田月家に現る(閲覧注意)
田月家と二宮家の家は近い。
田月翔太は小学五年の時に母方の祖父母の家に引っ越してきた。彼と二宮
その日は、二宮杏寧がおすそ分けのおはぎを紙袋に入れて、田月家を訪れていた。
「こんにちはー、二宮です……ってえええ⁉」
二宮杏寧が田月家の玄関を開けた瞬間。
田月翔太が抱き着いてきた。
「にのみや、にのみやぁー!」
「え、ちょ、ナニコレどうなってるの⁉ この状況何⁉」
ひとまず持っていた荷物が巻き込まれないよう、出来る限り上に持ちあげる二宮。だが、肩や素肌に伝わる熱が、彼女の判断能力を鈍らせる。
顔が熱くなる。脳みそが沸騰し、口から出る言葉は「あわわわわ」と舌が回らない状態だ。
しかし。
顎を引くと、自分より少し低い田月の顔が見えた。青ざめた顔。胸元まで上げた握りこぶし。大きな瞳に涙が浮かんでいる。おまけに上目遣い。
(……私よりもかわいい)
急に頭が冷えた。ついでに視線も厳しくなる。
二宮は冷えた気持ちのまま、己の身体を抱きしめる田月を力いっぱい引きはがした。
◆
家事、勉学、スポーツ。わりと何でも出来る男・田月翔太にも、いくつかの弱点はある。一番大きな弱点は、国語の成績。
そして、次に続く弱点は。
「ゴキブリ? 台所に現れたの?」
息を切らしてはいるが、ある程度落ち着いた田月の様子を見て、二宮は改めて尋ねた。田月は激しく首を縦に振る。
「急に抱き着いてごめん。毒虫でもねーのにここまで怯えるなんて情けねーけど……でも俺、あいつだけは……あいつだけはマジでだめだ」
自分の身体を抱きしめて言う田月。怯えているのと涙目であることも相まってかなり「かわいらしい」のだが、目が死んでいてそれどころではない。
さすがに可哀そうになった二宮は、玄関に上がって台所兼リビングへ向かう。田月がここまで怯えているということは、一緒に暮らしている祖母は不在なのだろう。
リビングの手前で、
「来る……きっと来る……」
と、うわごとのように繰り返す田月。
「そんな、ゴキブリが貞〇のように襲ってくることはないと思うけど……襲ってきても、ゴキブリより田月くんの方が身体大きいじゃないですか」
「ああ、わかってるよ……でも」
「でも?」
「……昔、東南アジア帰りの母さんから、素揚げのゴキブリを食べさせられたことがあってだな」
「適当なことを言って本当にごめんなさい!」
心を込めて二宮は謝った。
田月の母親、
だが、そういう突き抜けた人間というのは、家族間でははた迷惑な変人でしかない。
「悪気とかはねーんだ……ただ、自分の好きな人には自分の世界に無理やり引き込もうとするっつーか……あの時だって、一応食用として母さんが育てた奴だったから病原菌とか臭みとかはなかったんだけど……母さんの料理はえげつないから流しのとこにべっとり体液」
「もういいから! 思い出さなくていいからッ!」
「そんなわけだから、台所のゴキブリはトラウマになりすぎて。潰して殺すのは出来ねー……台所以外だったら迷わず殺したんだけど」
虐待と言われてもおかしくない出来事である。それはトラウマにもなるだろう。かなり同情する反面、しかしいつか田月唱歌に会ってみたいとなんとなく思った二宮だった。怖いもの見たさに近いかもしれない。
はあ、と軽くため息をついて、「わかった。私が何とかするよ」と二宮が告げると、田月は更に驚いた顔をした。
「何とか……何とか出来るのか⁉ ゴキ〇ェットがねー状況でッ⁉」
「あ、それなかったんだ……まあいいよ、リビング出て、ドア閉めて。いいよって言うまで開けないでね」
「鶴の恩返しかよ」
「ゴキブリがそっちに逃げるかもしれないという配慮から」
「喜んで閉めさせていただきますッ!」
血相を変えた田月が慌ててリビングのドアを閉めた。
その三分後。
二宮がリビングのドアを開けた。両手には何も持っていない。待っている間、ゴキブリを叩き潰した時にでる、派手な音は聴こえなかった。
恐る恐る田月が尋ねる。
「……どうしたんだ?」
「勝手口から逃がした」
「逃がした⁉ どーやって⁉」
「普通に捕まえて、勝手口に捨ててきただけだよ」
「捕まえたァ⁉ ……勇者かッ⁉」
「魔王レベルで怖いんだ、ゴキブリ……」
とはいえ、人間誰しも苦手なものはあるものだ。二宮は、田月を含む世の中の人々がどうしてそこまでゴキブリが怖がるのかわからないが、とりあえず田月の役に立てたようならいいやと思った。ゴキブリを素手で捕まえるなど女の子らしくないと言われるかもしれないが、世の中にはそれ以上に怖いものなぞ山ほどある。いずれ来る受験とか核兵器とか消費税10%増税とか。一つぐらい減らした方が生きやすいだろう。
脅威が遠ざかり、やっといつも通りに戻った田月が、両手を合わせて謝る。
「いや助かった。これでようやく台所に入れる。本当にごめんなー、お客に突然ゴキの対処を頼んじまって……」
「いいよ、これぐらいは」
いつも田月くんにはお世話になってるんだし、私でお役に立てたならよかったよ――そう続ける前に、
「これぐらいッ⁉ ……聖女かッ⁉」
「なんだか恐怖でキャラを見失っていない?」
若干呆れつつも、頬が熱くなった二宮は案外チョロい。
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