六月はあっという間
梅雨の髪事情 2‐Bの場合
「あー、梅雨嫌だなあ」
六月。灰色の空に、薄暗い校庭。人の声や物音が吸い込まれそうな雨音。
自分の机に寝そべる井上シャルルは、この上なく憂鬱だった。
「湿気も熱気も纏わりついてさー、死にそうだしー。くせ毛がさー、ひどいし。傘とかささないといけないの面倒くさいしー、結局濡れるしー。薄暗くて鬱になりそーだよー」
「おいおい、学校の王子様がそんなだらしなく寝転がって、大丈夫なのか?」
クラスメイトの佐藤健吾が心配するのは、一部の狂信的なシャルルのファンのことだ。『己の理想のシャルル像』から外れると、とんでもないことをする女子生徒がいる。誇張ではなく、警察の厄介になる可能性もあるので、シャルルはこれでも女子の反応に気を付けていた。
「大丈夫じゃないけどさー、でもしんどい……だってフランスじゃーここまで気温の落差はないんだよー、それに湿気だってー」
「まあ、日本は四季がある島国だしなあ。フランスに何年住んでたんだっけ」
「十一年ちょっと。マ……母親が今の父親と結婚した時にパリから引っ越してきたから」
「十一年か。そりゃ、最初の夏は大変だっただろ」
「そりゃもう。飛行機下りたとたんに気絶したもの」
机から起き上がって、シャルルは首を竦ませる。左側の襟足から、くせ毛が大きく跳ねていた。
「また跳ねてるなあ。お前の髪」
「うー……せっかく直したのに」
「お、二人とも。はよー」
シャルルが跳ねる髪を撫でた時、教室に丁度田月翔太が入ってきた。田月の声に反応した二人は、入口の方へ振り向く。
「あ、おはよってえええ――⁉」
「おま、芸術的だな頭ぁぁぁ!」
二人は挨拶もそこそこに――というか、挨拶など吹き飛ばすほどに揃って叫んだ。
田月の髪は、襟足だけでなく頭のてっぺんあたりまで爆発していたのである。その荒れようはシャルルの比ではない。
「うわあ……なにショータ。その、ウ〇ト〇マンみたいな頭」
「いや、どっちかというとサ〇ヤ人だろ」
「おいおい。なんでお前ら朝っぱらからギリギリの会話をするんだよ?」
「「お前(キミ)がおかしいんだよ!! 何その頭!!」」
声をそろえて炸裂する二人のツッコミ。
「え、田月ってそんなにくせ毛酷かったか⁉」
「あー、混合毛なんだよ、俺。まあこれは寝ぐせだけど」
「直してから来い学校にっ!!」
「いや、別にいいんじゃんかー。死ぬわけじゃねーし」
「大雑把すぎるよショータ! 身だしなみって知ってる⁉ というか恥ずかしくないの⁉ ほら、僕が直してあげるから座りナサイ!」
ほら! と怒りながら自分の椅子を叩くシャルル。しゃーねーなーと言いながら、田月は言われたとおりに座る。シャルルは自分のブラシで田月の髪を梳き始めた。ブラッシングする立ち姿が妙に様になっている。
教室にいる一部の女子が、「新刊のテーマは髪を梳く……いままでありそうでなかったわ」といそいそノートを開いている。が、二人は全く気付かなかった――。
「うわあ本当に酷い……本当どういう寝かたしてるの?」
「うーん、別に普通に寝ていると思うんだけどなあ。ベッドから落ちたりしないし」
「そりゃ普通はそうだろ……」
佐藤も気になって田月の頭を触る。思っていた以上に柔らかい髪質だ。思いっきりうねった髪に指を通してみると、くせになってやめられない止められない。
「芸術的に爆発してるなー、ホント」
「岡本太郎かよ」
「ケンゴはいいよね。ストレートでさ。真っすぐ黒髪は羨ましい」
シャルルが、恨めしそうに佐藤に言う。
「お前ら髪が長いからじゃないか? 短く切ったら違うかもだぞ」
佐藤の髪は、田月やシャルルよりずっと短い。いわゆる九分刈りである。校則の髪型は自由。野球部の規則も、髪型が規定されているわけではない。だが、短い方が髪を洗うのも乾かすのも手間がない。良いことばかりだと思うが。
佐藤の提案に、彼らはそろって首を横に振った。
「春休みに切ったばっかりだぜ、俺」
「これぐらいの髪の長さが僕のアイデンティティだから」
「どいつもこいつもめんどくさいなあ……」
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