第4話 嘘①


しんしんと降り積もる雪の中。

まるで世界から音が消えてしまったのではないかと疑うような静寂の中に、1人の少女が壁を背に座っていた。

無造作に腰ほどまで伸びた髪の色は、雪と同じ白銀。

髪から少しだけ垣間見える顔や腕は極度にやせ細っており、歩けるような状態ではない。

このまま数時間放置するだけで、彼女は死ぬだろう。

彼女の前、少し距離を置いて、男が1人で立っていた。

左手では煙草を吸って、右手には銃。

ゆっくりと、口から煙と言葉を吐き出す。


「生きることは地獄だ」


ぴくりと少女が反応する。

その言葉をこの少女は、身を持って経験したに違いないけれど。


「この先お前は、耐え難いほどの絶望と悲しみに襲われるだろう…今までも、そうであったように」


男が少女に銃口を向けた。


「それでも、」






青々と輝く新緑の季節。

午後の暖かい日差しの下、事務所の呼び鈴がリンゴンと鳴り響いた。


「……えっ?あ!お客様!?」


中でのんびり刺繍をしていた雛乃が飛び上がる。

ここ最近、黒鉄呪解事務所では悲しいほどに閑古鳥が鳴いており、訪ねてくる人といえば郵便配達人か、牛乳屋のみ。

あの人たちは基本的に扉の前で大声で叫ぶので、呼び鈴があったことを今の今まで忘れていた。


「黒鉄さん!起きて!お客様です!」


大慌てで裁縫道具を片付け、新聞をかぶり机に足を乗せてグースカ寝ていた店主を起こす。

そのままどたばたと玄関に出て扉を開けた。


「く、黒鉄呪解事務所へようこそ…」

「だ、大丈夫ですか?」


息の上がった従業員を心配して、客が目を丸くした。







三國昭隆みくにあきたかと申します」


事務所の中でそう名乗った男性を見て、雛乃はその顔に釘付けになった。

とんでもない美青年だ。

長いまつげに栗色の髪の毛、物腰の柔らかそうな微笑み、華奢な肩幅。

目をチカチカさせながら彼を見つめる雛乃とは反対に、黒鉄は機嫌が悪そうだ。

寝癖を直そうともしない。

(む、無理やり起こした挙句に依頼人が男性だったから…)

背後からの殺気を感じながら、慌てて三國を座らせる。


「本日はどのようなご用件でいらっしゃいますか?」

「うーん…なんと言っていいものか…」


三國は少し考えた後、その形の良い唇を開けた。


「女性の幽霊につきまとわれていると言ったら信じてくれるかい?」

「女性の幽霊…ですか?」

「…自分で言うのも難なのだが、私は昔から女性に恋愛感情を持たれやすい性質たちでね」

「チッ」

「お顔立ちが整ってらっしゃいますから」


隣で舌打ちをする黒鉄は無視だ。


「相手の女性は小山悠里こやまゆうり。歳は20ほどで、女学校を卒業したあとは自宅で家事手伝いをしていると聞いた」

「ん?ずいぶんお詳しいですね」

「いや、実は彼女には生前からつきまとわれていてね…少しだけ交流もあったんだ」


三國は宝石商だ。

悠里の父親と取引をしに自宅を訪ねた時に出会ったのだが、その際に彼女は三國に恋心を抱いてしまったようだった。


「父親との取引が終わる頃に告白されたのだが、駆け出しの私では悠里とは釣り合わないし、当時お付き合いしている女性もいたからね。丁重にお断りしたんだ」


ところが、うら若き乙女の恋心はそんなことでは消火されなかったらしい。


「いつの間にか自宅まで調べて、四六時中私を追いかけてくるようになったよ。私の恋人にも嫌がらせをしてくるようになって、結局その恋人とは別れてしまった」

「た…大変ですね」

「ああ…出先に現れたり、窓を開ければ家の影からジッとこちらを見ていたり、郵便物を盗まれたりしたこともあった。それでも、若い女の子の一時的な行動だと目を瞑っていたんだ」


(三國さん優しいな…)

たしかに、美男に優しくされれば簡単に好きになってしまうかもしれない。

それが余計に相手の恋慕を募らせてしまうのだろう。

(ぜんっぜん優しくない男性は勘違いされなくていいですね)

隣に座って話を聞いているはずの黒鉄をジトッと睨む。

黒鉄はポケットに手を突っ込んだまま、天井を眺めている。

まともに聞いていないことがよくわかる。


「黒鉄ちゃん、雛乃ちゃん」


客間の扉からコンコンと音がした。

話の途中ではあるが、三國に謝り扉を開ける。


「マスター、いつもすみません」

「いいのよいいのよ。はいこれ」


立っていたのは1階の喫茶店の店主である大森正義おおもりまさよし

喫茶店が開いているときは、来客用に珈琲を入れてもらっている。

珈琲はうるさい黒鉄も褒めるほど非常に美味であるのだが、いかんせん言動に問題がある。


「と・こ・ろ・で、さっき入っていった素敵な殿方はだあれ?」


天井に頭がつきそうなほど身長の高い筋骨隆々の男性なのだが、どうも男性、特に若い美男子が好きらしい。

三國を一目見ようとその厚い胸板で雛乃を押し、部屋に入ろうとしてくる。

じゅるりとよだれをすする音が聞こえる。


「だ、だめですよ!お客様ですから!」


手助けを求めるため黒鉄を見れば、今日いちばんのいい笑顔をしていた。

もっとやれと言わんばかりだ。

(さ、最低!)

ごねる大森をなんとか追い出し、扉を閉める。

口惜しそうな鳴き声をあげるが無視だ無視。


「すみませんでした…本当に大変ですね」

「いえ…」


向き直れば三國は困ったように笑っている。

その笑い顔も美しいのだから困ったものだ。


「話の続きですが…」


雛乃が促すと、大森の持ってきた珈琲を一口飲み、三國が口を開けた。


「いま、町を騒がせている殺人鬼をご存知かな?」

「あ、20代の女性を中心に3人ほど無残な遺体が見つかった事件ですよね。確か犯人は特定されて指名手配もされてたみたいですが…」

「…悠里は、その殺人鬼に殺されたみたいなんだ」


予想外の話に雛乃が息を呑む。

三國は神妙な顔をしながら続けた。


「まだ若く将来もある彼女が殺されてしまったことは、とても心が痛む。でも、彼女が亡くなって少しほっとしている自分もいたよ。最低だけどね」

「しかたないですよ…」

「僕の悩み事もなくなるかと思っていたんだが…」


悠里の葬式に参列し家に戻った三國は、ずっとしめきりだった窓の障子を開けた。

この窓からあの家の影に悠里がいたなと思いなら同じ場所を見て、三國は全身が総毛立った。


「いたんだ…悠里が」


それだけではなかった。

悠里が生きていた頃と同じように、三國は行く先行く先で目線を感じるようになり、ある時は悠里の声も聞いたと言う。


「……」

「…大丈夫かな?」


雛乃が先程までむしろ距離を置いていた黒鉄にぴったりくっついている。

こういった話にはある程度耐性のある雛乃でも怖い。

すると、天井を見ていた黒鉄が始めて口を開いた。


「その殺人事件って、確か今朝指名手配されてた犯人の遺体が見つかったよな」

「そうです。沼で入水自殺をしたらしいですね」


その件なら雛乃も知っている。

若い女性を続けて殺したが、3人目の遺体を遺棄する際に警察に姿を見られ、指名手配された男がいた。

今朝の新聞で、逃げ場はないと確信した犯人が遺書を残して自殺したと読んだ。


「これだな」


黒鉄がモソモソとその新聞を取り出す。


「犯人の名は有馬修ありまおさむ…。ええ、この男に悠里は殺されました」

「連続殺人鬼、町はずれの冷泉にて入水自殺…かあ。街からはそう遠くないけど、山だったから見つからなかったんですね」


犯人の似顔絵が載っている。

お世辞にも優しそうとは言えない目つきの悪い顔立ちに、まるで土管のような体格の良さ。

左目は古傷でふさがっている。

雛乃がほっと胸をなでおろした。


「でもこれで少しは安心ですね。この事件のせいで私も安易にひとりきりで出掛けられなかったので…」

「ええ。狙われていたのは妙齢の女性とは言え、用心に越したことはないからね」

「…あの、私18歳です」

「えっ!?見えない!あっ…すまない…嘘は苦手で…」


いつものやりとりが始まり、雛乃が落ち込む。

三國の正直な感想と謝罪がますます悲しい。

ひとしきり雛乃に謝った後、三國は2人に問いかけた。


「それで、あの、引き受けていただけるでしょうか?」

「あ、もちろんで、」

「引き受けない」


雛乃の声を遮るように黒鉄の言葉が響く。


「えっ!?」

「引き受けねえって言ったんだ。帰れ」

「…わかりました。申し訳ありません」


黒鉄の取りつく島もない返答に、三國は荷物をまとめ頭を下げて出て行った。

残された雛乃は意味がわからない。


「そ、そんな!三國さんあんなに困ってたのに見捨てるんですか!?」

「……うるせえな。あんな変態野郎の依頼受けたかねえよ」

「なんてこと言うんですか!黒鉄さん!」


黒鉄が雛乃の言葉を無視して、また机に足をかけ寝る体勢に入る。

(なっ…!自分が三國さんのこと気に入らないからって…!)

雛乃の顔が怒りで真っ赤になった。


「黒鉄さんが動いてくれないのなら、私が個人的に依頼を引き受けます!それならいいですよね!」


言いたいことだけ投げかけて、黒鉄の返事を待たずに事務所を飛び出した。

(依頼者を見捨てない人だと思ってたのに!)

怒っているのだか悲しいのだか、複雑な気持ちだ。






街の中央にある日本家屋の警察分署。

屯所から名前が変わって久しいその施設の中では、巡査が走り回っている。

松尾慎太郎まつおしんたろうもその1人。

階級は巡査部長とほかの者よりも秀でてはいるものの、本人は自分は凡人であると認識している。

その理由は彼の上司にある。


「後藤副署長。頼まれていた資料を持ってきました」

「松尾か」


和室で机に向かっていた男が顔を上げる。

後藤幸成ごとうゆきなり副署長。

松尾の上司であり、この署の副責任者だ。

長い髪を高い位置でひとつに縛った、厳しく光る切れ長の瞳を持つ美丈夫である。


「昨日はお休みになれましたか?」

「いや…それどころではなかったよ」


後藤がかわいた笑いを浮かべる。

昨夜は世間を賑わす連続殺人犯の遺体が見つかり、後藤も松尾も一晩中その始末に追われていたところだ。


「これで一段落つくから、今晩は早めに上がるといい。あまり家に帰せなくて悪かったな」

「ありがとうございます」


松尾が深々と頭を下げる。

(本当にこの人には頭が上がらない)

喋り方に貫禄があるものの、実は後藤は松尾よりも8つほど年下だ。

後藤は22歳で副署長とかなり若いうちからの大出世となったわけだが、それには理由がある。

まず、この地域の警察本署は別にあり、この警察分署は規模が小さく署員は全体で100人にも満たない。

このあたりの犯罪発生率は非常に高く、本署だけでは対応が追いつかなくなったので分署が設立されたのである。

他の分署と違い、警部より下の階級の者のみが所属する実動部隊のような扱いになり、その性質上分署員は血気盛んな若者や武術に長けた者ほど採用された。

ところがいわゆる破落戸ごろつきのような者も多かった為、署内での揉め事は日常茶飯事。

退職者に殉職者、異動願いを出すが後を絶たず、警官の入れ替わりが早かった。

そうなると署内外共に問題が大発生する訳で、ここの署長に着任するのは左遷だの尻拭い係だのなんだの言われたものだ。

ところが、一年前に大津大心おおつだいしん警視が署長に着任したところ、兼ねてから分署で働いていた後藤巡査部長を副署長に任命。

かなり若い年齢での抜擢になりあちこちから批判も受けたが、後藤は着任してすぐ成果を出した。

あれだけ荒れていた警官達は従順になり、犯罪発生率も激減した。

後藤の勤務態度は非常に真面目で正義感も強い。

部下からの信頼も厚く、何より武術の才能があった。


「後藤副署長!電報です」

「私的な連絡か?」


部屋に連絡係の巡査が入ってくる。

後藤の問いに、電報を読み上げた。


「えーと、一般女性から明日午後2時に会いたいという連絡ですが」

「明日は誰とも会う約束はしていない。捨ててくれ」

「わかりました!」


若いうちに出世し、見目も良い後藤には嫁入り前の女性からこう言った連絡が時々来る。

ところが彼は一切の興味を示さず、全て断ってしまうのだから、まったくもって付け入る隙のない完璧な上司だ。

すると、ウンウンと頷く松尾の横を通って帰ろうとした連絡係が、電報を見ながらぽつりと独り言を呟いた。


「ヒナノって俺のばあちゃんと同じ名前だなあ」

「待て!!捨てたらお前を殺す!!」


この悪い癖さえなければ。

突然の上官の乱心に驚き呆然とする連絡係から、後藤は電報を光の速さでひったくる。


「……!」


内容を確認して、普段あまり表情を変えない後藤が傍目からでもわかるほど嬉しそうな顔になった。

(あの子か…)

後藤とは対照に、松尾がゲンナリする。


「松尾、明日の午後2時から少し出かけたい」

「仕事はどうなさるんです?」

「今夜も徹夜して終わらせよう。西洋通りの喫茶店にいるから、何か緊急の要件があれば呼んでくれ」


平然と答え、先程までの倍の速さで書類を片付けて行く。

そう、後藤は女性に興味がないわけではなく、すでに骨抜きにされた女性がいるのだ。

(完璧な…完璧な上官のはずだったんだ…)

松尾も決して、後藤に恋愛をするなと言いたいわけではない。

むしろ妻帯者になれば変な虫も寄ってはこないし、生活に彩りもでるので朴念仁な後藤にはぜひ恋人なり婚約者なりを作って欲しいところ。

しかしながら、松尾が最も頭を抱えている問題は、後藤が熱を向ける女性の年齢にあった。

幼すぎるのだ、彼女が。

そのヒナノという女性を見たことがあるが、その時見た彼女に松尾は驚いた。

(あ…あんな、10歳すぎほどの、年端もいかないいたいけな少女に、分署副署長が懸想しているなんて…!)

最初は、ただの親戚の子供であり後藤が孫を目に入れても痛くない祖父母のような感覚で可愛がっているのだと、無理やり自分を納得させようとしていた。

ところがその幻想を打ち砕くかのように、後藤には親戚がいなかった。

それどころか深夜誰もいない副署長室で愛の告白を練習し、偶然を装って会いに行こうとしたり、挙句の果てには恋煩いのため息をつく。

これが恋愛感情ではないのなら、一体何なのであろうか。

完璧な上官は、幼女趣味を持っていたのだ。

松尾は自身の5歳になる娘を絶対に後藤に会わせないことを決意した。

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