黒猫の団子(くろねこのだんご)

さなげ

第1話



 ここはひどく狭いですね、神父さん。カバンの置き場もない。それに、夜の霧が骨に染みます。

いったい、どういうわけでこのような設計がなされたというのでしょう。人が己の罪を告白する場所というのは苦痛に満ちていなければいけないという暗黙の主張が、そうさせているのでしょうか。それとも、己の罪に向き合うために、孤独感をことさら想起させるような舞台設定が必要というわけですか。

どちらにせよ、今の僕にはあまり関係のない主張です。僕はあなたに罪の告白だけをしに来たわけではありませんから。


 では、何のために、こんな夜中にと思うでしょうか。

 その理由は、例えば、今あなたが僕の向かい側に座っている、そのこと自体に存在しているのです。あなたの善意と献身性自体に、その理由があるのです。

 今夜は誰も出歩かないような寒い夜です。告解に訪れたとは言え、常識的にも不躾な見知らぬ男一人のために、あなたは来た。

 それはなぜですか?

 聖職者の職務と言えば容易いでしょう。でも、自らの基本的人権や社会的常識に基づいた正義感を働かせるならば、僕の如きは少なくとも後日訪れるように説得されて然るべきはずです。でも、あなたは日々の疲れが溜まったような足音を立ててここに座り、黙って僕の言葉に耳を傾けている。

 それが不思議でたまらないのです。


 あなたは、人生において「自分の行動の方向を定めるもの」について考えたことがありますか?

それは、その人がその人生における様々な経験を通して築いてきた信念、論理、価値観といったものでしょうか。それがあるから、己の背中を預けられる、背筋をピンと伸ばしたままで自分の姿をはっきりと見る事ができる。僕はそれを「心の柱」と呼んでいます。

 しかし、いったい、柱の性質などというのはどのようにして決まるのでしょう。

 幼少期よりの人格形成の段階で、親や教師、その他周りの大人達は、善いことと悪いこと、社会規範と人生の方法論について子供に教え込みます。ある子供はそれを鵜呑みにして一欠片の疑いも持たずに大人になり、今度はそれらを子供に対して振るう側に回ります。ある子供は少なからぬ疑いを持ちながらも空気を読んで周りに迎合し、やがて疑いを持っていたことも忘れてしまいます。

 しかし、常識的価値観から完全に外れてしまった人間に対しては、周囲の説得も如何に無力かということは、数々の凶悪犯罪者達がどうして生まれてしまったのかということを考えれば明らかであるはずです。


 夜中にあなたを起こしてしまいながら身勝手な行為に付き合わせる非礼に関して、申し訳なく思っています。また、これから話すつもりのことが、告解室というこの場所の本義に反してしまうのも重々承知です。しかし、僕にはもう時間が無いのです。

 僕が神父さんにお伝えしようとしているのは、僕自身と、もう一人のある友人の話です。その話を聞いた後に、あなたなら僕と彼を救えたのか、いや、あなたなら今の僕を救えるのか、ということに少しでも考えを巡らしていただけたならば、きっと僕はここに来た意味を見つけることができるでしょう。


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 僕の住む町には猫が多かった。

 まだほんの小さな子供だった頃の記憶。母の手に連れられて小さな公園を訪れ、遊んでいた。

 遊具に夢中になり、ふと気がつくと、茂みの中に小さな生き物が蠢いているのに気がついた。茶色い瞳の白い子猫だった。怪我をしているようで、その場から動けないで弱々しく威嚇を繰り返していた。

 子供は無垢で残酷だ。抵抗する術がないと気がつくと、僕は新しいおもちゃに夢中になった。尻尾を掴み、振り回し、ボールのように高く放り上げて何度も地面に叩きつけた。

 そして、子猫は動かなくなった。


 そのとき初めて僕は罪というものを知り、無垢では居られなくなった。理由もなく他者を傷つける事がどれほど罪深く、また、どれほど凄まじい罪悪感をもたらすのかということ思い知った。

 そして同時に、心の片隅で何かが満たされたような充足感があった。奇妙なことだが、確かにその気持ちは存在した。


 あの日以来、今日まで僕はペットを飼いたいなどと思ったことは一度もない。

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