アネさん探偵と盗まれたもの 7

 ようやく、田月は二宮の言っていることを理解した。


「そのために、いたずらして店側の人間を不安にさせていたってことか?……中身を全部見てから、いけしゃあしゃあと金を返してもらうつもりだったのか?」

「もっと最悪の場合は。図録をすべて複製してから、金を返してもらう。それで、複製したものを転売する」


 そこで言葉を区切り、「でも、転売まではいかないんじゃないかな」と自ら否定した。


「タブレットで写真とることはしてそうだけど。今のカメラって、字もきれいに写すでしょう。黒板をノートにとらなくて、写真に写す人もいるって聞いたことがあるよ。こういう本は、千円単位が普通だし、買うお金がもったいなくて及んだことだと思う。……でもこれは、単独犯じゃなくて、もう一人共犯がいないと」

「買う人間か。その女は、何も買わずに出て行った。誰かがうっかり目的の図録を買えば、計画はおじゃんだな。女が出て行ったあとすぐ、共犯が買ったんだ。……ないって言ったのは、美術史のカバーが掛けられた『詳細 日本史』のことだったんだな」

「……私が、一番怖かったのは。その犯人にとって、『価値なし』のものはどうなってもいいと思っているんじゃないかってこと」


 二宮は、手のひらで目を覆っていた。

 細い肩が、小刻みに震えている。


「『今はタブレットがある。かさばる本より、そうやって情報を端末に入れた方が楽でしょう?』……そんなことを言っている気がしたの」


 犯人は、本自体を欲しがってはいなかった。むしろ荷物になるだけだ。欲しがっていたのは情報のみ。タブレットに入れた後は、店側に返すだけ。

 そこまで聞いて、ようやく田月は二宮が言っている『性質の悪さ』に気づいた。

 他人をいたずらに不安にさせ、落ち度があったように見せ、自分たちは何の代償も払わず欲しいものを手に入れる。人の隙をついて揺さぶる――世の中によくある常套手段ではあるけれど。


 電子書籍がある時代に、本屋なんてどうせ潰れるでしょ。

 私には関係ないもの。潰れるんだったら、潰れれば。


 犯人は恥ずかしいと思うこともなく、主張するのではないか。多少は表面を繕うことはしても。

 田月は知っている。そう主張する人間は、こちらのもっともな言い分を聞き届けはしない。悪いことをしたとは、絶対に思ってはいないだろうから。


 そういう人間がいることに、嘆けばいいのか。呆れればいいのか。二宮は、そのどちらも出来ない。そんな人間が、自分の身の回りにいてほしくないとしか思えない。


「……なるほどねえ」


 いつから聴いていたのだろうか。店長が口を開いた。

 取り乱していた二宮は、自分の声の大きさのことを考えていなかったことに気づく。

「……ごめんなさい。店長」

 証拠はない。偶然その女性が二宮の目に付いただけで、カバーの掛け違いは既にされていたかもしれない。だが、今の二宮の頭を占めていたのは。本を前にしても、なんの感情もない、白くて人工的に頬が染められた、女性の顔だった。何故あんな顔をできるのだろう――不思議に思っていた。

 理屈が通った時、ほとんど「正解」を確信した。

 しかし、だからと言って、この状況で憶測を言うのは、あまりにも無神経だった。

 誰も、好んで人を疑いたくはない。特に店員が客を疑うなんて、かなりのストレスになるはずだ。そのことを二宮は配慮しなかった。……今ここで、店長が声を出すまで、気づけなかった。

 大好きな本屋を、好きとか嫌いとかの次元ではなく――どうとも思わない人がいる。

 大切な場所を、壊されてしまうんじゃないか。その可能性に行き着いた時、怖かった。自分だけに留めることなんて、出来なかった。だから喋ってしまった。

 聞く人の、聴こえてしまう人の負担なんて、気にも留めず。


「んー? どうして謝るんだい?」

 だが店長は、さして気にした風を見せない。

「僕以外の人に喋ってしまったら、多分間違いだったと思うけど。僕は君のことをよく知っている。だから、僕は傷つかない。君が心の底からこの店を心配してくれたことを知っている。だからその推測も、僕は一つの可能性として吟味できる」

 店長はパソコンから離れ、俯いて座っていた二宮の背中を軽くたたいた。


「証拠が出ないのは当たり前だよ。気づかれないようにしてるんだ。そこまで君が悩むことはない。……追いかけてくれて、喋ってくれてありがとう」

「……」

「アンネちゃんの言う通りなら、本が返ってくるってことだよね。ひとまずその後のことは、返ってきてから考えようじゃないか」

 ね? と力強く笑う店長に、二宮は泣きながらうなずいた。

 怯えて余裕をなくしている自分が情けなかった。慰められているにも関わらず、悔しくて泣く自分にも、二宮は腹が立った。

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