第6話 嘘③


「なっ…!?」


(有馬…だと…!?)

黒鉄の言葉に、後藤が慌てて三國を振り返る。

次の瞬間、三國は上着の下から拳銃を取り出し、倒れこむ雛乃の頭に当てた。


「貴様ッ…、」

「おっと、動かないでくれる?」


三國の苦悶の表情は跡形もなく消え、唇の端を吊り上げ笑っている。


「あーあ!本当は、嘘をつくのってけっこう得意だと思ってたんだけどなあ」

「……」

「ねえ黒鉄さん、アンタは最初から僕のことを疑ってたでしょう。どうしてわかったの??」

「…有馬修と思しき遺体が捨てられた場所は、あくまで名は泉だ」


黒鉄の言葉に、後藤が新聞の紙面を思い出す。

確かにあの場所は冷泉と書かれていた。

昔はこんこんと水が湧き出る泉だったらしいが、いつの間にか枯れ、雨水を溜め込むだけの沼となったことを確認している。

不便な山奥にあり滅多に人も寄らないことから、地元の人間でも枯れたことを知らず、泉という名前だけが残っていたのである。


「山泉と言われれば人は誰しも綺麗な場所を想像する。間違っても沼と表現する奴はいねえよ。…だが、俺の前であそこを沼と言った奴が3人いた」


1人はあの場所で遺体探しをした後藤。

1人はあの場所に偽の遺体を遺棄し、遺書まで準備した有馬修。


「最後の1人はお前だ。あんな山のさびれた泉、どうして沼と表現するほど汚れていることを知っている?…遺体が発見されて油断したことが仇となったな」

「…ふふっ、ふはは。ああ、そっかあ。よく気がついたねえ。で?どうして僕が有馬勝だと思ったの?」

「…有馬兄弟は双子で両方父親似。だが、父親が違うんだろう?」


現代では、異父過妊娠と言われる現象である。

一般的な原因は、ごく近い時点で行われた2人の男性との性交において、両方共受精してしまう奇異な出来事。


「修は戸籍上の父親に似ていたから、僕が母親に似ればよかったんだけどねえ…間夫そっくりなんだもの。それで父親は頭がおかしくなって、間夫を道連れに自殺したんだってさ」

「お前ら兄弟が村八分にされた原因もそれだな?」

「よくおわかりで。父親、見た目はひどかったけど、村の人からずいぶん慕われてたみたいだから、残された母親と僕らはずいぶんひどい扱いを受けたんだよね」


耐えられなくなった母親はすぐに自殺した。

たった2人で生活することになった兄弟の生活は地獄だった。

その日も、飢えをしのぐため弟の山に食べられるものを探しに行った。

泣きながら帰ってきた修の左目はなくなっていて、聞けば村の子供のいじめが度を越して、実質的な危害を加えられたのだそうだ。

ところが修が続けて言った一言に、兄弟の人生は一変する。


「修がね、怪我させちゃったんだよ。そのいじめてきた男の子を」


誤って傷つけてしまった少年の名は吾妻昭隆。

その村の村長の息子で、普段から執拗に兄弟を虐げてきた子供だった。

好奇心で修の目を枝でつつき失明させた時、修が反射的に彼を突き飛ばし、そのまま岩に頭を打ち付けた昭隆少年は気絶。

慌てた修は人目に触れないように、意識のない昭隆を家まで引っ張ってきた。

昭隆が目を覚ませば、すぐに村の大人たちにこの話は行き渡るだろう。

例えこちらが失明させられたとしても、そんな話が通じる相手ではないことは明白。

母も自害しこの村に自分たちの味方は誰もいない。


「修は泣いて謝ってきたよ。僕もね、ああ僕ら殺されちゃうのかなって思った。でもね、その時に、どうせ殺されるんだから、その前に散々僕らをいじめてくれた昭隆を殺したいなって思ったんだ」


修に体を抑えつけるように指示し、勝が昭隆の喉をゆっくりと締めていく。


「と、途中でね、昭隆の意識が戻って、目があったんだ。初めは怒りで、でも僕がやめないってわかると、だんだん恐怖に怯える顔になっていって、ああ〜あの時は、ほ、本当に良かった…」


絶命した昭隆の遺体を前にして、勝の頭にある考えがよぎった。

(この遺体が見つかれば、どうせ僕らは殺される。なら、先に殺しちゃえばいいんじゃない?)

その発想はとても刺激的で、背徳的で、魅力的だった。


「こ、殺したよ…。村人全員。相手は大の男もいたのにね、う、運がよかったんだよね。…でもさすがに、これ以上の殺人はできないってわかってた」


いつか外部の救援が来るだろう。

そうなればなんの力もない自分など、あっさり殺されてしまうに違いない。

(ここまでか…)

村人すべてを殺害し、膝をつく彼はふと悪魔のような考えを思いつく。


「勝を殺して、昭隆として生きるのもいいなと思ったんだ。幸いなことに、僕ら兄弟はほとんど外部の人間と会ったことがないし、記録上は双子だからソックリだと勘違いしてくれるんじゃないかって」


家の全てに火を点け、修と打ち合わせをし、昭隆の遺体を重点的に燃やすことで勝の死を偽装。

勝の考えは面白いほどに上手くいった。

外の人間は昭隆と名乗る勝の話を信じた。

やはり有馬兄弟が似ていない双子とは知られていない事実であり、まさか10歳ほどの子供が突拍子もない嘘を臆面もなく吐けるとは誰も思わなかった。


「修にはあの強さがあったし、僕にはこの顔があった。う、上手くやってきたさ。この街以外で、と、特に女を殺してきた」


勝が恍惚とした顔で空を見上げる。

まるで、子供のような純粋な表情。


「あ、愛なんていらない。どんな魅力的な女でも、死の瞬間ほど輝くものはない。修は頭が悪かったから、なんでも僕の言う通りにしてくれた。ぼ、僕らは最高の兄弟だったのに」


この街に来て、3人目の女性の遺体を遺棄しようとして、修が警察に見つかってしまった。

修の名前や顔が公表されてしまい、勝は考えた。


「なら、僕の時みたいに、死を偽装すれば良い。なるべく体格と年齢の近い、孤独な男を殺して身元がわからないように沼に捨てた。綺麗な水よりも汚い水のほうが腐食が早い気がして汚い沼を選んだけどさ、まさか泉だったとは思わなかったなあ」

「……」

「ゆ、悠理のことも、つきまとわれて煩かったから殺したのに、結局幽霊になって戻ってきやがった。こ、殺しの邪魔するからさ、退治してもらおうと思って。でもまさか、アンタみたいなのがいるとはね」


勝が悔しそうに、けれど口元は弧を描きながら黒鉄を見る。

雛乃に銃口を当てたまま、ゆっくりと立ち上がった。

後藤が額に青筋を浮かべる。


「貴様…!」

「ほんとはこの子みたいな子供は好みじゃないんだけどさ、す、すごくいい子なんだもん。真面目だし純粋だし、肌も白くて目も大きくて…たまに儚げでさ、いいよね。こ、殺したらすごく興奮するんだろうね」

「なっ…やめろ!」

「なら2人とも手を挙げて後ろに下がって。僕はまだまだ人を殺したい」


後藤が手を挙げ、慎重に後退して行く。

(どちらにしろあの男は雛乃を殺す…どうする気だ、黒鉄)

ちらりと黒鉄に視線を走らせると、手も挙げず静かに口を開いた。


「黙って殺されるほど、やわに育てた覚えはねえよ」


その瞬間、勝の拳銃の銃身が、ぐんと上に持ち上げられた。


「なっ!?」


予想外の方向から力がかかり、引き金にかけていた勝の指が嫌な音を立てる。

下を見れば、雛乃が起き上がり、銃身を握っている様子が確認できた。

だがどうも様子がおかしい。


「もっ、と…生きたかった…生きたかった生きたかったイキタカッタ」


ぶつぶつと呟く言葉は呪詛のそれ。

雛乃に見上げられて、勝は全身が総毛立つ感覚に襲われた。


「はっ、離せ!」


拳銃から手を離し、慌てて後ろに下がろうとするが、自分の足が動かない。


「ヒィッ…!」


見れば膝から下がない。

ズブズブと、真っ暗な地面に吸い込まれていくようだ。


「お、俺の足ッ…!痛い痛い痛い!」

「ねえ」


声が耳元で聞こえ、目だけをそちらに向けると、ゾッとするほど近くに雛乃の顔がある。

目のあったはずの場所が落ち窪み、真っ黒かふたつの穴がこちらを見ていた。


「…っ!」

「あなたが私たちを殺したんだから、私もあなたを殺してもいいよね?」


雛乃の口から出た言葉なのに、雛乃の声ではない。

この声は。


「お、お前…悠里っ…!?」

「悪りぃなあ」


思わず尻餅をつき、慌てて後ろに下がろうとするが、背中が何かにぶつかり阻まれる。

顔を上げれば、黒鉄が楽しそうにこちらを眺めていた。


「今でこそ、呪解なんて真似してるが…もともと俺は、呪いをかける専門なんだよ」


黒鉄の背後から真っ黒な腕が伸びてきて、勝に触れた瞬間、ずるりと溶けるように腕が落ちた。


「あああああ!!」

「お前がしたことはお前の一生をかけても償えねえよ。一生、呪われていろ」

「ヒィイ…ヒッ…」


(相変わらず、異様な術を使う…)

うずくまり狂ったように泣き出した勝を見ながら、後藤はため息をついた。

後藤に呪詛を見る才はない。

雛乃の様子が普通ではないことはわかったが、後藤の目にはずっと、五体満足の勝が1人で大慌てしているようにしか見えなかった。

(黒鉄は私の話を聞く前から奴を疑っていたらしいが、私と同じ話を聞いて、兄の生存まで考えが及ぶとは…一体あの男の頭の中身はどうなっているんだ…)

後藤が深くため息をつく。

黒鉄がいなければ、有馬兄弟は今後も殺人を続けただろうし、雛乃の身も危うかったかもしれない。

(先は長いな…)






自分の意識の底で、雛乃は知らない女性を見た。

真っ白な世界で膝を抱えて座っている。


「悠里さん…ですね?」

「あなたが雛乃か。身体を貸してくれてありがとう」


そう言って微笑む悠里は、印象よりもずっと、快活とした女性だった。

悠里に促され、となりに座る。


「悠里さんのこと、悪質な付きまといだと思ってしまってごめんなさい」

「いやいいさ。私も勘違いさせる真似をしてた。…なにせ、あんなに人を呪ったことは生まれて初めてだったからね」

「…三國さんが、悠里さんに彼女に嫌がらせされて破局したって言ってましたけど、あれも、被害者になる予定の人を助けたんですね」

「…奴のやり方は、都のことで知っていたからな。計画的な奴だよ」


悠里が苦笑するが、雛乃は下を向いてぎゅうと手を握った。

(私、忘れてた)

人はそう簡単に人を呪えない。

危うく、悠里のしたことを無駄にして、あの殺人鬼を野放しにしてしまうところだった。


「そんな顔をしないで。黒鉄…と言ったか。彼が私の代わりに奴に呪いをかけてくれた。雛乃、君が呪いから解放してくれた」

「……」

「君たちのおかげで、私も都もちゃんと天に昇れる。あのままだったら、奴と共に地獄まで落ちていただろう」


人を呪わば穴ふたつ。

例え幽霊になろうとも、相手の仕打ちがどれだけ酷かろうとも、その原則は残酷なほど変わらない。

人を陥れるのならば、何らかの犠牲を払わねばならない。

(でも、それでも、悠里さんは三國を呪うことを選んだ)

心半ばで死ぬことが、どれだけ悔しかったのだろうか。

それは彼女の生への執着の証し。

悠里がふと、雛乃の顔を覗き込んだ。


「でもね、私のような悪霊に身体を貸してしまうのはおすすめしないぞ」

「すみません…。でも、このままあの人を野放しにはできなかったし、なにより…あのまま殺されたくなかったのだと思います」

「そうか…わかるよ。…身体を借りているとき、人の体温が暖かくて、好きな匂いがしてね。鼓動も聞こえて。途中でね、返したくないなあなんて思ってしまったよ」


悠里が上を見上げる。

ふわりと、風が吹いた気がした。


「ああ…もっと生きていたかった。生きていたかったなあ…」


悠里が目を閉じ、きらきら光るかたまりになって、少しずつ消えていく。

その光が上へ上へと昇っていくのを、最後まで見送った雛乃は、誰に言うでもなくぽつりと呟いた。


「あなたに…永遠のやすらぎを…」


悠里の言葉で思い出したのは、雪の景色。

黒鉄と雛乃が初めて会った日。


「黒鉄さん…」

「……なんだ」


意識が浮上すると、明るくなり始めた空の下、雛乃を背負って歩く黒鉄の姿があった。

その背中は5年前から何も変わらない。


「…すみませんでした」

「……本当だ」


その物言いに少しだけ笑い、過去に思いを馳せた。

(ああ、そうだ私…)

例え絶望しかない世界でも、生きたくて生きたくて仕方がなかったから、あの手を握ったんだ。






後藤が副署長を務める警察分署。

松尾はそこで、感激をしていた。


「後藤副署長…!あなたって方はなんて…なんて素晴らしい警察官なんだ…!」


昨夜、二人の犯罪者が捕まった。

1人は指名手配犯だったが死んだとみなされていた男、1人は自身の死を偽装し恐ろしい殺人を実行していた男。

すでに捜査終了の方針が立ったにも関わらず、彼は一夜にしてその凶悪な兄弟を捕らえてきたのだ。

兄の方は体は健康そのものだが何かにひどく怯えており、弟は肋骨を折る重症だったが、彼の功績はそんなことよりも大きい。


「いや…非公式だが協力者がいたからなんとかなったようなものだ。私は後始末をしただけにすぎない」


それでありながらこの謙遜。

松尾は上司の人柄と有能さに打ち震え、昨日まで彼を疑っていた自分を恥じた。

(これだけ立派な方が、間違いなど犯すはずはないだろう)

ウンウン頷く松尾の横を、連絡係の巡査が通った。


「副署長ー!電報です」

「…ヒナノからならもう良い…また騙されてたまるか」

「!」


後藤の申し出に、松尾は再び感激する。

(副署長が幼女趣味を持っている等、私の気の所為だったに違いない)

この分なら是非娘を一度紹介し、見ていただきたいものだ。


「いえ、クロガネさんって方から、『ホウビ。ヒナノ、アスゴゴ2ジコウエン』だけですね」

「松尾、明日は少し出かける。ここを頼んだぞ」


後藤が机に肘をつきながら、これ以上ないぐらい真剣な面立ちで松尾を見た。

松尾の胃にキリッと絞られるような痛みが走る。

(あ…やっぱり娘紹介できないわ…)

明日は何を着ていこうかと頬を赤らめる後藤は、まさか明日公園にて彼を待つ人物が喫茶店の店主だとは思ってもいない。

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