第2話 男の名は

 夜の闇が、空から落ちてくるようだった。

 私は寮の部屋で独り、ベッドに横たわり、ただ目を開けて、ただ息をしていた。カーテンも開けずに薄暗い中、吐く息は最も大きな音で、吸う息は二番目に大きい音だった。

 それ以外は静止している。


 あの決闘から三日が経ち、私もずいぶん落ち着いた。病院に搬送されたから寮に戻るまでの私は、生まれて初めて自身の感情に振り回されていた。怒鳴り散らしたり、喚き散らしたりせず、名前の付けようのない、あらゆる感情がとどまる事無くあふれ出る。それをただ徒に悶々と滞留させている。

 病院に駆け付けた両親は“お姉さまが使い物にならなくなって困った”事より、“初めて感情的に振る舞おうとする私をなだめる”ことに終始した。振り返ってみれば私と両親の間で親子らしいやり取りをしたのは、アレがはじめてだと思う。


 お姉さまはなんとか持ちこたえた。

 己の魂魄を写し取り具現化する魔法『カタドリ』は破壊されたが、元々となる魂魄自体が破壊されたわけではない。

 魂魄とカタドリは疑似的な連結状態で維持されており、衝撃等で破壊され維持できなくなると、その衝撃をフィードバック(帰還)してしまい、一部のダメージを魂魄側に受けてしまう。

 つまり武器が武器でいられなくなるほどの破壊を、疑似体験するのだ。


 魂魄とは、魔力を生じさせる為に必要な、心とエネルギーの資源にして、身体の形態と属性を決定づける設定図。

 この魂魄を麻痺させたり損傷させるようなことがあれば、一時的なショック状態に陥り、適切な処置を施さず放置すれば、外傷の無い内面的な死を迎える。


 病院に搬送された直後の事は、はっきりと覚えていない。

 救急車から降り、目の前の光景が明滅を繰り返す中、確かな記憶があるとすれば、通常の救急医療は通用しない事。

 学園長が先回りして準備万端だった事。

 お姉さまの決闘相手がICU(集中治療室)にぶち込まれた事。

 手の空いていた看護師がつきっきりで私のそばにいてくれた事。

 両親が来た途端あらゆる感情が爆発しそうになった事。

 両親が宥める中、学園長が『学園に戻れ』と命令された事。

 ・・・これだけ。


 頭の中がグルグルする。行き場のない制御しきれないモノが体中に蠢く。こんなことは初めてだ。心の中心に巨大な穴が空いて、ことある毎に思考の渦を混ぜっ返す。

 空虚で足元のおぼつかない、ふわふわとした実感。

 これまでどおり続くであろう日常がすべてひっくり返された驚天動地。

 お姉さまは、無事なのだろうか。

 私は何をすればいい。

 自分を含めたすべてが、どこか遠くの出来事のように感じる。



 近くから音がした。部屋をノックせずに、誰かが入ってくる。

「お邪魔するよ~」

 声は1人、足音は5人。来客を迎える為に私は起き上がろうとする。

「ああ、そのままでいいからっ」

「セイナ、大丈夫?」

「もう3日だぞ、まだ体調はすぐれないか?」

「そろそろ授業に出ないといけませんわよ」

 どんな顔をすればいいのか分からず、私は曖昧に返事する。普段私は、この友人たちとどう接していたのか、ついぞ思い出せずにいた。

「マリア様、意識は安定するしてるそうですよ。病院から連絡があって――――」

 この言葉でようやく、意識らしい意識を持てた。私は定まっていなかった焦点を、一人の友人に向ける。このことで、他の友人たちは自分が正気に戻った事を悟る。

「どうして、あなたに・・・?」

「何って・・・あの病院うちの一族のですから・・・」

 そう言って自分の髪をいじりはじめるのは、ミドリ・キムラ。

 極端に色素の薄い髪質と肌質のキムラ一族は、代々医療の分野でカタドリの研究を続ける一族。遺伝子研究の一環で、様々なカタドリを持つ人間と婚姻しては優秀な遺伝子を残す。やや倫理と恋愛観に問題はあるが、それ以上に人類に貢献し続ける有力貴族の一門。


 一呼吸と少しだけ、間を置いてから私は来客用の座布団を用意する。何度かこの部屋を訪れた事のある友人の一人、シュウカ・オオサカがお茶を用意する。

 座って輪を作って話を始める頃には、私は落ち着いたもので、けれども普段とは若干異なる受け答えをしたと思う。友人たちも気を遣ってそれには指摘しないし、できるだけお姉さまの話題を出さないように努めていたと思う。

 オオサカの淹れた紅茶が全員にいきわたると、ミドリが続ける。

「カタドリは破壊された時、衝撃をフィードバックしてしまうのだけど、実際のところはフェイルセーフが働いて、魂自体にダメージがいくことは、滅多にありません」

「どういうこと?」

「えっとですね、防衛本能と言いますか、・・・シートベルトってあるじゃないですか。一定以上のスピードで引き伸ばされると、“ガチッ”てロック状態になって、それ以上引き出せなくなるのと同じです。そうやって着用者の被害を未然に防ぐ機能と言いますか・・・。

 ――――とにかく、マリア様はテレビ番組で大袈裟に紹介されているような、悲惨な状態ではありません」

「そうなんですね! それは良かったじゃありませんか!」

 手を合わせて朗らかに安堵するのはハルナ・イヨ。これにミドリが合わせるように明るく振る舞う様に追加の報告をする。

「そうです! 幸いにも――どうやってかは判りませんが――マリア様のカタドリの切断面はキレイそのもので、通常より復帰は早いかもしれません!」

「え、綺麗に切られたら、治りが早くなるものなの?」

 ここで素早く質問を投げかけたのは、コユキ・クロサワ。基本的に口数が少ない彼女が早い段階で話の輪に入るのは珍しい。

「そうです。理屈は自分でもよく解らないですが、カダトリを再構成して修復作業をする際に、断面が綺麗な方がくっつきやすいそうです。複雑骨折より単純骨折の方が治りが早いのと同じ理屈かも知れません」

「ごめん、それはよくわかんない・・・・・・でも、希望はあるんだね?」

「そうですね、治療とリハビリには、院長と学園長も関わるそうですから、まずは安心だと・・・」

「それにしましても・・・Dクラスがカタドリを破壊できるだけの力を持っているだなんて・・・」

「そもそも、何者なのでしょうね?」

 自然というか当然というか、話題をお姉さまから避けるためとはいえ、話はお姉さまの決闘相手の事へとシフトしていく。


「クロエちゃん、なにか知ってて?」

 私は首を横に振る。少し俯いてから、覚えていることを話す。

「・・・お姉さまは獅子花筏ししはないかだをサブウェポンに選びました」

「ししはな・・・いか?」

「我が家の先祖が魔人を討ちとった際に用いた家宝の一つ。お父様が特別にお姉さまにお与えになって、お姉さまが本気で相手をなさるときに持ち出すものです」

 この言葉に、お姉さまの決闘が本気だったことが皆に伝わる。

「それってつまり・・・・・・マリア様は――いえ、マリア様だけが――決闘相手の強さを冷静に見抜いていたって事・・・?」

「・・・そうね、そうとしか、言えない」

 私は改めて、お姉さまの対戦相手を思い出そうとするが、断片的かつ、お姉さまを第一にしていたため、視界にすら入っていなかったことに気づく。このことを皆に伝えて、皆に何か知らないか尋ねた。

 残念ながら、一人を除いた全員が首を横に振るだけだった。

 お姉さまに関しては皆興味津々だったし、絶対的な人気と信頼を寄せていたが、肝心要の決闘に関しては、何故かみんな無関心だった。それもそうだ、お姉さまが絶対に勝つものだと、皆確信に近い誤解をしていたのだから。

 決闘とは、何が起こるか分からない。しかし、模擬、公式試合を含めて100戦以上を無敗で過ごす人間が居れば、誰が相手であれ勝つものだと考えるものだ。それも、相手が無名のDクラスなら猶更なおさら・・・。

「それじゃあしばらくは、その対戦相手、もといマリア様の決闘相手に関する情報の収集・・・かな?」

 コユキの言葉に、皆はうなづかなかったが同意して、どこから情報を集めればいいか意見交換に入った。

「Dクラスに知り合いか友達、居る?」

わたくしりませんわ。皆Bクラス以上でしてよ」

「部活や委員会で何人かDクラスだったが居たし、そこからかな?」

「同じ1年生だから校舎は同じだし、直接Dクラスに行くって手もある」

「いやそれはちょっと・・・あそこ“動物園”って言われるくらいうるさくって危険な所ですし・・・」

「なんで私たちがDクラスに怯えたり遠慮したりしなければならないんですのっ」


 次第に喧々囂々けんけんごうごうとエスカレートし、女子トークの様相を呈していく。

 私にとって女子トークは未知の領域、こんな風に無責任に盛り上がっては遠慮なく話ができればと思っているが、どうしても気持ちがついていけない。特に今日は。


「みんな、ちょっと待ちな!」


 ここで大きく声を上げて皆に釘を刺そうとするのは、サヨリ・オチアイ。

 このメンバーの中では変わり種の、元不良と呼ばれる類の友達。最後まで沈黙を保ち、決闘相手について尋ねても唯一首を横に振らなかった、硬派な友達。

「今回は騒ぎ立てて自体を大きくするにはデリケート過ぎるし、マリア様の妹たる、の恩人であるクロエを、置いてけぼりにするのは良くねぇよ!」

「サヨリさん・・・」

「クロエっ、お前はどうしたいんだ? マリア様を再起不能にしちまったヤローのこと調べて、それからどうするんだ?」

「どうって・・・そうですね・・・」

 私はぼんやりと、言われるままに、決闘相手の事を皆に調べてもらってから、どうしようかと考え始める。

 人差し指を上唇に、親指の腹を顎に乗せて思案する。この動作は、お姉さまの為に料理のレシピを考える時に出す、無意識の動作だ。

 この動作にいち早く気づいたシュウカは少し微笑んで、不意に問いかけてくる。

「クロエちゃん。マリア様の敵討ちがしたいの・・・?」

「それは・・・・・・どうでしょう・・・」

「ね、もし・・・もしもだよ? クロエちゃんがそうしたいっていうなら、私たちは喜んで手伝うし、決闘までのお膳たてだってできるんだから。だって友達じゃない。それにこのまま泣き寝入りするのは、クロエちゃんらしくないよ。

 ――――でもね?」

 すこし声のトーンが下がるのを聞いて、私はシュウカの方を見る。

「半端な気持ちなら、私たちは手伝わない」

 この突き放すような言葉に、場が静かになる。

「・・・・・・・・・」


 この沈黙の中にあって、暖炉に火がついたような気分だった。記憶が鮮明に蘇り、お姉さまとの思い出が、すこしずつ頭の中で加速しながら駆け巡っていく。

 心の中心に空いた巨大な穴に、壊されたはずのお姉さまが―――否、私の大切な思い出たちが、不意に胸に溢れてきた。

 うつむいて私は、今にもふきあげそうな気持を抑える。

 そして悟った。

 この気持ちは、“お姉さまを喪失して空虚になった”のではない。

 お姉さまが背負っていた、“あらゆる重荷が私にしかかってきた”のだ。

 我がクロエ家の期待と責任は、いま動ける私にしかできないのだと。

 お姉様が不在の際には、スペアだった私が全てを代行しなくてはならないのだと。


 やがて静かに向きなおって、皆を見渡した時の私の顔は、無表情で凄みを帯びた、今までにない顔になっていた。

「まずは、名前が知りたい――――」

「クロエちゃん」

「お姉さまは、決闘相手を“強い”と仰ってました――――」

 私は座り直し、背筋を整え、頭を下げた。

「もし本当に強いと言うのであれば、あって話がしたい。話をしてそれから、お姉さまはどのように戦ったか、知っておきたい。

 この決闘は正当なものだったか、というよりも、最高の戦いだったかどうか。私は知っておきたい。敵討ちを第一にせず、私の気持ちを整理させたい」

 この決心の言葉に、サヨリが頷いた。

「よし、決まりだな。クロエがそう決めたなら、あたいの情報を提供するよ!」

「サヨリ・・・?」


「男の名前は――――オリエ・オハラ!」


 突然の決闘相手の名前を告げられて、皆が唖然とする。ここでサヨリがとぼけて見せるように、右手で頭から首にかけて撫でつけて。

「いやー実はさぁ、あたい今風紀委員に入っててー。今日の昼休みに呼び出しがあって・・・で、例の決闘相手が、退院して明日の朝に帰ってくるって話があってさ」

「それをなんで早く言いませんでしたの?」

「いやだって内密にしててくれって言われてたし、

 ――――それにあたい達だけじゃなくて、他のグループも黙ってないって! マリア様を再起不能にしたっていう奴の顔、この学園で見たくないってやつ、いないだろ? 絶対トラブルになるから、あたいら風紀委員が、しっかり周りを固めろって話になってんだよ!」

 ここでサヨリがバツの悪そうな顔になって、私たちに手を合わせる。

「頼む! これ、誰にも言わないでくれよ? 新米のあたいが漏らしたってバレたら、風紀委員にいられなくなるし、それこそ・・・」

「ええ、わかっているわ」

 私は至極落ち着いて、サヨリの言葉に頷いて、これからの事を考える。

「・・・・・・名前以外の情報は?」

「ああ~、無いっ」

「そう・・・でも、名前が解れば、後でいくらでも調べようがあるわ」

 この言葉に、私以外の全員が立ち上がり、行動を開始する。



 学校という特殊な環境下にあって、女子グループは大きな派閥と言える。

 入学試験の成績で分けられたA、B、C、Dのクラスは、実力主義を示した序列である。カタドリの性能しだいで、否が応にも階層の下に置かれる理不尽さは、入学を決意した時から覚悟していた事である。

 が、入学した後の「スクールカースト」は、許容できないものがある。

 上位の派手なグループ、中位の普通なグループ、下位の地味なグループ。

 決闘以外でのカタドリを使った私闘を禁じられている学園では、クラス分けと決闘以外での序列を決める要素に、普段の学園生活によるグループの形成によって力関係が生まれてくる。これがスクールカースト。

 しかし、その中にあってグループの地位の頂点に君臨するものがいる。

 

 マリア・クロエとその妹、セイナである。

 

 マリアは言わずもがな、学園最強にして常勝無敗。誰もが彼女に敬意と尊敬の念を抱きこうべを垂れる、まさにカリスマと呼ばれるにふさわしい存在である。

 妹のセイナは姉のおこぼれに預かるようなことはせず、だからと言って金魚の糞になるのではなく、独自のグループを形成していた。

 本人は無自覚だが小学校、中学校での友達選びのセンスは抜群だった。

 セイナの友達は皆、スクールカーストにおける各グループのリーダー格で、セイナはすでに1年生の女子グループ全てを掌握しているのに等しい地位にあった。

 ハルナ・イヨは最上位にあたる貴族のお嬢様のグループの。

 シュウカ・オオサカは勉強ができて家庭的な上位グループの。

 ミドリ・キムラはキムラ一族に属する幅広いグループの。

 コユキ・クロサワは地味ながらカタドリの研鑽に余念のない下位グループの。

 サヨリ・オチアイは元不良などのとにかく物怖じしない下位グループの。

 この5人を従えて、スクールカーストという概念から超越しているセイナ。

 この6人が、マリア・クロエの決闘相手、オリエ・オハラに迫ってくるのだ。



 そうとは知らず、オリエ・オハラは憮然として車椅子に乗りこみ、看護師のお兄さんの指示に従い、退院の手続きを進ませていた。

「――――ぶえっくしゅん! ・・・いっきゅしゅん!!」

「大丈夫ですか?」

「あ゛あ゛もうぅ! 誰だ俺様の噂をした奴は・・・!」

 オリエ・オハラは重傷である自分がなぜこんなにも早く退院をしなければいけないのか、一人憤っていたが、学園長による魔法的な治療により、ほぼすべてのキズがふさがっており、健康そのものであった。

 しかし、別室で未だにベッドから動けないでいるマリア・クロエは、長期的な入院を余儀なくされていた。

「しかし不思議ですね・・・カタドリというのは、ちょっとでも傷がつくとこうなるのですね」

 看護師のお兄さんが、書類に目を通しているオリエに話しかける。

「ああ?・・・いや、それは違うぞ看護師のお兄さん」

「スズキです」

「スズキさん。カタドリってやつは本来破壊不可能なんだ。テレビ番組で何度も見せられてるだろう? カタドリをタンクローリーで引いたり、ガトリングやバズーカで攻撃しても、傷一つつかない場面、見た事ないか」

「ええ、勿論です! 子供の時からすごいなって思ってました。

 ・・・でもどうやったらカタドリは破壊されるのでしょう・・・?」

「簡単さ。カタドリはカタドリで破壊できるのさ。

 俺たちがぶっ殺すべき魔人たちと同じ理屈でよぉ、通常の火器じゃ通らず、魔法による物理的な干渉でしか、カタドリは傷をつけられねぇんだ」

「へぇ・・・でも、どうやってカタドリの強さというか力比べが成り立つんです?」

「あ~、それは俺にはわかんね。でもカタドリの性能というか、個人差だな。

 ・・・まっ、俺様のカタドリは顕現けんげんさしちまえば最強って話さ」

「そうですか・・・・・・でもオハラくん、これからが大変ですよね?」

「え、なんで?」

「えっ、だってあの、マリア・クロエに勝ったんですから・・・」

「?・・・いや、あの決闘は、俺の負けだ」

「――――ええっ?」



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