第3話 姉妹③
「この中にいれば、呪詛は美希さんの姿が見えません」
呪詛をおびき出すことに成功した雛乃と美希は、家の中に避難していた。
円を描くように貼られた札の中央には美希。
哲夫や使用人はまとめて離れの家の少し大きめの結界の中に入っている。
「終わりましたらまた私が来ますので、それまでこの中にいてくださいね」
「え、ええ…」
美希の顔色が悪い。
(やっぱり哲夫さんと一緒の方が良かったんじゃ…)
本当は哲夫と2人で入れる結界を作ろうとしていたのだが、黒鉄に指示をされ美希ひとりに変更になったのだ。
もちろん哲夫は反対していたが、黒鉄が話をつけたようだった。
(うーん、いやらしいこと考えてないといいけど)
黒鉄の真意がわからず不気味だ。
雛乃が弓と矢筒を手に取った。
和弓だが一般的な大弓ではなく、携帯用の短弓。
「では私も行きます。何かあれば大声を出してください」
そう言って雛乃が部屋を後にする。
部屋の中でひとり残された美希は、畳に貼り付けられた札を凝視しながらカタカタと震えていた。
その目は赤く血走っている。
雛乃が庭先に向かうと、未だ黒鉄と呪詛が戦っているところだった。
呪詛は獣のような動きで襲ってくるが、黒鉄はそれをひらりとかわし弾を撃ち込む。
(相変わらず人間じゃない動き…)
褒めているのか貶しているのかわからないことを思いながら、雛乃はすこし距離をとって弓を構えた。
「私は人間だから、ある程度距離がないと無理っ!」
言い終える前に矢を射る。
矢が呪詛の足らしき場所に当たると、その瞬間その足が溶けた。
〈ギャアァアアア!!〉
「おいこの下手くそ!ちゃんと頭狙え!」
「そんなに早く動かれてたら無理ですってば!」
黒鉄と雛乃の喧嘩をよそに、呪詛が苦しそうにその場でうめき声をあげる。
そして天に向かって大きく吠えた。
〈美希ー!私がお前を殺してやる!!出てこい!!〉
「いくら呼んでも無駄です!あなたに美希さんは見えませ、」
雛乃が言い終わる前に、呪詛がぴくりと動く。
そして見る者をぞっとさせるような笑みを浮かべた。
〈そこかァ…〉
「なっ…!」
呪詛の輪郭がぼんやりとかすみ、まるで糸をほぐすように消えていく。
(どうして…!?)
美希のもとに向かったのだ。
「姉さん…」
部屋の隅に黒い霧のようなものが発生したのを見て、美希が剥がした札から手を離した。
〈美希…私はお前を許さない…〉
その霧から真っ黒な腕が2本、美希の喉元に伸びてくる。
美希はそれを受け入れるように、目を閉じた。
ゆっくりと押されるように、畳の上に倒れこむ。
じわじわと首を絞められていく感覚に、美希が涙を流した。
「あ、ああ…ねえ、さん…」
美希が伸ばした手が呪いに触れる。
思考が少しずつ闇に溶けていく。
(私…私はやっと…姉さんに謝ることができる)
「っ、美希さん!」
雛乃が美希の名を呼ぶが、応答がない。
開け放した部屋の奥、柱の向こう側に美希の首を絞める呪詛が見える。
(ここからうまく狙える…?)
背負っていた弓を下ろし、矢をかける。
〈ギャッ!!〉
「!?」
雛乃が矢を射る前に、何かの衝撃で呪いが弾け飛んだ。
〈おのれ…!おのれ…!〉
呪いは苦しそうにその場をぐるぐると回りだす。
その隙に雛乃が慌てて美希の元へ駆け寄った。
「今の声は…」
「ゲホッ」
美希が急激に元に戻った呼吸に咳き込み、喉を抑えて起き上がった。
まだ生きている自分の無事を確認して、誰に言うでもなくぽつりと呟く。
「私…私はまた…死に損なったのね…」
「……」
雛乃が安全だったはずの結界を見れば、一部が剥がされていた。
(そうか…!)
美希の言動の理由。
先ほど呪詛を弾いたものの正体。
今更になって呪いが出現したその原因。
カチリと、雛乃の中で話が繋がる音がした。
「美希さん」
呪詛を指差し、雛乃が美希に告げる。
「あれは、亜希さんじゃありません」
「…な、にを言っているの。あれは姉さんよ!姉さんが、私を恨んでいるの!だから私はっ、私は…!」
「だから殺されようとした、ですか?」
「っ…!」
違和感はあった。
幸せへの道を歩む最中自分の命が狙われているというのに、美希はあまり積極的に解決しようとはしていなかった。
むしろ哲夫の方がよほど美希を死なせまいと骨を折っていたように見える。
美希は亜希に殺されたかったのだ。
雛乃の渡したお守りも、あれも、美希がこっそり捨てたのだろう。
「私が全て奪ってしまった…!姉の命も人生も、幸せもっ…!その姉に死ねと言われたら、私は黙って殺されるしかない」
「美希さん、あなたに死ねと言っているのは、亜希さんじゃありません」
「なに、を」
「あなたのことを本当に一番恨んでいるのは誰ですか?他の誰が許しても、決してあなたを許さなかったのは誰でしょう」
その人物はあの事件からずっと、美希を憎んでいた。
優秀で誰からも愛された亜希がいなくなり、出来損ないの美希だけが残ってしまった。
それでもなんとか償おうと、亜希の代わりを美希は必死で努めようとした。
実家の事業を継ぎ、哲夫を婿養子にとる。
『僕の大切な人なんだ。よろしくお願いしますね』
哲夫が美希を連れて、親戚に会いに行った時のことだった。
何気なく哲夫と親戚が交わした言葉。
それを聞いた美希は、涙が出るほどうれしかった。
同時に、贖罪のはずの行為が、ただの自己満足にすぎなかったことを思い知らされた。
(ここにいたのは、本当なら私じゃなかった)
気がつけば、償うどころか亜希の経験するはずだった幸せを、すべて奪い自分のものにしていた。
それでもこの幸せを放棄することは、両親や婚約者を裏切ることと同義。
これ以上悲しませることなどできなかった。
美希はその間で板挟みになり、苦悩する。
(苦しい…)
これ以上、姉の幸せの上で生き続けるのは苦しい。
そのうち美希の自責の感情が、意志を持って動き出した。
〈美希、お前ができないのなら、私がお前を殺してやる〉
お前は死をもって、亜希を殺した代償を払うべきだ。
〈
部屋の隅で、黒いかたまりが絶叫する。
ずぶずぶと形を変え、それでもなお美希を狙っていることが見てとれる。
それを横目に見ながら、雛乃はゆっくり美希に問いかけた。
「美希さんを呪っているのは、美希さん本人です」
「だ、だったらなんだって言うの…苦しいのよ…両親も哲夫さんも、私を責めて、貶して、罵ってくれたらよかったのに…未だに、私を大切にしてくれるんだもの…」
楽になりたい。
亜希に殺されれば、罪悪感が少しだけでも消える気がした。
「美希さん、先ほど私、幽霊は見えないって話しましたよね」
雛乃がいきなり話題を変える。
それに驚き黙る美希に、雛乃はなおも続けた。
「私でも幽霊が見えたり声が聞こえる場合がふたつあります。ひとつは霊が私にみて欲しいと波長を合わせてきた時、もうひとつはその霊が強い感情を持った時」
そもそも、雛乃が呪詛を見ることができる理由は、人の感情が見えることにある。
もちろん普段人間が何を考えているかは雛乃にはわからない。
肉体という強力な目隠しがあるからだ。
けれど、霊体になれば人の内外の境界が曖昧になるらしく、その霊が強い感情を持てば、呪詛と同じように幽霊も見ることができるようになる。
「でも、幽霊が私が見えるほどの強い感情を持つことなんてめったにありません。それなのに、私はさっき、美希さんが襲われるとき、亜希さんを見ました」
「…私が殺されるのを、喜んでいた?」
「違います。美希さん、呪詛を追い払ってあなたを護ったのは、亜希さんです」
雛乃の一言に、美希の目が見開かれた。
確かに先ほど首を絞められている最中に、何かに守られたのは感じていた。
(でも、姉さんのはずがない!)
「そ、そんな馬鹿なっ!雛乃さん、あなたがやったんじゃないの?」
「私じゃありません」
「し、証拠は!亜希がいた証拠はあるの!?」
美希が叫びに近い声をあげる。
(そんなはずはない!)
亜希はこの私が憎いはずなのだ。
全てを奪い、その上でのうのうと暮らすこの私が。
「着物…」
ぴくりと美希の肩が動く。
「美希さんの羽織の裏地、ご両親に買ってもらったと話してくださった、あの兎柄の着物。あれ、姉妹お揃いなんでしょう?亜希さん、紺色に白の兎柄の着物を着てました」
美希はあれが揃いであったとは一度も言っていない。
この屋敷には亜希の写真がなく、紺色の着物は亜希と共に燃やしてしまった。
雛乃が着物のことを知る機会などなかった。
(嘘…嘘よ…!)
「亜希さん、私の妹に手を出すなと、そう言っていましたよ」
その言葉で思い出したのは幼少期の記憶。
近所の犬や子供にいじめられた時に、前に出て護ってくれた亜希の背中だった。
ずっと、そばにいてくれたのだろうか。
こんな私に、生きて良いと言ってくれているのだろうか。
「ねえ…さん…」
美希の見開かれた瞳から、ぽろりと涙が一雫落ちた。
「雛乃!」
「黒鉄さん!」
黒鉄が到着する。
呪詛を見れば、ふたまわりほど大きくなっていた。
雛乃が溶かした足も復活している。
呪詛がその巨大な口を開けた。
〈美希…ヮたし、はおマエヲ許サなィ…〉
「雛乃!来るぞ!」
「美希さん!あの呪詛を浄化しても、あなた自身が変わらなければ、またすぐに呪いは生まれてしまいます!」
「……許さないわ」
下を向いたまま、美希がぽつりと呟いた。
(私は私のことを、一生許さない)
いっときの醜い感情のために、愛する姉を奪った身勝手な私を、私は一生許せない。
(でも)
でも、亜希が許してくれるのなら。
幸せになってもよいのだと、背中を押してくれるのなら。
「…き、たい…」
口から漏れるように声が出た。
同時に次々と涙が出てくる。
亜希を死なせたあの時から、心の奥に鍵をかけて仕舞っていた感情だった。
「しあわせに、なりたい…」
大切な両親と。
ずっと好きだった婚約者と。
いつか生まれるかもしれない子供たちと。
亜希、あなたと。
「生きてっ…幸せになりたい!」
バキンと、硝子が割れるような音がした。
〈ミィイキィイイ!〉
同時に、力の供給源が断たれたせいか、呪いが耳をつんざく叫び声をあげる。
〈おまエダけ、はツれテいく!ツレていクぞおおおお〉
声の音量が一定ではなくなり正気を失ったような言葉を発しながら、呪詛のその目は美希だけを見据えて、四足歩行で突進してくる。
その美希の横を、矢筒から矢を取り出しながら雛乃が通った。
(雛乃さんの髪が…銀色に…)
雛乃の髪の色が、黒から銀色に変わっていく。
その色は美希が見た水晶の光に似ている。
異形の怪物を目の前にしながら、雛乃は落ち着いて矢をかけた弓を引く。
「この人は、もうあなたがいなくても大丈夫」
まっすぐに照準を合わせ、雛乃は微笑んだ。
「あなたに、永遠のやすらぎを」
放たれた矢が直線を描き、呪詛の眉間へと当たったと思った刹那、あたりが真っ白な光に包まれた。
そのどこか温かい光の中で、美希は亜希の声を聞いた気がした。
「美希!」
「哲夫さん」
光が晴れた時には、呪詛は消えていた。
美希の心を支配していた、自身を怨む感情も共に。
「どこもなんともないか!?怪我はしてないか!?」
「ええ…私は大丈夫です」
冷静な美希とは裏腹に、必死で心配をしてくる哲夫に思わず笑みがこぼれた。
それを見て、哲夫がホッと胸をなでおろし、そして美希を強く抱きしめた。
後ろから黒鉄の舌打ちをする音と、それを塞ごうとする雛乃の声が聞こえる。
「て、哲夫さん」
「美希…!よかった…本当に…!」
「…心配をかけてしまってごめんなさい。…あれは、姉さんではありませんでした。私だった。でも、もう大丈夫です」
その言葉に哲夫が美希を離し、涙目で彼女の瞳を見つめる。
そしてゆっくりと口を開いた。
「美希、君のことがずっと好きだった」
「え…」
「亜希ちゃんと婚約する前から、ずっとだ」
亜希のような華々しい活躍をしているわけではなかったが、天真爛漫で優しい美希に、哲夫は惹かれていた。
それでも決まったのは亜希との婚約。
諦めようと腹をくくっていた哲夫は、ある時亜希に声をかけられる。
『ねえ、哲ちゃん、美希のこと好きでしょう』
『!?いや、そんなことは、』
『誤魔化しても無駄だよ。見てればわかるもん。でも安心して、美希も哲ちゃんが好きなの』
『えっ!?』
『気づいてなかった?2人とも鈍いなあ』
そうくすくす笑う亜希は、次のように提案する。
「亜希ちゃんが次女の美希に家督を譲る。そうなれば私は美希と婚約できる…そう言っていたよ」
「そんな…」
「必ず上手くいくよう立ち回る。だから心配しなくて良い。私はお姉ちゃんだから…亜希ちゃんの言葉だ」
それを知っていた哲夫だから、亜希が美希を恨んでいるとは到底思えなかったのだ。
あれだけ美希のことを想っていた亜希が、呪詛に変わるはずはないと。
「私が何を言っても、君には逆効果な気がして…ずっと言えなかった。苦しかっただろう。私と、共に生きる選択肢を選んでくれてありがとう」
「はい…!」
そうして抱き合う2人を前に、雛乃はぐすんと鼻水をすすった。
お互いを想い合う男女の、なんとも美しい光景だ。
「美希さん…!よかったですね…あれ?黒鉄さん?」
感動の涙をぬぐった雛乃が黒鉄を探して振り向く。
すると、こちらの事情そっちのけで使用人の女性を一生懸命口説いている黒鉄の姿があった。
(この…感動的な場面で…!)
「黒鉄さんー!!」
雛乃の怒声が白ばみはじめた空に響く。
哲夫と美希が顔を見合わせ笑った。
大安の日の神社の境内。
花びらが舞い落ちる桜の樹の下で、雛乃と黒鉄は今か今かと花嫁の姿を待っていた。
今日は哲夫と美希の結婚式。
格好も、普段着ではなく礼装だ。
「美希さん、あれから呪詛は出なくなったから、無事に予定通り結婚式できるって、本当によかったですよね」
「そうだな」
隣にいる黒鉄に話しかければ、なんとも無愛想な返事が返ってきた。
(まあそれはいつものことなんだけど…ど!)
雛乃の瞳がジトッとした目に変わる。
「…で、いつから知ってたんですか?」
「…なんのことかわかりかねるな」
「とぼけないでくださいー!黒鉄さん、美希さんを呪っているのは本当は亜希さんじゃないって、すぐ気付いてたんでしょ!」
思えば黒鉄の対応は少しおかしかった。
『君は今夜殺されるぞ』
あの時、黒鉄がわざわざ美希を脅すようなことを言ったのは、美希があの呪詛とつながっていると気がついていたからしたことだろう。
専門家から言われてしまうことで美希はそうだと思い込み、それは無意識のうちに美希が作り出した呪詛へと伝えられた。
美希を襲いに来るのはわかりきっているのだから、あとは時間を指定できればいくらでも対策のしようがある。
「結界も、美希さんと哲夫さんを一緒にしなかったのは、美希さんが飛び出した時に哲夫さんが追いかけちゃうからでしょう」
「…何人も守るのはめんどくせーからな」
「…でも危なくないですか?美希さん襲われてたし」
「紺色の着物のガキが、一度ぐらいなら守るから大丈夫っつってたんだよ」
「えっ!?亜希さんのことですか!?一体いつからわかってたんですか!」
「……」
黒鉄が黙った。
(はあ〜これだからもう…)
雛乃が深い深いため息をつく。
一体何度苦労させられればいいのか。
「…黒鉄さんが見たって言ってた亜希さん、てっきり美希さんがうらめしくて取り憑いているものを見たのかと思ってましたけど、そうじゃなかったんですね」
「…事務所の前で待ってたんだよ。恨みとは逆の、心配そうな顔してこっちを見てた」
「あー!やっぱり最初からわかってたんだ!なら教えてくれればよかったのに!」
「知ってどうする?あの女、知ったところで納得しねえぞ」
「まあそれはそうでしたけど…私にぐらいは教えてくださいよ!」
「いや面倒だったから」
「はあー!?」
この人には何を言っても駄目だ。
雛乃がぶすっとした顔のまま、無理やり自分を納得させる。
その時ちょうど、歓声が上がった。
哲夫と美希が神職に導かれ現れたのだ。
当然、美希は美しい白無垢姿。
雛乃の不満など世界の果てに吹き飛んだ。
「美希さん幸せそうですね…とっても綺麗…」
「…ああ、そうだな…」
黒鉄の瞳に映るのは、哲夫と美希のとなりで、とても嬉しそうに結婚を祝福する幼い亜希の影。
大切な妹の幸せを温かく見守る、優しい姉の姿だった。
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