いつもの日曜日 3


                    ◆


 昼間家にいると父の睡眠を邪魔しそうだったので、二宮は外に出ることにした。

 と言っても、予定は特にない。


(昨日カラオケに行ったばかりだし、欲しい服も欲しい本も今のところない。田月くんはバイトで、……うーん、どうしよう)

 悩んだ結果、「とりあえず博物館か図書館でも行こう」案に落ち着く。どちらもお金がかからないからである。

 交差点の信号を待ちながら、二宮はこめかみに伝った汗をぬぐう。緑濃い街路樹から漏れる木漏れ日がアスファルトの上で揺らめいていた。上を見ても下を見ても眩しい。


「あー、暑いなあ……」


 つい零れてしまう独り言は、今日で何度目か。

 やっぱり自転車じゃなくてバスに乗るべきだったか。けれど一番近くのバス停は一時間に一本しかこない。お金もかかる。せっかくお金を使うなら友達と遊びに行くときに使いたい。

 そんなこと昨日佐藤くんも言っていたな、と二宮が思い出した時だった。

 後ろから気配が近づいて止まった。信号待ちだろうか。しかし気配は、二宮と大分近い距離にある。

 こんなに近づく必要はあるだろうか――ぞわ、と背中の産毛が立った。




「おう、名探偵さんや。お久しぶり――」




 ポン、と肩を叩かれた瞬間、二宮は迷わずサンダルの踵で男の指先を踏んだ。自転車を支えていた片足で踏んだので、自転車の重心が多少傾いたが気にしない。それよりも後ろから声を掛けられ、身体に触られそうになった方が重大だ。




「いだだだだだ! お、俺だ! 俺!」

「オレオレ詐欺は結構です!!」

「千秋だ!」

「誰ですか⁉」

「千秋伸一29歳! 商店街の交番でお巡りさんやっとるわ!!」

「なんですかその俺様系指揮者のような名前は!! 大してイケメンじゃないのにふざけないでください! せめて玉木さんぐらいの顔になってもらわなきゃ!!」

「『シンイチ』じゃなくて『ノブカズ』だから!! 千秋ノ、ブ、カ、ズ!! つーか顔見ても思い出さないのかよ薄情だなー!! ほら、本屋で万引き騒動の時にいたお巡りさんだよ俺!!」


 あと顔のことは言うんじゃねえよ地味に傷つく!! と叫ぶ男。

 二宮は髪の毛先から足の爪先まで眺める。――正直、黒いキャップ帽、よくあるスニーカー靴、ありふれたTシャツしか目につかないが――よくよく顔を見てみると、たしかにどこかで……。


「……風俗嬢と間違えたお巡りさん?」

「そのことについてはもう忘れてくれ……」


 とりあえず二宮は、踏んでいた脚をどかした。
















「まったく。肩叩くだけで踵を踏まれるとは思わなかったぜ」

「普通、信号待ちの時に、後ろから肩叩くなんてしませんよ」


 せいぜい相手に声を掛ける程度です、と、二宮は向かい側の席に座る千秋巡査を睨みつける。


「チカンか悪質な街頭販売の人かと思ったんですよ。これでも怖かったんですから」

「……まあそれぐらい警戒してくれてんなら、お巡りさんの仕事も減るけどよ」


 何にしよっかなー、と言いながら、メニュー表を開く千秋巡査。

 茶ぁ飲まないかと千秋巡査に誘われ、二宮は現在近くのファミレスにいた。少しばかり早い昼食の時間である。


(「おごってやる」の一言につい着いてきたけど……つまり私と話がしたいってことだよね? ということは……)


「もしかして、あの事件また何か問題が?」

「ん? あの事件って――ああ、万引き騒動か?」


 メニュー表から目を離した千秋巡査は、違う違うと首を振る。


「甥っ子が世話になった話だよ。青山カズオ。小学生のガキ、覚えてるか?」

「カズオ?」


 すぐに思い出したのは、良く行く本屋の店内。次に思い出したのは、眼鏡を掛けた賢い少年だった。


「ああ、カズオ君! あの着ぐるみ怪談話の子! ……え? 甥っ子?」

「そう。俺の甥っ子。姉の子ども」


 並々と注がれたお冷のコップに、結露した水がテーブルに落ちる。


「……嘘だあ」

「何が嘘なもんかい」


 あんな賢い男の子の叔父さん? 顔の系統も大分違う……でもそう言えば、カズオ君「お巡りさんやってる叔父さん」の話してたなあ……。ん? ということは?


「……クリスマス前にカノジョに振られた腹いせで、罪のないカズオ君にサンタさんの正体を暴露した叔父さんですか……」

「何で知ってるんだよその話⁉」


 あの話は怪談よりもずっとインパクトがあった。忘れようにも忘れられない。本当にこの人29歳の大人か、と、つい二宮は疑う。まあそれは置いといて。


「カズオ君、元気にしてます? あれから本屋じゃ会わないんで……」

「ああ、元気元気。いやもう、本当、ありがとな」


 あいつ、ほんと落ち込んでたんだよ、と千秋巡査は続ける。


「自分のついた嘘で、人が倒れちまったんだと。それを聞いたのは多分、あいつがあんたと井上さんに話した後だったな」

「井上さん? ……ああ、店長ですね」


 小さい頃から「店長」と言い続けていたせいで、反応が遅れた。そう言えば名字はそうだった。


「で、その後井上さんが俺に連絡してくれてな。カズオのおおよその話と一緒に、『ここら一帯の、公園と神社が一緒になった場所を巡回してくれませんか』って話が来た時にはなんのこっちゃい、と思ったんだが……まさかのビンゴだったぜ」

「へ?」

「ありゃ? アンタ知らないのか? ――怪談の話はパターンがいくつかあったろ。あれはカズオの話がもとになったものもあるが、もう一つはまったく別の奴が作ったモンだったんだ」






 元々、カズオ少年がついた嘘と言うのは、クラスメイトのためを思って吐いたものである。

 事故で着ぐるみの首が落ちてしまい、中に人がいるのを誤魔化そうとしてついたものだったが――それはお喋りでオカルト好きなクラスメイトにより、『怪談』として広まった。

 だが同時期に、上学年でも『首無し』の噂が流れていた。しかし発祥は全く別のところから。SNSで、『こんな話があるんだよー』と生徒の一人が拡散した。

 その一人は、インターネットで繋がった友人に、『簡単にお金を稼ぐ方法があるよ』と言われたという。



「……えーと、それってもしかして?」

「そう。覚せい剤じゃないし麻薬でもないけど、麻薬取締法に引っかかる系のヤツ。昔よくテレビに出た脱法だか発泡だかついたドラッグの類。『神社でよく目撃されている』ってSNSに書き込むだろ? そこに待機してた麻薬っぽいもの持ってるやつが『これお香にして焚くと悪いもの来なくなる』って言うだろ? はい、小学生引っかかると」


 繁華街じゃなくて神社ってところがなー、と言う千秋巡査。

 たしかに。商店街はほぼシャッター通りの上、繁華街と呼ばれるほど栄えている場所はない。その上、この地域では、公園と一緒になった神社は基本無人の小さな社だ。そして竹藪など、趣のある場所も多くある。小学生だと、雰囲気にのまれるかもしれない。


「んで、三年生の担任が面白がってその噂を持ち出すもんだから、小学生はマジに捉えると。そんでその一人がその薬を手に入れて、意識無くしてぶっ倒れたと」


 なんともえげつない話である。しかし、店長に見抜かれてしまった以上、そいつらは捕まるほかなかったというわけだ。

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