第16話 不幸なふたり③


夏の終わりを告げる蝉が鳴く。

夕日に照らされた石畳を大津が歩いていた。

その大きな手には、彼の風体に似合わない小さな花束。

角を曲がり、目的地に着いたと顔を上げる。


「…来ていたか、黒鉄」


彼の声に、墓の前に座る黒い洋装の男がこちらを向いた。


「よお」

「…お前は変わらんな」

「おめーは老けたな。禿げた」

「苦労が多くての」


よく見れば黒鉄の手にはぐい呑みが収まっている。

盆が地べたに置かれ、その上には徳利。


「…政宗まさむねまいのぶんの酒は?」

「ねえよ。俺が好きで飲んでるだけだ。…だいたい骨がここに埋まってるからって、あいつらはこんなとこにはいねえだろ」

「それもそうだな…では我らだけで頂こうか」


黒鉄の横に座り、持参してきた酒瓶を出す。

大津からの酌を受けながら、黒鉄が口を開いた。


「気前がいいな」

「…戦友への手向けだからな」


酒の注がれたぐい呑みを持って、墓の前にかざす。

その大きな口で一息に飲み干せば、一瞬、昔に戻ったような感覚に陥った。


「…政宗は素晴らしい男だったよ」

「舞はいい女だったな」

「ああ。あの時の邏卒は、皆憧れていたものだ」


大津が目を閉じる。

後藤政宗ごとうまさむねは大津と同期の警察官であった。

当初邏卒という名で試験的に導入された制度だったが、その活躍に瞬く間に正式に整備されることになる。

(我々は時代を作った)

大津には自負がある。

混乱の世を駆け抜け、人々を助け、その偉業を後世に残した自負が。

未だ現場を離れ難いのは、その思い出があまりにも色褪せないからだ。


「昔はすごかったって主張するジジイは嫌われるぞ」

「分かっているさ…なんなら今の若い奴らの方が優秀なくらいだ」


大津が笑う。


「政宗と違って、あいつの息子は優秀で驚く」

「……」

「ただ幸成は…本来なら得たはずの幸せを奪われてしまった。それが…心配だ」


政宗と舞は天涯孤独だった。

当然その息子も両親がいなくなっては血縁者がおらず、彼は苦労して生きてきた。

(あいつは…泣かなかったな…)

大津が思い出すのは、政宗と舞の葬儀。

ふたりの突然の死に泣く者も多かった中、未だ少年だった彼らの息子は、涙のひとつも見せなかった。

大津が黒鉄に向き直る。


「それはそれとして、儂としてはお前が政宗の友人というのも驚きだ」

「そうか?」

「生きていれば政宗も50代。古い付き合いと言うには、お前は少し若すぎる気もするが…」

「……」


黒鉄が沈黙を返す。

この友人は、政宗と舞が死んだ後に此処で出会った。

大津からしたらかなりの若造である黒鉄が、あまりにも大きな態度だったので驚いたものだ。


「喋りすぎたな…黒鉄、頼みたいことがある」

「仕事の依頼か?」

「ああ。お前が公式で警察からの依頼を受けてくれれば、余計に呪解屋を雇わなくて良いのだが」

「それは勘弁してくれ」


黒鉄がひらひらと手を振る。

続いて酒を一口飲んでから、口を開いた。


「相変わらず花京院には頼めねえんだな」

「…ああ。花京院はどうも警察と関わりを持つのが嫌なようだ。なにかを隠しているのだろう」


大津が苦虫を潰したような顔になる。

あの機関は不気味だ。

一度調べようとしたが、警察上層部からの圧力がかかりその計画は潰えた。


「さて…」


黒鉄が立ち上がる。

その手には、大津が持ち込んだ酒瓶。


「これは手付金としてもらってくぞ」

「気に入ってくれたようで何よりだ」

「あとお前が持ち込んだ案件は、すでに助手が対処しているぞ」

「話が早くて助かるが…助手というのはあの少女か?ひとりで平気か?」

「問題ないだろ。お守りもふたり付いてるしな」

「……?」


大津が言葉の意味を理解する前に、黒鉄は背を向けて去っていった。

彼の後ろで、夕日が世界の果てに沈んで行く。






真っ黒な闇の中、ぱちんぱちんと焚き火が燃える。

その様子を黙って見つめる後藤の横で、雛乃と桃太郎が話していた。


「さっきはごめんね…びっくりしたでしょ」


その言葉に、雛乃が首を横に振る。


「呪詛に取り憑かれると、心が弱るんです。桃太郎さんは深く取り憑かれる前でしたから一時的に撃退できましたけど…でも無理はしないでください」

「うん…ありがとう」


桃太郎が疲れたような顔で、少しだけ笑った。

その様子を横目に、後藤は油断なく川の方向を見つめる。

ここには街灯も届かない。

まるで底なしの闇だ。


「…奴が姿を現す可能性はどのくらいある?」

「五分五分といったところですね。分かっていることは、あの呪詛は何故か水のまわりだけしか動けないことと、子供を狙うことです」


川のみという制限はあってもその範囲は広く、また小さな子供を囮にするわけにもいかない。

なので呪詛の活動が活発になる夜に、川辺でひたすら待つぐらいしか手段がなかった。

後藤と桃太郎のふたりは明日は出勤予定であり、本当なら出直そうと思ったのだが、思わぬところから反対を受けた。


「神宮寺…まさか貴様が待つと言い出すとは思っていなかったぞ」

「…うるせえな」


桃太郎が恥ずかしそうにそっぽを向く。

その瞳は少し赤い。

雛乃が出した選択肢に乗ったのは、意外にも桃太郎の方だった。

もちろん川辺にぐっすり眠れる布団や、明るい照明があるはずもなく、一晩中待ったところで、呪詛が姿を現す確証もない。

それでも彼が長期戦の構えをとったことに、後藤は驚いた。

(専門家に任せると言っていたのに…一体どんな心の変化があったのだろうか)


「…このあたりは最近強盗が出ると聞く。早く終わらせたいものだな」

「え…怖いですね。呪詛が何に恨みを持っているのか分かれば良いんですが…」

「……あいつは、うらやましいんだ」


桃太郎の声に、ふたりが振り向いた。

彼は自身の頭に手を添えて続ける。


「俺に取り憑いた時、あいつの記憶が見えた。まだ小さな…小さなガキだったよ」


少年は、貧しい家の生まれだった。

学校へ行くこともなく、毎日その小さな手をぼろぼろにして、人の家の家事や農作業の手伝いをして賃金を得ていた。

値切りに値切られたその少ない給料は、家に帰れば博打好きな父親に全て取り上げられる。


「あいつの記憶はひどいもんだった。罵られて殴られて、飯だって満足に食わしてもらえない。それでも…」


それでも少年が父親の言うことを聞き続けた理由は、たったひとつだけ。


「父親に…愛されたかったんだ」


母を早くに亡くした彼にとって、父親は唯一の肉親だった。

賃金が多かった日は、父親はほんの少しだけ褒めてくれた。

ただただ愛がほしくて、彼のために働き、殴られて、毎日を生きた。

自分がもっと頑張れば、愛してくれるはずだと信じて。


「…あいつは、父親に川に沈められて、死んだ」


雛乃と後藤が息をのむ。

珍しく出かけようと提案されて、少年はとても喜んだ。

涙が出るほど嬉しくて、幸せだった。


「もう要らなくなったのか、腹の立つ事があったのか、それか、金づるが他にもできたのか…理由はわからないが、あいつは父親に頭を押さえられて、冷たい川で溺死した」


父親は、彼のことなど愛していなかった。

彼が父親を想う感情のひとかけらも。


「あいつはそうして呪詛になった。だから、水の中に縛られてる。だから、わざわざ親から愛されてるガキを狙う。うらやましくて仕方がないんだ」


桃太郎がそう言って、焚き火の中に追加の枝を放った。

炎を見つめるその瞳は暗い。

(…俺も変わらない)

桃太郎の父親は、彼を愛してはいない。

あの男にとって、息子は道具だ。

桃太郎の人生のすべてを決めて、いずれ彼は父親に都合の良い出世街道に乗せられる。

最後の最後まで利用し尽くされて、もしも使えなくなったら捨てられるだけだ。

黙って聞いていた後藤が口を開いた。


「…同情すべきところもあるが…何の罪もない子供を襲う道理などない」


その言葉に、桃太郎がぴくりと反応する。


「…優等生の意見だな」

「私は父も…母も亡くしている。家族が突然居なくなる苦しみは理解しているつもりだ」

「愛されていた奴に、俺たちの気持ちはわかんねえよ」


桃太郎が立ち上がって、後藤の前に立った。

不穏な雰囲気に、雛乃の顔が強張る。


「ふたりとも…」

「お前みたいに愛された奴はいいよなぁ!?自分の居場所なんて探さなくてもいいんだろ!?」

「貴様は…」


後藤が桃太郎の胸ぐらを掴んだ。

その額には青筋が浮かんでいる。


「貴様は両親が生きてるではないか!何を贅沢を言っている!」

「やめてください!」

「贅沢はてめーだろ!愛されてたならそれで十分幸せじゃねえか!」

「私はもう、二度と会えないのだぞ!居場所がないのは私だ!」


後藤と桃太郎の瞳が嫉妬で燃える。

((お前に…))

心が黒く染まっていくのがわかる。

それでも止められない。

うらやましくて仕方がない。

((お前に、俺の不幸がわかってたまるか!!))

後藤と桃太郎が拳を振り上げようとしたその時、ふたりの鼻先を風が掠めた。


「…えっ」


目の前で震える木の棒。

同時に壁を見ると、しっかり矢じりのついた弓矢が刺さっていた。


「……」

「……」


青くなりながら矢の射出元を振り返る。

そこには弓を持つ雛乃の姿があった。


「やめなさいって…言ってるでしょう…?」


その瞳は大きく見開かれていて、場を恐怖が支配する。

あんなに可愛らしい見た目のはずにも関わらず、ふたりの脳裏に大津がよぎった。

彼女は息をすうと吸って続ける。


「ふたりしてなんですか!親がいなかったら不幸なのですか!?愛されていなかったら不幸なのですか!?」


構えていた弓を下ろして、雛乃がふたりをまっすぐに見つめる。


「…なら、親の顔も自分の本当の名前も知らない私は、この世でいちばん不幸ですか?」


その言葉に、後藤と桃太郎がギョッとした顔になった。

ふたりの表情を黙って受け止めて、雛乃が続ける。


「でも、それでも、私は…今の私は、そのことを不幸だとは思っていません」

「……」

「私のまわりには同じような境遇の子がたくさん居ましたし、有難いことに手を差し伸べてくれる人もいました」


雛乃の、その硝子玉のような瞳が震える。


「本当に、本当に不幸なことは…不幸を理由にして自分を孤独に追い詰めることではないでしょうか」


ぎゅうと、後藤と桃太郎の手をとった。

その手は小さいけれど温かくて、ほんの少しだけふたりの心が落ち着く。

雛乃が絞り出すように声を出した。


「不幸の数で、勝負しないでください…その不幸がどれだけ苦しいかなんて、あなたにしかわからないんです…わからないんですよ…」


その声は静かで、悲痛で、哀しげだった。

まるで自分に言い聞かせているような、そんな感覚を覚える。


「不幸の数をかぞえるのなら、かぞえたぶんだけ、人に優しくしてあげてください…それは必ず返ってきますから」

「……」

「その不幸は、あなたを幸せにするために…使ってあげてください…」


雛乃の消え入りそうな声を乗せて、ふわりと秋の風が3人の間をよぎって行く。

しばらく沈黙が続いた後に、後藤が口を開いた。


「…取り乱してすまなかった。顔を洗って来る」

「はい…偉そうなことを言ってすみません」

「いや…」


言葉を濁しながら、後藤が背を向ける。

そしてそのまま、声を出した。


「神宮寺、すまなかった」

「え!お、おう…俺も、悪かったよ」


予想外の言動に、桃太郎がびくりと身体を動かす。

(まさか後藤に謝られる日がくるとは…)

今世で見ることはないとまで思っていた。

桃太郎は、明日は槍が降るのだろうと空を仰いだ。


「ふーっ…」


川の水で顔を洗って、後藤が一息つく。

その水面に映る自分の姿に、幼少期の自分を重ねる。


「……」


瞳を閉じずとも鮮明に思い出せるのは、あの日の記憶。

燃え盛る炎の中で、父親は笑っていた。

母親は、別れを言うことすらできなかった。

彼がすべてを失った日。


〈そっか…〉


一瞬誰かの声が聞こえて、慌てて焦点を戻す。

すると、水面に映った自分のはずの人物が、にこりと笑った。


〈君も、うらやましいんだね…〉

「なっ…!?」


言い終わるか言い終わらないかのうちに、真っ黒な川から真っ黒な腕が飛び出して来る。

それは後藤の身体を掴み、凄まじい力で川に引き込んで行った。


「クッ…!」


息が出来なくて苦しい。

彼が目を開けると、そこには父親と母親、そして幼い自分がいた。






ばちゃんと水音が聞こえて、雛乃が顔を上げた。

闇に向かって声をかける。


「…後藤さん?」


返ってくるのは不気味な静寂だけ。

雛乃が弓を持ち、桃太郎が近くにあった手頃な流木を構える。


「…桃太郎さん、ひとつ聞きたいのですが」

「…何?」

「おふたりって、普段から呪詛は視えるんですか?」

「いや、俺が見たのは初めてだったし、後藤がそういうものが見えるって話も聞いてない」


桃太郎がそう言いながら、もう片方の手で焚き火から板を引っ張り出して川の方に放る。

火のついた木は川辺に落ち、あたりを明るく照らした。

雛乃が口を開く。


「…普段は見えない人が、自分に向けられた訳でもない呪詛を見る事ができるのは、理由があります」


それは共鳴。

呪いに共感できるか否か。

後藤と桃太郎は、人よりもあの呪詛に共感していた為、才能がなくとも彼が見えた。


「ただ呪詛と共鳴するとなると、危険も伴います」

「つまり?」

「それだけ、取り憑かれやすいってことです」


火に照らされた川の浅瀬。

水に足をつけて後藤が立っている。

ところがその背後からは真っ黒な煙が湧きたち、後藤の様子も普通ではない。

それから目を離さないようにして、桃太郎が口を開いた。


「…俺からもひとつ質問していい?」

「どうぞ」

「今のあいつ、俺が取り憑かれた時みたいに追い払える?」

「…無理ですね。夜で呪詛の力が強くなっている

上、取り憑かれてから少し時間が経ってしまいました。あの様子では、深いところまで憑かれていると思います」


雛乃が輝く水晶を取り出しながら話す。

これは今回、目くらましぐらいにしか使えないだろう。


「そういう場合どうすんの?」

「とりあえず捕縛してもらえればなんとか…」

「…捕縛」


桃太郎の額から静かに汗が出る。


「どうかしました?」

「いや…試しにあいつに矢射てる?」

「えっ!危ないですよ」

「いいから。試しに腕のあたりでも狙って」

「え、ええー…」


戸惑いながら、雛乃が矢を引いた。

左腕に照準を合わせて射ると、まるで空間を切り裂くような速度で狙い通りの場所へ向かって行く。

ところが直撃する直前で、後藤が自身に向かって飛んできた矢を、空中で掴んだ。


「へっ!?」


予想だにしていなかった行動に、雛乃から素っ頓狂な声が飛び出る。

桃太郎は頭を抱えた。


「…昔さー…警察の教習所に、嫌なやつだけど腕っ節だけはとにかく強い教官がいたんだよね」


無敗の武道家として名を馳せた彼だったが、立場の弱い者を一方的に嬲ることが好きな、下卑た男だった。

その日も犯罪者対策の授業と称して、部下の手を拘束した上で自分と取り組みをさせた。


「後藤って昔からああいうやつだったからさー…そいつにも目ぇつけられてて」


手を後ろ手に縛られた状態で、過去の栄光とは言え武道家に勝てるわけがない。

桃太郎もほかの巡査も、ただ痛めつけられて終わった。


「だってありえないっしょ?手を縛られた状態なんて、一般人でも勝てるかわかんねえよ」


ところが後藤はその状態で打ち勝った。

さらには教官が止める間もなく、ボコボコに叩き伏せたので驚いたものだ。

てっきり腹を立てているのかと思ったが、その後言うにことを欠いて、「警官の手を封じられるほど凶悪な犯罪者と想定されていたので、徹底的に叩きのめした方が良いと思いました」と宣った。

本人は大真面目だったのだ。

色々な意味で、桃太郎が後藤には勝てないと悟った瞬間である。


「だからあいつを行動不能にするの、俺が女になるより難しいかも…」

「……」


顔を見合わせる雛乃と桃太郎に構わず、後藤が一歩踏み出した。

その水音にふたりがビクッと身体を震わせる。


「うらやましい…」


後藤の口から呟かれた言葉は呪詛のそれ。

次の瞬間、雛乃と桃太郎が踵を返して逃げ出した。


「むむむ、無理ですよ!あんな人にどうやって立ち向かえばいいって言うんですか!」

「落ち着け!正気に戻せばいんだろ!?何か方法ないか!捕縛以外で!」

「私が直接身体に触ればなんとか!でもあの様子じゃ、かすることもできないですっ、よ!」


言い合いながら橋の下をくぐる。

桃太郎の歩が止まった。


「桃太郎さん…?」

「一瞬でも、動きを止められればいいんだな」


頰から汗を流しながらも、桃太郎の目が光った。






ばしゃばしゃと水の中を進む足音が、橋の下で止まる。


「……」

「よお」


無表情の後藤が顔を上げると、川の中に立つ桃太郎の姿。


「来いよ。寂しがり屋の幸成チャンなんて、俺の敵じゃねえよ」


馬鹿にするような言葉に後藤が反応し、ぐっと腰を落とす。

桃太郎が挑発するように笑った。


「俺は、勝てる戦しかしねえんだ」


月の映る水面。

どこかで魚の跳ねる音がした。

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