レッツ! 体育祭 終

「佐藤くんにとって、納得できる理由かはわからないけど」


 私ね、と二宮は言った。


「不登校だったの」


 どんな理由があるんだろう――と身構えていた佐藤は、バケツから水をかけられたような気持ちになった。

 きっちり三分硬直する。


「え、不登校ッ? 二宮さんが?」

 ようやく出た声は裏返っていた。クスリ、と二宮が少し笑う。

「そうは見えませんか? 結構言われる。でも、今は別に珍しくないと思うけどなあ……」

「や、そうだけど! で、でも……」


(二宮さんが? なんで?)

 佐藤が知っている二宮は、美人で成績もよく、今日のような人気者の姿しか知らない。そんな彼女に、「不登校」になるようなことが想像できなかった。


「小学校六年の二学期過ぎてから、中学校三年間は殆ど行っていないの。それで、毎日私の家に来てくれたのが、田月くんだった」


 しかし二宮は、その原因は告げず、淡々とそのことを語る。

 整った眉が動かない。目も少し伏せたまま。

 下を見ると、コンクリートの上で固く握りしめられた拳を見て、佐藤は納得した。――原因を言ってしまっては、普通に話すことなどできないのだ。


(二宮さんは、胃が痛いのはいつものことだと言っていた。……多分、ストレス性のものだ。それは、今もまだ、無くなっていないんだ)


 それ以上は聞くまい、と佐藤は心がける。

 佐藤は母子家庭に育った。高校に入るまでは裕福な方ではなかったから、一生懸命働く母親の姿を見て、どんなに教室が辛くても、母親に心配はかけさせないと決めた。自分の学校生活は、自分で守る。その決意もあったのか、はたまたは幸運だったのか、中学校生活は割とうまく立ち回れた。

 けれど、そんな彼でさえも、中学校生活は楽しいと言い切れるものではなかった。いじめ、厳しい校則、拘束された時間割。窮屈だ、不満だ、と感じることは多々あった。だから、二宮が不登校児だったと言っても、たしかに驚くことではない、と考え直す。

 不用意な言葉は、二宮を傷つけるかもしれない。彼女が何かを話しても、余計なことは言わないように、彼も拳を握り締めた。



「ぐずぐずだった。眠れなくて昼夜は逆転するし、勉強は出来ないし、少し外に出るだけで疲れるし。起きたらお腹が痛くなるし、常に身体がだるいし、頭痛いし。将来のこととかも考えた時に、高校にも行かないで、日がな家で過ごすのもどうかと思ったけど……全然勉強がわからないから、受験とか怖くて。ずっと授業とか聞いてられるとも思えなかったし。そもそも、教室が怖かった。――毎日ちゃんと起きることすらできない、何もできない自分を自分で責めて泣き喚いて、その繰り返し。その度に色んな人に心配かけて。だけど周りはどうしようもないの。いくら優しくしてくれても、慰めようとしてくれても、私の問題だったから、私がどうにかしないといけなかった」


 二宮は淀みなく答えた。けれど、どこか早口だった。

 彼女自身も気づいたのだろう。言葉を区切り、ゆっくりと喋り始める。


「怖いものだらけで情けなくて、なんで田月くんが私のところに来てくれるかわからなかった。何度か『私のこと、重いって思ってるでしょ?』って聞きそうになった。そう聞いている時点で、もう重いってわかったから、絶対に言わないようにしていたけど。今思うと、うっかり言っちゃってたかもしれない」


 そして、今度は伏せていた目を、ちゃんと佐藤を見上げて言った。


「告白された時、本当に嬉しかった。だからね、今のままじゃダメだと思った。何か頑張ったっていうものが一つないと、ダメだと思った。そんな私が思いついたのは頑張って高校行くことで。自信がつくまで待ってって、頼んだの」


 いたずらっぽく佐藤に笑いかける。


「結構わがままでしょう? 私」

「……そう、だね」

「佐藤くん、素直だなあ。でも、自分でもそう思う」


 二宮は持っていたペットボトルをコンクリートの上に置く。残っていた水の影が、木漏れ日と一緒に揺らめいていた。



「でも、わかった。ひょっとして、応援団長を引き受けたのも、田月のためか?」

 ピタ、と今度は二宮が硬直する。

「応援団長したら、田月と釣り合えるって思ったのか……なと思ったんだけど、違ったか?」

(あれ、なんかまずいことを言っただろうか?)

 硬直が解けた後、再び、二宮は俯いて言った。


「……私ね、どうも着物とかそういう非日常的なものがよく似合うみたいなんですよ」

「ん?」

「何人もの人にそう言われたし、演劇部の茅野さんにも太鼓判を押されたのだから、間違いない、と思う」


 たしかに、彼女の着物姿は、美貌が大変良く映えていた。しかしそれが何の関係が?

 不登校時代を淀みなく答えた時とはまるで別人のように、途切れ途切れ彼女は答えた。



「……『綺麗』って、言ってくれるかなっていう下心、です」



 誰が、とか。

 野暮なことを聞かなくとも、佐藤は誰のことを言っているのかわかった。

 目にもとまらぬ速さで二宮は立ち上がる。



「行こうか! そろそろ準備しないお、じゃなくて、しないと」



 噛んだ。

 しかし、佐藤は他人の揚げ足を取るような人間ではなかったので、聞かなかったことにした。彼女の顔が真っ赤に染まっていることも、言及しなかった。

 佐藤は立ち上がり、二宮の隣に並んで歩く。



「そういえば、応援の着物、脱いで大丈夫だった? ほら、帯とか複雑そうだったし」

「大丈夫、あれマジックテープで簡単に止められるように出来ているの」

「え、すごいな……」



 他愛無い会話をしながら、佐藤は自分より少し低い位置にある二宮の顔を見る。

 たまに田月のところへ遊びに来ていたが、――こんな可愛い顔を見たことはなかった。彼女の頭の中に誰の顔が浮かんでいるか、問いたださなくともわかる。


(……なんだ。全く問題ないのか)


 余計なお世話だったな、と佐藤は思った。


 きっと田月は、彼女の望む言葉を言うだろう。

 その後の彼女の笑顔を想像する。


 佐藤はかわいいな、と思ったのと同時に。

 ほんの少し、胸が痛んだ。

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