幕間 後に知らされ、彼は気づいた


「……んで、数年ぐらい経ってから当時のクラスメイトの母親に聞いたんだけど、担任は前年にも似たようなことをやらかしていたんだとよ」



 田月は最後の一口をすくって言った。

 詳しい事情は聴かされなかったが、結託した保護者と学校、両者の対立はそれなりに深刻化したとか。それを聞いた杏子が、『ああ、だからあんなこと言ってたんだー』と呟いたのを田月は思い出す。



「杏子さん曰く、初めての保護者会に、『子どもは自分の都合で物を喋るから、鵜呑みにして保護者間で盛り上がらないでください』『子どもに先生の悪口を言うのが一番教育に悪い』……みたいなことを言ってたんだってさ。俺を殴った教師が」

「ショータ殴った教師が!?」

「……それ、聞いている親たちも不愉快じゃないか?」

「うん、杏子さんも、台詞を詳しく覚えているわけじゃないらしいけど、やっぱ不愉快に思ってたらしい。何もなくてわざわざ教師のこと悪く言うかよって。教師は親も子供も信じちゃいないんだな、って。

 多分、二宮に謝らなくて、父親正和さんだけに謝ったのも、裁判沙汰を恐れたんじゃねえかなあ」



 自分たちの非を認めれば、もし訴訟が起きた場合不利になる。だが親の怒りを宥めさせることが出来たなら、そもそも訴訟などという面倒事は回避されるんじゃないか。そのためだったら土下座くらい、という気持ちだったのだろう。

 結局はそれも、担任が二宮にむけてやった泣き落としと一緒だ。過激な制裁をすることで、相手の同情を買うための方法。

 たった一言、真摯に「ごめんなさい」と言えば、二宮もここまで苦しむことはなかっただろうに。


 そう説明すると、シャルルの表情が、わかりやすいほど引きついていた。



「……ごめんショータ、『先生たちも大変』発言撤回するよ。いくら大変でも、面倒事は避けたい気持ちはわかっても、それはヤバイ!」

「シャルルの発言を訂正する速さと潔さは、奴らにも見習ってほしいわぁ」嫌いじゃないぜ、と田月はニヒルに笑う。


「そもそも、なんで担任は執拗に怒鳴り散らしていたと思う?」

「え?」シャルルが間抜けな声を出した。「……何で?」

「これも、卒業して一年ぐらい経ってから聞いた。

 校長と担任、かなり仲が悪かったんだってさ。……まあ、大抵の教師は、奴のこと嫌ってたんだけど」



 田月はそれを聞いて、だからか、と納得できた。

 常に担任は教室にいた。それは、職員室に居場所がないからだ。

 普通なら「授業妨害だ五月蠅い」と言いに来るだろうに、担任が教室だろうが廊下だろうが関係なく怒鳴り散らしても、他の教師は来なかった。それは、担任に関わりたくないからだ。


 なら、担任が生徒を怒鳴り散らし、執拗に責め立てた、本当の理由は何か。



「虐待と一緒だ。外のストレスを教室に持ち込んで、絶対に逆らわない存在にぶちまける。

 俺たちはちょーどいいサンドバッグだった。

 虐待する親が躾だと思い込むように、『指導』だと頭の中ですり替えたのさ、担任は」



 それを知って、田月は気づいた。

 全校生徒すべてが、既に大人に弱者だとレッテルを貼られている。親に教師のいたらぬ点を告げれば、教師からは「未熟な存在の癖に」と言われ、発言権を奪われる。活動する時間の半分を他の人間の目には触れぬよう隔離される。何が行われているかなんて第三者にはわからない。唯一の証言はそこにいる子どもだけ。けれど発言権はない。

 閉じ込められた状況で、この生徒はいい、あの生徒はダメと勝手に品定めされる。基準はこの狭い教室でしか通用しないのに、閉じ込められているからまるで世界の基準に思えてくる。この状況で、ストレスを抱えないわけがないだろう。

 教師が生徒で憂さ晴らしするぐらいだ、生徒間でいじめが起きたってまったく不思議じゃない。

 その教室にいるというだけで、誰もがいじめられる可能性があった。後は、運と確率だ。そこに「いじめられて当然」とレッテルを貼り、他人の欠点をそれらしく理由にし責めたてれば、大して物を考えない人は「その子が問題を抱えている(からいじめられて当然)」と結論付ける。

 そういう人間は「よく振ってお飲みください」と書かれたペットボトルの蓋を読んで、中身が緑茶ではなくコーラだった悲劇を味わえばいい。

 ――担任や学校が二宮に対してやったことも、いじめっ子のやっていることと同じだ。「指導が必要な悪い生徒だった」。それで十分なのだ。


 自分は弱者にはならない、と思っていた。

 結局、自分たちは搾取される人間として扱われていたのだ。弱者なんかならない、なんていう意識や努力では手が届かない場所で、勝手に価値づけられていた。



「元々校長ってのが、虚栄心強くて自己顕示欲強い人間だったんだよ。怒鳴り散らすし威張り散らすし無能だし保身ばっか。さっき話した部分でわかるだろうけど。何度も緊急保護者会議開かれたのに、仕事したのは教頭で、一度も校長来なかったらしいぜ?」

「ええー……それは……」

「しかも教頭卒業式終わってすぐに死んだから」

「は⁉」

「心臓発作だってさ。間違いなく過労死」


「労災下りたんかね、あの教頭」と田月は呟いた。


「これらのあれこれを、卒業して大分経ってから『今まで黙ってたんだけど』って前振りされて言われた時、ホント思ったね、『それはよ言え』」


 二宮家は、人の噂話や悪口に付き合う人間ではない。

 だが、問題が前年にも起きていたこと、校長と担任が対立していたこと、校長の言動や態度、これらの背景バックヤードを当時知っていれば、杏子と正和はまた別の手を打っていただろう。


 もっとも、二宮の体調がよくなるわけではないが。

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