第19話 屋根の瓦が落ちるとき
音を立てて汽車が停まる。
晴れ着姿の男女が多く行き交う駅の中、ふたりの青年が歩いていた。
昼間であたりは明るいものの、先の方に厚い雲が見える。
「何故この忙しい中、ここまで来なくてはならないのか…」
後藤がふうとため息をついた。
凍てつく空気の中で息はすぐに真っ白になって、まわりに霧散した。
隣にいた桃太郎が、呆れた顔になる。
「そう言うなって。お前最近徹夜続きだろ。少し気分転換した方が良いぞ。俺がこっちに居られるのも今日で最後だし」
事実、後藤の目の下には真っ黒な隈ができており、通常より顔色が悪い。
年始早々、分署で机の上にかじりついていた後藤を、桃太郎が初詣に無理矢理引っ張ってきたのである。
桃太郎が手を広げて、得意そうな顔をした。
「何たってほら!最近は方角を気にしなくて良い初詣が流行ってるだけあって、若い女性が多いこと」
初詣ということで、どの女性も着飾り綺麗だ。
若い男性ならば、この機会を逃す手はないだろう。
ところが後藤は渋い顔をして首を振った。
「…興味はない」
「この唐変木が。そのうち眉間の皺がくっついちまうぜ」
「心配してくれなくても結構だ」
「…雛乃以外興味はないってか」
ぼつりと嫌味を言うと、後藤の顔が固まった。
まるで壊れた玩具のようにこちらを見る。
「…何故それを…」
「!?知らねえと思ってたのか!?そっちに驚きだわ」
「!?」
桃太郎は頭をかいて、少し考えた後続けた。
「正直理由はわからなくはねえけど、でも無理じゃね?俺、雛乃の雇い主にこの前会った?遭遇したんだけど」
その言葉に、後藤がぎくりと身体を震わせる。
気のせいか先ほどより更に顔色が悪い。
「…どうだった?」
「…いや…俺、今まで出会ってきた教官とか上司って、死ぬほどボコボコにされたし異常に怒られてきたけど、それでも優しい方だったんだなって思った」
「……」
「しかも俺、雛乃に分けてもらった菓子で腹壊して寝込んでたし!厄落とししてえの!」
「!?…わ、わかった。私も今年が良い年になるように、祈ることにしよう」
話しながら参拝の列に並ぶ。
桃太郎はきょろきょろとあたりを見回して、腕を組んだ。
(うーん、勿体ない…)
男から見ても、後藤は格好良いと思う。
桃太郎も容姿に関してはある程度の自負があるものの、少し軽薄な印象を受ける彼とは違い、後藤は付け入る隙がない。
いわゆる高嶺の花だ。
先ほどからちらちらとこちらを見てくる女性の視線が熱い。
中には多少の免疫がある桃太郎でさえも惹かれるような女性もいるのだから、当人がひとりの女性にしか興味がないと言うのは、非常に勿体ないことである。
「お」
(こっちのお嬢さんは外国人か)
目の前に並ぶ女性の、その美しい金髪と派手な洋装に思わず目が止まる。
視線に気がついたのか、彼女の海のような瞳がこちらをむいた。
「ん?」
「…あっ」
思わず声を出したのは後藤で、途端に彼女の気の強そうな眉がきりりと上がる。
「変態警察官!」
「こ、声が大きい!あれは冤罪だと判明した筈だ!」
「冤罪?あれのどこが冤罪なのか詳しく説明してほしいですわね」
(後藤…お前何したんだよ…)
どうやら知り合いだったらしい。
ひとしきり後藤に軽蔑の眼を向けた彼女は、桃太郎に気がついた。
「こちらはお友達ですの?」
怪訝そうに眉を潜める彼女の表情は、同類ではないかという疑惑でいっぱいだ。
(なんのことかはわからねえが…)
桃太郎はお得意の人懐っこい笑顔を浮かべて、口を開いた。
「後藤の知り合いです。神宮寺桃太郎と申します」
「…宮村アメリアですわ。今日はおふたりで初詣に?」
「いやあ、男だけで寂しく来たところですよ。アメリアさんはおひとりですか?」
その質問に、アメリアが後藤を見る。
非常に言いたくなさそうに、言葉を続けた。
「…いいえ。わたくしは、」
「アメリアさん〜!お待たせしました…あれ?」
聞き慣れた声にふたりが顔を上げると、蕎麦のどんぶりを持って立つ、雛乃の姿。
いつもの地味な着物と違い、目の覚めるような色の大きな花柄の着物を着ており、頭には可愛らしい花飾りを付けている。
彼女は目を丸くさせて、ぺこりと頭を下げた。
「後藤さん、桃太郎さん…あけまして、おめでとうございます」
「…えっ、あっ、おう!お、おめでとう!」
「……」
ぼうっと彼女を見ている後藤を肘でつつく。
彼はゆっくり息を吐きながら、口を開いた。
「おめでとう…」
「?お疲れですね。お仕事がお忙しいのですか?」
「いや…」
桃太郎がふとアメリアを見ると、じっとりと軽蔑するような目を向けている。
彼の中で、合点がいった。
(これか…!)
確かに新年を迎えて19歳になったとは言え、雛乃の見た目は未だ10代前半に見える。
その彼女に良い成人男性が恋慕しているとあっては、このような目を向けるのも道理。
(あぶねー…)
桃太郎は背中に嫌な汗をかいた。
それと同時に、別のことが気になる。
雛乃がいるということは、あの冷酷非道を地でいく男もいるのだろうか。
「黒鉄さんですか?居ませんよ。神社に来ると気分が悪くなるって言って、事務所で寝ていると思います」
「お忙しい方ですからね。年始ぐらいはお身体を休めないと」
その言葉にほっとしつつも、新たな疑惑に襲われる。
(やっぱり邪悪な者なんじゃ…)
「お先でしたわ」
「ありがとな」
賽銭箱の前から、アメリアと桃太郎が退いた。
その後ろに控えていた雛乃と後藤が、階段を登り、神前に立つ。
参拝を終えて戻ろうとした時、ひらりと白いものが空から落ちてきた。
「あ、雪…。寒いわけですね」
「雛乃は…何か願いを込めたのか?」
後藤の質問に、雛乃は一瞬だけ遠い目をして、すぐに頭の後ろをかきながら笑った。
「私は…これ以上の幸せを望んだら、バチが当たりそうなので、お願いしませんでした」
「そうか…」
後藤は知っている。
幸福は簡単に瓦解することを。
(彼女も、知っているのかもしれないな…)
そう思うと同時に過去の記憶が蘇り、後藤の顔に影を落とす。
「雛乃。私は今、岐路に立たされている」
その言葉に、彼女が驚いて後藤を見る。
彼は雛乃の瞳をまっすぐに捉えて、続けた。
「私が生涯をかけて追ってきたものに、始末をつけるつもりだ。その件が終わったら、雛乃。君に、伝えたいことがある」
「……?なんですか?気になりますね…でも、無茶はしないでくださいね」
雛乃が微笑む。
ふたりの間を落ちる白雪は、背後の光を反射して輝いている。
まるで、雪そのものが光を発しながら、彼女のまわりを囲っているようで、その様子に後藤は目を細めた。
(君のことが、好きだ)
初めて雛乃に恋をした時と変わらない、美しい光景だった。
「あれ?後藤さんは?」
「あいつはやることがあるからって分署に帰ったよ。親友の別れにも立ち会ってくれないなんて、寂しいやつだ」
駅の中、汽車の前で桃太郎がおどけて目元をそっと拭う。
桃太郎がそのまま帰路につくと聞き、雛乃とアメリアはその足で彼を送りに来たのである。
ところがそこに後藤はいなかったので、不思議に思った雛乃だが、桃太郎の言葉に成る程と頷く。
「なんだかお忙しそうですよね」
「あれでもかなり評判は良い警察官のようですからね。真面目な変態なのでしょう」
「アメリアちゃんは厳しいなあ」
苦笑しながらくるりと雛乃に向き直る。
「それはそうと雛乃。警察分署でもらった菓子に、腐ったの混ざってなかったか?俺お前にわけてもらった大福で腹壊したんだけど」
「え!大福はふたつありましたよね。全部食べたんですけど、特に何ともなかったですね…なんだろう。すみません」
「いや、なんともなかったなら良かったんだけど…」
(俺のだけ腐ってたのか?)
まさかこんなに小さくいたいけに見える少女が、成人男性より胃腸が強いはずがないだろう。
出行を知らせる汽笛が鳴って、桃太郎が荷物を持って汽車に乗る。
出入り口から、雛乃に話しかけた。
「後藤のこと…よろしくな」
「……?はい」
雛乃が不思議そうな顔をしながら頷く。
「俺は…来年か再来年ぐらいにはこっちに戻るかも知れねえ」
「そうなんですか?」
「ああ」
空気の抜けたような音がして、汽車がゆっくりと動き出した。
桃太郎はアメリアを少し見て、いたずらっ子のような顔になる。
雛乃の頰を一瞬だけ触った。
「待っててくれるか?」
「!!」
その言葉に反応したのはアメリアだ。
大慌てでふたりの間に割って入る。
「この変態!貴方も変態じゃないですの!待ちなさい!このっ!」
拳を振り上げて追いかけようとするが、すでに桃太郎の乗った汽車は発進している。
彼は笑って舌を出して、汽車の中に消えて行った。
「この国の警察官は変態しかおりませんの?恐ろしい」
そう憤慨するアメリアには、背後の雛乃の姿は見えない。
雛乃は雪がぐしゃぐしゃに踏み潰された地面を見ながら、消え入りそうな声で呟いた。
「私は来年は…ここに、いないかもしれません…」
彼女の口元は少しだけ上がり、すべてを享受して諦めているような表情だった。
その瞳は黒く濁っていて、光も差さない。
雪が降りしきる分署の中、副署長室の近くで、女性の声が響いた。
「副署長はー?ミサキ、一緒に初詣にいこうと思ったのに雪降ってきちゃった」
「馬鹿。副署長はすでに初詣は済ませた」
返す声は少し高めの男性の声。
年始ということもあり、巡査は最低限の人員しか居ない。
「そういえばアカリちゃん、先週大福持ってたけど、あれ腐ってるのじゃない?ってマツオちゃん心配してたよ」
「大丈夫大丈夫。俺が食べたわけじゃねえから」
「ふーん…ならいっか!」
その明るい声とは打って変わって、副署長室は暗い。
後藤が通常よりも大量の資料に囲まれながら、ぶつぶつと言葉を漏らした。
「何処にいる…?」
そこにある資料は全て斑目のもの。
もう何日もまともに寝ていないのだが、後藤はそれなど些細なこととでも言うように、一心不乱に地図を見ている。
彼の背後で鞘に収まって鎮座する刀が、黒く光った。
「あら…?」
カランと店の鐘が鳴る音に、大森が顔を上げた。
年始で更には雪が降ってきたということもあり、今日店は閑古鳥が鳴いている。
そろそろ閉めようかと思っていたところに、来客だ。
「いらっしゃい」
「ひとつ聞きたいんだけど、良いかな?」
客は青年で、彼を認識した大森が息をのむ。
そこにいた男性は、外の雪よりも白銀に輝いていたのだ。
睫毛に瞳、肌の色、髪の毛の一本にいたるまで抜けるような白だ。
「黒鉄呪解事務所は、この上だよね」
「え、ええ…」
普段美青年が好きな大森でも、この青年を前にしてそのような考えに至ることはできなかった。
浮世離れしたその男は、線も細く決して強くはないはずなのに、まるで圧倒的に敵わない何かを前にしているかのような感覚に陥る。
先程から鳥肌が止まらない。
「ありがとう」
ふわりと後ろを向いて、出て行こうとする彼の背中に、大森は釘付けになった。
彼と同じくらい真っ白な羽織には、背中いっぱいに大きな家紋。
大量の花があしらわれた、見たことがないほどの豪華絢爛な家紋だ。
(あれは…!)
それでも大森には見覚えがある。
この国で、その家紋をつけられる家は唯ひとつだけ。
「よお」
真っ白な青年が事務所に入ると、机に足をかけて寝ていた真っ黒な男が、体を上げた。
青年はにこりと笑って席につく。
「途中で雪が降ってきてね。嫌になっちゃったよ」
「そうか。雪みてえな色してるから、寒さなんて感じないんだと思ってたわ」
その言葉に軽く笑って、青年は黒鉄を見た。
銀色の目が鋭く光る。
「来た理由はわかっているよね?僕が預けている彼女のことだよ」
「最近は全く、変態が多いな…」
「ふふ。心外だなあ。でも、君には感謝しているんだよ」
「……」
「彼女の力はずっと強くなっている。それに、言うことを聞かせるのも、前より簡単そうだしね」
彼はそれだけ言って、するりと立ち上がった。
扉に手をかけて、笑顔で振り向く。
「20歳になる前に、僕の笹花を迎えに来る。あとほんの少しの時間を、大事にすることだよ」
扉が閉められると、水を打ったような静寂が事務所を包んだ。
まるで最初から誰もいなかったかのように。
「…新年早々、お忙しいこった」
黒鉄が目を閉じる。
幸福は簡単に瓦解する。
屋根の瓦の一部が落ちれば、損傷はいずれ全体に及ぶものだ。
今年の1年で、全てが動く。
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