第2話 姉妹②
2人が事務所に依頼に来てから翌々日の午後。
哲夫が手配した人力車が雛乃と黒鉄を迎えに来た。
雛乃は仕事着である白い小袖に緋袴、つまりは巫女装束を着て、黒鉄は洋装に大きな鞄を背負っている。
(毎回思うけど、この組み合わせおかしいよね…)
その2人が洋風建築の家から出てくるのだ。
今日も人力車の車夫が変な顔をしていた。
胸中は疑惑と不審でいっぱいに違いない。
怪しげな客を乗せた人力車はガラガラと音を立てて石畳を走り、地面が土に変わったあたりで足を止めた。
非常に立派なお屋敷の前だ。
「わっ、すごく綺麗なお庭!」
美希の家は代々商売をしている家で、美希の父の代で一気に大きくなったのだそうだ。
車夫が説明してくれた。
哲夫も商家の次男として生まれ、彼が婿になることで美希の家の事業を継ぐ。
「お嬢様ー!事務所の方がいらっしゃいましたよ!」
広く整備された庭を抜け、玄関を開け車夫が叫ぶ。
ところがその言葉に反応はなく、代わりにバタバタと騒がしい気配が伝わって来た。
「!」
「あっ、ちょっとお客さん!」
黒鉄と目を合わせ、靴のまま家の中に突入する。
声がする方に走っていけば、縁側で数人が集まっていた。
その中に哲夫の姿を見つける。
「哲夫さん!」
「あ、ああ、君たちか、助けてくれ!美希が…」
哲夫の膝上にはぐったりとした美希の姿。
雛乃の目には、美希に覆いかぶさる黒い塊が見えた。
「…っ!離れてください!」
雛乃が懐から小さな水晶を取り出した。
そのまま大きく振りかぶり、美希のすぐそばの床に叩きつける。
水晶が割れた瞬間、あたりが真っ白な光に包まれた。
〈あとすこし…私はお前を許さない…〉
小さく、しかしはっきりと聞こえたのは不気味な声。
美希を見れば先日よりも確実に、顔色が悪くなっていた。
「美希さ…」
「哲夫様!ありました!」
声がして思わず振り向くと、屋敷の使用人らしき男性が庭先でなにかを握っている。
先日美希に渡したお守りだった。
「す、すまない…紐が切れて落としてしまったと美希に言われて、探していたところだったんだ」
「そうなんですか…すみません、こちらも紐が古かったのかも」
哲夫と雛乃がお守りの話をしていると、気がつけば黒鉄がいない。
「ん?」
嫌な予感がして振り向けば、黒鉄が美希を抱きかかえながら起こすところだった。
哲夫が頭を抱える。
「ちょっとー!人妻!!になる予定の人ですよ!!」
「黒鉄様…いらしていたのですね…」
ゆっくりと美希が目を開けた。
先程襲われたせいか、どこか弱々しく覇気がない。
黒鉄はしばらく美希の目を見つめ、そしてぽつりと呟いた。
「…今夜だ」
「え?」
「君は今夜、殺されるぞ」
陽が傾き始めた午後5時ごろ。
普通なら夕食と就寝の支度に追われる時間だが、夕焼けに染まった林田家の屋敷では、バタバタと走り回る音が聞こえてくる。
「貴重品や割れ物はすべてしまってください!相手はいきなり消えたり現れたりできるので、視野を広く確保できるよう、なるべく部屋の襖や障子は開けて」
雛乃の指示で使用人たちがバタバタと走り回っていた。
ただでさえも若い雛乃はより幼く見えるので、指示を出した時はギョッとされたが致し方ない。
悲しいけど。
「今よろしいだろうか?」
畳の上に札を貼り付けていた時、ふと哲夫に話しかけられた。
「そのまま作業を続けていただいて構わない。黒鉄さんに聞こうかと思ったのだが、どうもいらっしゃらないみたいで…」
(面倒だから逃げたな…!)
雛乃の中で殺意が湧くが、そんなことをしている場合ではないのでソッと殺意を押し戻す。
さすがに日が暮れるまでには戻ってくるだろう。
「ええ、何でしょう」
「これは本当に亜希ちゃんが美希を殺そうとしているのだろうか」
「?…と、言いますと?」
「亜希ちゃんがこんなことをするとは到底思えないんだ」
哲夫の言い方に違和感を覚えながらも、雛乃はべたべた札を貼りながら答える。
「うーん、実際に
「呪詛?」
「ああ、すみません。相手を呪うことを呪詛というのですが、私たちは危害を加えてくる呪いのかたまりをそう呼んでます」
「そうなのか…」
「仮にいま呪詛を出しているのが亜希さんじゃなかったとしても、哲夫さんも美希さんのご両親も、美希さんのことを怨んではいないのでしょう?」
「そうだな…」
哲夫はしばらく口に手を当てて考えあぐねいた後、ぽつりぽつりと話し出した。
「亜希ちゃんが死ぬきっかけを作ってしまったことを美希はずっと後悔している。この10年間は彼女にとっては地獄だったと思う」
美希は亜希のいない穴を埋めるように、必死に勉学に励み優秀な成績を残し、両親に孝行をし、本来の婚約者をなくした哲夫に尽くしてきた。
「あの時地震が起こらなければ、本当なら美希のしたことは10年後には笑い話になっているようなことだったんだ」
たったひとつの地震で美希は最愛の姉を失い、その責任を償うため身を削るような努力をしてきた。
いくらまわりが優しい言葉をかけても、美希は自分を決して甘やかさなかった。
その姿が痛々しくて、不憫で、哲夫はいつも不安だった。
「結婚が決まって、やっと彼女を幸せにしてあげられると思ったのに…」
「哲夫さん…」
「亜希ちゃんはそれでも自分が死ぬ一因となった美希が憎いのだろうか。それほど死ぬ怨みとは深いものなのだろうか」
雛乃は声をかけようとするが、なんと言っていいのかわからない。
なので、黒鉄に倣い、事実だけを述べることにした。
「美希さんはじわじわと生命力を吸い取られているみたいです。あともう一度襲われたら、助けられるかわかりません。黒鉄の申し上げた通り、今夜が山場だと思います」
「そうか…」
「大丈夫ですよ。必ず呪いは解きますから」
雛乃の言葉に、哲夫はほんの少しだけ安心したようだった。
それでも、心の中は不安でいっぱいに違いない。
「美希さん、お身体は大丈夫ですか?」
「雛乃さん」
雛乃が部屋に入ると、美希が布団から身体を起こした。
顔色はだいぶ悪い。
「すみません…本当ならもっと休んでいてほしいんですが、少し動いてもらわなければなりません」
「大丈夫よ。むしろありがとう」
呪詛はいつどこから現れるかわからない。
美希には囮となってもらわねば。
その場所まで移動しながら、雛乃は美希を気遣うように声をかけた。
「さっき哲夫さんとお話ししましたよ。素敵な婚約者様ですね」
「ええ…私には勿体ないぐらいの男性よ…」
「そんな。お似合いの、素晴らしいご夫婦になりますよ」
「…ありがとう…でも、私ではどう転んでもあの人と一緒になれるはずがなかったの。あの人は本当は、姉のことが好きだから…」
「へ!?い、いや、そんなことはないですよ!」
雛乃が慌てて否定するが、美希は悲しそうに笑っただけだった。
『亜希ちゃんがこんなことをするとは到底思えないんだ』
より強く否定しようとして、先ほどの哲夫の言葉がよぎり押し黙る。
「勘違いしないでね。哲夫さんはこんな私を、本当に大切にしてくれる。あんなに素晴らしい人を私は知らないわ」
そう言って微笑む美希は、顔色の悪さを感じられないほど頰を赤く染めている。
(美希さん、哲夫さんのこと本当に好きなんだな…)
ところが心を温める雛乃をよそに、すぐに美希は真顔になった。
「…ねえ、黒鉄様は亜希が見えるって仰ってたけど、あなたは見えるの?」
「私は、呪詛だけなら人より見えるかなって程度です」
「…だけと言うのは?」
「幽霊とか守護霊、人の魂なんかは見えませんし、呪詛も人に危害を加えられるほど力の強いものしか見えないですね」
呪詛は黒々とした
呪詛自体の力がもっと強くなればなにかの形に変化したり、美希のような一般の人の目にも見えるようになる。
「だから私は靄は見えたけど亜希さんの姿は見ていません」
「では黒鉄様が見た亜希は…」
「美希さんに取り憑いてた残留思念が見えたとかですかね。黒鉄さんはなんでも見えるみたいなんですけど、教えてくれないからわからないんですよ」
「それも大変ね」
日頃の不満からか、ぶすっと答える雛乃に美希が少し笑う。
「あの人はちょっと大変なぐらいがちょうどいいんですよ!いつも面倒なことは私にまわ、して…」
ぴたりと雛乃の表情が固まる。
体中に鳥肌が立つこの感じ。
(きた…!)
「雛乃!庭だ!」
黒鉄の言葉に外を見れば、心もとない光に照らされた真っ黒な庭が見える。
ぬるりとまとわりつくような、嫌な闇だ。
その庭の灯籠の上、月を背後に黒いかたまりが現れた。
昼間のそれとは違い、獣のような姿だ。
「あ、ああ…」
今度は美希の目にも見えるようだった。
その影がゆらりと立ち上がる。
〈美希ィイイイイイ!!!!〉
屋敷中の人間を凍りつかせるような鳴き声で、その獣が吠えた。
〈私はお前を許さない!!いまお前を殺シデッ!〉
ガツンと隣から衝撃を受け、呪詛が吹き飛んだ。
すぐに体勢を立て直した呪詛が睨むのは、銃身の長い銃をこちらに向ける黒鉄の姿。
そのまま黒鉄が引き金近くのレバーを引き、薬莢を捨て次の弾を装填する。
真鍮製の機関部がキラリと光った。
「来いよ。お前に俺は殺せるか?」
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