第15話 不幸なふたり②
『尊敬する父親が…警察官をしていたので、私もこの道を選びました』
教官から警察官を目指す理由を聞かれ、後藤が答えた言葉だった。
事実、後藤の父親は警官がまだ邏卒と呼ばれてた時代に活躍した人物で、現在の警察体制の整備に一役買っている。
現場主義の彼は社交性と強い正義感から人望が厚く、市民からも愛される男だったそうだ。
ある事件で殉職してしまったものの、彼の葬式には人々が列を成して並んだ。
それを語る後藤の瞳は輝いていて、いかに父親を尊敬しているか伝わってきた。
『だからなんだって言うんだよ。現場主義ってことは、出世しなかったんだろ?』
その表情にどうしようもなく腹が立って、桃太郎は気がついたら言葉を発していた。
親指で自分の胸を指差す。
『俺の父上は今や警視庁のお偉いさんだぜ』
『…役職が偉ければ優れているわけではないだろう。君が父親を尊敬しているように、私も父親を尊敬しているだけだ』
『いーや違うね!俺は、父上が出世街道を用意してくれてるんだぜ。お前みたいな平凡な警察官の道しか用意してないボンクラとは違う』
『貴様…表に出ろ!!』
平凡な授業の時間だったはずが、殴り合いの大喧嘩までに発展した。
教官からこっぴどく怒られ罰も受けたが、それでも事あるごとに喧嘩は続いた。
この時から、ふたりの険悪な仲は始まる。
「呪い?」
分署の建物内で、机に向かっていた大津が顔を上げた。
「ええ。このふたりが現場から去って行く黒い何かを見たといっていまして…」
松尾の言葉に桃太郎と後藤が頷く。
その様子に大津が口元に手を当てて黙った。
「……」
「私も…一連の事件は人間の仕業ではありえないと思っています」
松尾が切り出した。
狙われているのは子供ばかり。
幸い死亡者はいないが、被害にあった皆が口を揃えて、何かに足を引っ張られたと証言している。
それを表すように、被害者の足には手のような形の痣が残っており、川の中に人間がいたことは明白だ。
ところが川を捜索しても何か器具を使ったような痕跡は見つからない。
生身で誰にも気づかれる事なく水中から接近し、そのまま水中から去って行くのだ。
人間業ではない。
大津が口を開いた。
「…相分かった。ならば民間の呪解事務所へ委託の手続きをしよう」
「民間?」
その言葉に後藤が一歩前に出る。
「お言葉ですが、政府も公認した呪解の専門機関があるではないですか」
「…
「はい。民間の呪解屋はその真偽のほどが定かではないと聞きます。そちらに依頼しては?」
この国には神社仏閣の他に、花京院と呼ばれる特殊な施設がある。
その歴史は古く、国の成り立ちから関わっていると聞くから驚きだ。
そんな彼らが生業とするのが呪解。
あちこちに事業所があるらしく、信頼性ならば此処よりも勝る場所はないだろう。
しかしながら大津は、難しい顔をしたまま首を横に振った。
「…警察は花京院には頼れん」
「……?」
その発言を疑問に思いながらも、別の巡査が報告に来たためお開きになった。
(それで良いのだろうか…)
廊下を歩きながら、後藤が真剣な表情で考えを巡らす。
頭に浮かぶのは、溺れ死ぬかもしれなかった息子を泣きながら抱える母親の姿。
(…もう家族が離れ離れになるのは、まっぴらごめんだ)
「…なんじゃありゃ」
川べりを歩いていた桃太郎が、先日事故が起こった場所を見て、眉をひそめた。
橋の下には仰々しく並んだいかにもな神具の数々。
その中心で、神職らしき男性が目を閉じてモニャモニャと何かを呟きながら、祓串を振っている。
おそらく大津が呼んだ呪解師だろう。
「あれで本当に効くのかね」
「…知らん」
そう言ったものの、後藤の心も疑惑でいっぱいだ。
そのまま川の上流へと街中を歩きながら、桃太郎が宙を仰ぐ。
その格好は制服ではなく私服だ。
「あーあ!だいたい、何で休日までこんなことしなきゃなんねえんだよ」
「五月蝿い。貴様が付いてくると言ったのであろう」
「大津警部に言われたろ?あの約束、休みの日も有効らしいしさー。なら寮で大人しくしてようと思ったら、お前は見回りに行くとか言うし、本当やってらんねえわ」
「それはこちらの台詞だ。…あの川の事件、まだ続く可能性があるなら、気にかけておいた方がいいだろう」
後藤は子供が川で溺れる事故がずっと気になっているらしく、独自で調べているようだった。
だからこうして、休みの日をわざわざ潰してまで川のあたりを見にきたのだ。
(この変態め…他にする事ない暇人が…)
桃太郎がそっと毒づく。
「大丈夫だって、専門家に任せておけば」
「そういう隙のある心に犯罪者は漬け込むんだ。何が功を成すかわからないだろう」
「専門家でもない俺たちが、呪いに対面したところで何ができるって言うんだよー。俺は勝てない戦はしない主義だぞ」
「…貴様のその主義、いつ聞いても腹が立つ」
「あーなら何度でも言ってやるよ!俺は勝てない戦はしない主義!」
「貴様…!」
後藤の額に青筋が浮かんだ。
桃太郎も威嚇しながら顔を近づけたところで、ふと川に橙色の点を見る。
「あ…」
川辺で子供がふたりで遊んでいる。
橙色と思ったのは身につけている着物の色だ。
後藤もすぐに気がつき、彼らに向かって大声を張り上げた。
「おい!君達!川で遊ぶのは危ないぞ!」
兄弟だろうか。
こちらを見て、大きい方の男児が声を出す。
「河童のこと言ってんのか?なら大丈夫だぜ!」
「まだ解決したかどうかわからん!出た方が良い」
「あれは大人がいると来るんだ。子供だけなら来ない」
「何…?」
男児の言葉に後藤と桃太郎が反応する。
一拍遅れて、今度は女性の声が響き渡った。
「アンターッ!」
見れば少し離れた橋の上、母親らしき女性が男児に向かって声を張り上げている。
「川の事故が相次いでるって言うのに、何してんだい!こっちに来な!」
「げ。バレた」
男児の顔が、怒られる恐怖でか歪んだ。
しぶしぶ弟を促して、水から出ようとする。
ところが次の瞬間後藤と桃太郎の目に、川の中から男児に近づく巨大な影が見えた。
「!早く出ろ!」
「わかったよ、今行くっ!?」
その影が男児の足に触れたと思った刹那、彼が倒れこむ。
「えっ、なんだこれ!やめろ!」
「兄ちゃん!」
そのままずるずると川の中に引き込まれて行く。
本当に何かに引っ張られているような光景だ。
母親が悲鳴をあげ、後藤と桃太郎が走り出す。
「チッ…!」
「どっから降りんだここ!」
「飛び降りろ!」
派手な水しぶきを立てて着地し、すぐさま兄弟の元に向かう。
弟が必死で兄の手を握り止めようとしているが、身体はどんどん川の中央へと沈んでいっている。
なんとか間に合った後藤と桃太郎が、両脇から身体を抱え引き上げる。
「くっ…!」
「重っ…」
成人男性ふたりがかりだというのに、男児の身体はなかなか持ち上がらない。
「畜生!何がいるってんだ!」
しびれを切らした桃太郎が、一度男児から手を離し川底から引っ張っている何かに手を伸ばす。
触れた瞬間、感情が流れ込んできた。
〈うらやましい…〉
「なっ…!?」
全身に鳥肌が立つほど暗い声。
続いて氷のように冷たい何かが腕を登ってくる感覚がした。
その何かが頭へ到達した次の瞬間、桃太郎の意識は傍に追いやられた。
「なっ!?貴様!何をしているっ!」
後藤の怒鳴り声が聞こえる。
桃太郎はふらふらと立ちながら、ゆっくり顔を上げた。
「うらやましい…」
「!?」
その顔は嫉妬と憎悪で、醜く歪んでいた。
後藤を目の前にして、桃太郎は思う。
(そうだ。俺はずっと、)
『役に立たない奴は捨てるからな』
桃太郎が覚えている中でいちばん古い記憶は、父親のこの言葉である。
桃太郎の父親は、立派な男だった。
元は士族の出だったが、その身分が解体された後は邏卒に就き、後の警察官として大成する。
彼の中でいちから築き上げた立場は誇りであり、矜持であり、何に代えても守らなければいけないものだった。
例え息子を犠牲にしても。
『何故1位じゃなかった!上の兄は皆優秀だと言うのに!この馬鹿者め!』
桃太郎の前に後藤が現れてからは、父親はまるで不愉快な虫を見るような目をしていた。
母親はいつも父親の顔色ばかり気にしていて、息子のことなど眼中になかった。
後藤が妬ましかった。
どれだけ努力しても勝てない。
後藤は天才であり努力家で、自分のような凡人が追いつく頃には遥か遠くに行っていた。
『俺は、俺は、不幸なんかじゃない』
必死に自分に言い聞かせていた。
父親が厳しく当たるのは期待のためだと、愛しているからそのような仕打ちをするのだと、思い込もうとしていた。
そうではないと、ずっと気がついていたのに。
『尊敬している父親が…警察官をしていたので、私もこの道を選びました』
後藤のこの言葉を聞いた時、全てを察した。
彼の惜しみない努力の理由を知り、迷いのないその瞳を見たとき、彼はちゃんと両親から愛されていたのだとわかった。
(俺はずっと、)
自分の価値を探さなくて良い後藤が。
父と母に愛されていた後藤が。
(ずっと、羨ましかったんだ)
「離れてください!」
凛とした声が響き、白い光が空間を切り裂いた。
桃太郎の意識が引き上げられ、手や足に感覚が戻ってくる。
「大丈夫ですか?」
目を開けると、先日橋の上で出会った少女がこちらを覗き込んでいた。
「…雛乃、だっけ…」
「そうです。桃太郎さんですよね。たぶん追い払えたと思いますが…何か変なところはありますか?」
「…子供は」
桃太郎が痛む頭であたりを見回せば、少年は無事に救出され、母親と岸で抱きしめ合っている。
その光景にどうしようもない嫉妬を感じると同時に、心の奥底から想いがこみ上げてきた。
「神宮寺…」
後藤がギョッとした顔でこちらを見つめる。
「ああ…」
気がつけば、両目からは大量の涙が出ており、頰をこぼれていた。
目の前にいた雛乃の腕を掴んで、ぐっと引き寄せる。
「わっ!」
「ごめんね…」
雛乃をぎゅうと抱きしめて、その首元に顔を埋める。
涙が止まらない。
嗚咽が漏れそうになるのを、唇を血が滲むほど噛んで耐えた。
「…ふっ…は…」
「……」
心はまるで冷たかったけれど、人の体温が温かくてほんの少しだけ安心する。
突然のことにも関わらず、彼女は優しく背中を撫でてくれた。
「……っ!」
(俺は…)
俺はずっと、不幸だった。
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