そして二人は語る 3

「ねえ、田月くん。なんかね、私たちの関係って、変なんだって」

『うん』


 短く返された後、『俺も言われた』と付け加えられた。


「そんなに変……なのかな」

『気にするこたねえよ。俺はこれで納得してるし』



 素っ気無くも、二宮をなだめる様に田月は言った。

 その言葉が、田月の優しさであることを二宮は知っている。……けれど、どうしようもなく心苦しかった。


 今がどんなに楽しくても、たくさんの人に囲まれても、五年も経っても――二宮はずっとずっと罪悪感で苦しい。




「……忘れろって、皆言うんだ」



 ポツリ、と二宮は言った。


「辛かったことはとっとと忘れて、前向いてがんばって言うんだ。……もう、とらわれる必要なんてないんだから、忘れてしまえって。お父さんも、お母さんも、優しい人は皆言ってくれる。その言葉が嬉しいとも思う。でも」


 自分が孤独だと絶望するつもりは更々ない。孤独は誰にだってあるものだと、二宮は確信している。それぞれ他者と共有することがないものを一つずつ持っているだけだ。

 けれど、自分の感じたことを否定されるのはとても辛かった。



「今まであったこと、思い出そうとするといつも最初にあるの。小学校のときのこと。その後どんなに楽しいことがあっても、それよりもずっと重要なの。……それが、どんなに辛くても、それでも、忘れろって言われるのは辛い」



 まるで、あの時の苦しみが、取るに足らないことだったのだと言われているようで。

 そういうつもりで言ったわけじゃないことは知っている。そして、たとえ真意がそうであっても、恐らく真実だろうとも思っている。自分より大変な人なんてこの世にはたくさんいて、そういう人たちもまた、外の世界へ飛び出して、自分に出来ることをやり遂げている。



 ……そうなのだ。学校の世界が苦しかったのなら。必死に勉強して、外へ飛び出す手もあったのだ。

 自分の姉のように。

 外国までは行かなくても、自信をもって出来ることを磨いて、ぶれないように努力する道を行けばよかったのだ。そういう風に生きていく人々は自分の目の前に何人もいた。本当はもっと沢山の選択があった。死ぬ気で探せば見つかった。人に根掘り葉掘り聞けばよかった。与えられたものを甘受していたのは自分。

 散々悩むくせに、結局のところ解決しようともしない、気持ちを切り替えようともせず、新しいことに挑もうとする勇気がないのだと。

 そういう人間だと他人には紹介していた。けれど、心では意地を張ってそんな人間ではないと思っている自分がいた。


 自分はとっても大変だったんだ。ずっとずっと引きずって当然だと、甘え続けた。そんな自分を直視するのが、怖い。


 だから二宮は、田月へ返事を返せないままでいる。

 二宮を苦しませ続けるのは、過去の記憶からではなく、そういう自分本位からくる罪悪感だ。


 だから。自分は、変わらなくてはならない。


「田月くん。私、喋ってみる」

『……そうやって、傷ついてきたのは二宮だろ』



 何を、とは言わなくても、田月には二宮のやろうとしていることが理解できた。



『散々興味半分でお前の不登校の理由を聞いてきた野次に、心をこめて説明して、それで心ない言葉に傷ついてきたのは、お前だろ』



 二宮の頬に涙が伝った。


(……知っていて、くれたんだ)


 何度も説明した。自分の事を聞いてくれる人には、何度も。

 稚拙な表現だった。何度も言葉に詰まった。それでもわかってくれるように、何度も言葉を考えた。涙があふれ、鼻声になっても、続けなければと思った。

 そうやって、無理に心を開いて喋って、納得してくれたのは一握り。

 ……そうじゃない人からの言葉は、言い様は違えど、いつだって共通している。



 ――なんでそんなことで傷つくの?

 ――そんなことで泣き言言って、将来社会に出たときにどうするの?



 それは、自分と他者が、同じように考え、感じていると思っている人間の言葉だった。



『緑川たちがそうとは言わねえが、自分から聞いといて答えに納得しないで怒るバカなんて普通にいる。そういうやつにお前が付き合うことはねえし、一々傷つく必要も』

「喋らなくちゃ、忘れられない」



 きっぱりと、二宮は遮る。



「私は、自分の苦しみがどうでもいいなんて思わない。私みたいに傷ついた子達はまだまだたくさんいる。声を上げない、上げられないだけで」



 心無い人たちに言われ、傷つき、何度も自分が間違っているのでないかと疑った。

 担任は酷かった。それは間違いなかった。けれど、自分と同じ教室にいた大半の子は、その後『普通』の学校生活を送っていた。そう、田月だって平気だったのだ。

 平気じゃない自分が悪いのか。責められるのは担任ではなく傷ついた自分なのか。心のうちで泣き叫ぶ自分を眺め続け――そしてとうとう、ブチ切れた。


 どうして自分が責められなくちゃならないのか。

 自分はただ――悲しかったと言いたかっただけなのに!



「こういう風に感じる子たちだっているよって、世の中に言わなきゃ。皆が皆自分と同じように感じるなんて思い上がり、そのまま罷り通ってもらっちゃオチオチ忘れることなんて出来ない!」



 二宮はわかっている。

 不登校の自分に理由を聞いてきた他人は、不安なのだ。

 自分が理解できないことが、怖いのだ。理解できない、理解されないことは、他人に共感することが出来ない、共感されないことだと思っているから。それを孤独だと思っているから。

 その気持ちを、二宮はわからないわけじゃない。その不安は今まで感じてきた二宮の苦しみと、表裏一体だからだ。


 けれど、そこまで優しくはなれない。

『なんで?』聞けば自分の思ったとおりの理由が聞けると思ってる?

 この苦しみは自分のものだ。理解できなくて不安になっている他人を、納得させて、安心させるためなんかじゃない。



「思い出したら腹が立ってきました! なんかもー、めそめそするよりか最近怒りが前面に出ちゃいますね! うふふ、そうです、私はくだらないことで後引きずるよーな陰湿女です! なんなら今から友人になめくじのようにじめじめじとじと昔の恨み言を語ってやろーじゃないですか! 恨み言だととっても具体的に詳細に話せるから尺がどんだけあってもクールが4期あっても喋れますよあはは!」



 一方的に捲くし立て、二宮は電話を切った。

 そして怒りのまま、店内のドアを押しのけるようにして開けよう……とした。


 ……店内で待っていたはずの緑川と茅野が、気まずそうにドアの前に立っていたからだ。





「……えっと、様子おかしかったから、ちょっと心配で?」

「わたしはー、トイレー……で?」

「…………えへへ」


 湧き上がった怒りが、急速に冷える。

 それは噴火して流れたマグマが、空気に触れて冷えるように。


 乾いた女三人の笑い声が、道路を走る自動車の音と混じった。

 笑っている間、やってしまった、と二宮は思っていた。

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