第20話 英雄の息子①


「ひゃー…混んでる…」


ふわりふわりと桜の花びらが舞い散る中、雛乃は警察分署に居た。

受付には様々な事情を抱えた者が列をなしており、そのいちばん後ろに並ぶ。


「相原さんですよね?」


ふと声をかけられ顔を上げ、そこで息をのんだ。

そこに立っていた青年が、常人離れした美貌を持っていたからだ。

長い睫毛に大きな瞳、白い肌と栗色の髪。

まさに美少年をそのまま大きくしたような、どこか幼さが残る印象である。

まわりの人間も、男性まで頰を赤く染めるほどの美しさに、雛乃も一瞬思考が止まった。


「あの…?」

「あっ!はい。相原です」

「そうですよね。後藤副署長にご用ですか?よければご案内しますよ」

「あ…ではお願いしても良いですか?」


少し悩んでその申し出を受ける。

並んでいる人には申し訳ないが、結局後藤に用があるのは変わらない。

その上いま雛乃は特殊な状況なので、この案に乗った方がいいだろうと考えたのだ。


「私のことご存知なんですか?」


中庭から建物の中に移動する。

青年のあとを歩きながら質問すると、彼はにこやかに答えた。


「それは知っていますよ。当然ね」

「…そ、そうですか…」


彼はその大きな瞳を細めて、唇の両端を上げて穏やかに微笑んだ。

それはこれ以上ない完璧な笑顔のはずなのに、どこか含みがある気がして雛乃が固まる。

奥の建物に入ると、彼は廊下を指してますます人の良い笑みを浮かべた。


「突き当たりの襖を開けてください。お声はかけないでそのまま入ってくださいね」

「わ、わかりました。ご親切にどうもありがとうございました」


(あんな優しい人を疑うなんてどうかしてるよね)

青年と別れ、廊下を歩きながら雛乃が頭を振る。

一度人当たりの良い美形に騙された経験があるので、少し過敏になっていただけだ。

(警察官だし、人を騙すことなんてしないはず)

うんうんと頷き、助言の通りそのまま襖を開けた。


「……」

「……」


空間を沈黙が支配する。

中に居たのは確かに男性だったのだが、複数いる上に皆着替えている最中なのか裸だ。


「……」

「き、キャァアアア!」


野太い悲鳴が響いた。

積まれた荷物と、私服の者と制服の者がいることから、この部屋はおそらく更衣室のような使い方がされているのだろうと察する。

間違っても、副署長室ではない。

現役警察官のその筋骨隆々な肢体を目の前に、雛乃がゆっくり襖を閉じた。

(ああもう本当…美形って嫌い)






どたばたと騒がしい音が聞こえて、机に向かっていた後藤が顔を上げた。

ちょうど報告のために部屋に入ってきた松尾に話しかける。


「何かあったのか?」

「更衣室に座敷童子の痴漢が出たとかで…」

「…なんだそれは。職務に集中しろと通達しろ」


意味がわからず呆れる。

問題児ばかりを抱えるこの分署では何かと事件が発生するが、妖怪とはいよいよ末期だ。

疲れた様子の後藤に、松尾が心配そうに話しかけた。


「副署長…昨日も徹夜ですか?」

「む…すまない。業務に支障は出さない」

「いえ…それは構いませんが…」


松尾が言い淀む。

普段働きすぎとも言えるこの上司に、不満を吐露するつもりは毛頭ない。

しかしながら隅に積まれた大量の資料と、顔に刻まれた隈や疲れが彼の寝不足を示唆している。


「斑目ですか…?」

「…そうだ。神宮寺にも情報をもらっているのだが、なかなか居所が掴めなくてな…。だが再び潜る前に尻尾を捕まえないと、次いつ姿を現わすかわからん」


相手は30年近く全国を逃げ回っている犯罪者だ。

逃げる技術を会得した、とにかく謎の多い男を捕まえるのは至難の技だろう。


「…副署長。あまり無理は…」

「座敷童子がそっちに行ったぞ!」


ひときわ大きな声がして、副署長室の襖がガラリと開いた。

慌てたように小さな影が駆け込んで来る。

すぐさま壁にくっついて、警官をやり過ごすその姿を呆然と見ていた後藤と松尾が、ギョッとした顔になった。


「ひ…雛乃!」

「へ?…あっ!いたー!」


振り向いた少女はよく見知った顔で、後藤が慌てて制服の襟を正す。

雛乃は背後の追っ手を気にしながら、慎重に立ち上がった。


「後藤さんに会いに来たんですよ!それなのに騙されてこんなことになっちゃって…」

「そ、そうか…あ、会いに来た…」


可愛い彼女から放たれた言葉は、後藤の脳内で反響するように繰り返される。

じいんと噛み締めたその時、ふといつもと違う光景に気がついた。


「…?雛乃。その頭は何だ?」

「あぁ…その、話すと長いんですけど…」


雛乃が困ったように笑う。

幼い以外はごく普通の少女である彼女が、座敷童子と騒がれた理由がそこにある。

彼女の頭の上には、顔がもうひとつ。

まるで肩車をするような形で、不気味な日本人形が乗っていた。






『うう…怖いなあ…』


古い木箱をぱかりと開けて、それを覗き込みながら雛乃が呻いた。


『なんだそりゃ。どこで拾ってきた?』


珍しく昼間に事務所に戻ってきた黒鉄が、上着と帽子をかけながら聞いてくる。

机に置かれた箱の中には日本人形。

真っ白な肌にのっぺりとした顔、妙に精巧な髪の毛にどことなく恐怖を覚える。

いわゆる典型的な市松人形だ。


『拾ってませんよ…依頼品です。お寺の住職さんから頼まれまして…』

『ほお』

『なんでも夜中に勝手に歩き回るとか、捨てても戻ってくるとかで檀家さんから預かったものらしいんですけど、何をしても未だ動いてるみたいで…』


当初は霊や妖怪の悪戯かと思い、それが出ていくまで待つ姿勢だったのだそうだ。

ところがいつまで経っても何をしても、人形の中から件の意志は出て行きそうになく、ここまで現世に執着しているとなると、人の魂や執念が深く入り込んでいる可能性がある。

その為専門家として呪解を任されたのだ。


『はー…こういう仕事してても慣れないですよね…。早く返したいなあ』


雛乃がぼやきながら、札や場所の準備を始める。

物に取り憑く呪詛は応にして悪質な場合が多い上に、人形ということが何より怖い。

(時間がかかりそうだなあ…その間に動き出さないといいけど)


『これがいちばん手っ取り早いと思うぞ』

『えっ?』


黒鉄の声に振り向くと、彼が人形に向かって手をかざしているところだった。

その妙に楽しそうな顔に、雛乃が冷や汗をかく。


『くっ、くろがねさ、』


止める間もなく、ばちんと電気のような衝撃が走った。

黒い光があたりを包み、目を開けた時には。


「ん〜…久々の現世の風はやはり良いのう!」

「こうなってたんですよ…」


雛乃が深いため息と共に呟く。

その彼女からだいぶ離れた位置で、後藤と松尾が仰け反っていた。

それもそのはず、今いきなり話し始めたのは、雛乃の頭の上の日本人形だ。

明らかに普通ではない人形は、表情は変わらないまま、こちらにぎしりと顔を向ける。


「なんじゃ貴様ら。無礼者め」

「…っ!」


あまりにも得体のしれないものを前にふたりが固まっていると、雛乃が下から人形に話しかけた。


「そりゃ驚きますよ…。順を追って話すから黙っててって言ったのに、どうしていきなり喋り出しちゃうんですか」

「儂にしてはかなり我慢した方だ。先程全裸の男達を見た時に叫び出さなかっただけ有難いと思え」

「確かにあれは申し訳なかったですけど…」


(…全裸?男?)

気になる単語は聞こえたが、今はそれより気になることがある。

呪術関連に耐性がなく、今もかちんと固まっている松尾を置いて、後藤がおそるおそる声をかけた。


「そ、それは結局なんなんだ…?連れて歩いて大丈夫なものなのか…?」

「それとは女性に対して不躾な!これだから男は…」

「はいはい、怖いので少し静かにしててください。皆さん職務中なんですから、手短に済ませないと」


雛乃に話を中断され、人形からは不満そうな声が漏れる。

〝彼女〟の名前は愛子あいこ

元々は20年ほど前に生きていた、人間の女性であった。

ある事件をきっかけに人形に乗り移り、この世を彷徨うことになる。

彷徨うと言っても、人形の体では実際は動くこともままならなかった愛子だったが、黒鉄から呪力を分け与えられたことで、こうして話ができるようになった。


「と言うわけなんですけど…」

「なんであの男は…余計なことしかしないのか…」

「全くその通りで申し訳ないですね…」


愛子は呪詛ではあるものの、人に危害を加えることができないよう、顔ぐらいしか動かせないようにしてある。

なので一応は安全ではあるのだが、本人は久し振りに外に出たのだからと風呂敷に包まれることを拒否。

さらには景色がよく見えるように肩車をしろと騒ぎ出したので、仕方なく雛乃が上に乗せたのだ。

不気味な彼女が頭の上にいるだけで皆距離を置いたので、実際は安全でも危険でも変わらなかったような気がする。

雛乃がそう考えあぐねいていると、後藤がふと口を開く。


「ところで…何故ここへ来たんだ?私にできることがあるとは思えないが…」

「それが…愛子さんがここに連れ行けって仰ったんです」


そう言って、頭の上の愛子を見上げる。

有無を言わさず連れ回され、また黒鉄もそれを止めなかったので、雛乃も理由を知らなかった。


「連れてきたので、理由を話してくださいますか?」

「…儂は、刀を探している。20年前に、儂の家から盗まれた刀をな」

「…刀?このご時世だ。残っているか分からないぞ」

「いや、確実にある!そう易々とあの刀が…あの男が、消える訳がない!」


愛子が反論する。

そして、ゆっくりと低い声を出した。


「あれは妖刀じゃ。使用者の呪いを喰い、それを力に変える化け刀」

「妖刀…?」


その言葉に後藤がぴくりと反応する。

愛子は静かに言葉を続けた。


「刀工の名は邦丸彩諒くにまるさいりょう。今も昔も無名の職人だが、奴の刀は特殊じゃった」


彩諒は刀工として鍛刀する一方で、呪術師としての一面も持ち合わせていた。

そして持ち得る技術の全てを注ぎ込んだ彩諒の最高傑作が、大和丸やまとまる弥生丸やよいまるの2刀。


「彩諒の刀には呪術が組み込まれている。使用者の感情に合わせて、その肉体を飛躍的に強化させる呪いじゃ」


そのあまりにも強力すぎる斬れ味と呪術は、人の心を魅了した。

それでも刀を手放そうとしなかった彩諒は、最終的に大和丸で斬られ、命を落としたと伝えられている。


「自分の打った刀で殺されるとは皮肉な話じゃな。…彩諒の友人であった儂の先祖が、不憫に思い2本の刀を保護したことがはじまりよ」

「そんな危ない刀…よく手元に残してましたね」

「…儂の家系は、名のある武家でな。それなりに大きな剣術道場を運営しとったんじゃ。それに、彩諒の刀のことはごく一部の者しか知らなかった上に、刀自体が廃れゆく武器じゃからな。まさか盗みにくる馬鹿は居るまいとタカをくくっていた」


ところが、災厄の日は訪れる。


「…儂の道場が襲撃されたんじゃ。たったひとりの男に、儂の一族も弟子も、関係のない女子供も、全て皆殺しにされた」

「ま、待ってください!」


それまで黙っていた松尾が反応した。

目を大きく見開いて、身を乗り出している。


「20年前に剣術道場が襲撃された事件と言えば…」

「……?」


疑問に思う雛乃を置いて、松尾が後藤の方を見る。

ところが後藤は黙って、話の続きを促した。


「…その際に彩諒の刀は2本とも奪われた」


愛子がぎしりと顔を動かす。

その目線の先には、棚の上に置かれたひと振りの刀。


「そのうちの1本…弥生丸がそこにある。だから此処へ来た」

「…あの刀か」


黙って聞いていた後藤が立ち上がり、置かれた刀を掴んだ。

刀を持って雛乃と愛子に振り向く。


「…これは私の父が殺された時に、犯人が残したものだ。その犯人は、この他にもう1刀、これと良く似た刀を所持していたと聞いている」

「…っ!」


(後藤さんのお父上を殺した犯人が…愛子さんを殺した男と同じ?)

予想外の事実が明らかになり、雛乃が息をのむ。

だがそれよりも今は、気になることがある。

(何…?この刀…)

雛乃の背中を冷や汗が伝った。

後藤が氷のように冷たい瞳で呟く。


「男の名は斑目。稀代の殺人鬼だ」


雛乃の目には、刀からずるりと溢れた黒い霧が、後藤を包んでいるように見えた。






事務所の中で、黒鉄は椅子に座って宙を見ていた。

外の喧騒がわずかに窓から漏れ聞こえるだけで、中には一切の音がない。

自分ひとりしか居ない空間で、静かに口を開いた。


「あの人形は予想外だったが…これで全て、人も場も整った」


声を拾う者はいない。

それでも黒鉄は、まるで誰かがそこにいるかのように、話しかけるかのように続ける。


「死んだ奴には何もできねえよ。お前らは見ているだけだ。…あいつが選ぶ道を」


例え、その道が地獄へと続く底無しの穿孔だったとしても。

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