第18話 不幸なふたり⑤


抜けるような晴天の下、橋の上。

雪が浮かんだ川は、ゆるい速度で流れていく。

橋の欄干に腕を乗せてそれを見ていた桃太郎が、隣の後藤に向かって口を開いた。


「…やめておいた方がいいんじゃねえか?」

「いや、昨日から徹夜で考えて来た。この作戦なら大丈夫だ」

「俺が言いたいことはそこじゃなくてだな…もっとこう、気にするべきところがあるんじゃないかと」


(年齢とか年齢とか年齢とか)

口には出さないが、心の中でそっと思う。

あれから、後藤と桃太郎の険悪な関係は雪解けを迎えた。

良き相棒として関係を再構築し、今では分署でも一目置かれる二人組になった。

ところが次に顔を出した問題に、桃太郎は頭を悩ませている。


「…言えねえ…」


(相棒が、幼女趣味の変態野郎だなんて誰にも言えねえ…)

後藤はどうも、あの事件から小さな小さな少女に懸想をしているらしい。

たしかに、彼女はしっかりしているし、そこらの警察官よりよほど頭も回るので、錯覚する理由もわかる。

(時折、妙に大人びた顔もするしなー…)

その時の彼女を想像して、我に返ったように慌てて首をぶんぶんと横に振った。


「お、俺は変態じゃねえ…!」

「後藤さん!桃太郎さん!」


渦中の人物の声がして、後藤が無表情のままぎくりと体を震わせる。

桃太郎の口からも心臓が飛び出しそうになった。


「ひ、雛乃。遅かったな!」

「すみません。授業が遅くなってしまって…」

「ん?ああ」


雛乃が橋を上がって、ふたりのもとまで駆け寄る。

欄干に手をかけて、川の方を見た。


「この橋、こんなに高かったんですね…」

「夏の時期は水かさが増えるから、駆け落ちした男女が心中のために飛び込んだりしてたらしいぞ」

「ぎゃっ!だからここ、来世橋って名前なんだ…」


雛乃が慌てて欄干から手を離す。

この橋は、あの事件の際雛乃が飛び降りた橋だ。

少年の遺体は、ここより上流の川のほとりで発見された。

彼の父親は逮捕され、骨は手厚く葬られた。


「後藤さん、桃太郎さん。本配属おめでとうございます」

「おう」

「ありがとう」


ふたりは無事に新人としての研修期間を終えた。

後藤はそのまま分署へ勤務することになり、桃太郎は僻地へ飛ぶことになった。


「ここもそこそこ治安悪いけど、俺が行くとこには鬼ヶ島っつぅ、盗賊団が占拠してる島があるんだ。そこで何としても武勲を立てて、戻って来てやるぜ」

「はい。お身体に気をつけてくださいね」


あれから、ふたりは変わった。

桃太郎は父親の権威の話をしなくなり、後藤は張り詰めた雰囲気が抜け、人当たりが良くなった。

父親に無理に愛される必要はないと気がついた桃太郎は、親の反対を押し切り都から姿を消すことにした。

今回の異動も、彼が希望したことだった。


「ここに居ても、親父の都合の良い駒として警視庁に入るだけだからよ。俺は俺の力で上に行く。いつか親父殿が力を貸してくださいって頼むようになるぜ」


桃太郎が笑う。

その屈託のない笑みに、雛乃が安心したように微笑んだ。

すると彼女の前に、後藤がずいと立ちはだかる。


「……」

「…後藤さん?」

「わ、私の名前は、後藤幸成だ」


雛乃がぱちぱちと瞬きをして、不思議そうに後藤を見る。

その後ろで桃太郎は、怪訝な顔になった。

何を始める気だろうか。


「ぞ、存じております…その、私の名前は相原雛乃です…」

「何と書くのか」

「ええと、お雛様のヒナに、すなわちとも書くノですね」

「そうか…。良い名だな。とても良い」


うんうん頷く後藤に、雛乃も桃太郎も頭の上に疑問符を乗せる。


「あ、ありがとうございます…?ちなみに後藤さんのお名前はなんて書くのですか?」

「幸せに成ると書いて幸成だ」

「…素敵な名前ですね」

「ありがとう…両親にもらった、大切な名だ…」


それからしばらくその場を沈黙が支配する。

雛乃が桃太郎を見るが、彼も分からないので首を振った。

そして後藤が非常に言いづらそうに、口を開く。


「その…あまりにも良い名だから、下の名前で呼んでも良いだろうか?」

「…えっ?あっ、どうぞ!駄目なんて言いませんよ!」

「そうか…良かった」


後藤がほっと胸をなでおろした。

雛乃といえば、よくわからないが儀式は終わったようなのでまあ良いかと、理解を諦めた表情をしている。

その後ろで、桃太郎がふたりの様子を青ざめた顔で見ていた。

(下手すぎだろ…)

冒頭で後藤が言っていた作戦というのは、これのことか。

そういえば、後藤は彼女を下の名前で呼びたいと話していた。

だが、それにしても不器用すぎる。

(何こいつ…もしかして童て、)


「……」


一瞬胸によぎった疑惑を、そっと閉じ込める。

気がつかなかったことにしよう。

桃太郎が空気を変えるため、少し前から気になっていた疑問を投げかけた。


「…にしても、雛乃は変な格好してるなあ」

「えっ!?変ですか?私」

「それ女学生のする格好じゃん。小学校で流行ってんのか?」

「……」


雛乃の格好は上着こそ着ているものの、ちらりと見える袴は海老茶色で、顔の両わきにはおさげが垂れている。

彼女はどう見ても小学生だ。

なので桃太郎の疑問も当然なのだが、雛乃は死んだ魚のような目で彼を見た。


「私、女学生なんですけど…」

「…えっ?…13歳ってこと?」

「…15歳です。先月16歳になりましたよ…」

「えっ?」


桃太郎の思考が停止する。

横で後藤が「そうなのか」と特に驚きもない様子で反応しており、それに対してこの男にとって年齢は本当に関係なかったのだと認識する。

が、桃太郎はそれどころではない。

(16…?)

過去の記憶が次々と蘇った。

余談だが、桃太郎には年の離れた妹がいる。

彼自身は妾の子供なので兄妹全員片方だけしか血は繋がっていないのだが、それでも慕ってくれる妹を桃太郎はいたく可愛がっていた。

その妹の年齢が、予想していた雛乃の年齢と同じぐらいだったのだ。

だから彼は妹を重ねて、雛乃に触れたり顔を近づけたり、とにかく距離が近かったのはそれが理由で、むしろ意識するのは犯罪だとさえ思っていた訳だ。

ところが16歳となれば話は違ってくる。

(……)


「…雛乃。君が働く事務所の場所を知りたいのだが…」


桃太郎がなんとも言えない気持ちになっている横で、後藤が雛乃に話しかけた。


「構わないですよ。あっ、でも所長が人でなしな上に、若い男性は無条件に嫌いなので、あんまり近寄らない方がいいかもしれません」

「な、なんだそれは。そんな職場で大丈夫なのか?私が一言物申しに行こうか」

「うーん…後藤さん泣かされちゃうかも…」

「!?」


雛乃が冗談で言った言葉ではあるのだが、今後本当に泣かされることになるとは夢にも思っていない。

そして桃太郎は目の前のふたりを見比べて、湧いた気持ちを飲み込んで、小さく息を吐いた。

息は凍った空気にもふりと白く浮かび、瞬時に流れて消えて行く。

(…諦めよう)

人生を変えてくれる女性は、他にも現れるかもしれない。

俺は、勝てない戦はしない主義なんだ。






「よっ!」


副署長室を覗き込むと、書類の山に囲まれた後藤が顔を上げた。

桃太郎を見て、驚き立ち上がる。


「神宮寺!」

「久しぶり。出世したなあお前」

「散らかっててすまんな。茶でも出す」

「おかまいなくー。茶菓子もでると嬉しいけど」


変わらない軽口に笑う。

ところが視線を桃太郎の顔から下げて、後藤が固まった。


「その服…」

「どうした?雛乃に借りたんだけど」

「ああ、どうりで…。すまない。鳥肌が立つだけだ」

「……?」


積んで合った座布団を適当に重ねて、その上に座る。

後藤が落ち着きなく口を開いた。


「雛乃と一緒なのか?」

「あー…途中で別れた。すまん」

「いや…それよりおめでとう。鬼ヶ島での君の活躍は聞いている。壊滅したそうだな」

「偶然さ。部下が優秀だったのと、運が良かった…のかはわかんねえけど」

「……?」


茶の入った湯呑みと和菓子を受け取って、桃太郎が後藤に向き直る。


「なんにしても、その実績を買われてこっちで実行部隊の小隊長をやらないかって話が来てる。場所はこの署じゃねえけど、近ぇところで」

「!大役だな」

「力不足だろって笑うか?」

「いや…私は、むしろ役不足だと思う」


その言葉に、桃太郎が目を見開いた。

後藤は真剣な表情で続ける。


「神宮寺。君は状況判断に長けている。…私などは部下や周りの力量はざっくりとしか測れない。だが君は、その細かな違いをよく見ている」


桃太郎の〝勝てる戦しかしない主義〟は、彼の指揮する作戦にもよく表れている。

相手と味方の力量を正確に測り、その場でいちばん適した判断が下せる。

負けると判断した場合は、面子も体裁も関係なしに即座に撤退命令を出す。

決して実行不可能な作戦は立てないものの、小事に無駄に人員を割くような臆病者とも違う。

桃太郎にはその境目が見える。

だから、若くとも桃太郎の下につくことを希望する者は多い。


「私の部下は、入れ替わりが激しい。私の無茶な作戦について来れる者だけが残る。初めから強い者だけが。だが君の隊は、抜ける者が殆どいないのではないか?」

「それは…」

「君ほど指導者に向いている男を、私は知らない」


後藤には真似できない。

自分が天才ではないからこそ身に付いた、桃太郎だけの強みだ。

(こいつも随分、変わったな)

昔との対比に少し笑って、桃太郎は宙を見上げた。


「俺は、無茶な作戦でもそれを完遂できるお前の実力の方が羨ましいよ」


その後、自分に言い聞かせるようにつぶやく。


「…まあ、自分が持ってる中で、なんとかやるしかねえよな」

「…そうだな」


桃太郎が正面に顔を戻した。

足を組み替え、背筋を伸ばす。


「後藤。お前に、伝えなきゃならないことがある。その為に俺は戻ってきた」

「何…?」


普通ではないその様子に、後藤が身を乗り出した。

桃太郎はゆっくりと口を開く。


斑目マダラメが出た」






「雛乃。待たせたな」


分署の出入り口で声をかける。

庭の縁側に座っていた雛乃が振り返った。

その手には大量の菓子。


「なんだそれ?」

「桃太郎さんを待ってたら、巡査の皆さんがくれたんですよ…」

「やったな!甘いの好きだろ」

「す、好きは好きですけど…なんていうか、皆さん孫におやつをあげる感覚なんですよ…人を待ってるの?えらいなー!って感じで」


その言葉に思わず吹き出す。

肩を震わせて笑っていると、雛乃が恥ずかしそうにそっぽを向いた。


「いつになったら年相応になるんだろ…」


そうぶつぶつ呟く雛乃を、桃太郎は微笑んで見つめる。

その小さな肩に、どかっと腕を乗せた。


「わっ!」

「落ち込むのはそのぐらいにして。休みとれねえの?俺しばらくこっちにいるから、何処か行こうぜ!」

「良いですね。後藤さんと3人ですか?」


桃太郎がニッと笑った。


「いや、ふたりで」


その言葉に、雛乃が少し驚いたように顔を上げた。

(諦めようと、一回は思ったんだけどな)

残念ながらこの三年間、彼女の他に、人生を変えてくれるような女性には出会えなかった。

やはり、そうそう巡り会えるようなものでもないのだろう。

だからおそらく最初で最後の、勝てない戦をしてみようと思う。






「副署長…」


部屋の襖越しに声をかけようとして、松尾の声が止まる。

穏やかな昼下がりのはずなのに、温度が下がったような感覚と、ぴりぴりとした殺気。

部屋の奥では机の上に腕を乗せて、後藤がまっすぐに正面を見ていた。

その瞳は暗く光っている。


「斑目…貴様は私が討つ」


斑目。

警察でもこれは呼び名にすぎず、誰も本名は知らない。

生まれた場所や歳、血縁者の有無にその顔立ち。

彼に関する一切が不明である。

わかっているのは男性であることと、そして数多の達人を葬り去るほどの剣術の腕。

大きな事件としては当時最強と謳われた剣術道場を襲撃し、師範代を含むその場にいた全員を殺害した。

警察の追跡もその身ひとつで振り切る上、まるで息をするように人殺しを行うことや、銃弾さえ避ける等その逸話は絶えず、史上最悪の指名手配犯とまで言われた。

そして、後藤の両親の仇である。

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