突撃! 二宮家の晩御飯 1

 PM7:30。

 田月翔太たつきしょうたは、自分の家には帰らず、そのまま二宮家へ向かった。

 二宮家は田月家から歩いて5分もかからない。本気で走れば1分で着く。同じ住宅街の中にあるので、横断歩道もない上に車もほぼ通らない。ただし暴走族のバイクはよく走る。


 余談だが、田月たちが住む町の暴走族は深夜に爆音で走るのが特徴だ。それ以外はあまり悪さをしない。赤信号はちゃんと守るわ、良識的なスピードで走るわと(むしろ年寄りの運転の方が格段に危ない)、「暴走族を名乗る必要ある?」と言いたくなる。ただし一部はシャレにならない交通違反を行っていたりするので、ひとまとめには出来ないが。なんにせよ深夜に爆音で走るのは立派な迷惑行為だ――と、誰得な町民情報はさておき。


 二宮の家は、庭付きの一戸建てだ。庭にはローズマリーや月桂樹など、世の中でいう「ハーブ」が植えられている。……と言うと、いかにもおしゃれな庭を想像するかもしれないが、実際は植えているというより、「生えっぱなしにしている」というのが正しい。何故ならハーブと呼ばれるほとんどの草木は、繁殖力が強いモノばかりだからだ。

 例えば二宮家の向かいにある斎藤さん家のお庭は、手入れされた花で埋め尽くされている。さながらイメージは『赤毛のアン』と言ったところだろうか。それに比べ、二宮家の庭は樹木が天へ真っすぐと、草はスクスク伸び放題の茂みだらけ、『野生のエルザ』という感じである。とは言え、二宮家の庭は荒れ放題というわけではなく、野趣に富む庭と言えば伝わるだろう。田月はどちらかというと、二宮家の庭の方が好きだ。



「こんばんは」

 田月が門を開くのと同時に、二宮が玄関から出てきた。白いTシャツに蕎麦色のズボンを着ており、髪はゆるく一つに結んでいる。


「ばんは。調子どうだ?」

「身体の方だったらなんとか。勉強もまあ、ぼちぼちかなあ。テストだと思うと緊張するけど」


「……腹痛ハライタなのそのせいじゃね?」

「うっ」

 テストの緊張で休むとかどんだけ私豆腐メンタル……と、落ち込む二宮。田月は今更だろ、と思ったが口にしなかった。

 続いて、二宮の後ろから一人の女性が玄関から出てくる。田月よりも背丈が低いその女性は、田月の顔を見て笑みを更に深めた。


「おかえりー、翔太くん」

「こんばんは、杏子さん。すいません、遅くなりました」

「いいのよぉ、急に呼んじゃったのはこっちだもの」


 頬に右手を添えながら、二宮の母――杏子は言った。二宮は少し困った顔で説明する。


「お父さんページ数増えて、仕事場でカンヅメになっちゃったんだって」

「編集部の手違いでだろ。大変だな」

「ご飯を作ろうとした矢先だったのよねぇ。お肉今日までだったし、翔太君が来てくれて助かったわぁ」


「大丈夫かな、お父さん。なんだか切羽詰まってたみたいだけど……」

「大丈夫よぉ、頑丈・根性・ド根性のお父さんだもの。ちゃんと締め切りに間に合わせるわよ」

 心配する娘に対し、杏子はうふふと笑い飛ばす。





「……ただ編集部には物申しにいかないとだけど?」


 ――しかしそこには、どす黒いものを漂わせていた。

 暗い玄関で光る黒曜の瞳は、見る者の心身をその場でズタボロにさせてしまいそうだ。頬に添えられていた手は、整えられた長い爪が光っている。その指はまるで、鷹の爪のようだ(唐辛子の方ではない)。


「根性とド根性って、意味重複してるじゃーん♡」――と、ツッコめる勇者はいなかった。

「杏子さん、笑顔がコワイデス」田月すら恐怖で棒読みになる。

「あらやだうっかり。おほほ」

 笑いながら先に居間へ行く杏子。それを見計らい、ボソっと田月は呟いた。



「……編集部に殴り込みに行くのかな、杏子さん」

「多分しないと思う、けど……出来れば血はみたくないなあ……」



 二宮杏子。専業主婦。二宮の母。

 二宮正和。作家。二宮の父(不在)。

 田月が知る限り、ありとあらゆる上で最強の夫婦である。

 この夫婦の武勇伝を話し出すと長くなるので、また後ほど。



              ◆



「今日の晩御飯は、鶏のオレンジソース煮とマッシュポテトとサラダでーす」


 机の上には、メインの皿とサラダの小鉢、それからご飯と味噌汁が並べられている。


「オレンジソース煮の作り方は、①まず鶏肉を焼く、②程よく焼けた鶏肉が浸かるほどオレンジジュースを入れる、③煮る、よぉ。簡単でしょ? オレンジソースはお皿につぐときお肉にたっぷりかけてねぇ。マッシュポテトとの相性もバッチグーよ」


「お母さん、誰に話してるの?」

「なんとなーく、オレンジソース煮を知らない人もいるかと思って説明しました」

「説明って……私も田月くんも、この料理ずっと前から食べてるじゃない」


 変なお母さん、と呟く二宮。


「杏子さん、その辺の詳しいレシピ、読者にわかりやすく説明してください」

「田月くんも何言ってるの⁉ 読者⁉」

「あらあらぁ、やぶさかじゃないけれど、尺が足りなくなるからまたの機会にねぇ」

「お母さんも何言ってんの⁉ 尺って⁉」


 今日のお母さんたちおかしいよ⁉ と叫ぶ二宮に、「そうかしら?」「そうか?」と首をかしげる二人。


「まあまあ、そんなことはいいから、ちゃっちゃと薬飲んじゃいなさい、杏寧」

「そうそう、食前に飲まねぇと効かねえんだろ」

「え、あ、……うん、もういいや」


 二人に押し切られた二宮は、それ以上の追及を諦めた。田月と杏子が揃って悪ノリすると、何処までも暴走するのだ。どこまで悪ノリが続くか知ろうとすると、恐らく宇宙の果てまでたどり着くだろう。たまに血のつながった親子じゃないか、と実の娘である二宮が疑うほどこの二人は仲が良い……というより、ウマが合うのだ。


 お湯で溶かした漢方薬を一気飲みする。

 ゴクン、と喉が鳴った。三秒遅れて、二宮が苦い顔をする。


「味変わった……」

「今日病院行ったものねえ。お薬変えるって言ってたし」

「ああ、それで学校休んだんか」

「診察自体はお昼に終わったんだけど……」

「病院疲れしちゃって、杏寧、そのまま寝ちゃったのよねぇ。三時間待ったし。はいお水」

「ありがとう、お母さん。……うう、唾液を分泌するような苦さと食道から逆流してくるような甘さが残って大変不味いです……」

 口直しに水を二杯飲み干す二宮。


 不登校の原因となった、ストレス性の腹痛。

 その病気に、名前はない。

 名前がないまま五年間と半年、二宮杏寧にのみやあんねは処方された漢方薬を朝と晩の食前に飲み続けている。

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