6年生の頃の話

『6-1、24番。二宮杏寧。まだ学校に通ってる』

 記憶はいつもぐちゃぐちゃだ。ちっとも順番どおりに思い出せやしない。

 私は何をされたらいやだった? どんなことをされた?

 具体的なことは、思い出せない。

 ただ抽象的に、『怖い』、『苦しい』、『悲しい』という感情が頭の中で暴れて、考えるのが怖くなって、そして明日もそれが起きるんじゃないかと思うと、明日なんてこないでと思って、眠れなくなる。

 その癖、現実で見るものと関連付けるようにして、嫌な思い出は、まるで洪水が襲ってきたかのように思い出す。

 だから私が最初に思い出せるのは、給食の時間。

 食べることは、毎日だから。








「どうしてさっさと食べないの!!」



 教壇が割れてしまうんじゃないかと思うぐらい叩きつけられた。ビクリ、とクラスにいた子たちの何人かが肩を震わせる。私もその中の一人だった。



「私がいなくても準備できるでしょう⁉ なんでさっさと食べないの!!」



 ざわざわと教室が騒ぐ。



「……先生、この間先生抜きで食べ始めたら、『なんで先生を待たないの!!』って、怒ったよな?」

「うん、怒った」

「この間と言ってること、違うよね……?」



 そうだよね。

 何時も教室で食べる先生が、何故か給食の時間にいなくなって、私たちはどうしようと悩んだ。だって給食の時間は、20分しかないから。早く食べないと、昼休みになっちゃうから、私たちは先生抜きで食べた。……そして怒られた。


『どうして先生を待とうとしないの!! それぐらいの気ぐらい遣いなさいよ!!』


 だから、今日も先生が急にいなくなったから、待っていたのに。残り10分を切ったところで、先生は帰ってきた。

 先生が怒っていると、私たちは箸を止めざるを得ない。真面目に聞いていないといって、また怒られるから。こうして私たちの給食時間は過ぎていく。



 バン!! と、また強い音。

 先生が今度は黒板を叩いた。ざわついた教室は黙った。



「何か言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなの!!」


 私は手を挙げて立ち上がった。


「先生、先生この間、『先に食べていて』とおっしゃったじゃないですか」


 声が震えた。

 先生に対して何か言うことが、怖くないわけじゃなかった。

 だけど、「これは間違っている」と思うと、私は後先考えずに突っ込んだ。


 先生はギロリと睨みつけた。少しの間があった。

 そして、ゆっくりと息を吸い込んで、


「言い訳しない!! 二宮さんは後で先生のところに来るようにっ!!」



 ……さっきの怒鳴り声がまだいいと思えるぐらい、さっきの声の三倍ぐらいの声が返ってきた。

 ばかじゃねーの、という男子の声が聴こえた。

 ……私も、そう思う。



 結局、給食の時間が終わったのは、昼休みを過ぎて十分すぎた頃。他のクラスはとっくに校庭で遊んでいる。

 その間先生は、「全部食べ終えなかったら連帯責任だからね」と言い、「まだ食べられるでしょう?」と特定のクラスメイトに発破をかける。スープのタンク、おかずの入ったステンレス容器、休んだ子の牛乳とパン。余ったものは全部、クラスの皆で食べきらなければならない。そうしなきゃ、給食は終わらない。

 もちろん、残すのはダメ。量が多かったら食べる前に自分でタンクや容器に戻していいけれど、嫌いだからという理由は何時までも怒鳴られる。下手をすると授業の時間まで持ち越し。

 怒鳴られると、緊張して美味しくない。これから怒鳴られることを考えると、さらに美味しくない。

 ようやく全員が食べ終わった。そして片付け。「片付けるのが遅い!」と怒鳴られる。でもようやく皆外に出られるから、安心している。


 ……うん、皆はね。

 私は、これから叱られる。





 廊下に立たされ、6-1の前を通る人が私を見る。やれ言い訳するな、目立ちたがり屋なのやめろ、私に恥をかかせる気か。あなたはそう言うところが悪いのよ、と言われた時、涙が落ちた。私は泣き出す。

 すると先生は、さっきまで怒鳴っていたのが嘘のようにやさしくなった。


「あのね、私は二宮さんのために言っているの。これぐらいの注意で泣いて、社会でどうするの? 甘えるんじゃないわよ」


 それでも泣き止まない私に、先生は強い口調で言った。


「泣くな! 泣くなんて人間じゃない!!」









 昼休みが終わると、掃除の時間。

 教室は、先生が常に監視している。廊下もセットで。それで、「どうしてここ拭いていないの!」「まだここ掃いてないわよ!」「言われる前にしなさいよ!」と怒鳴られる。

 最後の台詞は、授業が終わった後も聞く。「黒板消すぐらい、言われる前にしなさいよ!」って。それは日直の仕事だけど、私は怖いからいつもやっている。したら褒められる。それはちょっと嬉しい。




 月曜の五時間目は憂鬱。

 ただでさえ、一番解放された昼休みが終わってしまうというのに、この時間は一等苦しい。

 一学期の最初に貰った時間割のプリントには、月曜の5時間目は『図工』になっていた。けれど先生が、「たまに『音楽』に変更するから、連絡帳で確認してね」と言われた。

 今日の連絡帳は、『音楽』になっていた。なのに。



「どうしてこんなにも図工の教科書を忘れてるの!!」



 先生の中では、『図工』だったらしい。

 こういうことは、よくある。逆に『図工』だと聞いていたのに、いざ五時間目になったら音楽だったとか。その時はもっと最悪だ。先生は音楽の先生でもあるから、その時に忘れると怒り倍増になる。おまけに図工と違って、リコーダーも持ってこないといけない。忘れ物が二つになるのだ。さらに倍増。

 ならいっそ置き勉すればいいんじゃないかと思われるけれど、帰りの時間、先生の指示で引き出しを机の上に上げないといけないから、バレてしまう。だから私は、常に二つの教科書を持ってくる。リコーダーも。でも、いくら家が学校に近いからって、ランドセルが重いと大変だ。

 さて、忘れた人を立たせて怒鳴り散らし終えたら、もう十分も経っていた。授業は四十五分だから、あと三十五分しかない。でもきっと、十分休みを削ってまで授業をやるんだろう。

 その後が大変。短い休み時間にトイレに行って、次の授業の準備をしないといけないわけだけど、それは全部授業開始五分前に済ませないといけない。「チャイムが鳴ってから準備してどうするの!」と怒鳴られるからである。


 こんな感じで、ようやく一日の授業が終わって、帰りの時間。

 先生は今日の反省を日直に述べさせ、そして遅刻が多い、宿題の提出が揃ってない、忘れ物が多い、と私たちに言わせる。先生が話している間、ひそひそ喋っている人がいたらそれについて怒鳴る。そしてようやく終わる。帰りの時間は十五分だけど、私たちはその倍の三十分。教室は三クラスあるけれど、その中で私たち6-1が一番遅い。









 家に帰って、宿題済ませて、お母さんの手伝いして、ご飯食べて、お風呂掃除して、お風呂して、九時には寝る。

 小学六年生にしては早いかもしれないけど、遅刻したら怒られる。でも、早く来れば来るほど、先生は褒める。

 坂田君なんか、七時十五分には教室に着いたって先生が褒めた。小学校の開門時間だ。すごいと思うけど、大丈夫かしら。坂田君、私の家より遠いのに。何時間寝てるのかな。


 また明日も怒られないように、忘れ物のチェックをして、布団に入る。

 でも、またなんか言って、明日も怒られるかもしれない。

 こんな生活、六年生が終わるまで、ずっと続くんだろうな。


 私はついうっかり、口を出してしまう。

 こういう人間だから、中学生になっても、怒鳴られるのかな。

 そう思いながら、眠りについた。

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