梅雨の髪事情 2‐Aの場合

「雨はさいあくだー」


 2-Aにて。呟いたのは演劇部部長の茅野千恵美である。

 机に突っ伏すと綿のようなくせ毛が広がる。155センチという少し低めの身長と、大きなたれ目も相まって、ぐりぐりと机に頬ずりする姿はまるでネコのようだ。


「朝早く起きてセットしてもむくわれないー」

「チエミ、くせっげだものね……」


 彼女の幼馴染である緑川エリは、茅野の髪を撫でながら苦笑いする。

 緑川はストレートなので、梅雨の時期のくせ毛の悩みはわからない。しかし幼馴染だけあって長い付き合いだ。「女は女優」を地で行く茅野は、いつもはポーカーフェイスを崩し、この時期になると眉の形が八の形になることが多い。よっぽど悩みは深いんだろうと想像できた。


「おはよう、エリちゃん、茅野さん」

「あ、おはよう。杏寧あんねちゃん」

「アネさんおはよー」


 教室に入ってきた二宮杏寧あんねに挨拶をした後、茅野は彼女をじっと見て、

「……いいよねー、アネさんは。ストレートで」

「へ?」


「今ね、梅雨の時期、くせ毛の人は大変だって話をしてたの」

「ああ、なるほどっ」

「体育祭の時に髪を結った時にねー、本当にツヤツヤでサラサラでー。今日なんかすごく輝いて見えるー」

「そうね……こういう艶、天使の輪っていうんだっけ? 杏寧ちゃんの髪、本当にきれい……」

 緑川が言いかけた時。



 バリン!! と、二宮の後ろ髪から何かが弾け飛んだ。

「あべし!」

 そしてそれは、二宮の後ろを通っていた男子生徒の頭に直撃!

 パラパラと、纏めてあった二宮の髪が下ろされていく。



「……え?」

「わああああー! 大丈夫⁉ 大丈夫⁉」

「だ、大丈夫っす、二宮さん……」


 教室が静まる中、二宮の叫び声に似た声が妙に響く。

 男子生徒に謝り倒した後、二宮は床に落ちたそれを拾った。そこに、緑川が尋ねる。



「……なに? 何が起こったの?」

「じ、実は、私の髪を留めていたクリップが壊れまして……」

「壊れたっ⁉ クリップが⁉」


 両手に乗せられたバンスクリップは、蝶つがいから一番近い部分が割れていた。先ほど飛んで行ったのはバネの力らしい。

 ああ、これでオシャカになったのは何個目か。涙目になりながら、二宮は説明する。


「わ、私……なぜかクリップがよく壊れるんです……」

「何それ⁉」

「多分、髪が丈夫で量が多いからかなと……。クリップの方がまとめやすいから」

「えーと……ゴムじゃだめなの? 私シュシュなら持ってるよ?」


 緑川の申し出を、二宮ではなく茅野が断った。


「あ、だめ。アネさんの髪、さらさらしすぎて、結おうとするたびに零れるんだもん。こないだの体育祭の時、それで苦戦したし。ねー」

「ワックスとかいろいろ塗ったくって、ようやくまとまったね……」


 遠い目をして答える二宮。

 サラサラすぎると結びづらいのか。髪はサラサラしている方がいいと思っていた緑川は、目から鱗が落ちた。


「綺麗な髪だからと言って、良いことばっかりっていうわけでもないんだね」

「うーん。あまり手入れしてなくても荒れないぐらい丈夫だから、文句言うとバチが当たりそうだけど……。小さい頃は、自分の髪の毛はすきじゃなかったなあ、私」

「え、そうなの?」

「昔は、茅野さんみたいなふわふわの髪に憧れていたの。だから寝る前に三つ編みをして、ほどいたらパーマみたいになるかなって試していたんだ」

「あー、小学生の時やってる子いたー。それで出来たのー? パーマ」




「出来たんですが。櫛で梳いたら、一発で直毛に」

「神がかってるねー。髪だけに」

「……本当に丈夫なんだね」



 二宮の切ない結末と茅野のギャグに、なんとコメントすればいいかわからない緑川であった。






「でもさー、別に結ばなくてもよくないー? うちの学校校則ゆるゆるだしー、おろした方がエロかわいいよー?」

「え、えろっ⁉」

「いや、その表現はどうだろう、チエミ」


 と窘めてみたが、緑川も心の中では同意した。

 エロい、という言葉より、扇情的という言葉が一番当てはまる。細い首筋や肩に、簾のようにかかる黒髪は、白い肌に良く映え、小さな耳が見え隠れする。髪が横に流れたことによって、顎の線がよりシャープになっていた。更に程よく紅い頬と唇は、黒と白との対比でますます魅力的に見える。流れる髪の先は、膨らんだ胸の真ん中に流れていた。



(な、何この気持ち……)

(……ヤバイ。フェルモン漂わせすぎだー)



 冗談で「エロかわいい」と言ったつもりだったが、ちょっとずつ本気になりつつある二人。

 この美しさは、男よりも女が惹かれる美しさだ。



「ね、ねえ。ちょーっと、毛先触らせてくれない?」

「いいでしょー?」

「え、ええ? な、なんか二人とも、目があらぬ方向にいってない?」



 両手を猫の形にして詰め寄る二人に、二宮は後ろへのけぞる。

 ……とそこへ、こっそり忍び寄る男子生徒が一人。女三人の会話に好奇心といたずら心を刺激され、二宮の髪に触りたくなったようだ。ばれないよう、二人に気を取られている二宮の背後へ回る。

 そして、うなじにかかる髪束を掴んだ瞬間。




 ――振り向きざまに、二宮の裏拳が炸裂した。


 男子生徒は鼻の頭を思いっきり殴られ、教室の床に沈む。何かが砕ける音がした。

 ふわっと舞った黒髪が再び肩に降りた時、はっと二宮は我に返る。



「……って、きゃあああ! ごめんなさい、無意識に!」

「い、いってぇ――……ちょっとアネさん、痛ってーんだけど……」

「ご、ごめんなさい。でも、髪を触られるのはどーしても嫌で、つい、反射神経というかっ」


 床に座った男子生徒に、頭を下げる二宮。

 そこに、冷たい視線を向ける女子が二人。



「……今、アネさんの髪触ろうとしたの? セクハラー」

「違うよチエミ。これはただのチカンよ、チカン」

「あんまりにも酷くないか⁉ つーかさっきいやらしー目してたおめーらに言われたくねえよ!」

「私たち声かけたもんー」

「嫌がる人にはしないわよー」


 ねー、と顔を見合わせる緑川と茅野。

 こんな感じで、朝の時間が過ぎてゆく。

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