田月翔太と二宮家 2

「この間も校長と話合ったんだけどね~? 『休んでいいですよ、来られる時に来ればいい』なんてほざいてね? ふざけんな何度も言ってんでしょ行こうとした瞬間にハライタになってるの何であんたたちに欠席を許可されないといけないのよ親権持ってる私より偉いって思ってんじゃないでしょうね行く行かないはこっちで決めるわって言い返しそうになったわ~」

「……えーっと」


 ここまでワンブレス。聞いていた田月はたじたじになる。

 威圧的な大人は様々にいたが、ここまで迫力だけで押されることはあっただろうか。


「体調不良になった責任はとらないくせに、何で欠席の許可ができると思うのかしら? こっちは成人するまであるのよぉ。ちゃんと健康的に生活させるって責任が」

「……まあ、ソウデスネ」


 確かに今回は圧倒的に杏子が正しい。と、田月は判断する。だが、責任能力がない親がいるというのも現実ではありえることで、学校はそれを心配してるんじゃないだろうか。主に自分の親とか放任だし。

 ……そもそも、杏子のような親が珍しいと思うのは田月の偏見だろうか。


「でも喧嘩腰になるのはね……別に裁判沙汰にしてもいいし、あの録音データを添えてまーくんがスプリング・センテンスに投書したっていいんだけど」

「スプリングセンテンス」

「それで杏寧の体調が悪化する方が問題だから。それより、優遇措置を取ってもらうことにしてるの。卒業式の配慮とか、中学校の保健室の先生とのコンタクトとか……」


 謝罪を求めるより、要求をのませる方法をとったのか。

 建設的だと田月は思った。

 あと数か月で卒業できる。そうなれば、もう今後は一切関わりを持たなくて済むのなら、そうした方がいい。


 途中で切って、杏子は目を伏せた。


「……その流れで、提案してみたのよ。カメラつけて授業中継とか、動画を撮るとかできませんかーって。ものの見事に断られたけど」

「え、普通にできそうじゃないですか。何で?」

「見張られるのが嫌なんでしょ。まあ新しいモノを導入なんて、その分処置とかルールを決めないといけないから無理だろうとは思ったけど」


 親だって自分の子どもがバカやってないか確かめられるじゃない。先生に対しての同情票出ると思うんだけど。という杏子の意見をふーん、と聞き流しつつ、田月はでも、と返した。


「別に、いいんじゃないですか? 勉強しようってさせても、二宮は出来ないでしょう、今」


 そもそも好きで勉強するやつなんているだろうか、と田月は思う。義務教育だから無理やりさせられているだけで、どいつも勉強なんてしたくないんじゃないか。教師はそう考えるから、『来れる時で良い』と言ったのではないだろうか。

 うんまあ一日お腹痛くて、勉強するどころじゃないんだけど、と杏子は言った。


「私は、杏寧に、『受けることが出来ても行使しない』自由があると思うの。使う使わないを決めるのも権利でしょう?」

「……権利?」

「そうよ権利。大人は、子どもに勉強する権利を保証しないといけないの。それが義務」

 選ぶ自由があるのと、最初から選択肢がないのとじゃ全然違うじゃない? という杏子に、田月はあんぐりと口を開けた。


「……俺たちに、勉強する義務があるんじゃなくて?」

「ないわよぉ! ……あれ? まだ公民とか習ってない?」

「習ったかも、ですけど」


 うまく説明できるかわからなかった。それぐらい、ぼんやりと教えられたのだ。


「なんか『義務』って言葉で押されたから、俺たちの『義務』なのかなあって。権利って言う感じがしなくて……」


 伝えると、杏子はものすごく複雑な顔をした。だがそれ以上は掘り下げずに続ける。


「杏寧が学校を休んでようやく気付いたのよ。授業聴いて、黒板見て写して、とりあえずプリントこなせば大体のことは身につく。でも、学校に行けない子は、それさえ受けられない。耳で聴けない分、自分で勉強するしかない。

 ……学校に行かないと教育が受けられないなんて、義務教育ってなんだろうって思ってね。病気しがちの子とか、普通に学校に行ける子ばかりじゃないでしょうに」


 そう言いながら杏子は飲み干した缶を上から潰した。片手で。

 わー、握力すごーい。田月はただただ感動する。



「……っと、ごめんなさいね、おばさんの話ばっかりになっちゃって。杏寧の心配をして来てくれたのに」

「あ、いえ。全然」感動のあまり、どこか別の世界に行っていた田月は現実に戻る。

 ちらっと時計を見ると、デジタル時計はそろそろ十七時になるところだった。



「……あの、二宮が帰ってくるまで、ここにいていいですか?」

「え? ご飯食べないの?」杏子はキョトンと首をかしげる。その仕草は彼女の童顔も相まって、とても握力で缶を潰した人物とは思えない。

「今日はばあちゃんもいるんで。この後、外食に行く約束してるんです」

「あら、それは邪魔しちゃいけないわねぇ。杏寧は六時までには帰ってくると思うけど……」


 多分大丈夫です、と答えると、杏子は笑顔で、「杏寧も喜ぶわ」と返す。


「杏寧、あなたと光ちゃんのこと、楽しそうに喋るから。……ところで貰ったこの封筒、大分厚いけど。一週間にこんなに宿題出ちゃったの?」


 プリントよね? と、杏子はA3封筒を持って尋ねた。



「あ、いや……その……」

「?」

「宿題も、あるっちゃあるんですけど……なんというか担任、不登校の原因がその、教室でうまくやっていけてないからって思いこんでるみたいで……」



 ガサガサッと、中身から取り出されたそれは、A4サイズの紙を更に四つ切にしたカード。

 そこには、『早く教室に来てね』『杏寧ちゃんなら大丈夫!』『来なくて寂しいよ』……など。文字は粗かったり丸かったりと様々だが、文章は似たり寄ったりである。一枚のカードにつき、一人の署名付きだ。


 ……すうっと、息を吸い込む音が聴こえる。

 そして――家を壊すんじゃないかと思うぐらい、良い発声が響いた。




「思いっきり書かされたって感じのカードねっ⁉ あの先生何考えてるのかしら⁉」



 多分何も考えていない。が、正解だと思われる。









 田月はこの会話で、ふっと一年生の算数の授業のことを思い出していた。

『3-6はいくつか?』と尋ねられ、人より勉強していた田月は『-3』と答えたのだが、それは正解ではない、答えは0だ、と返された。

 その時期の授業以外で習うことは使えないことだと、押し付けられた瞬間だった。

 けれどどうだろう。義務教育はさも『子どもの義務』だと教えられたが、実際は違う。後でインターネットで調べてもみた。いくつかのサイトは、小学生でもわかりやすく書いていた。義務教育は『大人の義務』であり、親が就学の手続きをし、条件も整えている場合は『義務違反』にはならないと。

 それを知らないで、不利になった子どもはどれだけいるのだろう。『お前の義務なんだから行け』と親に言われた子どもは。杏子のような親に、『あなたの権利なのよ』と教えられなかった子どもは。――自分で調べたにも関わらず、『子どもが権利を語るな』と相手にされずに行かされた子どもは。

 答えは『0』と押し付けられたように、自分の身を守る知識や術を奪われた子は、どれほどいるんだろう。


 そんなことされたら、後はもう、常に他者の顔色窺って生活するしかないではないか。

 強制的にメッセージカードを書かされた生徒だって、バカバカしいと思ったはずだ。でも先生が言ったことだから、と従って。

 そういう世界に、教室はなっている。


 自分で知ろうとしない人間が悪いなんて、田月は思えなかった。

 自分の今まで知らなかった場所に、自分の欲しいものがある。その発想すら思いつかない奴に、自力で調べることは出来ない。

 

 だって。

 調べようとすることは、いつだって学校の成績には結びつかない。

 成績に反映されないものは全部無駄だ、となかったことにされる。


 自分にとって何が必要なのかは、教師の決めることではない。そんなこと、誰だってわかっているはずだろう。

 なのになぜか、全員が全員、同じ時期に同じことを、同じやり方で学んでいるのだ。

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