アネさん探偵と小学生 2

「……店長」

「んー?」

「ポップの字が間違ってます」

「え、どこ⁉」


 先ほどのシリアスな発言とは打って変わった声に、思わず二宮はくすっと笑った。「ほらここ、完璧の『璧』が、『かべ』になってます」


「あー、ほんとだ。どうも漢字はニガテなんだよね……」

 頭の後ろをかきながら言う店長に、またもや二宮は笑う。

(田月くんと、似たようなことを言ってる)

 田月と店長の仲が良いのは、似た者同士だからだろうか。楽観的で、明るくて、何があっても派手にうろたえることがない、度胸のある人。特に、他人の感情に振り回されがちな二宮にとっては、とても安心できる人間だ。


「息子にもよくツッコまれるんだよねえ。息子は漢字強いから」

「息子さん、いらっしゃったんですか?」

「ああうん。……そういえば杏寧ちゃんと同じ高校だったなあ。うっかりしてたよ」

「そうなんですか⁉」


 それは初耳だ、と二宮が会話を掘り下げようとした時、「あのー」という声がかかった。



「すみません、あの本とってくれませんか?」


「ぼくじゃとどかなくて……」と言ったのは、小学生ぐらいの男の子だ。小柄で、背丈は二宮の腰にも及ばない。恐らく一年生だろう。大き目の眼鏡を掛けている。

 男の子が指した方向は、棚に並べられた本の中でも、一番上にある。一応店内のいたるところにキャスター付きの踏み台が置かれてあるが、170センチある二宮にかかっては、踏み台なしでも余裕で取れた。


「……はい、どうぞ」

 二宮の言葉に、「ありがとうございます」と男の子が丁寧にお礼を述べる。

本のタイトルと男の子を交互に見て、二宮は微妙な気持ちになった。


(踏み台があっても、この子じゃやっぱり届かなかっただろうな。だから店員さんに頼んだっていうことはわかるんだけど――この本、この子に読めるかしら? 『ソラ●ス』だよ⁉)


 某SF出版社の中でも難解な海外SF作品である(と、二宮個人は思っている)。ずいぶん前に棚に入れられたのか、他の本と比べて若干黄ばんでいた。



「ね、きみ……」

 これ本当に読めるの? と尋ねようとして、慌てて口をつぐむ。


「……何ですか?」

「え、あ、いや」


 怪訝そうに見える男の子に、慌てて二宮は言った。


「その眼鏡、カッコイイね⁉」

「……ありがとうございます」


 何言ってんだこいつ。そう顔に書かれてあったが、それは言わずに感謝を述べた男の子に、二宮は心の中で涙を流した。そして反省する。


(いけないいけない。人が読む本に口を挟むなんて、あるまじきことだわ!)




 かつて二宮も、担任から読んでいた本について言及されたことがある。その際、なぜか親が呼び出され、『杏寧さんには協調性がない』と爆弾発言を落とされた。


 杏寧さんは休み時間、一人で過ごすよね。友達がいないから、休み時間なんかに難しい本を読むんでしょう。

 というか、友達をバカにするために、敢えて自分でも読めないような本を持ってきているんじゃないですか。今後、杏寧さんに本を持たせないようにしてください。こんなことをしていては、彼女に悪影響です。



『友達』がいない休み時間を過ごしていると言った傍から、『友達』をバカにしているという担任。

 言っていることが矛盾している。最初は、他人事のように思った。けれど、じわじわとせり上がる胃液と共に、「今この言葉は自分に言われたのだ」と自覚してゆく。

 自分は読書が好きなだけなのに。誰かをバカにするとか、友達がいないからとか、『読めない本』だと何故決めつけるのだと、反感を覚えた。けれど、当時「教師」に対してなんの警戒心も持たなかった二宮は、「先生」という人の言うことは正しいものだと思っていた。その「先生」に咎められ、反感する自分は「素直に先生の言うことが聴けない悪い子」なのだと思い、傷ついた。


 ――もっとも、その当時の母は怒り狂ったらしく(その現場を二宮は見ていない)、今でも「あんにゃろう今でもムカつくわー」と笑って言うことがある。

そこでようやく、二宮は自分が間違ってないと判断できた。

 そして、自分が思っている以上に、あの言葉に囚われていたのだと気づいた。






(トラウマというほどではないけれど、だからって、あんな風に言うのは良いことじゃない。絶対)

 先ほどの店長の言葉を思い出す。子どもの世界にしゃしゃり出る大人は、きっとこれからの自分だって成り得る。

 あの時嫌だったことを今でも覚えているのに、さきほどの自分はあの担任のように口を挟もうとしたのだ。

 気を付けないと、と胸に握りこぶしを作る二宮に、男の子はまたも声を掛けた。



「……さっき、怪談の話していましたよね」

「はい。そうですが……」

 二宮が言うと、男の子は俯いた。そのまま黙り込む。


(どうしたんだろう? 体調が悪くなったのかな?)

 二宮がかがんで顔色を確かめようとしたのと同時に、力強く男の子が顔を上げた。




「そのうわさ、作ったのぼくなんですっ」



 女性の二宮よりも高い男の子の声が、妙に店内に響いた。

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