第1話 試合に勝って、勝負に負ける
もしかすれば、私もお姉さまのようになれるんじゃないかと、漠然とした未来像を思い描きながら第3女子寮に戻っていた。学校とお家の言われたとおりの事をすれば、自分と波長の合う友達と毎日楽しく過ごせば、勝手にレベルアップして、立派な大人になれるものだと思っていた。
私はお姉さまのスペアだった。お姉さまの幼い頃、流行病でお姉さまの命の灯が消えようかというときに、私は計画的に生まれた。でもお姉さまは病を乗り越え、私はスペアという立場を取り消された。
峠を乗り越えたお姉さまは私を随分可愛がってくれたけど、両親はあまり私に関心が無かったと思う。私の幼い記憶の断片を辿っても、第一にお姉さまだった。
曰く「病を乗り越えてカタドリを顕現した」とか「クロエ家始まって以来の神童」とか「戦女神の生まれ変わり」などと持て囃され、お姉さまもそんな両親の重圧なんて関係なく、その才能とお家の恵まれた環境下で思う存分研鑽していった。私もそのおこぼれに預かって、少しずつ、少しずつ、お姉さまに劣るけど他の貴族の令嬢よりも早く、カタドリを顕現させることができた。ここで初めて、私はお姉さまのスペアとしての立場は再検討され――しかし政略結婚の為の優秀なお嫁さんとして――お姉さまとは違った教育方針の下で努力することになった。
初等科に進学した頃には、私の自我と記憶が顕在的になり、連続的な日常、つまり他の子たちと一緒の、貴族の令嬢として振る舞うようになった。多少わがままを言えば怒られることはあっても、悲しくって泣いた時は誰も見てくれなかった。けどお姉さまだけは私を庇って、ぎゅっと抱きしめて、姉妹として、家族として大事に私を扱ってくれた。
初等科を卒業するときには、私の将来はスペアから「政略結婚用の駒」として明確なビジョンが見えた。お姉さまは家を継いで、かつての栄光とそれに相応しい武勲を上げる事を期待されるようになった。我が家は武勲を上げて貴族入りした騎士の家系。爵位の高さは武勲の質と量の証左らしく、多くの義務と責務を負われている。
中等科に上がり、私にも友人と呼べる人たちに囲まれるようになる。複数の女生徒のグループにも一目置かれ、私より強い者はいなくなっていた。その頃にはずいぶん「流石マリア様の妹」と褒められるようになる。紋切型の褒め言葉でも、私は素直に嬉しかった。
いつしか私にとってお姉さまは、比べられるのも畏れ多い、ある意味神よりも高位の存在になっていた。事実、お姉さまはすでに
寮に戻った時、いつもと違う空気が流れていることに気づく。近くにいた新しい友人に訪ねると、お姉さまが私と同じ1年生から申し込まれた決闘を受け入れ、準備に取り掛かっているそうだ。私に気づいた他の友人たちが集まりだす。
この時、私は何とも思っていなかった。
お姉さまに決闘を申し込む勇者がいたのか、と友人たちは口をそろえて言う。私も口にはしなかったが、「愚かな人がいるのね」と他人事のように捉えていた。実際、今までで一度もお姉さまは決闘で負けたことはない。さらに言うなら傷一つつけられたことはない。
お姉さまの決闘は初等部の最高学年の時、没落貴族と
以来中等部を卒業するまでの56回、すべての決闘を無傷で勝ち残り、高等科では「最強」の名と共に進学した。
嗚呼、誇らしいかなお姉さま。私はあなたを誰よりも尊敬しています。しかしなぜ新入生が学び舎に入ってすぐのこの時期に、決闘の申し込みがあったのでしょうか。 お姉さまが相手の誹謗中傷を受けて決闘を申し込むなどは、私の記憶では最初の決闘の時のみ。つまり、相手の方からお姉さまに決闘を申し込んだというのが自然。今まで通りお姉さまに近づいてきた、侮りと油断、自己評価の高さと実力の隔たりが激しい殿方からの申し込みと受け取ってもよろしいのでしょうか。
友人たちを分かれて、私は部屋に戻った。部屋にはお姉さまがいる。上級生と下級生の二人一組の相部屋である。
私はお姉さまの後姿を見ながら、会った事もない決闘相手の無様な負け模様を想像していた時、お姉さまは淡々と装備を整えていた。制服の上から装着し心臓を保護する片胸当て。可動域を制限させない二重構造の肩当。手の平以外を覆う分厚い手甲。正面側だけを守る膝当てと具足。そしてサブウェポンは本気の相手にのみ使う「
お姉さまのレイピア型のカタドリとサブウェポンの短刀の組み合わせは、正に最強。だと言うのに、相手は私と同じ一年。私はつい声をかけてしまう。
「お姉さま。今回の決闘・・・」
「ああ、妥当だ」
それだけ言って、お姉さまは入念に装備を再点検する。ここで私はお姉さまが本気で決闘に臨むのだと理解しました。伝統的なカタドリ使いの決闘において実力の差が天と地ほどあれば、手心を加えるのが習わし。しかしそれが無いという事は、それ相応の実力者だと、お姉さま自らがお認めになったのだ。
「失礼ながらお姉さま、今回の決闘の相手はどなたでしょう? その装備品から察するに、本気で相手をするに相応しい方だとお見受けします。しかし、一年生で本気の相手をするというのは、その・・・私以外でというのなら・・・」
私は記憶を総動員して、知る限りの実力者をピックアップする。
「Aクラスのではアンジョウさん。サチュウさん。キリンさん。Bクラスではかろうじて、ダイトクさんと思われますが・・・」
しかし、失礼ながらこの人選はどう考えてもあり得ない。完全な実力主義を貫いている我が校で、お姉さまの強さを知らないものはいない。
「その4人ではない」
短く答えて、装備一式を個人用のボックスに保管し、施錠した。振り向いて、
「Dクラスだ」
「!?」
お姉さまの目は、屹然として凛々しいものだった。
Dクラス。
我が校の入学試験で「不合格だがカタドリの才能を保護する責任において特別に入学を許可された人材」が集まる、どのような言葉を選んでも“落ちこぼれ”のレッテルを張られるクラス。自然、学園に馴染めずヒエラルキーの最下層に置かれ、劣等感の塊になる傾向が強い。中には卒業後に偉大な戦果や多大な功績を上げる者がいるが、そんな者は全体の0.01%以下。刑務所の中で聖人の受刑者を見つけるようなものだ。
「そんな・・・その人はなにか、お姉さまの逆鱗に触れるようなことを・・・?」
「?」
私の言葉に、お姉さまは毒気を抜かれた様な顔になり、首を傾げる。
「・・・いや、そんな言動は無かった」
「でしたら何で・・・」
「強いからだ」
それだけ申して、お姉さまは床に就いた。決闘は朝6時だそうだ。
私はやきもきする気持ちを抑え、お姉さまの邪魔にならないよう静かに過ごし、いつもより早く就寝した。
翌朝。
眼を開けた刹那、私は目覚まし時計が鳴っていない事に気づき、体が跳ね上がる思いで起床した。
時計は6時28分。
早起きしたお姉さまが、ベルが鳴る前に時計をオフにして部屋を出ていたのだ。
学校の規則で相部屋で使用する時計は一つと決まっているので、よくある話なのだが、今回だけは腹に据えかねた。
いつもの悪い癖、何度注意しても直らない。だから余計に・・・
「あれだけ念を込めて臨む大事な決闘なら、私も立ち会いたいのに・・・!」
居てもたっても居られず、私はいち早く着替え、最低限身だしなみを整える為の小物を詰めたバッグを取り出し、部屋を飛び出た。私は他の生徒に迷惑にならない程度に音を立てず走り、バッグから櫛を取り出して、素早く髪を撫でつけていた。
決闘の場所は両者相談のもと、かつ学園の許可が下りる場所。だいたいは武道館である。今回の決闘の場は第五武道館。第3女子寮からそう遠くない。
遠くからかすかに、桜の匂いが風に運ばれる4月の朝。スポーツ系の部活動に入った生徒が朝練をする時間帯だというのに、誰も居ない。
不思議に思ったが、角を曲がった時その答えを得た。第五武道館に人が集まっていた。そしてその中心に救急車が見えた。
ここで私は走るのやめ、一息ついてからこう思った。
嗚呼、お姉さま、やってしまったのですね・・・。
そう、本気で相手をするのなら、これ位の事態は想定するべきでした。刃挽きをしていない、全身フル装備の決闘なんですもの。最悪学園生活を送れず、そのまま名誉退学として処置される事例だってあるのですもの。
私は安心しきって、お姉さんを礼賛する言葉を考えながら近づいて行った。久々の決闘、しかも本気の戦いはお姉さまが中学2年の時以来。そう、あれは――――
「――――お、おい! 出たぞ!」
「ウワ!? 本当にやりあったのか?!」
「い、嫌だ!! こんな事って・・・!」
群がる人たちがそれぞれの言葉で驚き、狼狽していた。救急隊員が生徒たちを退けて、担架を救急車に乗せようとする。
その担架の上には、お姉さまがいた。
お姉さまの体は、初見では外傷らしいものは見当たらない、最後に見た時と変わらぬ、美しくも芯の強い体だった。
「――――――――」
私は一瞬、何が起こったのか理解するのを拒絶して、立ち止まった。
続いて毛布に覆われた負傷者が、救急隊員につかまりながら自分の足で救急車に乗り込んでいた。この人がお姉さまの決闘相手なのでしょう。その人の怪我は毛布に広がって赤く滴る水溜りの量が物語っていた。出血量からして重傷。
毛布に覆われた決闘相手の顔は、良く見えなかった。しかし、お姉さまの顔は、いやがおうにも見えている。
魂が抜け落ちたように空虚で、生気が無い。
これは、授業で何度も資料集や映像で見たものだ。
カタドリが破壊されたのだ。
「お姉さま!!」
この世界において、史上初めての司法取引は魔女からの魔法の提供による魔女裁判の免罪だった。
提供された魔法は、人類に飛躍的な発展をもたらした。だが、度重なる魔法の研究と科学の実験、その成果による抑止力と戦争の繰り返しに、人類はついに禁断の魔法科学にたどり着く。
あらゆる化学兵器に耐性を持ち、強力な魔法にのみその体を傷つける事ができる「魔人」の開発だった。
魔人たちはその溢れかえる魔法の力を人類の為に使った、人類を駆逐する為に。
人類は大きなブレイクスルーとシンギュラリティの到達によって、魔人たちの暴走を招き、人類対魔人という極端な二極化に陥った。
生き残りをかけた大戦争は熾烈を極め、ついに魔人たちはどこかへと隠れてしまった。
絶滅したわけではない。
人類の感知できない所で数を増やしているのだ。奴らは息をひそめ、魔人を倒す事が可能な魔法使いとその後継者を一人、また一人と、確実に数を減らし続けたのだった。
そして時は流れ、多くの魔法が忘れ去られて久しい近未来。最後に残されたのは、己の魂魄を写し取り武器化する『カタドリ』を媒介にして魔法を行使する事だった。
人類は残ったカタドリの才能を宿す人間を保護し、決して魔人が手を出せない、堅固な籠の中で育てることになった。
その中の一つに、この養成校「新徴学園」があった。
「・・・・・・・・・・・・」
私は何度も、同じことを考えている。
“カタドリが破壊されるという事は即ち、魂の破壊。魂が破壊されば理論上、再起不能になる。再起不能と言っても、長期のリハビリや家族の献身的な介護によって日常生活に戻っていったという事例を、何度もテレビで紹介された。年金も入る事も。しかし、そんな単純な美談で片付く話ではない。でももしかしたら、お姉さまならきっと社会復帰を果たしてくれる“と・・・。
「お姉さま!」
私は
「そのまま話しかけて下さい! ご家族の言葉なら、もしかしたら戻ってくるはずです!」
「お姉さま! 私です!セイナです! マリアお姉さま!!」
私は何度も声をかけ、病院にたどり着くまでずっと話しかけました。
その間ずっと、同乗しているお姉さまの決闘相手なんて、頭になかった。後ろで静かに別の救急隊員の治療を受けて、「ああ」とか「平気だ」とか言ってた気がする。
これが私と、憎いあいつとの最初の出会いだった。出会いというには可笑しな話で、互いに顔を見ずに終わった出会いだった。
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