第10話 最愛①


屋台や店の立ち並ぶ大通り。

装飾の美しい洋靴が地面を蹴る。

情熱的な赤色だ。


「雛乃!」


その靴の持ち主である金髪の女性が声をあげた。

ぱん屋の前にいた少女が彼女を見る。


「アメリアふぁん」

「ちょっと!はしたないですわよ!」


そうたしなめながら、アメリアは店の前に置かれた椅子に座る雛乃の元に駆け寄った。

口いっぱいにあんぱんを頬張って、顔の形が変わっている。


「ちょうど良かったですわ。いま事務所にいこうと思っていて…あら、お連れの方?」


少し距離を置いて雛乃と同じ長椅子に座る男に気がつき、視線を配る。

和服を着て長い髪を縛った、端正な顔立ちの青年だ。

アメリアに声をかけられると立ち上がった。


「後藤幸成と申します」

「宮村アメリアですわ。…てっきりお兄様かと思いましたけど…」


明らかに10以上は年の離れて見える男女とは、妙な組み合わせだ。

雛乃があんぱんをぐんと飲み込んで口を開いた。


「後藤さんは…えーと、お知り合いです!」

「あらそうですの」

「後藤さん、アメリアさんは私のお友達です」

「…そうか」


聞けば偶然この近くで居合わせ、雛乃にあんぱんを買ってくれたらしい。

(親戚の子供のような感覚で可愛がってるのかしら…)

そう納得しながら後藤を見れば、心なしかがっかりした顔をしている。


「……?」

「アメリアさん、事務所に来ようとしてたって仰ってましたけど、私に用があったんですか?黒鉄さん?」

「ああ、おふたりにですわ」


アメリアがごそごそと洋服の内側を探る。

取り出したのは3枚の小さな紙。


「実は今日、家族で観劇を予定していた舞台がありましたの。けれど両親に急用ができてしまって。良ければご一緒にいかがかとお誘いに参りましたのよ」

「新劇!私見たことないです!行きたい!あ、でも黒鉄さんは…今日いないんですよ」

「あら、お仕事で?」

「まあ…そんな感じです…」


雛乃の声がどんどん小さくなる。

実は今日黒鉄はずっと狙っていた芸妓と約束がとれたとかで、それはもうウキウキと出かけて行ったのだがそのことはソッと胸にしまう。


「あら残念ですわ…舞台が終わるのは20時頃だから、わたくしの家で抱えてる馬車で送るつもりですわ。ただ念の為女ふたりよりは男性がいた方が良いと思うのだけど」

「男性ですか?」

「ええ…できれば身元がはっきりしてて、信用できる、武術に長けた男性がいいですわね」

「身元がはっきりしてて、信用できて…強い男性…」


雛乃が確認するように呟きながら、ゆっくり首を動した。

それにつられてアメリアも視線を向ける。


「…芸術には疎いのだが…それでも良いだろうか?」


警察官で、地位もあって、第一線で活躍する武術家。

4つの目に見つめられた後藤が、頰をかきながら返事をした。






「わ〜!こんな綺麗なところでやるんですね」


劇場の中で客席に座り、雛乃が感嘆の声を漏らした。

白地の洋風な建物に大きな硝子の照明。

なんといっても客席は座布団ではなく椅子だ。

お客もちらほら外国人が紛れている。

作られて新しい劇場だろう。

アメリアが隣で本を片手に口を開く。


「本日観るのは『人形の家』という題目ですわ。西洋で書かれた戯曲ですけど、わたくしが好きな話ですの」

「あ、その本なら読んだことあります」

「私は詳しくないが…あちらから来る演劇や歌には男女の愛を取り扱ったものが多いと聞く。これもそういった恋愛浪漫なのだろうか?」

「あら。期待して頂いて申し訳ないですけど、これは結婚して家に入った女性が旦那を捨てて自立する話ですわ」


アメリアがさくっと否定すると、後藤はどこか落ち込んだ表情になった。

(男女の恋愛話が好きな方なのかしら…?意外ですわね)


「話も面白いのですけど、わたくしがこの劇を見たかった理由は主演の役者にありますの」

「入口の宣伝されてましたよね。男性ではなく女優さんが演じてらっしゃるんですよね」

「ええ。この国で今まで見たどんな役者よりも、素晴らしい役者ですわ…あら」


アメリアが言い終える前に開幕を告げる鐘がなり、あたりが静かになった。


「〈ヘレーネ!〉」


舞台袖から機嫌良く現れた女性に、会場の全員が釘付けになる。

(わ…本当に綺麗な人)

雛乃がごくりと唾を飲む。

艶めく黒髪に顔の中心をまっすぐ通った鼻筋、形の良い唇に細く美しい肢体。

主演の明石常夜あかしとこよは新進気鋭の女優である。

その類い稀な美しさと、観る者を魅了してやまない演技力、例えどれほど喧しい場所でもかき消されない凛とした声を武器に、舞台に現れてすぐ、彼女はその名声を一身に浴びた。

(すごいなあ…)

事実うわさに聞いた通り、常夜が動くたびに会場の空気が変わるような、圧倒的な存在感がある。


「……?」


劇に夢中になっていた雛乃が首をかしげる。

彼女のその瞳が、一瞬だけこちらを見た気がしたのだ。






「ふぁー…すごかったですねえ…」

「素晴らしかったな…」


閉幕後、ぱらぱらと抜けていく客席からは、あちこちから感嘆のため息が聞こえる。

雛乃も後藤も目をチカチカさせながら席を立った。

この度の上演も大成功を収めたようで、常夜が退場した後も拍手はしばらく鳴り止まなかった。

劇を見慣れているだろうアメリアさえ、惜しみなく手を叩いていた。


「あ、私ちょっとお手洗いに寄っていきますね」

「ええ。こちらで待っておりますわ」


廊下の先に消えていく雛乃の背中を見送って、アメリアがくるりと後藤に向き直る。


「本日は急なお誘いにも関わらず来ていただいて、ありがとうございました」

「いやこちらこそありがとう。本当に素晴らしい経験だったよ」


そう微笑む後藤からは、一切の嫌らしさを感じない。

年齢の割に高い地位の警官だと聞いたが、横柄な態度も無く素直な男だ。

男性には厳しいアメリアも、安心したようにほっと息を吐く。


「ただ冒頭の、女性を栗鼠りすやら雲雀やらと呼んで愛でたり、言葉の端々で愛を伝える場面は、少し驚いたな…」

「まあ!たしかにこの劇の、女性個人の本質を見ようとしない男性の姿勢は問題でしたけど、この国の男性はもう少し愛を直接的に伝えた方が良いですわ」

「そ…そうなのか?」

「ええ!黙っていても相手には伝わっている等と宣うのは単なる責任逃れですわ」


アメリアがきっぱりと宣言する。

彼女の父は西洋人だ。

何年経っても母に日常的に愛を囁く父を見てきた彼女にとって、この国の男性のあり方は納得がいかない。


「後藤様も懇ろの女性がいらっしゃるでしょうから、求婚することがあれば是非西洋式の仕様をお勧め致しますわ」

「きゅ…!?」


後藤が真っ赤な顔でごほごほと咳き込む。

その初心な反応に、良い仲の女性がいるのだろうと察した。


「求婚をする時は片膝をつく。相手の目を見、手を差し出して、ゆっくり口を開くのが礼儀ですわよ」

「…す、少し下手に出すぎではないか?」

「そんなことありませんわ。西洋の騎士が領主へ忠誠を誓う際に行った儀式が由来のようですけど、相手の女性をひとりの人間として尊敬し、永遠の愛を捧げる覚悟がよくよく表現された動作だと思いますの」

「な、なるほど…」


後藤が納得したように考え込む。

そしてアメリアに言うでもなく、ぽつりと独り言を呟いた。


「雛乃も…そのようにして欲しいのだろうか…」

「ふふ、嫌ですわ。そんな風に言っては、まるで貴方が雛乃に好意を寄せているようではないですか」


偶然その声を拾ったアメリアが、笑顔で口元に手を当てる。

そして一瞬の沈黙の後、彼女が腹の底から声を出した。


「警察ー!警察を呼んでちょうだい!」

「なんだどうした!?私が警察だ!」

「イヤアアアア!!この国の司法はどうなっているんですの!!この幼女趣味の犯罪者!!」

「!?なんの話だ!」

「良い大人があんな小さな女の子に求婚しようとしておいてその自覚がおありでない!?何か変だとずっと思っていたら!はっ!貴方さっき甘いもので釣って…誘拐犯!」


実際には雛乃は18歳なので常識の範囲内の恋心ではあるのだが、残念ながら彼女は非常に幼く見える。

未だ雛乃の年齢を知らないアメリアから見れば、後藤は10歳前後の幼女に本気で懸想している変態であった。

さらに言えばアメリアの父は声楽家であり、その血を受け継いだ彼女の声は非常によく通る。

劇場はそのまま大騒ぎになり、駆けつけた警察官が非番の上司の姿を見るのは、この後の出来事であった。






「…おかしい」


そんな騒動が聞こえるはずの劇場の廊下で、雛乃が呟いた。

お手洗いに入り、個室を出たときから妙な雰囲気だった。

あたりはしんとして、人がいない。

(廊下はこんなに長くなかった)

地理や方向には強い方だ。

それに、先程から首筋のあたりがぴりぴりと弱い電気が走っているような感覚がする。


「……」


雛乃が着物の懐から、薄手の和紙を取り出した。

人差し指と中指で挟み、少し力を込めて地面に向かって飛ばす。

和紙はあり得ない速度で地面を這っていき、目にはなんの変哲もない廊下が続いているように見えるところに、びきりと穴を開けた。

まるで廊下の真ん中に、見えない硝子を張ったかのような光景である。

できた穴からは本来の劇場の喧騒が聞こえてくる。


「やっぱり…ここ、誰かの張った結界の中だ」


先日呪詛の作った世界に入ったが、その時と同じような感覚だ。

偶然特殊な力を持つ人間が作った結界の中に、偶然雛乃が入ってしまったとは考えにくい。


「誰か私に用があるんですね」


一部だけ開けた廊下の先に行けばすぐに現実の世界に戻れるのだが、雛乃は逆の方向に向かって歩き始めた。

廊下の先にあった、ひときわ大きな扉の取っ手に手をかけて、ゆっくり回した。


「ほほ。得体の知れない相手だとわかっていながら、こちらに来るか」


扉を開ければ、洋風の建物の雰囲気とは似ても似つかない、日本家屋の座敷のような光景が広がっていた。

屋内のようだが、窓の外は桃色や藍色で覆われている。

不思議な景色だ。


「あなたは…」


部屋の中心でゆるりと畳に座るのは明石常夜その人。

舞台で見るよりずっと、綺麗な女性だった。






「あ、ありがとうございます」


少女からするりとお茶とお茶請けを出され、雛乃がお礼を言った。

奥から突然現れた彼女は吊り目に栗色の髪の和服姿。

5歳ほどに見えるが、どこか生きている人間には見えない、奇妙な感覚を覚える。

そしてその感覚は、目の前で悠然と構える女優からも感じる。


「民間の呪解屋は胡散臭いなどと聞かされるが…実力は確かなようじゃの」

「…やはりこの結界を作って、私を招き入れたのはあなただったんですね」

「舞台から視えてな。なるほど確かに、大きな光じゃて」

「……?あの、んっ!?」


雛乃が言いかけた瞬間、突然轟音がして地面が揺れた。

まるでこの世界を丸ごとゆすられているかのような衝撃だ。


「な、何!?」


正座していた雛乃が前のめりに倒れこみ、常夜がわずかに顔を上げる。

次の瞬間、部屋の壁が吹き飛んだ。


「んぇっ!?」

「…藪をつついて蛇がきたかの」


ズンと真っ黒な足が畳を踏んだ。

かつて遭遇したどんな呪詛よりも恐怖を覚えて、雛乃の全身に鳥肌が立つ。


「く、黒鉄さん…!」

「よお雛乃。人を逢引中に呼んどいて、何化け物とよろしくやってんだ?」

「……!」


雛乃が呼んだ覚えはないのだが、あまりにも怖すぎて声が出ない。

ぽいと彼女の弓と矢が放られて、それを慌てて受け取る。


「化け物?勝手なことばかり言いおって…」


常夜がふらりと立ち上がった。

その動き方からは想像できないほど目に見えない圧力を感じて、雛乃がさらにすくんだ。


「よお、化け狐が人間の真似事か?」

「貴様に言われたくはないわ…」


ミシリと音がして、常夜の瞳が獣のそれになる。

黒鉄がその目を見て、悠々と笑った。


「来いよ。お前に俺が殺せるか?」

「望み通り…殺してやる!」


言い終わらないうちに、ぶわりと彼女の背後に何かが立ち昇る。

雛乃が目をこらした。

(あれは…動物の尻尾?)


「!」


一瞬で常夜の姿が消え、次の瞬間黒鉄の真上に移動する。

黒鉄の銃は先ほどまで彼女がいたところに向いており、今から照準を合わせていては間に合わない。


「もらったぞ!」


そのまま黒鉄の頭を襲おうとして、常夜が吹き飛んだ。

黒鉄が背中に回していた左手には、いつのまにか小型の拳銃が握られており、それに顔を撃たれたらしい。


「くっ…」


ところが床に四つん這いに足をつけた彼女が顔を上げると損傷はない。

唾を床に吐き出すと、弾が転がった。

歯で受け止めたのだろう。


「……」


それに一切動じず、黒鉄が再び二丁の銃で攻撃を始める。

壁や天井をつたって避ける常夜の足に、一発が当たった。


「貴様…!」


ぼっと炎の玉が飛び出し、黒鉄の右腕を襲う。

黒鉄は無表情のまま、左手のもう一丁の銃を常夜の頭につきつけた。


「じゃあな」


引き金を引こうとした瞬間、真っ直ぐに飛んできた矢が銃を撃ち落とした。

矢じりを取ったむき出しの矢先が銃身に当たり、ごとんと黒鉄の手から抜け落ちた。


「雛乃?お前、何してんだ?」


黒鉄の瞳孔が開いた目が雛乃を捉えた。

(こ、こわいぃいい!)

泣きそうになるがそれを堪えて、場でいちばん大きな声を出す。


「黒鉄さん!待ってください!その人は依頼人です!」

「……あ?」


黒鉄が珍しく、間の抜けた声を漏らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る