いつもの日曜日 2

 ふと、リビングに飾った家族写真が目についた。ついため息を漏らしながら、二宮は言った。



「女の子は父親に似るっていうけど……お姉ちゃんはお母さん似なのになあ……」

「そうだな。和寧かずねは杏子さんとよく似たな」



 娘の唐突な独り言にも、全く不思議そうな顔もせずに相槌を打つ父親。

 二宮の場合外見だけではなく、恐らく天然要素も大分遺伝している。だがそれを指摘する人間はここにはいない。



「お姉ちゃん、元気にしてるかなあ」

「そうだなあ。全く連絡がこないが、多分元気にしているだろう。今、研究が忙しいようだが」

「お盆には帰って……来ないね多分」

「ああ、帰ってこないだろうな」



 神妙な顔で父は頷いた。

 二宮杏寧あんねには五歳年上の姉和寧がいる。この姉は二宮が小学校二年生の時には既に家を出て寮で暮らしていた。

 あまりにも頭が良く、誰に教わることもなく難問を解く姿は周りの大人からは「天才」と評されていたが、二宮の記憶の中にあるのは何時間も机に座って計算や思考実験を繰り返す姉の背中である。


(お父さんが水を飲むように読書をするのと同じで、お姉ちゃんは息をするように思考を続ける人間だっただけだった。そう言う人間だっただけなのになあ)


 たしかに一度聞いたことはすぐに取り入れることが出来るようだったが、その分思考に対する熱意が桁外れだった。妹から言えば努力の人である。

 ただ、恐ろしいほど質問魔だったため、若干教師には煙たがられていたようだった。その割には小学校一年生の妹に対して、「お姉さんはこんなにも出来るんだから、あなたも頑張らなきゃだめよ」と言っていたが。まだ入りたての小学校一年生にいったい何を望むつもりだったのか。だが、その期間もほんの僅かだった。東京の名門私立中学に入り、寮暮らしになった姉のことを言う人は、小学校三年生になればめっきり減った。姉を知っている教師が一気に別の小学校へ移動したからだ。


 今になって二宮は思う。もし、姉が近所の中学校、高校を選んだ場合、他人からどれくらい姉と比べられたのだろうと。中学校に上がれば成績順が明確になる。全国レベルで争うこともある。その場合、二宮は優等生ではあったかもしれないが――成績で見れば、姉とは天と地との差であっただろう。



(……まあ、まず私は、小学校の時点で不登校になっていたわけだけど)



 どうあがいてもそんなifは成り立たないな、と二宮は思った。



(けれど、お姉ちゃんが遠くを選んだ一つは、多分私のためなんだろうな)



 新しいことを突き止めなければ気が済まない姉には、保守的な田舎は合わなかったというのもあるだろうけれど。

 姉は人よりも繊細な妹の理解者だった。二宮は姉の努力も苦労も知っていた。姉は唯一の妹を溺愛したし、妹は優秀な姉を妬まず育った。……でもこれが、ものすごく近い距離だったら。友好な姉妹関係は成り立っただろうか?

 あんまり考えたくないな、と二宮は口直しのリンゴジュースを飲む。

 中学を出た後、姉は海外の大学へ飛び級で入った。恐らく家を出る時には飛び級することも視野に入れていたのだろう。一直線に海外にはいかず、近所の噂にならないように、わざわざ東京の中学校へ入った。――そして現在は、スイスの研究機関に勤めている。お盆に帰ってこないのは仕事が忙しいからではなく、湿気も暑さもない場所から、わざわざ日本高温多湿国に来ることはないだろうという推理だ。




「……おはよぉ」


 二階から、しかめっ面をした母が降りてきた。


「お母さん」

「大丈夫か?」

「あー、大丈夫大丈夫。あ、まーくん薬作ってくれたんだぁ。ありがとー」



 えへへ、と笑みを浮かべるが、すぐにしかめっ面になる。

 ……この頭痛に悩まされている顔と言うのは割と凶悪なのだ。ある時は近所の男の子(四歳)を激しく泣かせ、更生(物理)させられた元不良は「ヒィィ!」と膝から震え顔面蒼白になる始末である。いつもが童顔のにこやか顔なので、あまりのギャップに「あれ本当に同一人物?」と近所の人から疑われたこともあった。一部の人からは「なまはげ?」と言われるぐらいである。



「でも、朝からそんな顔するのは久しぶりだね」

「うーん……なんか台風近づいてきているみたいだから、気圧の影響かなー……」

「こんなにも晴れてるのに?」

「夕方には雨になると言っていたぞ」



 父の答えに、気になるのはデートで遊園地に出かけるはずの友人二人である。

 途中で雨降らないといいなあ、と思いながら――。




「まーくん川掃除お疲れ様ぁー」




 でへへ、と笑いながら父の首に母が腕を絡ませるのを見てしまった。


 私 は 一 体 何 を 見 せ ら れ て い る ん だ。

 多感なお年頃である娘はドン引きした。しかし父はさりとて表情を変えず、その首に回った腕に片手だけ添える。

 天 然 に も ほ ど が あ る だ ろ。

 娘は知っている。父親のこの行為になんの作為も意図もないのだ。ただ腕があったから手を添えたのである。言うならばそばに猫がいたら思わず撫でるのと同じような感覚で。いちゃついている気など全くないのだ。母はそのつもりだが、父の頭は恐らく『寝たい』欲望だけだ。


 二人の仲睦まじさは近所でも有名だ。よく「両親の仲が良くていいね」と他人に言われるが、とんでもない。たしかに仲が悪いよりかはずっといいだろう。しかし、二人の世界を作っているというのは、娘は除外されているということである。

 除外されている疎外感も中々だが、蚊帳の外に追い出されているのに目の前で繰り広げられているのはもっと辛い。一言で言うと、居た堪れない。二宮の中では「目の前で人が怒られているのを見る」ことの次に辛い。




(お姉ちゃんはひょっとして……このイチャラブ夫婦から逃げるために東京を選んだのかなあ……)


 私は宇宙猫、私は宇宙猫、と心の中で繰り返しつつ、二宮は現在スイスにいる姉に思いを馳せた。

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