いつもの日曜日 1
誰かが怒鳴られていた。
誰かはわからない。見たことのある顔のような気がするし、まったく知らない人のような気がする。
ただ、怒鳴っているその人は、小学校の担任だった。
二宮は気づく。ここは教室だと。
さっきまで高校の教室だったのに、いつの間にか小学校の教室に変わっていた。
ついでに言うと、その前は空を自由自在に飛んだりしていた。その前はケーキバイキングの夢だったような。
色んな展開が繰り広げられている。現実じゃありえない。
だからこれは夢だ。二宮は自分に言い聞かせた。
怒鳴っている内容はわからない。
ラジオのノイズがかかっているように、よく聞き取れない。
忘れ物をしたからかもしれないし、授業に遅刻してきたからかもしれないし、はたまたは給食を食べるのが遅すぎて怒鳴られているのかもしれない。
何に対して怒っているのかわからない。
なのに怖い。
(私が悪いことをしたわけじゃない……)
誰かに咎められるような悪口も暴力もしていない。道徳的にも法律的にも悪いことはしていない。
だけど誰かが怒られるのを見るのは嫌だった。多分私の生まれながらの気質だ。ドラマを見ている時でさえそうだった。誰かが怒られているところを見ているだけで、どこにも逃げ場がない絶望感に襲われる。
普通の人は、そこで自分と他人とを切り離すことが出来るのに。
『クラスメイトがやったことはみんなの責任よ。連帯責任』
突然、担任の声がクリアに聞こえた。
連帯責任。何も悪いことをしてなくても怒られる。怒鳴られる。
自分はダメな人間だと大きな声で宣言される。
誰かが忘れ物をしたことも、誰かが遅刻してきたことも、誰かが食べるのが遅かったとしても、それもすべて、二宮がどうにかしなくてはならないことなんだろうか。
学級委員長だから?
(これは本当に夢?)
二宮は夢だと言い聞かせていた自分を疑った。
高校生だった自分こそが夢で、本当はまだ、小学生で。
現実はずっと、本当は終わっていないんじゃ――?
◆
東の窓から入る朝日で、目が覚めた。
日向になった二宮の顔には、太陽の熱が鬱陶しく残る。寝間着のTシャツの中が籠って暑苦しい。手にねとつくような脂汗が、気持ち悪かった。
二宮はゆっくりと上半身を起こす。黄色いカーテン。勉強机。少女漫画と小説が詰まった本棚。クローゼットにかかる高校の制服。
それらを見渡して、ああ、現実だ、と確認して。
そうして、ようやく少し泣くことが出来た。
二宮の部屋は二階にある。階段を降りてすぐの部屋がリビングだ。
降りて早々二宮は驚いた。父――正和がすでに起きてリビングにいたからだ。
「お父さん早いね。おはよう」
「おはよう。今日は川掃除の日だったからな」
その言葉に、ああ、と二宮は納得した。
作家である正和は昼夜逆転した生活になりがちだ。しかし川掃除は必ず参加している。早く起きる……というより、それまで起きているというのが正しい。
よって彼は今から寝るのである。そう言えば月末まで単行本の作業で忙しいのであった。
「薬作っておいた。多分そろそろ飲める」
「ありがとう。お母さんは?」
「頭がおかしいんだそうだ」
「言い方!!」
「……と、杏子さんが言っていた」
お母さん……妙な言い回しを好む母親も母親だが、そのまま受け取ってしまう父の天然度も大概である。まあわかっていて言っているような気もするが。二宮はぬるくなった漢方薬を溶かしたものを一気に飲み込む。
二宮の家族はとにかく濃い。
母杏子は暴走バイクを走り幅跳びで吹っ飛ばせるぐらいの超人である。過去何度か通り魔が運悪く母の目の前を通り、コンクリートに頭から埋まるという事件が起きた。ちなみに全員生きてはいたが、逮捕された時には世にも恐ろしい体験をしたのだろう、震えまくっていた。ちなみに、母親は過剰防衛の疑いで一度も逮捕されたことはない。母親の超人的機動能力によって繰り広げられる体術が誰の目にも追えなかったからか、それともよっぽど犯人が母を目にして怯えまくって口を開けなかったのか。とにかく奇跡的に捕まっていない。
杏子のコップには二宮と似たような漢方薬のそれが継がれていた。ただしこちらは腹痛の物ではなく、偏頭痛用のものである。超人なのに、彼女は偏頭痛に年中悩まされる人であった。
一方、父正和はと言うと、面白いものだったらたとえライトノベルだろうが一般文芸だろうが児童文学だろうが執筆する節操なしの作家である。その為彼は資料探しのために朝から晩まで本を探しに行く。果てには食事中に何の脈絡もなく「●●ってなんだっけ」とポツリと言い出し、その場にいた全員がスマホを取り出しWikip●diaで調べ、Ama●onで疑問に思ったものに関係する本を頼む始末である。生粋の変人であり、天然なのだ。国の記念物に是非とも登録されるべきと、二宮は常日頃思っている。
正和もまた他人の目からは「年齢不詳」とよく言われる。ただしそれは、童顔低身長(俗っぽく言えばロリ顔巨乳)の母がとても若く見られるのに対し、父は186センチと高身長で筋肉質、顔は無表情で強面であった。目は割と大きいがつり目で鼻筋が通っているという、一見すれば欧州の人と間違えられる外見である。白髪はないが髭はポツリポツリと目立ち、ある人は「老け顔の二十代」と言い、ある人は「童顔の六十代」と言った。つまり、「本当に何歳か判断できない」顔の持ち主であった。
ちなみに、母と父は同級生――今年で46歳である。
父と並ぶと「無茶苦茶親子」「雰囲気マジ似てる」と評されるが――ならば何故、過去に「夫婦」と間違えられたのか。外見は母寄りが良かった、と思うたびため息をつく二宮だった。
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