アネさん探偵と小学生 終

 問題が明るみになって数日後、担任は不登校になった二宮に面談を求めた。二宮は、無理を押して担任の要求に応じた。さすがに二人きりではなく、母親が必ず付き添ったが。

 放課後に行われた面談は、差しさわりない世間話の部分は穏やかだった。だが、肝心の部分で全く話が噛み合わなかった。

 引き金になった、校長と担任、二宮の両親を交えた面談。担任は二宮の両親に謝ったが、二宮自身に謝ることはなかった。担任に反省の意識はなかった。むしろ、自分は頑張って面談を行って、問題児を気に掛けているとすら思っていた。

 二宮は、担任に非があるとは思わなかった。こうなったのは自分のせいだとすら思っていた。『頑張って学校に来れるよね』とうつろな目で問う担任に対して、『無理』と言えず、かと言って『行けます』とも言えず、ただ俯いて黙っていた。

 その二つの対象をつぶさに観察していた母親だけが、冷静に物事を判断していた。



 そして、卒業式を終えて。

 彼女が教師を辞めたことが、四月の新聞で判明した。

 私のせいか、私が問題を引き起こしたからか、と絶望しかけた時、母親の力強い言葉が彼女を引き上げた。



『病気だったのよ、あの人は。杏寧あんねに甘えていたの。自分の弱さを、杏寧に押し付けていたの。杏寧は全ッ然、これっぽちも、悪くない!』



 母の言葉がなかったら、二宮は自責の念で心まで壊れていただろう。そして、母のこの言葉があったからこそ、二宮は立ち直ることが出来た。


 恐怖は今も残るが、あの時の自分が間違っていたとは考えない。自分のせいで辞めたとも思わない。あの人は根本的に、教師に向かなかった。だから辞めたのだ。怒鳴らなければ、生徒を導けないと思っていたのかもしれない。今はそう思うことが出来る。

 だからこそ、怖い。どんな問題があったかは知らないが、あの人は自分の心を自分で立て直せなかった。

 それは、今の自分にも言えるじゃないか、と。



(あの人が私に押し付けたものを、今度は、私が田月くんに背負わせているんじゃないか。……ずっと不登校時代、聞けなくて怖かった。今も怖い)



 田月は、辛抱強く二宮の傍にいた。殆ど毎日家に来てくれた。一度も学校に来いとは言わなかった。突然泣き喚いても動揺しなかった。いつまでも鬱々する二宮を、見捨てなかった。後ろ向きな姿勢に対しての不平も不満も、たくさん飲み込んだだろうに。

 彼が強いと気づいたのはその時だ。

 だから、強くなりたいと思った。

 せめて、自分の不安は自分で解消できるようにはなりたい。好きな人に押し付けるなんてことはしたくない。そう願い続けて、今、それが達成できているかはわからない。成長したという手ごたえも、あまり感じられない。


 それでも諦めずに頑張ろうと思えるのは、田月が自分を好きだと言ってくれたことと、――彼のことが大好きだからだ。


「何時までも一緒にいたいから、成長したいの。弱いから見捨てられないとか、そういう関係じゃなくて、対等で、一緒にいたい」


 具体的にどうすればいいのかわからないけどね、と苦笑いしながらも、二宮は、しっかりカズオの目を見て言った。


「……アンネさんに好かれる人は、幸せですね」


 自分の意志が前面に出ている顔は、なんてきれいなんだろうとカズオは思った。誰かを押しのけて自己主張するのではなく、自分は自分なのだとただ理解している顔だ。

 人里の喧騒から離れた湖の傍で、静かにたたずんでいる。このきれいな顔は、その想い人が見るべきものだっただろうに。

(もったいない)

 カズオはそう思わずにいられなかった。


 一方、小学生からそれを言われるとは思わなかった二宮は、思わずこけそうになった。どういう立場からだそれ。尋ねようとしたところで、丁度店長が戻ってきた。


「お待たせー、二人とも」

 ちょっと時間かかっちゃった、と言いながら、カズオに何かを手渡す。カズオがつまんだそれは、普通のメモ用紙だ。ただし何か文字が書かれている。


「実はね、ぼくの友人に漫画家がいてねー。その人に頼んで、ちょっと即興創作してもらった」

「ああ! それで、電話を?」

「そー。噂を消すには噂」


 ニヤ、と店長の悪い笑み。

 友人に作ってもらった『噂』が、このメモ用紙に書かれているということだろう。


「これに書かれていることを、シオちゃんに言うといいよ。シオちゃん経由で広まるだろうし。『落ち首』の噂なんてあっという間に消えるから」

「ありがとうございます……?」貰ったメモ帳と店長を交互に見るカズオ。

 疑う二宮。そう簡単に行くのだろうか?


                  ◆


「効果てきめんでした!!」


 一週間後。息をきらしながら、カズオが報告しに来た。

 アルバイトではなく、客として来ていた二宮は、タイミングの良さと本当に噂が消えた事実に驚く。


「もう、三日目であの噂が持ちきりで! あっという間に忘れられました! ありがとうございます、店長さん!」

「いえいえー。ぼくはなにもしてないよー。考えたのはぼくの友達だしー」

「そうでした! その方にも、『ありがとうございます』って伝えてください!」


「……一体、どんな噂を?」

 店長に尋ねた二宮だったが、店長はただ悪い笑みを浮かべるだけだった。

「それから、アンネさんもありがとうございます!」

 勢いよくカズオが頭を下げた。二宮は首をかしげる。何かしたっけ。

「あの時、話を聞いてくれて……それが一番うれしかった」

 カズオが笑う。一週間前の緊張や不安の影は見られなかった。そのことに安心したことと、カズオの「嬉しかった」という言葉に、勝手に顔が緩む。

「それで、ぼく、お礼をしたくて」


 カズオが手渡したのは、二枚分の遊園地のチケットだった。


「これ、シオちゃんと一緒に行った時、商店街のガラガラで当てたんです。二人分ペアなんですけど、でもぼくたちじゃ交通費出せないし……」


 このチケットがきっかけで、ちょっとした騒動が起きるのだが、それはまた別の話。

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