アネさん探偵と盗まれたもの 終
◆
二宮の推理は、ほとんど当たっていた。
翌日、田月は本屋に寄った。するとレジがどことなくざわついて、傍で客の女性が立っている。カウンターに置かれていた本は、『西洋絵画の歴史』。
この人だ、と一瞬思ったが、――違う、と田月は思いなおした。
歳は二十代前半か、もしかしたら成人していないかもしれない。真っすぐな、染めていない黒い髪。緑のパーカーにジーンズ。化粧っ気はない。五月だというのに、まるで真冬の寒さで凍ったような、青い唇をかみしめていた。
(こんな青い顔をした人間が、あんなことできるか?)
後ろめたさがあるようには見える。だが、二宮の推理が描いた犯人像は、「自分が悪いことをしている」と自覚がない人間だ。
田月はふと、入口を見る。
ガラスを通して、外にいた女が見えた。
袖が膨らんだ刺繍ブラウス。茶色のフレアスカートに、黒のサッシュベルト。緩いウェーブがかかった、黒いセミロング。
厚く塗られた口紅は、意地汚く口角を上げていた。
あいつだ、と田月は直感した。――二宮が見た、女は。
それからまた次の日の朝。事件の背景が判明した。
店長が親身になって話を聞くと、カバーが交換された本を持ってきた女性は、泣きながらすべてを自供した。
「どこまで話していいかわからないんだけど。田月くんならいいか」
彼女は、まだ高校生だった。つまり、田月たちより一学年上だったのだ。ただし、年齢は十九。いじめで留年したのだと言う。いじめていたのは、あの黒いセミロングの女性だった。
「いじめの原因は、彼女の尊厳とプライバシーに関わるから言えないけど。何らかの弱みを握られて、彼女は黒いセミロングの女性に逆らえなかった、っていうことは前提に置いておいてね」
その辺の事情は田月には無関係のことだ。田月が頷くと、店長は続けた。
「一年ずらしたことでようやく学校に通うことが出来たのに、そのいじめっ子は執拗に絡んできたそうだよ。彼女の家の経済状況をあげつらい、今回のことを唆したらしい」
『家の重荷になっているあなたのためよ。断れる立場とは思っていないわよね?』
そう言われて、彼女は従った。日本史の資料集は、留年する前に、黒いセミロングの女性の手によって捨てられた。彼女には、新しい資料集が必要だった。
『私が手を貸すわ。絶対にばれないから、安心して従いなさい』
もちろん、黒いセミロングの女性は彼女を思う気持ちなどない。十人中十人にこのことを伝えれば、「お前のせいだろ!」というもっともなツッコミが来るだろう。
つまり今回の動機は、二宮が言っていた『お金がもったいない』という理由ではなく、ただただ、ある少女を苦しむ姿を見たかっただけなのだ。
そのことを黒いセミロングの女性に尋ねると、彼女はあっさりと認めた。――認めるのが簡単なほど、彼女には罪の意識などなかった。
(イカれてんなあ)
田月はそれ以上のことは考えない。いくら理屈が通っていなくても、悪意は依然としてある。逆らえず過ちを犯した彼女のことも、彼が非難する必要はない。田月は、何もかも理解できるほど自分が完璧だとは思わなかった。ただ。
「あー! これ二宮には言えねーな」
頭をかきむしる。
「昨日、二宮熱出して学校休んだんですよ。ものすごく落ち込んでいたから、事件の概要がはっきりしたら少し気が済むかなって思ったんですけど……。ダメっすね、更に落ち込むわ」
店長も苦笑いした。
「アンネちゃんには悪いことしたなあ。実は僕、こういうことになるだろうなって、ある程度予想してたんだよ。他の書店の人に、似たようなことを相談されてたから。他の本屋も風評を心配して黙っていたみたいなんだけど、話を聞いたら何件も起きてたみたいだよ」
どうやら、他にも脅迫されてやった子がいたみたいだね、と店長は言った。
「アンネちゃん、辛かっただろうね。……あの子は、自分と周りにうまく境界線が引けない子だから。こんなことまで知っちゃったら、自分のことのように思っちゃうだろうね」
「……ひとまず二宮に、一件落着したって言っていいですか」
「いいよー。これからいろいろ大変だとは思うけど、少なくとも僕のところには金銭的な害はなかったからね。もういたずらはないだろうし、解決したって言っておいて」
「はい、ありがとうございました」
「あ、一応言っておくけど、今さっき言ったことは、誰にも言わないでね」
「言いませんよ。二宮に言ったら、俺も全部忘れます。じゃあ」
自転車に乗って学校へ向かう田月に、「気をつけてね」と店長が見送った。
昼休み、田月が2‐Aへ向かうと、二宮は自分の席にいた。
「朝は見かけなかったから、今日も休んだかと思ったぜ」
「2限に来たの」
「大丈夫かよ、単位。この間も遅刻して来なかったか?」
「う、大丈夫……な……はず……。計算間違ってない……と、いいな」
「しっかりしてくれよ、もー」
「大丈夫。出席日数も単位も、約束もちゃんと守るから」
「……それらと並べるか」
たわいない会話をした後、田月は今朝のことを伝えた。そっか、と穏やかな顔で 二宮が言う。それ以上は何も聞かなかった。
『自分のことのように思っちゃうだろうね』
店長の言葉が、田月の脳裏で蘇る。
次に思い出したのが、ウェーブがかった黒いセミロングと、厚く塗られた口紅。
その特徴が、二宮にとってどんな意味を持つか、田月はあの時気づいた。
(多分二宮は、思い出したんだ。――あのクソバアアのことを)
歳はかなり違うし、顔は似てはいないが、その特徴だけは一致している。
その上、学校に通えず、長いこといじめっ子に操られていた少女の境遇は、彼女にとって「自分のことのように思う」どころではない――過去の自分を思い出し、重ねずにはいられないだろう。
絶対に言えない。そう決めた田月は、ビニール袋を二宮に渡した。
「……なにこれ」
「本。二宮、欲しかったんだろ」
「え、あの図録⁉ ってあああ! 私、まだ田月くんにこないだの本代返してない! ちょ、今返すから!」
「いーって別に。これ含めて見舞いの品ということで」
「いやダメでしょう! ああもう、こういう時に限って財布の中身がないなんてっ」
元気になってくれるなら、本代ぐらい大したことはない。
田月翔太は、その思いを言葉にはせず、「とりあえず金を受け取れ」という二宮を笑顔で躱すだけだった。
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