梅雨の髪事情 図書館の場合 1

 放課後の図書室にて。


「……寝てる」


「一緒に帰ろう」とメールを打つと、「図書室で待ってます」と返信が届いた。

 それを読んでやって来た田月が見たものは、積み重ねられた数冊の本を横にのけ、机の上で組んだ腕を枕にしている二宮の姿だ。

 腕と顔に挟まれた髪が、図書室の照明に照らされ、一層艶めいている。口に入りそうになっていたので、田月はそれをそっと掬いとった。


 散々、「エロい」「扇情的」など言われた二宮の髪だったが、田月の感想はというと。


(こーゆー黒い素麺あったなあ)


 ……口に出すと、とても残念なものだった。

 もちろん田月も二宮の髪を「綺麗」だとは思っているが、比喩しようとすると身近なものに例えてしまうのだ。

 すべては田月の残念な国語能力のせいである。


「……おはよう、田月くん」

 気配を感じたのか、もそもそと髪の塊が動き出した。否、二宮が起きた。


「あ、悪い。勝手にさわった」

 感触が気持ちよくて、何となくさわり続けていたことに気づく。

 二宮は髪を触られることを嫌がる。特に小学校時代は顕著だった。クラスに必ず三人いる悪ガキに後ろ髪を引っ張られ、その度に文句を言ってはケンカになった。

 そのことを思い出し、慌てて髪を手放そうとすると。


「いいよ、田月くんなら。気持ちいいし……」


 爆弾発言。

 田月は動揺のあまりフリーズ。


(……知っている。二宮に他意はない。うん。今暑いしな、大方手が冷たくて気持ちいいってことだろ)


 我に返った田月は自分に言い聞かせ、必死に頭を冷やす。その功があって、田月は何とか平静を保った。その割には全身暑いが、夏なので仕方ない。

 とはいえ、二宮の髪の感触が気に入った田月は、本人の許可を得て再び髪を触り始めた。二宮は身を竦ませはしたが、嫌がっている様子はない。

 ……というより、寝ぼけていているから受け入れている、というのが正しいかもしれない。長い睫毛は伏せたままだ。若干顔も青ざめている。体調が悪いのだろうか。


 季節の節目に、二宮は体調を崩しやすい。気候の関係もあるが、行事ごとに弱いのもある。この間体育祭が終わったが、その時二宮は応援団長という大役を任された。きっとその疲れもあって、眠ってしまったのだろう。そもそも三十人もの人間が密集する教室の中は、二宮にとっては辛い空間だ。

 誤解されがちだが、一人が好きだからと言って他人が嫌いなわけではない。二宮の場合、他人が好きだからこそ、気を遣おうと緊張してしまうのだ。傍に人がいると、不安になっていつも人の気配を追わなければならない。こういった一人でいられる図書室は、パーソナルスペースが広い二宮にとってのオアシスだった。


 ふと、田月は思い出す。今は他人に囲まれている二宮だが、小学校時代は一人だったな、と。


                   ◇



 小学校時代の二宮は気の強さが前に出ており、よく悪ガキとケンカしていた。特に、「死ね」という言葉を聞いては、烈火のごとく怒り食いかかった。勝つこともあったが、負ける時はいつも泣いていた。


 泣くぐらいだったら、気にしなければいいのに。


 二宮の泣いている姿を見かける度、田月はそう思っていた。

 その時はクラスメイトとはいえ、顔見知り程度の仲だった。特に話しかけることも話しかけられることもない。「簡単に泣く人間」を苦手に思っていた田月は、その当時は二宮のことを好きではなく、近寄りたくない存在だった。

 そう思っていたのは、田月だけではない。他のクラスメイトも、担任の教師も。

見た目が大人びていて、クラスで一番身長も高かったからもあった。外見も中身も教室の中では一際異質。基本、彼女はクラスメイトから遠巻きにされていた。


 一人ぼっちの、人とうまく付き合えない寂しいクラスメイト。


 田月のその印象が変わったのは、小学校六年の六月だった。

 珍しく早く起きた田月は、教室でたった一人、机を拭いている二宮を見つける。




『死ね』という言葉を始めとする、罵詈雑言の落書きがされた机だった。

 それを二宮は拭いていたのだ。


 自分の机ではないというのに。




 その机は、緒方ひかりという女子の机だ。

 緒方の特徴を挙げると、まずテニス教室に通っていたため日焼けしていた。つぎに身長は139センチという、小学生の中でも小柄な方だった。

 運動はあまりせず、肌は真っ白、当時の身長は163センチと高身長だった二宮とは対照的である。何よりも一番大きい違いは、彼女は女子の中の力関係に聡く、女子グループの中でうまく立ち回り、その結果教室の中でボス的存在だった女子と仲が良かった。


 しかし、ある日唐突に、緒方はグループからはじき出される。理由は不明だ。しかし、理由にすらならないどうでもいいことでのけ者にされ、いじめの標的になったことは容易に想像できた。田月が転校する前の学校でもあった、ありふれたことである。


 当時の緒方と二宮は、敵対関係だった。というのも、ボス的存在の女子が、二宮を毛嫌いしていたからである。積極的な攻撃を仕掛けることはなかったが、ボスの二宮に対する悪口には、いつも笑い声をたてて同意していた。



 二宮が、緒方のことを好きなはずがない。

 だというのに、彼女は緒方の机を拭いていた。



『……別に、仲が良いわけじゃないのに。なんで拭いてあげるんだ?』


 田月に後ろから声を掛けられた二宮は、拭く手を止める。


『庇ったら自分がいじめられるとか、そーゆーこと考えないわけ?』


 自分には関係ないという顔をすればいいのに、どうしてわざわざ首を突っ込むんだ。どうせ数に敵わなくて泣くくせに。

 安易にその後の未来が見えた気がした田月は、苛つきながら尋ねた。



『……平気だよ。私、どうでも良い人に何か言われたって、気にしないもの』



 嘘つけ、と田月は思った。

 声が震えている。手も震えている。

 少し何か言われただけで泣く奴が、平気なわけがない。

 そう思っていた田月は、しかし、次の言葉で殴られたような衝撃を受けた。


『私は平気。だけど、緒方さんにとっては違うかもしれないじゃない』


 二宮は振り向く。

 前髪や横に流した髪が、ふわりと浮いて、額や肩に落ちる。



『自分が平気だからと言って、他の人が平気だとは、限らないでしょう?』


 彼女は口角を上げて、笑顔を浮かべた。

 無理して作っている笑顔だとわかるのに、なぜか楽しそうに見えた。

 それが田月にとって、印象的だった。

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