アネさん探偵と小学生 6

「……店長さんだったら、もっと上手い方法があったんでしょうか」

「え?」

「本当のことをいえばよかったんです。チャンスは二度ありました。最初のチャンスは、シオちゃんにとっさの嘘を言った時です。でも、言えなかったんです。きっと、聞きたくなかったって思うだろうから……」


「ぼくは、サンタさんの正体を聞かされた時、とてもショックでした」カズオは目を伏せた。

 白くて傷一つない丸い頬。細い腕と脚。座る様子は人形のようだ。無理に動かせば手足は折れる。そうでなくとも、目を離した時に壊れる、磁器の人形。


 少年は、つらつらと噛まずに説明した。



「いたいけな保育園児だったぼくに正体をバラしたのは叔父さんです。しかも職業はお巡りさんです。今でもあの人の残酷な顔を覚えています。目が赤く、しかも血走っていました。――クリスマス前にカノジョにフラれたそうで、一晩泣いて目を腫らしていたことを、後から同じ交番に勤めているお巡りさんに聞きました」


「……色々エグイね」


 二宮は簡潔に答えた。失恋の腹いせにいたいけな園児にサンタクロースの正体を明かすお巡りさんも、それを園児に説明する同僚のお巡りさんも、こと細やかに記憶している現・小学生も、容赦がない。


「もう一つのチャンスは、クラスに広がった時です。でも……」

「でも?」

「……つまびらかに話せば、シオちゃんと一緒だったこともバレちゃうじゃないですか。シオちゃんが喋った時は、そこだけはギリギリ伏せていたのに」


 ふっくらした頬が、さらに膨らんだ。そして、立ち上がって口が開いた風船のように喋りだした。


「なんなんですか⁉ 男子と女子が一緒にいたらそれだけでデキてるんですか⁉ たとえそうでも周りは関係ないじゃないですか! 本人たちが否定してるならそれでいいじゃないですかぁー!」

「うん、わかるけど……」


 むしろ心の底から共感できる。小学校時代、恋愛関係を囃し立てられることは、きっと大多数が経験していることだろう。

 どうして男女が一緒にいるだけで、「恋人」だと言われなければならないのだろう。思っているだけならいい。口に出すのであれば、人を観て言ってくれと二宮は思う。異性同士だからと言って、必ずそういう関係が成り立つとは限らない。兄妹や姉弟という関係だってある。


 もっと言うなら、二宮は実の父親と「夫婦」だと間違えられたことがある。ニガイ記憶だ。



「そんなことをバラしたら、怪談にかわってぼくらのありもしない噂が流れます! マズイでしょうそれ! ……そりゃ、身から出た錆ですけど」



 ストンとカズオが椅子に座った。心配になった二宮が、「カズオくん?」と声を掛ける。



「ひどいことになったら、どうしよう……」


 か細い声で、カズオが言った。

 今更ながら、二宮は気づいた。この子がどうして、こうも必死になって噂を消そうとしているのか。……見知らぬ子が救急車に運ばれてしまったのは、自分のせいだと思っているからだ。

 こわいと、彼の小さな肩が語っている。何もわからないことがこわいと。最悪のことが起きるんじゃないか。けれどそれを防ぐ具体的な手立てが思いつかなくて。

 すぐに噂がなくなると二宮が思うのは、経験でそれを知っているからだ。けれどカズオにとっては、ずっと続く悪夢のように感じるのだろう。


(……経験の差が、気持ちの温度差に結び付いているんだ)


 二宮は、出来るだけ柔らかい口調を心がけて言った。


「大丈夫だよ。カズオくんのせいなんかじゃないもの。今回はちょっと運が悪かっただけ」

「……」

「それに、店長は大人だもの。私たちより知恵があるのは当然だと思う。比べる必要はないよ」


 こんな言葉で大丈夫だろうか、余計なこと言っているんじゃないだろうか。不安は尽きないが、言ってしまったものは戻せない。カズオが黙っている間、自分の心臓の音が五月蠅くなり続ける。



「……アンネさん」

「なあに?」

「――大人は、子どもよりかしこいんですか?」



 カズオの言葉に、二宮は目を丸くした。



「……賢いんじゃない?」


 大人の方が経験が豊富なんだし、と二宮が言うと、カズオはでも、と続けた。


「でも、赤ちゃんは言葉をおぼえることができます。誰から教えられたわけじゃないのに。積んできた知識が多いことを『かしこい』というのか、習得が速いことが『かしこい』というのか。どちらも兼ねているのが、一番いいとは思いますけど」


 ……そんなこと、考えたことなかった。目から鱗である。

(面白いこと考えるなー、この子)

 感動していた二宮とは反対に、言葉を続けるカズオは今にも泣きだしそうだった。



「ぼくは、勉強が好きです。でも、それだけなんです。ただ少し人より本を読むだけで、言葉の意味はわからないことばかりです」


 なのに、とカズオは言った。




「……いつもまとめ役にされるのは、つらいです。

 ぼくは、先生みたいにはふるまえないのに」




 その言葉が。

 二宮の中で、ずっと昔に置き去りにした、小学校時代の記憶と想いを呼び起こす。



『大人びた』容姿、『大人びた』思考、『大人びた』振舞い。

 そう褒められるのは、心地よかったけれど。

『あなたなら任せられる』と期待されて頼られるのも、嬉しかったけれど。



『どうしてまだこの班は終わっていないの? あなた班長なのに、何しているの?』

『あなたがしっかりしてよ。学級委員長なんだから。全員分の宿題が出されていないのは、あなたの責任でしょう?』

『あなたのためを思って言っているのよ。あなたならできるでしょう?』

『あの子は子どもなのよ。大人のあなたはそれぐらいの悪口、ゆるしてあげなさい』


 かつての担任の声を、すっかり忘れているのに。

 かつての担任の言葉は、抜けずに心に突き刺さったままだったのだと、二宮は気づいた。こんなにも鮮明に覚えているなんて。さっさと忘れればいいのに、と自嘲する。


 自分が、そこまでしっかり者ではないこと。多数派の中に溶け込むことが苦手なこと。優等生として振舞えば振舞うほど、真のリーダーである女子や男子に煙たがられること。『死ね』という言葉が、二宮にとって『それぐらいの悪口』の範疇ではなかったこと。無視されたり、悪口を言われたら傷つくこと。

 大人びたように見えるからと言って、『大人』というわけじゃない。

 紛れもなく、二宮は子どもだった。そのことを正しく理解してわかっていたのは、小学校時代、両親だけだった。

 二宮すら、理解していないことだった。

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