突撃! 二宮家の晩御飯 2

                ◆


 賑やかな食卓が終わった頃、杏子が「ちょっと外に出るわねぇ」と言って、二宮家は健全な男女の高校生二人のみになってしまった。


 ――だからと言って何か過ちが起きるわけではない。起きたことと言えば「どちらが皿を洗うか」でじゃんけん勝負が白熱したことだろう。「ただでごちそうになるわけにはいかない」と主張する田月、「お客さんに仕事をさせるわけにはいかない」と主張する二宮。勝負の結果二宮が勝利して皿洗いを、負けた田月が皿を拭くことになり、彼女たちは黙々と作業を行っていた。静かな部屋に、開けられた窓の外から、けたたましく鳴るオケラと暴走族のバイクの音が入ってきた――。


 皿洗いが粗方終わった田月は、ふと冷蔵庫に張り出されていたチケットを見つけた。

「……遊園地のチケット?」

 怪訝な顔で、田月は二宮を見る。二宮は苦笑いした。

「もらったんだけど、ちょっと困っちゃってて」

 その言葉に納得した田月は、「だよな」と言って続けた。




「だってお前、遊園地キライだろ?」

「キライじゃないよ。体力的に無理なだけ」



 田月の言葉に、間髪入れずに二宮は訂正する。

 ただし若干真顔で、『遊園地が体力的に無理』な理由をつらつらと理述べた。


「広い遊園地の真ん中でお腹痛くなったら怖いし、ずっと立って待ってるのつらいし、人ごみ苦手だし、移動時間がしんどいし、炎天下の中で遊べる勇気がない」

「それは十分『キライ』に入るんじゃねえか……?」

「違う違う、興味はあるよ! U○Jのハリー・○ッターとか行ってみたい! 時間とお金ないから無理だけど!」

「結局無理なんだな。……んじゃこれ、杏子さんと正和さんに?」


「……二人とも遊園地好きだけど、夏は新刊の作業でそれどころじゃないみたい」

「そういや、書き下ろし出すんだっけ。……そのタイミングで手違いされたのかよ」


 そりゃ怒るわ杏子さん、と田月は付け足した。二人の脳裏に浮かぶのは、編集部の机に脚を乗せ、口を三日月のようにして笑う、血塗られた主婦の姿である。


「どれぐらいかかるかはわかんないんだけどね。だから、井上君に渡そうと思ったんだけど」

「シャルルに? ……そのニュアンスからして、アイツ断ったのか?」

「うん。断られちゃった」


 二宮は事実を少しだけ伏せた。

 実際に投げつけられたのは、


『ぼくは、二宮さんとだけは行きたくない』


 ……という言葉だった。

 どうやら自分がシャルルを誘っていると勘違いされたようだ。違うよ、実は、と説明しようとしたが、シャルルの暗い青い眼に、金縛りになったように口が動かなかった。

 拒絶されていると、一発でわかる瞳だった。

 理由はなんにせよ、シャルルが自分のことをあまり快く思っていないことは二宮も気づいている。それなのに、恩付けがましくチケットをあげるのは、彼にとって不愉快だろう。


 二宮はシャルルと仲良くなりたかった。けれどその最初の動機は、シャルル個人を気に入ったからではない。

 田月の友人だから、仲良くしたいという気持ちもあったけれど、大部分は人に嫌われたくないからだ。

 それは、自分は誰からにも受け入れられると、傲慢にも無自覚に思っていて。自分がその人の利益になることをすれば、気に入られるという打算があって。その下心を見透かされたようで、心が痛かった。……学校を休んだのは、そのショックもあるかもしれない。


(つくづく豆腐メンタルだなー……私。お母さんや田月くんは、私のことを『純粋』だとか、『優しい』とか言うけれど)


 自分から人を嫌わない理由は、人から嫌われる可能性を減らしたいからだ。人に嫌われていると思うと、また身体を壊して、学校へ行けなくなるんじゃないか。常に不安なのだ。自分は他者と比べてとても弱い。他人にとってはなんてことないのに、自分にとっては普通の生活が送れないようになってしまう。一々休んだらキリがない。だから細心の注意を払って過ごす。

 打算と保身で動いていることは、誰よりも二宮自身が知っている。だから、大好きな二人にそんな風に言われると、どう反応していいのか困ってしまう。そう言われることは嬉しくて、けれど買いかぶりすぎだと思うから、複雑に考えてしまう。

 多分、思っていることを告げても、杏子と田月は笑って否定するだろう。だから二宮は言わない。誰よりも自分に優しい二人に、自分が言って欲しいことを言わせることはしたくなかった。


「……井上くんが、エリちゃんを誘うきっかけになったらな、って思ったんだけど」

「エリ……ああ、緑川か。良い奴だよな」

 田月の言葉に、二宮は顔をほころばせた。

「多分、エリちゃんは井上君の気持ち、気づいていないだろうけど……。でも、余計なおせっかいだよねぇ」


 断られて正解だったよ、と二宮はため息とともに付け足した。

 人の恋路に首を突っ込むのは良くない。

(私だって、田月くんとの関係を言われるのはいやだしなあ……)

 断られた後から冷静になった。

 というわけで、このチケットの行く先は依然不明のままだ。


「良かったら田月くんにあげる。このままゴミ箱行きなのもあれだし……」

 田月は気難しい顔をして、「そうは言ってもなあ」と続ける。



「二宮以外、誘う相手いねえしなあ」




 ずるっと、二宮の手から水分がふき取られた大皿が落ちた。

 持ち前の反射神経で、すぐにつかむ。大皿の重みと落下した威力が右手に伝わった。ついでに体中の脈がバクバク言っている。


(心臓、止まるかと思った……!)


 隣にいる田月は、二宮の取り乱した様子に気づいていない。

 それどころか、「タダだったら佐藤が食いついたかもしれねーけど……でも男二人で行くのもなあ……」「ばーちゃんは絶対いやだって言うだろうしなー」と呟く。

 切ないといおうか残念といおうか、ときめきと驚きの感情から一転、何とも割り切れない気持ちになった二宮だった――。

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