した。
騒動の発端が、車に乗ってやってくる。
それは学園を訪れるVIPの為に用意された、送迎用の高級車だ。だと言うのに誰も彼もが、あの車こそがマリア・クロエに決闘を挑んだ愚かな勇者が乗っているものだと確信していた。
歓声と怒声ともつかない叫び声が止めどなく発せられる。
多くの人が車を注視し、疑問と義憤が交じり合う。
彼は何者なのか。
マリア様との決闘はどうだったか。
決闘はどちらが勝利したのか。
マリア様と彼は五体満足なのだろうか。
マリア様のカタドリを破壊したクソ野郎はどんな奴か。
多くの謎と好奇心、惑いと憤りを孕んだ集団の前で、車が停まる。
まず運転手が出て、それから後ろのドアを開く。
最初に出てきたのは、松葉杖。アルミ製のロフストランドクラッチだ。それからカフに腕を通して、体重を預けるながら降車する男子生徒の姿。
「――――よぉ! 随分な出迎えだな!」
高級車から降りてきた男は、思っていた以上に重傷だった。体中に包帯が巻かれ、刺されたと思わる部位にガーゼが張ってあり、それが歪でなだらかな凹凸になって制服の状態に表れていた。
右手で松葉杖をついて、左腕は三角巾でつるしてある。首にはギブス。頭は包帯なのだが、僅かにコメカミから赤黒い血が滲み出ている。
息も荒く、呼吸のたびに顔がぴくぴくしている。
これはセイナだけが解る事なのだが、マリアはカタドリのレイピアで肺を突く傾向があり、今回の決闘も突いたのだと確信する。
その元気そうな声とは裏腹に、痛々しい姿で現れた男に驚くことはあっても、けっして憐れむ者はいなかった。
なにせあのマリア様に決闘を挑んだのだ。
しかしここまで決闘相手に傷をつけたのは、初めての事ではないのだろうか。
どんな死闘を演じたというのだろうか。
「オリエ君~~!!」
「うお~オリエ~!!」
おそらく同じDクラスと思われる生徒たちが、一斉にオリエ・オハラを取り囲んで、力いっぱい祝福する。
「ぎゃあヤメロォ!! キズに触るんじゃね~!!」
胴上げしようと群がるクラスメイトを振り払って、普通にしろ普通にと叫ぶ。それから一旦間を置いて、クラスメイト一人一人が賛辞の言葉と自撮りを始める。
携帯電話を取り出して、写真機能で記念撮影を始める。気が付けば周りにいた他の生徒たちも、彼を撮ろうと携帯電話を掲げる。
貴族のご令嬢方も、慣れない手付きで携帯電話を操作し始めていた。
まるでアイドルだ。いや、むしろアイドルよりアイドルしている人気ぶりだ。
「・・・・・・」
ここからでは、オリエ・オハラの身体的特徴がよく見えない。
怪我もあって正しい立ち姿も判らない。人波に飲まれ、携帯電話のフラッシュ機能もあって、今回も彼の姿がよく見えなかった。
身長、体重、手足のリーチ、重心の安定度、歩法の熟練度。漏れ出ている魔力。
どんなカタドリを持っているかは手のタコを見ればある程度推察できる。
なんでもいいから彼の強さを図りたい。だが今回は無理そうだ。
「またの機会に――――」
私は至極冷静に、こんな状況では自己紹介もできないと判断し、踵を返そうとした。余りにも周りの人間たちが大騒ぎするものだから、思い通りにコトが運ばないのを悔しがるどころか、彼を知る事すら前途多難だと思い知らされた。
だから今回は、何かの拍子で衝動的に動かないように、身を引こうとした。
しかしここで事件が起こる。
過密になっていた校門前で、貴族のご令息たちと思われるグループが力ずくで割って入り、グループのリーダーとその取り巻きがオリエ・オハラの前に出た。
そこで取り巻きの一人が、なんと手袋をオリエ・オハラに投げたのだ。
「あっ――――」
私は突然の事に驚いた。私だけでない。他の皆もそうだ。
だって・・・。
「―――ふんっ、どうだ次の決闘相手はこの・・・」
手袋を投げつける。
それはヨーロッパで、決闘を申し込むときの風習にならって、相手に一方的な決闘を申し込む方法として学園内で広まっている。ただし、学園内では独自に、手袋の色や種類によって相手をどう思って決闘を申し込むかが解るように分類化されている。
白なら「正々堂々と遺恨を残さず」
赤なら「あなたに怒りを覚えている」
青なら「お家の騒動のため仕方が無く」
緑なら「無礼は承知、学園を去る覚悟を以て」
軍手は「どちらか負けた方が代わりに労働、責務を負う」
指が切られた手袋は「あなたの身内に恨みあり」
指輪が結ばれた手袋は「あなたの恋人、婚約者がほしい」
ゴム手袋は「お前は格下、奴隷のようにこき使ってやりたい」
等々エトセトラエトセトラ・・・
「おいおい、正気か・・・?」
そして今回の手袋は赤。
投げた本人はまるで「自分は怒りの代弁者だ」と言わんばかりにふん反りがえっている。
が、グループのリーダーと思われる男子生徒が、怒りの形相で後ろから手袋を投げた生徒を張っ倒す。
俯けに倒れこんだ生徒を、リーダーは怒鳴りつけた。
「なんて事をしたのだ! 貴様は!」
「え、ええ・・・!?」
周りの生徒も、彼に行いに対してヒートアップして、その場で袋叩きにする。
「何てことしてんじゃワレェ!!」
「決闘を終えた相手に手袋を投げるなど言語道断!!」
「ましてや手負いだぞ!! ナニ考えてんだコラ!!」
「どんな恨みや理由があっても! ケガが癒えぬ間に決闘を挑むのはご法度だ!」
上級生を中心に、手袋を投げた非常識な生徒を足蹴にする。
「ヒィッ・・・! ヒギッ・・・!」
6人以上の生徒に囲まれて蹴られ、踏まれ続ける男子生徒に、風紀委員たちが即座に介入して事態の収拾に取り掛かる。
オリエ・オハラは上級生たちの怒り様を見て呆気にとられていたが、手の空いていた風紀委員たちによって誘導され、校門を通る。
ここで近くの風紀委員に耳打ちして、目的の場所を告げるのが見えた。私は遠くから彼の唇を読んで、「学園長・・・」と読み取った。
「(学園長室・・・?)」
私はこれを好機と思った。すぐに親友たちを読んで、彼が学園長室に行くようだと告げ、会える方法を議論する。
「直接セイナも学園長室にいく?」
「いいえ、それは無理です。学園長室は学園長の許可ない限りは呪術系の魔法で保護されています。迂闊に近づくのは危険です」
「じゃあ学園長室からオリエが出てくるのを待つか?」
サヨリの提案に、ハルナが乗っかる。
「それが良いですわね。幸い、ここには風紀委員が居りますもの」
「あん? あたいが何かすりゃいいのか?」
ハルナが得意げに作戦を説明する。
「ええ、こうですわ。学園長室から出た彼を、セイナの下までエスコートすればよろしいのですわ」
コユキが頷いて、具体的な案を提出する。
「じゃあDクラスのある棟への渡り廊下までは、ダミーの生徒を用意するよ。遠くからだけど、だいたい身長は解ったから、体格の近い生徒に包帯巻かせて、それで時間稼ぐよ」
「ダミーを仕立てて彼の安全を図ると言えば、風紀委員側も首を縦に振りますわ」
「ではそれでいきましょう。みなさん、よろしくお願いしますね」
「まじかよ超重要じゃんあたい。風紀委員長説得できっかな・・・・?」
5人が散開し、行動を開始する。
校門前の大騒ぎは、彼の移動と教員たちの到着によって鎮静化していった。
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