いつもの日曜日 終
「井上さん曰く、学校ならともかく、書店までその話が流れるのは変だと思ったらしくてな。フツー、そういう話って『バカにされるかも』って思って、大人にしようとは思わないだろ? なんでも喋りたがりな一二年ならともかく、反抗期に入ろうとしてる六年まで話してるとなりゃあ、大っぴらに話してもいいぐらいブームになってるってこった。明らかに仕掛けた人間がいる。おまけに別々の小学生たちが似たような噂を喋っている。調べたら別の小中学校も同じ被害が出るわ出るわ」
聞いた時ヒィってなったぜ、と千秋巡査は続ける。
「救いだったのは、短期間のうちにわかったことだな。それと、覚せい剤や大麻よりずっと依存レベルが低い奴だったこと。カズオの嘘は運悪くそれと重なって、微妙に混ざった噂になっちまったらしい」
「そういうことだったんですか……」
さすが店長。その違和感で、ありとあらゆる可能性を手繰る手段は、天晴である。
「ホント、あの人何者なんだろーなあ……。つーか、先生たちが気づくべきだよな……そういう被害が他所でも起きてることぐらいはさあ」
「……先生たちは、割と閉鎖的ですから。他校どころか、隣のクラスで何が起きているかもわかってないケース、ありますよ」
「ん? そうなのか?」
「今もそうなのかはわかりませんが……私たちが小学生だった頃は、互いの評価に関わるからと言って、他のクラスにはかかわらないことを暗黙の了解にしているようでした」
そんな話を聞いたのは、緊急保護者会が開かれ、半分以上の生徒が断続的に『休んで』いたことが判明した後のことだ。
それぞれの両親を呼び出された日。担任と校長、両親が別室で話している際、二宮と田月は親しい教師と喋っていた。その時、同じ学年の担任を持つ教師がこちらへ来て、二宮にこう言った。
『僕たちは知らなかった』と。
……あれがどういう意味なのか。『隣のクラスの生徒たちが半分以上も休んでいる事実を知らなかった、許してくれ』ということか、『だから僕たちには関係ない。巻き込むな』という牽制の意味だったのか。
どちらにしても、『他クラスには不干渉』であることに繋がる。
「先生たちも忙しいようですし。どれだけクラスの子が休んでも、『今流行りの不登校か』ぐらいに思うかもしれませんね。中学生だったら、ただのサボりだと思っているかもしれないし……」
(……ああ、嫌だ。別に教師を馬鹿にしたいわけじゃないのに)
口に出ること、全部批難だ。それも、思い込みや偏見の強い。
良い教師がいることも知っている。中学生時代の担任は、家まで来て様子を見に来てくれた。教師の仕事がいかに大変であるかも知っている。教師が完璧な人間ではないことも知っている。
自分の不満をぶつけたいが為に、自分の都合のいいように物事を見ていることもわかってはいるのだ。
と、自分の中でいい子ぶっているのを自覚する。
一体誰に言い訳しているのだろうか、と二宮は苦々しく思った。お冷を一気に飲み干す。
わかってはいる。あの担任は特殊だ。世の中の教師全員がああだったわけじゃない。
たまたまあの教師が自分と巡り合った。たまたま運が悪かった。それだけなのだ。
……けれど、『僕たちは知らなかった』という言葉は、二宮が抱く教師への信頼を粉々にした。
こちらは無条件に教師へ一日の半分以上を委託しなくてはならないのに、教師は生徒を無条件に助けてはくれない。教室を囲む壁と、廊下側にある二つの扉。いくつかの窓。それらを隔ててしまえば『自分には関係ない』と思えてしまう。
(もし、あの
答えは否だと、二宮は確信している。
「おおよそ事件の全貌が分かったのがつい最近だからな。これから回覧板でも学校でも呼びかけが来ると思うぜ。……仕掛けた主犯がまだ捕まってねぇしな」
「主犯、捕まってないんですか?」
二宮は驚きのまま返した。千秋巡査はお冷を飲んだ後、またメニュー表に視線を落とす。
「……そういや、まだ俺ら注文してねえな。なに頼む?」
「あ、じゃあ私ネギトロ丼で」
「了解。あ、スイマセン」
通りかかったウェイターを呼びかけ、「ネギトロ丼とハンバークセット、ドリンクバー付でお願いします」と注文する。ウェイターが去った後、「まあ、すぐに見つかると思うぜ」と千秋巡査は事無げに言った。
「つーか、そっちに関してはノータッチだったんだな。着ぐるみだってこと見抜いたのアンタだって言ってたから、そこまで関わっているかと」
「えーと、店長もあの時までは確信を持っていたわけじゃないと思いますし」
いくら思いついたと言っても、本当に怪談が薬物と絡んでいるとは信じられない(というか、信じたくない)。
確信の持てない場合、店長は自分より経験の浅い人間には基本推理を披露することはない。無暗に動揺を招くようなことは絶対にしないのだ。
「でも良かった。カズオ君の嘘で人が倒れたわけじゃなかったし。誰かが薬で死んだわけでもないんですね?」
「ああ。いくら低いからっても、人によって薬物の後遺症は違うし、実際倒れちまった子もいる。今後注意は必要だろうが」
人生狂わす前で本当に良かった、という千秋巡査に、二宮は心から頷いた。
ほっと一息ついた後、ずっと気になっていたことを尋ねてみる。
「じゃあお巡りさん、店長がどうやって噂を消したか知ってます? なんでも有名な漫画家さんに頼んだって聞いたんですけど……」
「ああそれ? そうそう、これがまた傑作といおーか、ホントアンタ一体何者なんだって思ったんだけどさー」
先ほどの深刻な顔から一転、笑いながら千秋巡査は言った。
「その漫画家さん、脚本もやってるんだよな。子供向け番組の。で、日曜朝にやってる超人気ヒーローのロケが行われるって話流したんだとよ。十月ぐらいにやるらしいぜ、バルーンフェスタに合わせて」
「まさかの⁉」
それからしばらく談笑している内に、何度か、二宮は千秋巡査に感謝を述べられた。
「あんたがいなかったら、カズオは多分話してなかったと思う。あいつ、親と俺には割と秘密主義だからな。そのカズオが、会うたびアンタと店長の話をするんだよ。機会があったら遊んでくれ」
帰路を辿る中、千秋巡査の言葉を何度も何度も頭の中で繰り返す。西の空はまだ茜色だが、東の空はすでに月が煌々と照らしていた。
(本当にカズオくんをかわいがっているんだなぁ)
最悪なファーストコンタクトの上、大人げない部分ばかり目に付く千秋巡査だが、そういうところでなんやかんや好ましいと二宮は思っていた。
二宮もカズオ少年のことは好きだ。
だから思わず考えてしまうのだ。
カズオ少年は、これからの小学校生活を、どう行くのかと。
あの賢い少年は、必ず自分が抱いた疑惑にたどり着く。その時に、どうなるのか。
天才と言われた姉のように行くのか。
自分と同じように不登校になるのか。
それとも、上手に『普通の』学校生活をやっていくのか。田月のように。
自分と同じような気持ちにはなって欲しくない、と独善的な部分が出てしまう。だが、まだ経験しないうちに指摘したところで、一体何になるというのだろう。自分にとって大変だったからと言って、他人にとって大変なことだとは言えない。
(わかってるんだ、本当は。全部終わったことなんだって)
過去がなければ現在がないとはいえ、終わったことは、もう自分には関係のないことだ。
おそらくあの担任には一生会わない。あの教室はこの世に何処にも存在しない。
……理性ではわかっていても、夢の中ではいつも引きずられていく。
この先の人生はとても長くて、今まで大変だったことはまだまだ氷山の一角にすぎない。
しかし二宮にとって、今の自分は、高校生活は、――小学校の延長戦なのだ。
「小学校の時から、おまけの人生歩んでるような気がするよ……」
思わず独り言をつぶやいた時だった。
ショルダーバッグから、くぐもった音楽が流れる。
「……え、電話⁉」
反応が遅れてしまう。珍しかったのだ。今まで電話が鳴ることは片手で数回程度だった。自転車を止めて、鞄を開け慌てながらスマホを探す。
着信画面を見て、知り合いだということがわかった。すぐに電話をとる。
「もしもし? 茅野さん? どうしたの?」
『やっほー、アネさん』
特段慌てた様子もなく、平常な口調の茅野。だが、茅野のケータイから聴こえる『うわああああああん!』と号泣する声は、緊急事態であることを知らせるサイレンのようだった。
『今ちょっと時間ある? エリが今無茶苦茶泣いててさー』
言ってること支離滅裂なんだけど、アネさんの名前言ってるからさー。
その言葉に、カラオケの時の不安が頭をよぎった。
(……不安、的中?)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます