相原雛乃の呪解奇譚

エノコモモ

第1話 姉妹①


「開けてくれ!頼む!」


男がひとり、黒い西洋館の扉を殴るように叩いていた。

よほど急いで来たのか、寝間着に羽織を重ねただけの格好だが、素材や小物から裕福な身分であることが伺える。


「この店に用があるんだ!開けてくれ!」


珍しい西洋建築の家が建ち並ぶ街はとうに日が沈み、弱いガス灯の光だけが闇に浮かび上がっていた。

当然まっとうな店がのれんを掲げている時間ではない。

建物の1階には喫茶店が入っているが、そちらも営業時間外。

この時間に人様の店の玄関で騒ぐ等、ふだんの男からしたら考えられない行動だった。

それでも四の五の言っている場合ではないのだ。

男の脳裏に一瞬、目の前の扉を蹴破る選択肢がよぎったところで、ぐるんと取っ手が回った。


「はい!どうしました?」


ガチャリと開けられた扉のむこうを見て、男が驚き言葉に詰まる。


「遅くなってしまってごめんなさい。ご依頼ですか?」

「あ、ああ。婚約者が…」


するりと、男の後ろから人影が現れた。

顔こそ隠しているものの、服装や体型からして女性。

彼は自身の婚約者のためにここまで焦っていたのだ。


「わかりました。どうぞお入りください。黒鉄呪解事務所くろがねじゅかいじむしょへようこそ」


そのおどろおどろしい名には似合わない、可愛らしい和服の少女が2人を出迎えた。






「黒鉄呪解事務所の助手になります相原雛乃あいはらひなのと申します」


事務所の客間で、雛乃は客の2人に深々と頭を下げていた。


藤哲夫ふじてつおと申す。本日は夜更けに申し訳ない。こちらは婚約者の…」

林田美希はやしだみきでございます」

「お越しいただきありがとうございます。どうぞお座りください」


2人を革張りの長椅子に座らせ、来客用のお茶を入れる。

春とはいえまだ夜は肌寒い外から温かい部屋に移動して、哲夫と美希は少し落ち着いたようだった。

哲夫はがっしりとした頼り甲斐のある印象を受ける男性だ。

反面、美希は目以外を布で覆っているものの、着物から覗く白い首筋や華奢な手足から、か弱いひかえめな女性といったところか。

(黒鉄さんがいなくてよかった)

不在の店主を思い、雛乃がほっとため息をつく。

女好きなあの人は婚約者の前だろうが、女性を口説き始めそうだ。


「店主は今出払っておりますが、お急ぎなら私がお伺いします」

「あ…いや、君のような子供に話せるような内容ではないんだ」

「……私、18歳です…」

「えっ!?あっ、すまない、てっきり12、13ぐらいかと」

「いえ、慣れてますから…」


とは言いつつ、常日頃気にしていることを指摘されてこっそり涙を流す。

年齢は今年で18を迎えたものの、身長や顔はいっこうに成長する兆しを見せないことが、雛乃の悩みの種だ。

このやりとりを一体何度したことか。


「失礼ながら、私は今までこういった方面に疎く、呪術など眉唾ものだと思っていた…が、」


言い終える前に、哲夫が美希に目線を送る。

美希が静かに頷き、顔にかかる布を下ろした。

まずはじめに雛乃の目に飛び込んできたのは、眩しいぐらいに真っ白な美希の肌。

決して快活には見えないが、繊細な美しさがある。


「…とてもお綺麗な肌なのに、もったいないですね…」


美希の顔や首には痛々しいほどの痣が浮かび上がっていた。

よく見ればそれは人の指のような形をしており、不気味な雰囲気をまとっている。

その傷を心配そうに眺めながら、哲夫が話し始めた。


「1週間ほど前から、美希のまわりでおかしなことが起き始めたんだ」


親同士の約束により、哲夫と美希は幼少の頃から夫婦になることが決まっていた。

親が決めたことではあったものの、この結婚で美希の実家の事業は安泰。

周囲の者からも温かい祝福を受け、なにより哲夫と美希は仲が良く、そこに不都合な事など何もなかった。


「来月行われる神前結婚式の打ち合わせをしに、美希の家を訪れた時には姿を現した」


いつものように座敷に座り2人で会話をしている最中、いきなり美希が喉元を抑えて苦しみ出した。


『かっ…は…』

『美希!?どうした?苦しいのか!?』


初めは病気を疑いすぐに人を呼ぼうとした哲夫だったが、仰向けに倒れた美希を見て言葉を失う。

みるみるうちに喉元が鬱血し、呼吸ができないのか、口からはすきま風に似た音が聞こえてきた。

まるで目に見えない何者かが美希の首を締めているようだ。


『美希っ!美希!』

『はっ…ヒュ…』


哲夫がその見えない何かを外そうと試みるが、手は空気をつかむのみ。

美希の顔色はどんどん悪くなっていく。

(このままでは…!)

その時、哲夫が部屋の隅にあった盛り塩に気がついた。

とっさに皿ごと美希に投げつける。


〈ばちん〉


電気に近い音がして、それが離れた気配がした。

慌てて美希に駆け寄ると、哲夫の耳に深く暗い声が入ってきた。


〈美希…私はお前を許さない…〉


今まで一度も感じたことのない強い殺意と恨み。

哲夫はまるで背骨に直接氷水を流し込んだような、一瞬にして手足の先まで冷たくなる感覚に陥った。


「それから今まで部屋にひとつ置くだけだった盛り塩を四隅に置いたり、あちこちから札や数珠を取り寄せたりしたが…今日になって再びあれに襲われたんだ」


大切な式が控えていることもあり、この事実は未だ口の固い一部の使用人にだけ通達していてお互いの両親にさえ言ってはいない。

ただそれももう時間の問題で、襲撃が続けば美希の命もないだろう。


「そんな時にこの事務所のことを使用人から聞き、馳せ参じた次第だ」

「なるほど…わかりました」


美希の傷の具合を見ていた雛乃が哲夫に向き直る。


「その呪いは間違いなく美希さんを狙っているようですが、なにか心当たりはありますか?」


怨みというのは人の感情の一部だ。

当然使役する者がいなければ呪いは発生しないが、元を断たねば無くなることはない。

雛乃が心当たりを聞くことは必然ではあるのだが、哲夫は難しい顔をして言い澱んだ。


「…それが…」

「やだー!洋館なんてめっちゃハイカラじゃん」


真剣な雰囲気を壊す、明るく甲高い声が響いた。

客間からは見えないが、玄関を開けて廊下を歩く2人の男女の足音と声が聞こえる。


「だろ?俺の趣味だ」

「まこちゃんほんとにお金持ってるんだ〜」

「そうだぞそうだぞ。格好良いし金持ちだし俺と付き合えばいい事づくめだぞ」

「ヤダ〜」


そのままがたんがたんと奥に入って行く音が響く客間の雰囲気は最悪だ。


「……」

「…少し失礼してもよろしいですか?」


雛乃が冷や汗をかきながら静かに立ち上がり、そして客間を出て行った。

そのまま男女が消えた奥に進む音がする。


「ちょっと!黒鉄さん!」

「なんだ雛乃か。早く寝ろよ」

「今お客様がいらしてるんですよ!最悪です!最悪の間です!こっちに来てください!」

「俺はちょっと忙しいから後で」

「なにに忙しいんですか!」

「なにってなにを」

「いいから早く!服着てください!!」


どったんばったんと喧騒が続き、最後には再び玄関が開く音。


「あーん残念、まこちゃんまたね〜」

「また店に行くからな」

「早くしてください!」


扉が開いて、背広姿の男が現れた。

豪語するだけあって背が高くかなりの美形だが、素行に問題があることは明白。

(彼が店主なのか…)

哲夫と美希がこの事務所に来たことを後悔しながら立ち上がったあたりで、男がこちらに目線を配った。


黒鉄真くろがねまことだ。この度はどうも」

「あ、ああ…私は藤、」

「男の名に興味はねえ」

「ちょっと黒鉄さん!!」


あまりに失礼な態度に雛乃が大慌てで2人の間に割り込む。

(これだからもおおお)

怒りを通り越して唖然とする哲夫を無視し、黒鉄は美希に向き直った。


「時に美しいご婦人、アキという名前の子供に覚えはないか」

「え…?」


あまりに唐突な質問に、美希だけではなくその場にいた全員が固まった。

しかし、黒鉄は我関せずと先を続ける。


「そうだな、歳は11か12ぐらいか。貴女によく似ている。近親者か?」

「あ…ぁ…」


あまり動かなかった美希の表情がガラリと変わった瞬間だった。

目がこれ以上ないほど見開かれ、唇がぶるぶると震える。


「み、見えるのですか」

「美希!」


足元がふらつき倒れそうになる美希を哲夫が支えた。

支えられながら長椅子に腰掛け直し、落ち着きを取り戻すためか震える手でお茶を飲む。


「黒鉄様、雛乃様。どうか聞いてくださいますか」

「美人の話は喜んで」


美希は黒鉄の物言いに少し笑い、隣に座る婚約者と目を合わせ頷き合った。


「黒鉄様がご覧になったのは、おそらく私の姉でしょう」

「……」

「姉は10歳の時に亡くなったのです。だから子供の姿で見えるのかもしれません」


美希がまるで当時を思い出すかのように目を閉じる。

やがてゆっくりと目を開け、黒鉄と雛乃と目線を合わせた。


「私は姉を殺しました」







『私の妹に手を出すな!』


林田美希の最初の記憶は、自身の姉・亜希あきが近所の男の子たちから身を呈して庇ってくれたところから始まる。

3つしか年齢の変わらなかった亜希と美希だが、姉という性質がそうさせたのか、亜紀は非常に大人びた子供だったように思う。


『私はお姉ちゃんだから』


菓子や玩具をもらえば美希に必ず先に選ばせる。

当時わんぱくだった美希を面倒見るのは亜希の役目。

妹だけではなく周りの人間にも優しく、頭の回転が早く何でも器用にこなした。

それでいて美少女と評判だったのだから、美希にとって姉は理想をそのまま具現化したような人だった。


「姉のことを本当に尊敬していました。私の姉でいてくれることがどれだけ誇らしかったか」


ところが次第に、幼い美希の中で嫉妬心が頭をもたげるようになる。

もちろんあまりに幼い頃のことなので、当時は嫉妬という概念はなかったが、褒められる姉が羨ましくなることが多々あった。


「ちょうど姉が9歳、私が6歳になったころ、家族ぐるみでお付き合いをしていた哲夫さんとの婚約話が持ち上がりました」


親の事業の関係で、哲夫も頻繁に林田家に遊びにきており、亜希と美希とは旧知の間柄だった。


「実は最初、哲夫さんと婚約する予定だったのは姉の亜希なのです」


その話が出る前から、美希は哲夫のことが好きだった。

優しく頼れる哲夫は、どこか姉に似ていたから。


「良い頭も綺麗な外見も、素敵な婚約者もいる姉が羨ましくて、羨ましくて、ある時私は姉を家の蔵の探検に誘いました」


美希は好奇心が強く狭く暗いところでも平気な反面、亜希は少し怖がりだった。

蔵の宝探しなら唯一亜希に勝てるかもしれないと思いついた子供らしい単純な発想だった。


「止める姉を連れて、蔵の奥の方まで進んで行きました」


奥になにか光るものを発見し、目を輝かせて手を伸ばしたところで、地面が揺れた。

蔵の中で乱雑に積み上がっていた書物や箱がバタバタと降り注ぎ、そのうちの何かに当たって美希は気絶した。


『蔵の中は危ないから入っては駄目よ』


意識が消える直前、母親の忠告を思い出した。


「その日は少し大きめの地震があったんです。運悪く、私達が蔵にいるときに発生してしまい、蔵は潰れはしなかったものの中はもみくちゃだったと言います」


そうして目が覚めた美希の隣に、亜希はいなかった。

亜希がいた場所に腐食した柱が落ちてきたのだそうだ。

物が散乱した蔵では救助に時間がかかってしまったことも致命的だった。

亜希は10歳の若さで亡くなった。


「皆、事故だと言うのです…。仕方がなかったのだと。でも、私の愚かな嫉妬心がなければ姉は死なずに済んだ。これを私が殺したと言わなくて、なんと言うのですか」

「美希…」


苦しそうに喋る美希に、哲夫が声をかける。

それを振り払うように、甘えてはならないと自分に言い聞かせるように、美希は続けた。


「この痣は姉がつけたのです。私だけ幸せになるのはおかしいと、許さないと、そう言っているのではないでしょうか」

「……」

「美希さん…」


(そんなことはないと言ってあげたいけど、実際に呪いが起こってるんじゃなにも言えない…)

なんと言って良いのかわからず、雛乃が言葉に詰まる。

(私だけじゃない。普通の人間なら誰だって、)


「で、どうしたいんだ?」


普通ではない人間が隣にいた。

頭を抱える雛乃に対し、意表を突かれたのか美希が言葉に詰まった。


「私、は、」

「助けてください。美希を」


美希の言葉を遮るように哲夫が声を出す。


「あれが亜希ちゃんだとしたら、責任は美希だけにあるんじゃない。可能なことはなんでもする。どうか助けてほしい」

「……わかった。雛乃、今日は遅いから、とりあえず身隠しだけ持たせろ」

「はい」


立ち上がった雛乃が奥から取り出したのは小さな巾着。

触れば中に固いものの手応えを感じる。


「特殊な水晶と神札が入っています。神札には悪いものから見えなくなるようまじないがかけてありますから、首からかけて失くさないようにしてください」

「わかりました…」


美希が受け取り、胸元に仕舞う。

それと、先ほど傷を見せてもらう時に脱いでもらった羽織を渡した。

すると地味な灰色の羽織に、朱色の裏地が付いていることに気がつく。


「あれ?着ているときは見えませんでしたけど、裏地が鮮やかで洒落てますね」

「あ、ああ…これは幼い頃に両親から買ってもらった着物を、もったいないから自分で縫製しなおしたのよ」

「兎柄だ。縁起が良いですね」


赤い生地の中を白い兎が踊っている。

確かに良い大人が着るには少々派手だが、裏地にするには可愛らしくぴったりだ。


「じゃあ、そういうことでよろしくお願いします」


その間に黒鉄と哲夫が打ち合わせをし、また後日改めて美希の実家に向かうことが決まった。

哲夫が使用人のほとんどに暇を出し、美希の両親を旅行にでも行かせると言う。

2人は深く頭を下げて、事務所を出て行った。

暗い夜道を手提げの洋燈ランプひとつで寄り添いながら帰っていく後ろ姿を見ながら、雛乃がぽつりと呟いた。


「亜希さんは、どうして今更になって美希さんを襲ったんだろう…」


亜希が亡くなったのはもう10年以上前の話だ。

(自分が死ぬ原因になった美希さんが幸せそうだったから?)

けれど、雛乃から見た美希は過去に縛られ、幸福とは少し遠い場所にいるように見えた。


「うーん…」

「雛乃、小腹がすいたから何かつまむもの」

「へ!?自分で用意してくださいよ!だいたい今日も夜遅くに遊びに行っちゃって、私がいなかったらどうなってたことか」


傍若無人な主人に文句を言うため、雛乃が事務所の中に戻る。

その文句を適当に流しながら、黒鉄はちらりと外を見た。

ぼんやりとガス灯に照らされた街、その石畳の上に佇む紺色の着物を着た小さな人影。

この場では黒鉄の瞳にしか映らない、10年以上前に亡くなった亜希の姿だった。

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