第7話 勝負ですわっ!!①
「…よし」
透き通るような青い空。
遠くに大きな入道雲が見える。
せっかくの良い天気ではあるのだが、その日雛乃は固く閉ざされた室内に居た。
巫女装束の上から
「……」
古い木箱を慎重に開ければ、中からは木の櫛。
彫られた装飾は繊細な上、柔らかい色合いが温かい。
年代物のようだが、保存は良好で歯も欠けておらず、当時の美しさを保っている。
それを触ろうとしたその時、事務所の呼び鈴が鳴った。
「……」
事務所には黒鉄が居たはずだ。
(私はこのまま続きを)
再び神妙な面持ちで手を伸ばしかけると、呼び鈴がさらに音を重ねた。
「……」
(黒鉄さん…また私が目を離した隙に遊びに行ったな〜〜!)
ぶるぶると怒りに震えながら、箱をそっと閉じる。
「はーい!今行きます!」
「はい!黒鉄呪解事務所です!」
怒りのせいか扉を少し乱暴に開けると、目の前が一瞬光に包まれた。
「…へ?」
よく見れば20代後半ほどの女性がいたのだが、見慣れないその風貌に雛乃の思考が止まった。
太陽に照らされて木漏れ日のようにキラキラ光る金糸の髪。
黄色みのない真っ白な肌に、空色の大きな瞳は、一瞬、彼女が同じ人間ではないかのように錯覚させる。
(ああそうか、人種が違う、)
「貴女誰ですの!」
雛乃が納得しきる一歩手前で、その彼女によって遮られる。
前髪が短く切られており、気の強そうな眉がきりりと上がる。
「え?ええと、相原雛乃と申しま、」
「そんなことはどうでも良いんですの!黒鉄様と一体どういうご関係!?」
「…へ?」
ぽかんとする雛乃を置いて彼女は膝をつき天を仰ぐ。
「ああまさか黒鉄様。わたくしが居ない時に、女性の趣味が変わられたの?でもっ、さすがにこんな子供っ…まるで犯罪者じゃないっ…!」
「あ、あの…」
「しかも呪解事務所ってなんですの!あの方が呪いをかけることはあっても、わざわざ解くなんてそんな聖職者みたいな真似するはずありませんわ!」
その言葉に、彼女が探している人物が自分の知っている黒鉄で間違いないことを悟る。
聖職者とは反対の位置にいるような人でなしの黒鉄さんが他にもいるとは思えない。
「ええと、黒鉄はいまあそ…外出中でして。失礼ですが、お名前を教えて頂いても?」
「
「へっ?」
雛乃の口から変な声が出る。
この事務所は現在所長の黒鉄と助手の雛乃のみで構成されている。
今後黒鉄がどういった未来像を持っているか分からないが、とりあえずこの事務所の広さでは誰かが追加で入れる余裕はない。
たらりと冷や汗が出た。
(私、クビ…?)
「ん。この珈琲、美味しいですわね」
あのあと彼女をそのままにするわけにもいかず、事務所に招き入れた。
隅に例の櫛が置いてあるが、結界の中に入れたのでおそらく大丈夫であろう。
こんこんと説明して、黒鉄は現在呪解を専門に取り扱っていると信じてくれたようだった。
(黒鉄さんの助手希望ってことは、呪術に明るくないと無理だろうけど、こんなに綺麗で快活な人が本当に扱えるのかな?)
アメリアの向かいで、雛乃が珈琲に口をつけながら彼女を見る。
先程は焦ってしまったが、呪術や呪解は才能も大きく関係する。
アメリアが呪術を扱えなければ助手にはなれないだろう。
さすれば雛乃もクビを免れるという訳だ。
「あの櫛、依頼品ですの?」
「んぇっ」
アメリアが指差す方向を見れば、例の櫛。
「わ、わかるんですか」
「普通の櫛にはないものが見えますもの」
(んんんん、ちゃんと呪術の才能がある方だあああ)
雛乃がぶるぶるするのを横目に、アメリアは櫛に夢中だ。
その櫛は依頼品である。
素材も良く、装飾が凝っていて、今回骨董品屋が持ち込んできたものだった。
良い品だったのですぐに買い手はついたものの、女性の幽霊が出ると客に突き返されたのだそうだ。
「で、これは何をしているところ?」
「ええと、結界の中に櫛を入れて外側からゆっくり浄化する方法を取っています。結界が破れない程度に神通力を注いで、簡易的な神域を作るんです」
「ふうん。手間のかかるやり方ですの。わたくしなら…」
「雛乃ー!金庫から金出してくれ」
話を遮るようにガチャリと扉が開けられ、廊下から黒鉄が顔を出す。
「雛乃。金」
「えっ!今月遊ぶ分はもう渡したじゃないですか!まさかもう使い終わっちゃったん、」
「く、黒鉄様…!」
ガタンと椅子が倒れる音がする。
見れば口を両手で抑えて、瞳をキラキラさせながらアメリアが黒鉄に熱い視線を注いでいる。
「ずっとお会いしたかった…!」
「ん?お前は…」
「アメリアです!宮村アメリア。貴方の助手になりたくて、戻ってきたのです」
「おお、そうか」
「!?」
黒鉄の台詞に驚いたのは雛乃だ。
今度は雛乃が椅子から立ち上がる。
「く、黒鉄さん!助手を2人にするんですか?」
「ん〜。1人でいいよなあ」
「なら雛乃、あなたは助手を辞めて頂戴!」
「えっ、えー!それは嫌です!」
狼狽しながらもきちんと意思を伝えてくる雛乃に、アメリアが向き直る。
腰に左手を当てて、右手でびしりと櫛を指差した。
「いま聞いていて思いましたけど、ずいぶん効率の悪い呪解法ですわ。この櫛の中に入って、呪詛本体を直接退治するやり方もあるでしょう?」
「あ、あるにはありますけど…」
「ならこうしましょう!わたくしと貴女、どちらが先にこの呪いを解けるか、勝負しましょう!」
そう堂々と言い放つアメリアに、困惑を通り越して感動してしまう。
(な、なんて意志の強い人なんだ…)
ところがその感動も、アメリアの次の言葉に世界の果てに飛んでいく。
「勝った方が黒鉄様の助手ですわ!」
「えっ、じゃあ私が負けた場合は、く、クビってことですか…?」
「ええ」
気持ちの良いほどキッパリ言われ、救いを求め雛乃が黒鉄を見つめる。
「いいじゃねえか。俺の助手は強い方がいいからなあ」
(お、鬼だ!)
黒鉄はニヤニヤと笑みを浮かべ楽しそうだ。
「黒鉄様。わたくしが助手になったあかつきには、娯楽費を上乗せすることをお約束致しますわ」
「そりゃ楽しみだ」
(ど、どうしよう…)
仲良く話し始める黒鉄とアメリアの横で、雛乃が頭を抱える。
まさかこんなに突然、無職になるかもしれないなんて、思ってもみなかった。
「もおお」
うめき声をあげながら、雛乃が大通りをふらふら歩く。
夕飯の買い出しに来ているが、今の時間帯は同じ目的の主婦も多く、店の掛け声や客の喧騒で賑やかだ。
それとは反対に、雛乃の肩はガッツリ落ちている。
(黒鉄さんも黒鉄さんだよねえ)
「今まで散々一緒にやってきたって言うのに、急に手のひら返してきて…。だいたいあの人にお金に渡したら、娯楽に全部消えちゃうよ」
口から出るは、黒鉄の愚痴。
原因はアメリアなのだが、今は黒鉄の方が腹立たしい。
「無職やだなあ。うーん…」
「雛乃!」
突然名前を呼ばれ、振り向くと人ごみの中に見知った顔が。
「後藤さん」
「た、たまたま今日は早く上がれてな。ここのあたりでウロウロしていたら、君の姿が見えたから…」
必要以上に説明口調に喋るのは後藤幸成。
本日久しぶりに早く帰れたことは本当だが、雛乃の出没する地域を重点的に徘徊していたのは秘密だ。
何にも気付かない雛乃は、納得したのち深々と頭を下げた。
「そういえば、この前の事件の時はありがとうございました。私覚えてないんですけど、助けてくださったんですよね?」
「い、いやいや。わざわざお礼の品をもらってしまって…怪我の具合は大丈夫だろうか」
「おなかに痣ができちゃいましたけど、もう治りましたよ」
(あの男、もっと強く殴っておけばよかった)
後藤がそっと殺意を燃やす。
2ヶ月前に逮捕した有馬修は、すでに肋骨の骨を折る重症ではあったのだが。
雛乃を促し、並んで歩きながら話を振る。
「仕事の方は最近どうだろうか?あのひとでなしにこき使われてないか」
「それが聞いてください!私無職になるかもしれないんですよ!」
「えっ」
驚く後藤に、雛乃が事の顛末を話した。
「そ、そうか…それは大変だな」
「ええ。あそこ追い出されたら私引っ越さなきゃいけないし…うまく仕事見つかるといいなあ」
「う、うむ…」
(私にはうら若い女性の君が、血の繋がってなさそうなあの男と同じ屋根の下に暮らしていることが問題のように感じるが…)
雛乃と黒鉄はあの事務所の建物の中で暮らしている。
彼女は黒鉄の面倒もよく見ているようで、今日の夕飯も2人で食べる分を買いに来たのだろう。
(うーん…)
雛乃と出会った時から、彼女はそうして暮らしていた。
昔から気にはなっていたのだが、触れていいのかよくわからずそのままにしていた。
(私なら、そんなよくわからない曖昧な関係で君と暮らしはしないのに)
「ひ、雛乃」
「?はい」
「もしよければ、我が家に来ても良いのだぞ。もちろん正式な段階は踏む」
「へ…?あ、ありがとうございます」
その言葉を聞くと、後藤は別れの言葉を言って去っていった。
雛乃の位置からは見えなかったが、その顔は真っ赤である。
残された雛乃は、魚を買いながら首を傾げた。
(どういう意味だったんだろ…)
我が家と言えど、確かあの分署の署員は住み込みで働いていたはず。
つまりは分署に泊まれという事か。
さらにあそこで正式な段階を踏むとなると。
「さすがに拘置所や留置所に泊まるのは嫌だなあ…」
後藤の精一杯の交際の申し込みは、あっさり破却された。
翌日、黒鉄呪解事務所には3人の人間がいた。
所長の黒鉄に、助手生命をかけた雛乃とアメリア。
雛乃は巫女装束だが、アメリアは真っ黒な洋装だ。
「この中央に櫛を置けば術式は完成しますわ」
事務所の客間の床には怪しげな魔法陣が描かれており、椅子や机はわきに片付けられている。
アメリアが準備したものなのだが、雛乃はこの術式を知らない。
おそらく違う種類の呪術なのだろう。
「私の学んだ西洋呪術では、呪詛は世界を作れるという考え方がありますの」
櫛に呪詛が取り憑いているとは言え、物理的に櫛の中に入っているわけではない。
呪詛、特に力が強いものになれば、異次元に自分の世界を持っていると言われている。
作った本人以外は自由に出入りできない為、攻撃を受ければそこに逃げ込んだり、力を蓄えることに使っているようだ。
「その考え方はこちらの呪術にもありますね。私達は結界と呼んでいますが」
「ええ。貴女方が呪詛の作った結界を破るように、わたくしはその世界に穴を開けるとでも言えばいいかしらね」
今回、アメリアはその世界に無理矢理入ろうとしている訳だ。
櫛の入った箱を開けると、アメリアがそれを覗き込む。
「中身はともかく、見た目は綺麗な品物ですわね」
「いわゆるつげ櫛と呼ばれる櫛ですね」
「価値のあるものですの?」
「ええ。
この櫛は元々、古い武家屋敷で見つかったものだそうだ。
その家はすでに没落し、櫛もその際売りに出されたようなのだが、どうもはっきりしない。
(この櫛が家を潰した可能性もあるなあ)
呪いをかけられる理由は恨みを買っているからだ。
立派な家になるほど、例え呪詛に襲われようとも身内の恥と考え隠し通そうとしがちだ。
見て見ぬふりをしているうちに、呪詛にその立派な家ごと潰された可能性もあるだろう。
「呪詛の正体がはっきりしないから、外から慎重に浄化しようと思ったのに…まさかこんなことになるなんて」
「なにをぶつぶつ言ってますの!腹をくくりなさい!」
「はあい」
「では行きますわよ」
アメリアが櫛を円の中央に置く。
するとじわりと黒く粘着質な煙が発生し、それが丸く円を描いた。
「さ、この穴に飛び込みますわよ」
「えっ」
本来床がある場所に、ぽっかりと口を開けた真っ黒な円。
背筋が寒くなるような闇だ。
雛乃が尻込みをしていると、黒鉄がひょいとその穴に飛び込んで行った。
「く、黒鉄さん!?」
「あら。モタモタしているとわたくしが助手になりますわよ」
アメリアもすぐに続く。
雛乃は少し悩んだあと、意を決して目をつぶる。
「んー!」
地面を蹴って穴に入れば、どぷんと、まるで泥の中に飛び込んだような感覚がした。
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