田月翔太と二宮家 1

 あの事件から一週間が過ぎた。――二宮が登校をやめて、一週間。

 その日、二宮は病院へ行っていた。正和が連れて行ったらしい。二宮がいないことを見計らった田月は、録音レコーダーを杏寧宛てのプリント物と一緒に杏子に渡した。杏子は苦笑いしながらそれらを受け取り、「入って」と誘う。

 冷房がよく効いた和室に通されると、アイスティーと茶菓子が振舞われた。

 そして向かい合って座る杏子は、何故か市販の缶の緑茶を飲んでいる。


「田月くんをあの場から外したのは、大人の悪いところ見せたくないとか、そーゆーのもあるけど。生きていく以上、教師とか親とか社会制度に反抗するのは、とても重要なことじゃない? でも、私たち大人がこう……子どもに言っちゃったりするのは、扇動っぽくてね?」


 でもまーくんが渡しちゃったのねえ、と杏子さんは笑った。

 その言い方が、なんとも杏子らしい。他者と自分に適切な距離を持とうとする。そう言うと冷たいように感じる人間もいるだろうが、田月には好ましく思えた。

 杏子は自分の考えに自信を持っていても、田月の想っていることや感じることを、上から押さえつけて修正しようとは考えないのだ。



「でも、その様子だと、コレは何かの足しになった?」

「はい。昨日、俺を殴った教師が家に来ました」



 祖母が退院したので、謝罪に来たのだろう。

 謝罪は一応田月に向けてのものだったが、明らかに保護者相手のパフォーマンスだった。



「録音聞いた後だったんで。校長とか担任と一緒で、こいつも俺を同等の人間だとは思ってないんだなーって思いながら聞き流しました」

「偉い。……でも、よかったの? 診断書あるんだし、警察に出すって手もあったわよ?」

「具体的な処分はわからないですけど、万が一卒業間際に三組の先生変わっちまったらちょっとかわいそうだと思って……と言うのは建前で、んなことしたら色んな奴に恨まれそうだなって」



 人気あるんですよあの先生。そう言いながら田月はアイスティーに口をつける。アイスティーが注がれた容器は白磁のコップだ。それについた水滴が、くびれた場所を辿りながら落ちていった。パキリ、と氷が割れる。



「……手品が出来るんですよ。授業の合間とかそれ見せたり、総合の時間にドッジボールとかしてるみたいで、それで人気あるみたいで」

「小手先でしか子供の興味を惹けないなんて、ただの無能だわ~☆」

「今日はやけに尖ってますね、杏子さん……」

「あらやだいけない」



 おほほ、と笑いながら杏子は茶菓子をつまんだ。「おほほ」なんて漫画でしか見たことのない台詞だが、それが何となく様になっている。

 ――そういやこの人、仕草とか姿勢とかかなり上品だよな、と田月は思った。格闘技は様々につまんでいると聞くし、実際技も見たことがある。明らかに上級者だ。一体この人何者なんだろう、と思いながら田月も茶菓子をつまむ。



「三組から見たら、一組のもめごとに巻き込まれた感じでしょ? 俺は別にいいんですけど、二宮のせいにされる可能性もあるなって。そうじゃなくても、二宮が自分のせいだって言いそうで」

「……そうね」



 ありがとう、と杏子が言うと、特にケガもしてないし、と田月は返した。



「前の教師の方がヤバかったです。人気のないところで何発か殴られたんですけど、一発殴って撃沈させたら俺の方が悪者にされました」

「うん、大人として、その話も詳しく聞いた方がいいかしら?」

「いやまあ、あれは俺が悪い部分もあったっていうか……」



 そいつに気に食わないこと言われたんで、腹いせにヅラ被ってること人前で指摘したんです、と言うと、中々刺激的ねぇ、と杏子は返した。



「でもそれに比べたらかなり公平だったし、平和なもんでしたから。あの節はありがとうございました」

「お礼なんていいのにぃ。既におばあ様から頂いちゃってるし」



 その茶菓子おばあ様からなの、と杏子は困ったように言った。

 てっきり放任してるかと思いきや、自分の知らないところで保護者をしていたらしい。現在反抗期が来ていることを自覚している田月は、なんとなく気まずくなる。

 話を変えようと思った田月は、今一番気になることを尋ねた。



「……二宮の具合、どうなんですか?」

「うーん……良くはないわね」


 やっぱり腹痛が酷いみたい、と杏子は言った。



「学校に説明できる名詞が欲しいじゃない。だから先生から、あ、お医者様の方ね。『過敏性胃腸炎ってことにしときまひょ』って言われたんだけど」

「ノリ軽いな」うっかり敬語がどこかへ行った。

「学校行かないこと決める前から、腹痛は酷かったんだけどね。前日の夜に行けそう、って思っても、朝になるともう一歩も出られなくなるみたいで……そういうこと繰り返していたら、杏寧、大分消耗しちゃって」



 二宮の性格を考えると、「学校行くと約束したのに、簡単に破ってしまう」と思ってしまったのだろう。……さほど長い付き合いでもないのに、その様子が田月の頭の中でありありと浮かぶ。



「きっかけ出来たし、もう行かせないことにしようって思ったのよ。でも、良好にはなってないわ。……なのに、あ、い、つ、ら♡」

「きょ、杏子さん? 持ってる缶メシャって言ってませんか? ……ってか、なんで缶で飲んでるんです?」

「川掃除で貰ったお茶なの。そろそろから飲まないと。あと私のもそろそろそうだから♡」



 うっかり怒りでコップ割っちゃったら危ないでしょー? と笑う杏子。

 ちなみに中身が入った缶を潰すには90㎏以上の握力が必要なのだが、……やっぱり杏子は只者ではないと田月は思った。

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