幕間 彼女はその後、覚えていない

            ◆


 その後のことはあんまり覚えていないの、と二宮は言った。


「その後、私の声で駆け付けた別のクラスの先生が、田月くんを殴って……。でもそれに、男子たちが一斉に対抗して。光ちゃんが、呆然としてる先生から私を引き離して、ずっと抱きしめてくれて……。親呼び出されて、それぞれ事情聴取されて……その後、学校に行かないことにして……」


 いつの間にか、涙が溢れていた。嗚咽で声も震える。

 テッシュ、と茅野がポケットテッシュを渡した。ありがとう、と二宮は受け取った。


「……怒りが収まって、ようやく自分がなにをしたのか気づいたの。自分の行動で、友達に迷惑かけるのわかっていたのに、私のせいで、田月くんが殴られて、お、怒られて……!」

「ち、ちがうちがう! 悪いの間違いなく先生だよそれ!」

「そーそー。教育者のくせして殴る怒鳴るしかできない奴が能無しなだけー。アネさんなーんも悪くないー」


「でも私……あの時の私は、自分のことしか考えてなかった……」


 涙をボロボロ零しながら、二宮は言った。


「私、すごく興奮していた。ここで私が全部壊してもいいって思った。クラスメイトがどんなふうに思ってもいいって。正しいのは私で、だから、何を言ってもいいって……」


 不登校になって、しばらくして。

 カウンセリングを受けた時、自分がその時その時どんな感情を抱いていたか、分析してみろと言われて、紙に書きだした。

 その時、自分がどんな感情を抱いていたか、振り返ってぞっとした。


 破壊衝動。優越感。支配欲。


 自分の中には、興奮して、押さえつけられない狂気がある。

 怒鳴り散らし、攻撃してくる担任が恐ろしいと思った。でもそれは、自分にも眠ってる。

 きっと無邪気な子供が、笑いながらアリを握りつぶすのと同じ。


 興奮して、善悪の基準が酷く薄くなる時がある。


「もし、私が先生の立場だったら……同じことしてたかもって」

「……後悔してるー? 反論したことにー」


 茅野の穏やかな声が、良く通った。

 してない、と二宮は返す。


「……前は、自信なかった。何度も何度もフラッシュバックして、本当にあれでよかったのかな、私は、『自分が間違ってる』って思いたくなくてやったのかなって、学校に行けないのは先生のせいじゃなくて、私が弱いからなのかなって。今は、正しいことを言ったって思うけど……多分、やり方を間違えている。あんな風に、皆の前で、先生を激しく批判するっていうのは」

「アネさん、それはちょっと無理ゲーだよー」


 言い募る二宮を、茅野は油のついた手で制した。

 そもそも教師と生徒の関係が歪なんだよー、と茅野は言った。


「あっちが勝手に、『はい、私が正しいんです。あなたたちは間違うから私が正します。おとなしく従わないと、道を外しますよ』って言ってきてるんだからー。孔子とか見なよー。弟子が探しに来て教えを乞うてるじゃん」


 弾けるように、二宮は顔を上げた。

 茅野は微笑みながら続けた。


「学校の教師はねー、孔子と違って、自分に自信ないんだよー。だから、生徒に対して、絶対的に正しい、なんて言い張って押さえつけないとやってられないんだよー。つまり私たちは教師から信頼されてないー。信頼されてないのに、信頼できるかって話ー。私たちはー、教師を見限る権利があるー。漢文古文をべんきょーする理由はー、そのためなんだよー」

「……あんた珍しく勉強の話するね、チエミ」

「私だってー、たまーに、勤勉になりたい時がある――。ついでに知識ひけらかすと、ヘッセだって言ってたよー、『生まれようとするものは、一つの世界を破壊せねばならぬ※1』ってー。――まあだから、多少過激でもいいさー。私はそこまでアネさんのやったことー、過激だとは思わないけどー。むしろ『いいぞもっとやれ』、だけどー」


 アネさんのことだからー、意見を言う時は、ルールを守らなきゃって思ったんだろうけどー。理性的な話し合いなんて無理だよー。



「相手はそうやってー、子どもを敵視してる、なんだからー。同じ土俵にはいないよー。何時だってあっちが上にいるー。だから丁寧な言葉を使って、丁寧に話し合うギリはないよー」


 自分の行動に責任持つことは大事だけどね、と言った茅野は、湿気たフライドポテトを口にした。


「……あんた一人で食べたね? ポテト」

「だって湿気るじゃん」


 咎める緑川、悪びれない茅野。

 茅野の言葉で、涙が引っ込んだ。そしていつも通りの二人を見て、波立った二宮の心が穏やかになっていく。


 昔は過去の話をして、感情が制御できなくて、すぐには涙が止まらなかったのに。

 それで随分、他人から心配されたり、煙たがれたのに。

 泣いても取り乱さず、穏やかでいてくれる優しい友人のおかげか。それとも、少しぐらいは成長したということだろうか。


「あ……、じゃあ私頼むよ。他に何か欲しいものある?」


 その前に顔洗ってきたら、と言う茅野に、そうする、と二宮は苦笑いした。



※1 『デミアン』(ヘルマンヘッセ、訳:高橋健二、新潮文庫、昭和26年)より一部引用。

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