そして二人は語る 終

                ◆


 ツーツー。

 電話が切れた音が空しく響く。


「……久しぶりだなー、情緒不安定な二宮」

 中学時代は割りと多発していたが、最近じゃめっきり減っていた。そして、爆発した後は必ず落ち込む。躁と鬱は常にセットで起きるのだ。

 何度も見てきたことなので、大丈夫かなと一瞬心配したが、どうしようもないか、と考え直した。


 二宮が決めたことを、田月が変えることは出来ない。例えそれで二宮が傷つくことがわかっても、田月が止めることは出来ない。






 席に戻ると、席を立った前より深刻な顔を浮かべたシャルルと佐藤がいた。シャルルは泣きつかれたというより、生気を絶たれたような絶望的な顔をしている。



「……どうした?」

「いや、こっちが聞きたいんだけど……」



 尋ねると質問で返された。思いっきり怪訝な顔をすると、佐藤は意を決したように口を開いた。



「さっき、お父さんが浮気して離婚したって言ったから……」

「言ったな? それが?」



 更に佐藤の顔色が悪くなった。「なんで田月はそうポンポン爆弾発言するんだよぉ……」と、言った声が痛々しい。



「というかこれ、掘り下げていいのか?」

「? 何でそんなこと聞くんだ」

「さっき席を立ったとき、怒ってただろ」



 ピクリ、と田月の眉が動いた。



「薄々気づいてはいたけど、田月って割と秘密主義だろ? それなのに俺たちがしつこく聞いて、気を悪くさせただろうなって」

「別に怒っちゃいねえよ。で、うちの親の何聞きたいんだ? 大して面白ぇ話じゃねえぞ?」


 佐藤の質問に間髪入れず、田月は答えた。

 嘘だ、と佐藤は直感した。

 席を立ったとき、膨れ上がるような怒気を感じた。あれだけの怒気を、佐藤は生まれて初めて感じた。なのに、帰ってくるとそれが落ち着いていた。気のせいかと思い込んでしまいそうになったが、そんな都合のいい話はない。

 ……この、装ったわけではなく、本当に平静な田月の様子に、佐藤は理解する。




 本当に、興味がないのだ。俺たちがどんなことを考えていようと、どんなことを言おうと。害がなければそのままに、何か食い違えば自分の視界から排除できる、そんな存在――。

 それが分かったとき、得体の知れない冷気が背中を撫でた。

 いつからだ。いつからこう思われていた?

 佐藤は田月のことを友人だと思っていた。田月もそうだと思っていた。


 もしかして、最初から友人だとは思われていなかった?


 恐怖を感じながら、それでも踏み入れなければならないと思ってしまうのは、友人だと思っていた相手と自分の温度差を受け入れたくないからか。それとも、自分には理解できない何かに魅入られたのか。

 いずれにしても、佐藤は腹を括った。




「……田月は、そういう親御さんの下に育ったから、恋人とか、そういう関係を信じていないってこと?」

「ちょっと違うな」


 聞いてもはぐらかされてしまうだろうと佐藤は思っていたが、意外にも田月は真剣に答えた。



「結婚にも恋人にも一応夢は持ってるし、親が離婚したのは親の事情だ。離婚は夫婦の事情だし、子どもが入る隙はない。それに理屈じゃないんだから、人を好きになっちまったんならしょうがないと個人的に思ってる。別れることだって悪いことばっかじゃねえだろ。……ただ、一応、契約だ。結婚は正式な書類を踏むし、付き合いだって口約束だ。それをやすやすと破ってしまうっていうのは、破った奴にはもうなんの信頼もねえってことだ」

「ああ、そういう……」

「まあ親父は嫌いだけどな?」



 笑顔で田月は吐き捨てた。



「全面的に自分が悪いくせに、自分のせいじゃねえって言うしよ。妻が夫を立てないとか、家にいないからとか。そういう甘ったれは親じゃなくても嫌いだ」

「ウンマアソウダネ」


 うっかり似非外国人のように喋ってしまう。さきほどのように爆発的な怒気は感じないが、代わりにぐつぐつ煮えてる怒りが場を支配する。顔は笑っているのに、とても恐ろしい。




「……簡単に事情を話すと、俺んちは学者家系でな。両親もそうだし、母方も父方も学者家系だ。父親は大学の準教授で、母は客員教授。知っての通り唱歌さんはテレビで引っ張りだこだ。で、バカ父は自分と妻を比べてしまったのさ。ポストが空かない限り、准教授は教授になれない。研究自体大人の事情が色々絡むし、不満とかがあったんだろ」

「それは……なんとも……」

「元々学者ってのはだいぶズレてるし、あれを世間一般にするのはどうかと思うけど――まあ、気づいちまったというか……」



『女』の優位に立たないと気が済まない『男』。それは父親だけじゃなく、恐らく世の中にありふれた男女の関係なんだろうと。

 二つ年上の母を捨て、二十歳も年下の教え子に手を出した。それは正直、自分が抑え込めるよう縛れるよう相手を変えたようにしか見えない。

 もし自分が女だったら鬱陶しくして仕方ないな。自由が何よりも大事な田月はそう思う。父親を嫌う理由は、これが一つ(あと甘えすぎだと思うのが半分以上)。



「不思議だよなあ。多分親も、自分を立ててくれるからとか、言うこと聞いてくれるからって人を好きになったわけじゃねーのに、恋人とか夫婦とかになると、いつの間にか愛情が等価交換になるんだ」

「……それが、『付き合ってない理由』?」

「……『付き合っていない理由』ね。正直、どうしてこうなったかは、説明しきれねえよ。言うなら成り行きだ。色々理屈つけて説明できると思うけど、それで納得するかは知らねえよ、俺」

「いいよ」



 キッパリ返したのは、今まで黙っていたシャルルだった。



「聞かないと納得できない。もし納得できなかったとしても、もう二人の関係には口出さない」


 シャルルの言葉に、田月の目が剣呑に光った。


「……そぉかい。んじゃまあ、聞きたいようだから聞かせてやんよ」



 そう言って、また田月は黙る。何かを考えているようだ。

 ごくり、と佐藤はつばを飲み込む。

 今、田月にとってのシャルルはどのような立ち位置になっているのだろう。自分の領域に無作法に侵入してきた敵か、それとも大してなんとも思わないそれ以下の存在か。


 そして自分は今、どのように思われているんだろう。


 今まで佐藤は、田月の家庭事情など聞いたことがなかった。

 それを喋ってくれるところを見ると、まだ「友人」としては見られているのか?

 それとも自分から話せるということは、大して暴かれても害がないということか?

 頭を遮っては無理やり不安を追い出し、そしてまた遮って……を繰り返す佐藤にとって、田月が黙る時間はとても恐ろしかった。とてもとても長く感じた。

 けどその前に、と田月は言った。







「飯だメシ! 腹減ったんだよ俺!」



 店員さーん、ネギトロ丼くださーい! と呼びかけるシャルルに、二人は机に突っ伏した。もし座っているのではなく立っていたら、一昔のギャグマンガのようにこけていた。

 そんな二人の様子に気づくことなく……というか除外したように、田月は嬉々としてメニューを見ている。なんだこの温度差。



「あ、金はシャルルが払えよな」

「はあ⁉ なんで⁉」

「せっかくお膳立てしてあげたデートに、俺らをダシにした罰だ。佐藤の分も払えよ、佐藤関係ねーのにここまでお前に付き合ってくれたんだからな」

「い、いや、俺は自分で払うよ……」


 ショータの鬼ぃ! と叫ぶシャルルは、割と復活していた。

 田月のマイペースぶりに、佐藤は、まともに色々考えて後悔した。

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