第14話 不幸なふたり①


『父上!母上!何処ですか!』


真っ赤な火に包まれる屋敷の中を、少年が走り回っていた。

必死に声を出しても、返ってくるのは燃え盛る炎の音だけ。


『父上!母上!』


見慣れた屋敷のはずなのに、倒壊と動揺で自分が何処にいるかもわからない。

まるで何かに喰らい尽くされるような感覚に陥り、背筋を悪寒が這い回る。


『父上!』


この日の光景は一生忘れない。

自分の幸せを奪ったあの男のことも。






その日、雛乃が事務所下の喫茶店に入ると、中は慌ただしい雰囲気だった。


「…?大森さん、カップの返却にきたんですけど…」

「雛乃ちゃん!ちょうどよかった!警察を呼んでちょうだい!」


マスターの大森から出てきた言葉はずいぶん不穏なもので、雛乃が動揺する。

常連客の多いこの小さな店で犯罪とは、物騒な話だ。


「何かあったんですか?」

「食い逃げよ食い逃げ!財布を忘れたとか抜かすの!」


そう声を荒立てる大森の後ろから、男性が顔の前で手を合わせて出てきた。


「待ってくれよー。俺本当に財布盗まれちゃったみたいで…この街に知人もいるから!あっあと俺警察官なの!」

「嘘おっしゃい!私、この街の警察官は全員調査済みだけど、アンタみたいな怪しい男みたことないわよ!」

「調査済み…?いや…俺この辺の警察官じゃなくて…これは長旅をしてきたからこんなに泥だらけなだけで…田んぼに落ちちゃったりとかして」


男の格好はやたらと汚れた着物で、顔も泥だらけ。

大森の表情が、訝しげに歪む。


「怪しいわ!そう言って、料金を踏み倒すつもりね!?」

「勘弁してくれ!なら、わざわざここではやらんだろ!俺、勝てない戦はしない主義なの!」


確かに、見た目だけならごりごりの筋肉男である大森の方が強そうだ。

雛乃が顎に手を当てた。

(あの人、どこかで見たこと…)

そう目を細める雛乃と、男の目がばちんと合った。

同時に彼が口を開く。


「雛乃!」

「……?」


突然名前を呼ばれて固まった。

大森が雛乃を振り返る。

男の顔をよくよく観察すると、やはりあの垂れ目には見覚えがある。


「…桃太郎さん?」

「久しぶりだなー!雛乃。ところで、金貸してくんねえ?」


そう恥ずかしそうに笑う彼は、神宮寺桃太郎じんぐうじももたろう

後藤と同期の警察官である。






「いやーすまんすまん、助かった」


事務所の中でザバザバと顔を洗いながら、桃太郎がお礼を口にする。

雛乃が替えの服を渡した。

黒鉄の服だが、大きさは合うだろう。


「昨日野宿したらよお、その時に財布スられたみてえなんだよなあ。喫茶店入って飯食ったら、財布なくて…」

「大変でしたね」


顔を洗って着替えると、桃太郎は見違えたような姿になった。

すらりと長い足に、少し跳ねた髪、色気のある垂れ目。

雛乃の知っている桃太郎だ。

美青年好きな大森に目をつけられる前に移動しよう。


「これからどこ行きます?」

「あー、後藤に会おうと思ってな。案内頼んでいいか?」

「はい。大丈夫ですよ。分署に行けばいらっしゃいますかね」


大森の目を避けてそっと事務所を後にした。

分署に向かう道を歩きながら、世間話に花を咲かせる。


「桃太郎さん、新しい勤務地は如何ですか?」

「いやー、飯は美味えし女の子は綺麗だし最高だわ。先輩は厳しいけどな!」


そう言って雛乃を頭の先からつま先まで見る。


「…雛乃はほんの少しだけ大人っぽくなったな」

「えっ!本当ですか!?いくつに見えます!?」

「…12、3かな」

「…いま18歳なんですけど」

「まあ三年前は7か8ぐらいだと思ってたからだいぶ変わったって!」

「…三年前は15歳なんですけど」


落ち込む雛乃を見て、桃太郎が笑った。

(雛乃は見た目も大して変わらないが、中身も変わらない)

丁寧な口調もしっかりしているところも、相も変わらず幼く見えるところも。

少しだけ活発になっただろうか。


「…雛乃、お前と会ったのは三年前かー。あっという間だな」

「そうですね」


当時を思い出した雛乃が、くすりと笑った。


「あの時は、おふたり仲が悪かったですよね」

「…今も良くはねえよ」

「そうですか?でも今から逢いに行くんですよね」


そう言うと桃太郎は雛乃を見て、頭を掻きながら口を開く。


「…好敵手だからな」






「この…馬鹿モンがー!」


建物が倒壊しそうなほど大きな罵声が飛ぶと同時に、頭の上に巨大な拳骨が落ちた。

桃太郎と後藤のふたりが必死で耐える。

まるで雷にでも撃たれたかのような衝撃だ。


「目の前の犯人を放って、くだらない小競り合い等しおって!!幸い泥棒はすぐに捕まったからよかったものの!許されぬ行為だぞ!」


ふたりの前には大津大心おおつだいしん警部の姿。

巨大な体に大きく傷のついた厳つい顔、その発言の迫力たるや、声というよりは咆哮である。

その波動の余韻をびりびりと受けながら、後藤が眉を寄せて目を閉じた。


「大変…申し訳ありません」

「すいませんっした…」


続けて軽く頭を下げた桃太郎を、ぎっと睨みながら後藤が振り返った。


「なんだそのだらしのない発言は!貴様がそういう態度だからこういうことになるのだ!」

「ハァ?おめーこそ、その上から目線の高飛車な態度どうにかしろや!」

「だいたい、今日のことだって貴様が私の作戦を無視するからこうなったのではないか!」

「てめーの案は無茶しすぎなんだよ!俺は勝てない戦はしない主義だっつーの!」


些細な一言から、今何を怒られているのかすっかり忘れ、口論が白熱する。

ふと気がつくと、大津のつるつるの頭から、まるで温泉のように湯気が立っていた。


「…こ、の…馬鹿モンがー!」

「がっ!」

「いっ!」


再び巨大な拳が落ちる。

大津は怒りで顔を真っ赤にしながら、ふたりにとっては一大事とも言える条件を提示した。


「罰として、貴様らは当分共に行動しろー!ひとりで行動しているところを見かけたら即刻、左遷してやるからな!」


その言葉に後藤と桃太郎が呆気に取られる。

慌てて反論しようとするも、3発目の拳が飛んできそうになったので、その場から転がるように逃げ出した。

扉を閉め、お互い顔を見合わせ、とんでもなく嫌そうな顔をする。

((こ、こいつだけは…無理だ!))

未だふたりが雛乃と出会っていない、三年前のことである。






後藤幸成と神宮寺桃太郎は犬猿の仲である。

ふたりの出会いは巡査教習所。

試験には受かったが、まだ見習い段階の巡査が通う。

そこで学業でも武道でもいちばん優秀な成績を修めたのは後藤で、次に優秀だったのは桃太郎。

いくら鍛錬しても勝てない後藤に鬱憤が溜まっていた桃太郎が、軽い嫌がらせをした時からふたりの険悪な仲は始まる。


「教習所を卒業したら、もう顔を合わせなくていいと思ったのによお」

「…それはこちらの台詞だ」


市井の見回り中に桃太郎がジトっとした目を向けると、後藤がそれ以上に恨みがましい表情を送ってくる。

残念ながら、ふたりは配属先が同じだった。


「俺は父上が出世街道を用意してくれてるから、現場とはオサラバですぅー」

「そうか。私はここに居たいから、せいせいするな」


同じ課に所属することになり、新人なので二人一組で行動する事が義務付けられた。

そして想像通りと言うか、彼らはやはり相性が悪く、あれだけ新人の星と期待されていた才能を全く生かせないまま、ここまできてしまった。


「何を喋っているんですか。静かにしてください」


ふたりの前を歩く松尾慎太郎巡査長はそうたしなめて、ハアと深いため息をついた。

(優秀な新人の教育係と聞いたのに…)

このふたりは、ひとりならば申し分のない有能ぶりを発揮するのだが、一緒にするととんだ役立たずになる。

お互いがお互いを意識しすぎて、どうにもやりすぎてしまうようだ。

これでは小学校の引率と変わらないではないか。

ふたりとも容姿が良いので、こうして歩くことで分署の宣伝になるだけ救いだ。

3人で川辺に出て、橋の下に人だかりができているのを見つけ止まる。


「あれは…」

「土左衛門っすか?」


不謹慎なことを言う桃太郎の頭をぽこんと叩き、ふたりに背を向けた。


「少し見てきます。ここにいてくださいね」

「えっ?俺も行きます!」

「私も…」

「いてくださいね。橋の交通整理をお願いします」


ふたりの提案を笑顔で切り捨てる。

橋は物見遊山で立ち止まる一般人が多くおり、このままでは橋が落ちてしまう。

不服そうなふたりを置いて、松尾は橋の下へと向かった。


「…何があったんだろうな?」


橋の上で人の誘導をしながら、桃太郎が後藤に話しかける。


「…私たちは自分の仕事をこなすだけだ」

「けどよ、お前も気にならねえ?」


そう言うと、後藤がぐっと言葉に詰まった。

図星だ。

そろりと現場を見てみれば、ひとりの少年が人の輪の中で泣いていた。

全身ずぶ濡れだ。


「…川で溺れそうになったのではないか?」

「こんな浅い川でかあ?」

「なんでも、川底に引っ張られたんだって」


桃太郎の言葉を遮ったのは、通行人の声。

見れば年のいった女性ふたりが、ひそひそと会議をしている。


「川で遊んでたら、いきなり足を掴まれて引きずり込まれそうになったらしいよ。でも誰もその犯人を見ていないんだ」

「嫌だねぇ。これで4回目じゃないか。川に河童でもいるのかねえ」


後藤と桃太郎が顔を見合わせる。

すると次の瞬間、女性の悲鳴がひびいた。

驚いて現場を見れば、その引きずり込まれそうになった少年が、母親らしき女性に抱きしめられている。

泣きながら、無事で良かったと周囲の人間にお礼を言っている。


「……っ」


その光景から、後藤が目を逸らした。

誘導に戻ろうと手を上げるが、桃太郎は未だ橋の下を見ている。


「おい、」

「なあ、あれ…」


桃太郎が川の方を指差し、驚いたように目を見開いていた。

つられて後藤もそちらを向けば、宙に真っ黒なかたまりが浮かんでいる。


「…なんだ…?」


人の体ぐらいの大きさのそれはふわふわと辺りを浮いた後、突然素早く橋の上に向かって飛んできた。


「うおっ!」

「くっ!」


慌てて避けようと身体を屈めるが、それは一般人の体を通過して駆け抜けていく。

近くを通り過ぎた瞬間、ぶつぶつと何かの声が聞こえた。


「なんだ…?」


後藤が過ぎ去った方向を見つめる中、桃太郎が彼の服を引っ張る。

振り向くと口に片手を添えて、小声で話しかけてきた。


「おい後藤。今の、お前にも見えたよな?」

「あんなに大きく目立っていたら当たり前だ。何を言って…」


後藤の声が止まる。

あれだけ奇異なものがいたというのにも関わらず、誰ひとりそのことを口にしていない。

まるで何も見なかったかのように、相変わらず事件現場だけを凝視している。


「……?」

「俺たちだけに見えてたってか?」

「そんな馬鹿な…」

「他に説明のしようがあるか?」


相変わらず橋の上では黒い何かの話題は出ない。

桃太郎の言葉に、後藤が言い返せずに目線を外した。

そして大きく目を見開く。


「…!君!」


橋の上、全員が川の方に視線を落としている中、ひとつだけ、先程あれが消えていった方向に顔を向けている影があった。

彼女は橋の欄干に手を乗せ、皆とは真逆に視線を送っている。

後藤が肩に手をかけると、驚いたように振り向いた。


「き、君は今の影を見たのか!?」

「……はい、見ました、けど…」


少女は困惑したように頷いた。

桃太郎が慌てて仲裁に入る。


「おいおい怯えてるって。やめてやれよ」


貴重な目撃者だ。

桃太郎が彼女ににこりと笑うと、少しほっとしたように息を吐いた。

歳は7、8歳ぐらいだろうか。

大きな瞳に白い肌。

きっとあと10年も経てば、美人になるだろう。


「俺たち、さっき浮く黒いかたまりを見たんだけど、ほかの人たちはその話をしないから、びっくりしたんだ」

「…見えたのですか?」

「え…うん。君も、見たんだろ?」

「……」


彼女が口に手を当て、何事か考え出した。

その行動を疑問に思いながらも、続けて聞く。


「君はあれが何か知っているのかい?」

「…知っています」

「あれは何?」

「あれは…呪いです」

「呪い?」


驚いて素っ頓狂な声が出てしまった。

後藤も目を見開いている。

世の中に存在することは知っていたが、今まで無縁の世界で生きてきたので受け入れがたい。

彼女はふたりの表情をよく見て、少女は真剣な顔で言った。


「たぶん…また同じ事が起きます」


その予言めいた物言いと、先程確かに非日常的なものを見てしまったせいで、信じざるを得ない。

後藤が前に出た。


「君はどうしてあれが呪いだと知っている?」

「…私、呪解事務所で働いているので」

「わかった。また頼る事があるかもしれん。君の名前はなんだ?私は後藤幸成。こいつは…」

「神宮寺桃太郎だ」

「……」


少女が黙る。

もう一度聞こうとした時、ゆっくり口を開いた。


「あいはら…」

「あいはら?」


名を名乗るだけなのに、彼女は頰を真っ赤に染めて、心の底から嬉しそうに微笑んだ。


「相原雛乃です」


そのどこか大人びた表情に、思わずどきりとしてしまった。

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