第11話 最愛②


「全く…妖力を減らしてしまったではないか」


常夜がうんざりした表情をしながら、どすんと元いた場所に座った。

背中から生えていた尻尾は跡形もなく、目も人間のそれに戻っている。

黒鉄を苦々しい顔つきで見た。


「チッ…最悪ではないか。結界も駄目になってしまった」


常夜の言葉にあたりを見回せば、部屋の隅からぽろぽろと硝子の破片のようなものが崩れ落ちている。

常夜がゆっくり息を吐くと、世界全体がまるで割れたように歪んだ。

雛乃が立ちくらみを起こし、体勢を戻したときには、先程までとは全く違う風景が広がっていた。


「戻ってきた…?」


床は畳から赤い絨毯に変わり、壁は白地に天井には大きな照明。

外は何だか騒がしい。

どうやらここは、元いた劇場のようだ。


「小娘、どうしてわらわが依頼人だと思った?」


常夜の声がして、そちらを向く。

先ほどの糸目の少女が彼女の乱れた髪を直している。


「ええと…わざわざ結界の中に呼ばれたからです」

「ただ喰うつもりで攫ったのかもしれんぞ。その男が心配した通りな」


常夜がそう言って、黒鉄を見やる。

黒鉄の右腕の怪我を看ていた雛乃が、引きつった顔になった。


「し、心配?黒鉄さんが?そ、それは鳥肌が立ちますけど…」

「おい」

「うーん…常夜さん、私の力量を測っているような発言をしてましたし、危害を加えるつもりならそもそも結界を作るなんて回りくどいことはしないと思うんです。常夜さんに襲われたら私、ひとたまりもありませんから」


今も、こうして雛乃を試すような質問をしている。


「結界の中にわざわざ招き入れた理由は、人に聞かれたくない話をするため。私の職業を鑑みて、依頼をしに呼ばれたのではないかと思ったんです」

「…ふん。幼いがうつけではないようだ。とんだ瘤付きだがの」


常夜が鼻を鳴らす。

そして髪型が元に戻ったことを確認し、雛乃と黒鉄に向き直った。

その赤く美しい唇を開く。


「…ひとりの男を殺してほしい。それがわらわの依頼じゃ」






もう記憶にないほど昔に、常夜は狐が変化して生まれた妖怪であった。

折良く妖気の溜まり場を発見しそこを住まいにしたことで、いつの間にか彼女は大妖怪と呼ばれるほど位の高いあやかしになっていた。


「わらわのような存在は、永遠とも言える時を生きる。ある時あまりにも退屈での。暇潰しに王の后になった」

「す、すごい暇潰しですね…」


突飛な話に雛乃が冷や汗をかく。

それでも信じてしまうのは、この目の前の女性があまりにも妖艶で美しいからだ。


「この国ではないぞ。もっと広大な大地を持った、複数の国が隣接した変わった土地じゃった」


特に変化へんげと人心掌握の術に長けていた常夜は、人間界で自分の力を試したくなった。

ちょうどその時、国の王が彼女の住む山に立ち寄ると聞いて、常夜は一計を案じた。

幻覚を使い家来と引き離し、山奥の屋敷に導いたのである。

常夜の美しさに一目惚れした王は、すぐに彼女を后へ向かい入れた。


「後宮と呼ばれるところに入ってな。おなごの数がすごかったのう。その中で当然、わらわは王の一番のお気に入りとなった」


王の名は太阳タイヤン

元々は国政に熱心な王だったが、常夜が愛妾となってからは政務を疎かにするようになる。

常夜がひとつ我儘を言えば、持ち得るすべての力を使ってそれを叶えようとした。


「暇潰しではあったがなかなか楽しくてな。わらわの一挙一動に国が動く様は、見ていて気持ちがよかったよ」


ところがその国にも終わりが来る。

他国から攻められ、王家の者は王もろとも余すことなく殺された。

当然常夜にもその手は伸びたが、天下の大妖怪が人間に討たれるはずはない。


「返り討ちにしてやったわ。ま、国がなくなったところで、わらわにとってはほんの一時の娯楽が無くなった程度の話よ」


それから何十年と時が過ぎ、常夜はこの国にいた。

相変わらず山奥に屋敷を構えて、人間の真似事をしながら暮らしていた。


『常夜様!』

『騒がしい。なにかあったのか?』


使い魔の1匹が血相を変えて主人の元に駆け寄る。

それに眉ひとつ動かさず常夜が尋ねると、使い魔は玄関を指差した。


『そ、その、人間が…』

『おお…!なんと美しい』


声がしてその方向を見れば、身なりの良い青年が常夜を見ている。

彼女の縄張りにたやすく侵入したことも驚いたが、常夜の目に映った光景は、それよりも信じがたいものだった。


『お主は…』


常夜が息を呑む。


「そこにいた人間は、姿形は違えど太阳じゃった」


常夜はそう言うと、ゆっくりと瞬きをした。

雛乃が不思議そうに聞く。


「……?太阳さんは生きていたのですか?」

「…そうとも言えるじゃろうな。人間は…生まれ変わりと呼ぶのか」


別の人間だった。

生まれた時も違えば生まれた場所も違う。

前世の記憶も、常夜に関する記憶もなかった。


「それでも、その魂は太阳だった」

「そんな…」

「それから間もなくその男も病気で死んだ。…ところが、しばらくしたら再び違う男になって、太阳は現れた」


生まれ変わりだけならば偶然もあるかもしれない。

ところが太阳はどんな人間になっても、必ず常夜に会いに来て、彼女を愛した。


「まるで」


雛乃がごくりと唾を飲む。

生まれ変わっても逢いに来るとは、なんて深い愛情なのだろうか。

(まるで御伽噺に出てくる愛の物語みたい)

そんなことをぼーっと考える雛乃を前に、常夜が口を開いた。


「まるで、呪いのようだと思わぬか?」


その声は驚くほど低くて暗かった。

思わず雛乃が彼女を見る。


「常夜さんは…太阳さんに対する愛情はないんですか?」


雛乃の言葉に、常夜が可笑しそうに笑った。


「小娘、貴様は猿に恋をするか?」

「えっ…」

「わらわのような大妖怪からすれば、人間などその程度の価値しかない」


常夜の声は冷たく、何ものも寄せ付けない。


「数度目の太阳を…殺したこともあった。追ってこれぬよう、海の底に住んだこともあった。その時は結界の移動に耐えられず老けて死んだな。それでも、奴は何度でもわらわの前に現れる」


常夜がこの劇団に入った理由は、座長に見初められたこともあったが、なにより太阳の目をくらます目的もあった。

全国を巡業する一座では一箇所にとどまらない為、追駆が困難だろうと踏んだのだ。


「…徒労に終わったがな。はじめは興味本位で見ていたが…こう永遠に姿を現されては五月蝿くてかまわん」


常夜がまるで虫を払うかのように手を振った。


「太阳を殺してくれ」

「…それは…」

「待て」


雛乃が言いかけると、常夜が片手でそれを制した。

遅れて廊下から足音が聞こえてくる。


「常夜さん!」

「…良いぞ」


男の声が響くと同時に、常夜が入室の許可を出した。

扉を開けて入ってきた人物は、小柄な少年だった。


「劇場に変質者が出たと聞いたので、念の為に様子を見にきたのですが…あれ?そちらは?」

「…古い友人だ」


雛乃と黒鉄を見て不思議そうな顔をする。

常夜の説明に納得したのか、雛乃に手を差し出した。


「常夜さんのおそばで小間使いをさせていただいております、園田暁そのだあかつきと申します!」

「相原雛乃です…」


年は15、6だろうか。

優しげな顔立ちに柔らかい物腰、生き生きとした表情は誰からも好かれそうだ。

黒鉄は彼が男性であることに萎えたのか、そっぽを向いている。

慌てて肘で彼をつつく雛乃だったが、暁はすぐに常夜に向き直った。


「何ともなさそうで安心しました!常夜さんに何かあれば大変ですから」

「…何ともない。退がれ」

「はい!また何かあれば呼んでくださいね!」


常夜の冷たい物言いにも臆せず、彼は笑顔で去っていった。

その顔からは常夜への尊敬の念と、そして恋慕が滲み出ている。

足音が離れていったことを確認してから、常夜が口を開いた。


「…わかっただろう。奴がこの度の太阳だ」

「……」

「引き受けられるか?礼はするぞよ」


雛乃がちらりと黒鉄を見るが、そばにあった長椅子で寝ている。

(…まったく)

何も言わないということは、判断を任せるということだろう。

雛乃が常夜と目を合わせる。


「こういった例がないので…本当に解決できるかどうかはわかりません」

「…そうか」

「仮定ですが…太阳さんの、常夜さんに会いたいという想いが呪詛となって、魂を縛り付けているのかもしれません」

「ならば…その呪詛さえ消せば、奴はもう二度とわらわの前には姿を現さないのだな?」

「確証はありませんが…」


雛乃の声が尻すぼみになる。

ここまで自信がないのは前例がないこともあるが、なによりもうひとつ懸念材料がある。

それでも常夜は首を縦に振った。


「それで良い。どちらにしろ、わらわは貴様ら以外の呪解師を頼れん」


民間の事務所をいくつか当たったものの、常夜の正体に気がつかないような腕の悪い術師であったり、彼女の正体に気がついた者は逃げ出し話にならなかった。

公的な機関は別にあるのだが、そちらに頼めば常夜自身が封印される可能性がある。


「小娘。貴様が解決できなかった時のために、ひとつ心当たりができたのでな。気負わずにやれ」

「……?あ、ありがとうございます」


明日また来る約束をして、雛乃が扉に向かう。

その心は晴れない。

(太阳さん…生まれ変わっても逢いにくるほど常夜さんのことを愛しているのに、常夜さんは殺してほしいだなんて…悲しい話だな)

出ていく前に、雛乃がちらりと常夜を見る。

その顔は無表情だった。






「雛乃!」


雛乃が劇場の外に出ると、アメリアがすぐに駆け寄ってきた。

その手には、雛乃が常夜の結界を破ったときの和紙が握られている。


「無事でよかったですわ!貴女の術式を廊下で見つけたものですから、どこかに誘拐されたと思いましたの」

「あ、黒鉄さんを呼んでくださったのはアメリアさんだったんですね」

「ええ。わたくしのエリーを飛ばして。幸い近いところにいらっしゃったようですし。本当ならわたくしが助けに行くべきだったのですけど…すみません、変質者を捕らえていて」

「へ、変質者?」


不穏な単語が出て、雛乃が驚く。

そういえば似たようなことを暁も言っていた。

きょろきょろとあたりを見回し、後藤の姿を探すが見つけられなかった。

(後藤さんが捕まえて連行していったのかな…)

そう1人で納得する雛乃は、まさか当人が連行されたとは夢にも思っていない。


「あら、黒鉄様は?一緒ではありませんの?」

「あ…黒鉄さんは、中に少し残るそうで…」


黒鉄は常夜に呼び止められ、留まった。

先ほどのこともあるので少し心配ではあるが、すぐに解放するのことだった上、何にしても彼ならば大丈夫だろう。

劇場の入り口で黒鉄を待っている間、アメリアにぽつりと声をかける。


「…アメリアさんは、愛って…わかりますか?」

「愛?急ですわね。まあわからないことはないですわ。わたくし黒鉄様を愛しておりますもの」

「えっ」


確かに並々ならぬ情熱は感じていたのだが、こうしてはっきりと意志表示されると戸惑ってしまう。

その明瞭さに面食らいながら、続けて聞く。


「なら、もし、もしもですよ?アメリアさんが死んでしまったとしたら、また生まれ変わって逢いに行きたいと思いますか?」

「それは逢いたいに決まってますわ」

「そうですか…」


その後に「でも」と続けて、アメリアは少し寂しそうに地面を見た。


「実際は…できないのでしょうね」

「そうですね。生まれ変わっても記憶は残らないって言いますし…いつ生まれ変われるかもわかりませんし」

「あら、可能かどうかの話ではありませんわ。本当に黒鉄様を愛しているのなら、わたくしの感情は二の次よ」


その言葉に、雛乃がアメリアを見る。

アメリアは夜空を見上げて、星を目で追いながら声を繋いだ。


「黒鉄様が、そうまでしてわたくしと再び出会うことを望むとは思えませんわ。あの方は、自由ですから、ひとりの女性に縛られることなどないのでしょう」

「……」

「だからわたくしがあの方に恋慕するのは、この生の間だけ。わたくしの見解ですけれど、自分と共に幸せになってほしい感情が恋、自分がいなくとも相手の幸せを望む感情が愛ですわ」


アメリアの青い瞳は、星が映り込んで燦然と輝いている。

それをまぶしそうに見ながら、雛乃が口を開く。


「なら…相手が望んでいないのに、自分の人生を犠牲にすることは…愛とは違うのでしょうか」

「愛の形はそれぞれですけどね。それが相手のためになっていない事ならば、例え自分の身を犠牲にしても、それは自己満足にすぎませんわ」


雛乃が空を見上げた。

真っ黒な地面に金平糖を散りばめたような、幻想的な空間が広がっている。

アメリアの言う通りなら、太阳は常夜を愛しているわけではないのだろうか。

彼は自己を満足させたいがために、呪詛になったのだろうか。

(誰のためでもなく自分のために…何度も人生を捧げることなんて、できるのかな…)

雛乃が遠い星を見つめる。

自分はまだ恋も、愛も知らない。

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