第21話 英雄の息子②


『ヒヒ…ヒヒヒ…』


不愉快な笑い方をする男だった。

剣術家にはあるまじき曲がった背中と、顔全体を隠した編笠。

その男はおぞましい量の血と臓物にまみれて、死体の山の上に立っていた。


『皆を殺したのは貴様か…!』

『ん?…あァ。まだ殺し損ねた奴がいたのかァ』


男が、道場に現れた愛子の姿を視認する。

かくんと首を動かした。


『…これは良い刀だなァ。奥にしまってあるのは勿体ない』

『!貴様…』


男の手には2本の刀。

愛子の家に伝わる、大切なものだった。

厳重に管理され、よくよく手入れされていたそれは、真っ赤に染まって殺人鬼の手に握られている。

積み上がった遺体を前に、愛子が血が滲むほど唇を噛んだ。

(もっと早く帰っていれば…)

その様子を気にすることなく、男はぐらぐらと頭を動かした。


『悲しいのか?それはすまないことをしたなァ。我は、殺さずにはいられぬからなァ。呪われた人間なのよ』

『ふざけおって…笠を取れ!顔を見せろ!』

『我は人を待っている。ヒヒ…それまで取れはせぬなァ』

『ならば、無理矢理吹き飛ばしてくれる!』


愛子は女ではあったものの、幼少期から鍛錬を積み重ねた一流の剣士だった。

殺された中には、彼女の父や兄弟はもちろん、小さな妹もいた。

家族から贈った、彼女が大切にしていた日本人形は血の海に転がっている。

愛子が愛刀を構え、血走る目で男を見た。


『許さんぞ…!』


(例え刺し違えてでも、絶対に殺してやる!!)

その燃え上がる殺意は本物で、彼女の実力になんの不足もなかった。


「それでも…」


事務所の中で、愛子がつぶやく。


「ところが…儂は負け、こうして人形としてしか生きられなくなってしまった」


あれから既に20年以上が経った。

健康的だった彼女の褐色の肌は胡粉で真っ白に染まり、自慢の長い手足はずいぶんと短くなってしまった。


「あやつを褒めるなど反吐が出るが、斑目は間違いなく天才じゃ」


表情は変わらずとも、愛子のその声からは狂おしいほどの無念がにじみ出ている。

雛乃は身支度をしながら、机の上に置かれた愛子を振り返った。


「…斑目は、妖刀が目的で愛子さんのお宅を襲ったのでしょうか?」

「いや…あの男は、妖刀のことは知らなかったのだろう。たまたま、自分の享楽の為に襲った道場の中に、妖刀があっただけの話なのじゃ」

「…つくづく、とんでもない人ですね…」


瀕死の愛子は命が燃え尽きる寸前、そばに転がって居た市松人形の中に逃げ込んだ。

彼女の強靭な精神力もさる事ながら、今思えば、違う力が加わったようにも感じる。


「儂に、魂をどうこうする技術など無い。先に死んだ一族の者が、手を貸してくれたのかもしれんな…」

「……」

「儂には、儂の一族には責任がある。人智を超えた刀を預かる者として、最も持ってはいけない男の手に流してしまった責任が」


ただの人形でしかないはずの彼女の瞳に、まるで人間のような意思が光り輝く。

(必ずあの男から、刀を奪い返す)


「愛子さん…」


雛乃が思わず愛子に見入っていると、事務所の、廊下に面した扉が開いた。


「行くのか」

「黒鉄さん」


入ってきたのは寝間着姿の黒鉄。

彼が未だ日が昇る前の時刻に起床するとは、ずいぶん珍しい話だ。


「すみません。起こしちゃいました?」

「ああ。うるせえからな」

「それは申し訳なかったですけど…たまには早く起きた方が良いですよ」

「…さっさと行け」


しっしっと手を振られる。

それに苦笑しながら、雛乃が荷物を背負い、愛子を肩の上に乗せた。


「では行ってきますね。ちゃんと栄養のあるもの食べてくださいよ」

「わかったわかった」

「あっ。女性と遊ぶのは程々にしてくださいね」

「……」


(程々にできないんだな…)

無言の返事に軽く呆れる。

彼の前を通り過ぎる際、愛子が黒鉄の名を呼んだ。


「黒鉄。呪力を分けてくれて礼を言う。これならばしばらくは持つだろう」


元々愛子自身が持つ力だけでは、こうして人と会話できるまでには至らない。

黒鉄は今回同行しないので、先にまとめて貰っておいた。

呪詛に力を分け与えるのは、普通なら危険が伴う行為だが、愛子の場合目的も意志も明確な上、雛乃も付いているので平気だろうと踏んだのだ。


「多めにくれてやったからな。…使えよ」

「…?ああ」


その言葉にわずかな違和感を覚えつつも、愛子を頭に乗せた雛乃が事務所の外に出た。

時刻は朝早く、未だ点消方がガス灯の火を付けてまわっている。

駅に向かう道を進みながら、愛子がふうとため息をついた。


「これから危険な場所に赴くというのに、黒鉄は薄情な奴じゃのう」

「…そう危険でもないですよ。警察の方もいらっしゃいますし」


後藤と愛子が接触した後、それからすぐに斑目らしき男が目撃されたとの通報が入った。

場所は都心から大きく離れた山間の村。

雛乃がそれを報告すると、黒鉄が指示したことは「行ってこい」との一言だけ。


「良いんですよ。あの人はあのままで」

「……」


愛子からは彼女の表情が見えない。

けれどその声には、ほんの少しの寂しさと、大きな安堵が垣間見えた。






長い石階段を登った先。

暮石の前にひとりの男が立っていた。

近づく足音に顔を上げる。


「…幸成か」

「大津警視。いらしていたのですね」


後藤が彼の隣でぴたりと足を止める。

その背中に乗った荷物を、大津が見遣った。


「…出発は今日だったな」

「ええ」


今日後藤は、斑目の目撃情報があった場所に向かう。

大津に深々と頭を下げた。


「私が行くことができるのはあなたのおかげです。本来証拠品の刀を持っていくことも…感謝致します」

「…あちらが特殊な武器を使ってくるのなら、こちらも用意せねば到底太刀打ちできないだろう」


通常、分署勤務の後藤が管轄外の地方に行くことはあり得ない。

ところが今回は重大な指名手配犯ということで、大きな討伐部隊が編成されることになる。

そこに後藤は無理にいれてもらった。

これは、大津の口利きがあったからに他ならない。


「両親を殺した斑目を、許すわけにはいきません。必ず、仇をとってきます」

「……」


大津が後藤の目を見る。

その燃え盛る炎を宿す瞳に、彼の心にわずかな後悔が生まれた。


「…お前の夢は何か、帰ってくるまでに考えておけよ」

「夢…ですか…?」

「必ずだ。政宗は英雄だった。お前はその息子だ。それを忘れるな」

「…分かっています。父は立派な警察官でした」


父母が亡くなった後、身寄りも兄弟もいない後藤を支えたのは、なんの血のつながりもない人々だった。

彼らは皆口々に、政宗に助けられた恩を、もう本人には伝えられない感謝を、息子に返すのだと言っていた。

後藤が今まで生きてこられたのは、両親の功徳の賜物だ。

ふたりがいなくなって初めて、彼らの偉大さを痛感した。

(父上、母上。私は必ず…)

後藤が目の前の墓石を見上げる。


「大津警視。そういえば、鬼頭と西園寺の同行も許して頂いて…良いのですか?ふたりとも精鋭ですが」

「ああ。現地には神宮寺もいるらしいが…斑目は鬼ヶ島で拾った連中を囲っているとの話もある。人数は多いに越したことがないだろう」


そこで大津は目を閉じた。

その額には汗が滲んでいる。


「それに、確かに腕は良いかもしれんが…お前なくしてあいつらは手に負えんだろ…」


(幸成と桃太郎もかなりの問題児だったが…)

思わずため息が出た。

若い者の行動というのは、老人にはどうも推し量れないものがある。






駅までやって来た雛乃は、汽車の前を見て怪訝そうな顔になった。

それに釣られてそちらを見た愛子も、思わず声を漏らす。


「…げ」

「雛乃!」


駅のホームの上で、ふたりに気がついた後藤が手を挙げた。

彼の背後には制服を着た男女の姿。

雛乃と愛子が3人のもとまで着くと、後藤が後ろのふたりを指した。


「雛乃。彼らは警察官だ。今回はこの4人で行く」

「…相原雛乃と申します」


ふたりに向かって深々と頭を下げる。

すると背後にいた女の方が、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「ミサキはねえ…ミサキだよ!」

「鬼頭。ちゃんと苗字まで紹介しなさい」


後藤の言葉に、彼女がハッと気が付いたように口に手を当てる。


「そうだった!キトウミサキだよ!えーと…漢字はねえ、よくわかんない」

「何!?まだ覚えていないのか!?」

「難しいんだもん」


そうあっけらかんと笑う彼女の名は鬼頭岬きとうみさき

女性警察官が稀なこの国でさらに珍しいことに、彼女は事務仕事ではなく実行部隊を担う肉体派である。

少々足りない知性と、男性と変わらぬ体格の良さがそれを物語っている。

くせの強い黒髪が顔の左半分を覆っている為左眼は見ることができないが、右からはその猫のような三白眼が見えていた。


「私はこの前お会いしましたよね」


その隣に、彼女より小柄な男性がひとり。

雛乃と愛子が警戒した理由が彼にはある。


西園寺灯さいおんじあかりと申します」


そう言って手を差し出したのは、それはもう人の良い笑みを浮かべた美しい青年だった。

先日雛乃を騙し更衣室まで連れて行った、あの男である。


「どうも…」


複雑な顔をしながらその手を握った。

その様子に後藤がほっと息を吐き、足元の荷物を背負う。


「知り合いなのか。それは都合が良いな。今回は長旅だから、仲良くやってくれ」

「はい」


後藤が背を向けたことを確認すると、握手をしたまま西園寺が口を開いた。


「あの時は大丈夫でした?副署長には無事に会えました?」


顔には笑みを浮かべているが、みちりと握る力を強くされる。

雛乃も負けじと手を握り返して、元気よく答えた。


「ええ!おかげさまで。ありがとうございます」

「……」


にこやかな雰囲気から反転、西園寺から表情が消える。

ぐっと雛乃に顔を近づけ、そのまま人には聞こえないぐらいの声量で、しかし確かな凄みを持って呟いた。


「副署長に近づいたらぶっ殺すぞ。ブス女」

「……」


(これか…)

黙ってしまった雛乃の上で、愛子が思案を巡らせた。

雛乃はその見た目も相まって、そうそう敵意を向けられるような人間ではないだけに、西園寺の嫌がらせは意味が分からなかった。

だが、彼が後藤に思慕の念を寄せているのなら納得がいく。

後藤が雛乃に懸想していることはすぐに察した。

ただならぬ情を抱く西園寺からしてみれば、彼女の存在は非常に面白くないだろう。

端的に言えば、好きな男をとられるのが嫌なのだ。

彼も男だが。

(ややこしい…)


「…西園寺さん」


雛乃がぽつりと口を開く。

反応した西園寺の額に、勢いよく自分の額を当てた。

がつん!と鈍い音がする。

雛乃が黒鉄の元に来てから早数年。

あの攻撃性のかたまりとも言える男からは影響されていないように見える彼女だが、他人から全く影響を受けない人間などいない。


「やれるものならどうぞ。頑張ってくださいね」


そうにっこり微笑んだ雛乃の瞳は、西園寺を捉えていた。

その外見とは裏腹に、売られた喧嘩は買う主義である。

愛子の脳裏に黒鉄の顔がよぎった。


「あの師にしてこの弟子ありじゃな…」

「ヒナちゃんとアカリちゃん、さっそく仲良くなったの?いいなあ」


隣で、岬が能天気に呟く。

真っ青な空を背景に桜が舞い散る文句なしのその天気の下では、春雷が吹き荒れていた。






歯を見せて、にかっと笑う人だった。

その笑顔は彼の懐の深さを物語っているようで、不思議と人を安心させる、そんな笑い方だった。

幼少期から見慣れてるはずの幸成も、父のそれはどこか温かくて優しくて、頼もしく感じた。


『父上っ!ははう、ゲホッ!ゴホッ…』


肺に煙が入り、思わず咳き込む。

そのそばで、音を立てて壁が崩れた。

勝手知ったる我が家のはずなのに、炎のせいでまるで初めて来る場所のように自身の位置がわからない。

ぼんやりする頭をなんとか突き動かして、ふらふらと廊下を歩いていると、窓から中庭にいる父の背中を見た。


『父上!』


どっと安堵が押し寄せ、慌てて駆け寄る。

ところが幸成が近づく前に、政宗は制止するように手を伸ばした。


『来るなッ!!』

『ち、父上…』


見れば壁に阻まれ気がつかなかったが、政宗の前にひとりの人物がいる。

幸成の位置からだと顔は見えないが、ちらりと見える血塗れの刀が、その男が普通の者ではないと物語っている。

(この男が…家を燃やしたのか…!)

政宗の腕にも切り傷があり、血が滴り落ちていた。


『私も戦います!ひとりが無理でも、ふたりならば倒せるかもしれません!』


当時幸成は12歳。

子供とは言えど、父やその仲間から手解きを受け、大の大人と対等に渡り合える程度には強くなっていた。

外気が入る中庭は未だ余裕があるように見えるが、建物は燃え盛り退路が無くなるのも時間の問題だろう。

(母上の姿も見当たらない)

一刻も早い、確実な対応をするべき状況。

ところが政宗は、首を横に振った。


『…駄目だ』

『父上!何故…』

『母さん。…母さんを守りに行け。もう外に出ているかもな。俺もすぐ行くから』

『ですが…』


言い澱む幸成に、政宗は笑った。

温かく優しく、そして頼もしい、彼の好きな笑顔だった。


『幸成。愛しているぞ』


燃え盛る炎の中、中庭に植えられた桜は狂ったようにその花弁を降らせていた。

父の言う通りその場を離れ外に出た幸成は、すぐに大津に保護される。

ところが舞はそこには居らず、いつまで経とうとも、政宗も姿を現さなかった。

その桜の木も家も、思い出も、全てを燃え尽くした焼け跡からは斑目は発見されず、その代わりと言わんばかりに彼の刀の一本が見つかった。

そして政宗と舞はそのそばで、まるで寄り添うように絶命していた。






「後藤さん」


声をかけられ意識が浮上する。

我に返れば、目の前に西園寺の顔があった。

(ち、近いな…起こした声は雛乃のものだったような気がするが)

一定間隔で身体を伝わる振動に、自分が汽車に乗っていることを思い出す。


「…すまない。私は、寝て居たのか…」

「お疲れのようですし仕方ないですよ。俺は癒されましたし」

「……?そ、そうか…」


西園寺の言葉に何故か寒気を感じながら、目頭を揉む。

前の席で岬と話していた雛乃がこちらを振り向いた。


「お疲れ様です。あの、もうすぐ着くんですが…」

「……?人が多いな」


都心から乗り継ぎを繰り返し、かなり辺鄙な場所まで来たはずだ。

目的地が山間部に位置する村なので、汽車に乗る客はどんどん減っていくと見越していた。

ところがむしろ客は増えており、行き先を楽しみにしているような雰囲気だ。

雛乃も戸惑いながら口を開く。


「なんでも、この地方は桜の名所らしくて…今の時期桜祭りを行なっているらしいんです」

「花火も上がるようじゃ」

「…そうは言っても、斑目の目撃情報がある。てっきり住民は避難させているものと思ったが…着き次第確認した方が良いな」


急だったこともあり、作戦の内容や編成などは現地で確認することになっている。

荷物をまとめ始める後藤の横で、西園寺がその綺麗な顔で微笑を浮かべた。


「相原さんは特に気をつけてくださいね。このあたりは山奥だし、野犬が出るかも。人の恋路を邪魔する奴は犬に…ってね」

「ふふ。嫌ですね西園寺さん。人の寝込みを襲って口づけしようとする犯罪者の感情を恋と言うなら、皆さんのお仕事無くなっちゃいますよ」


(な、なんだこのふたりは…)

両者とも自分と違って人当たりの良い容姿をしているにも関わらず、背後には轟く雷が見える。

実は後藤が眠っている隙をついて、西園寺が自身の欲望を満たそうとしたのだが、それを見かねた雛乃が止めたのだ。

しかしながら後藤が話の内容を理解する前に、岬が窓の外を指差して歓声を上げた。


「わー!見て見て!桜が飛んでるよお」


その言葉に思わず外を見て、一瞬息が止まる。

雛乃も西園寺も嫌味を言う口を止めて、その景色に目を丸くした。


「わ…すごい」


山に囲まれた人里に、ずらりと並んだ桜の木。

満開をわずかに過ぎたそれは、大量の花びらを降らせ、地面どころか民家や山まで、一面薄紅色に染まっている。

まるで桜吹雪でこの世界が覆い尽くされてしまうのではないかと疑うような、そんな景色だ。

その光景は鳥肌が立つほど華美で、同時にとても儚かった。

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