第53話 悪夢のようなデート
「ところで君、名前は? 僕はエドラディっていうんだ」
知ってます、と失言しそうになり、慌てて、
「アイです」と短く告げる。アルファベットのJの一つ前、Iが由来である。
「アイちゃんね。可愛い子は名前まで可愛いんだな」
「ははは、ありがとぉ……」
薄ら寒い台詞に、思わず渇いた笑みが洩れる。上っ面な笑顔と言葉だけで女の子が靡くと思うなよ、と胸の内で毒を吐かずにはいられない。
自分が軽蔑されているなどとは微塵も思っていないエドラディは、隣に連れた女の子を喜ばせることが出来て嬉しかったのか、この瞬間を境にまるで早口言葉にでも挑戦しているかのような勢いで喋った。
本当にかわいいね、恋人はいるの? この町に住んでるの? 家はどこ? きょうだいはいる? まだ学生だよね、どこの学校に通っているの? 僕は昔から文系に強くてね、異国の文化なんだけど、《ワカ》について勉強していたこともあるんだ。けど、数学も得意だよ。勉強で苦労したことはいないかな。学校の授業でわからない所があれば、教えてあげるよ。
それに対してのジェイの回答は、いません。二日前に越してきましたの。海岸沿いですわ。妹が一人。えーと……。はぁ、そうなのですか。と、やや素っ気ない。というよりも、エドラディが質問に質問を重ねるように喋るので、こちら側は口を挟む余地も無いのである。一方的で内容の薄いおしゃべりに、終いには欠伸が込み上げてくる。
カフェに着くと、テラス席の大きなパラソルの下で店員を呼びつけて、無糖の紅茶とフォンダンショコラを二つずつ注文する。
テラスでは、他にも二組のカップルが幸せそうに愛を語り合っていた。傍から見れば自分もその幸せカップルの一組にカウントされているかもしれないと思うと、なんだか泣きたくなってきた。
一体僕は何をやっているんだろう、と
「どうぞ。お代は気にしないで」
「ありがとう」
エドラディに対して少し腹を立てていたジェイだったが、ここは我慢だ、と精一杯の愛想を振りまいて言い、深く香り立つ紅茶に口をつけた。
紛れも無く紅茶は美味しいはずなのに、勿体無いことに全然味を感じない。味わっているほど、心に余裕がないのだ。
目の前のエドラディは、ティーカップの取っ手を摘むように持って、ちびちびと口をつけている。取っ手に指を突っ込まないところは好感が持てるのだが、誠実さの有無でここまで人付き合いに苦痛を伴うとは。人のふり見て我がふりなおせとはよく言うが、自分も人に不快感を与えないように気をつけたいところだ。
テラスの上を、優雅にカモメが舞う。
間もなくして、ケーキが運ばれてきた。
人の食事を摂るようになって間もないジェイは、フォンダンショコラというものを初めて食すことになる。
全体的に丸みを帯びた形で、上には白い粉砂糖が降りかかっている。皿の端には角が立った生クリームと、ラズベリーが五粒ほど添えてある他、隠れるようにして青々としたミントが添えてあった。
「おいしそう」
荒んだ心に安らぎを与えてくれるであろう救世主に、藁にも縋る思いで、共に運ばれてきた金のフォークを取った。硬めに焼かれた端の方に先をそっと差し込むと、中からトロリと温かなチョコレートが流れ出てくる。
同時に、深みのある甘い香りが立ち上り、ジェイの鼻腔を優しく擽った。
外はしっとりさくさくで、中身は溶けたチョコレート。この奇妙なケーキの有様を見て、どうしたらこんな風に焼きあがるのか、厨房で展開されている製作過程を見学したくなった。
「いただきます」
フォークに突き刺したスポンジで、溢れるチョコレートを掬い、小さく口を開いてケーキを
たちまち、舌の上を濃厚な甘みが満たした。鼻から抜ける甘美なガナッシュの香り。ほんのり感じるバターの風味。甘さを中和させるナッツ。それらを全て包み込んで、大波の如く押し寄せてくる甘味の大群は、脳髄までもしっとりと溶かしてしまいそうだった。
「まあ、とっても美味しい」
「だろう?」
エドラディも食べながら、言う。
「僕も甘いものが好きでね。時々食べに来るんだ」
「お一人で?」
ジェイは鎌をかけるように言った。
相手は一刹那、逡巡したように口ごもったが、
「ああ、そうだね。一人で来ることの方が多いかな。たまに、甘い物好きの男友達を誘ったりするけどね」と、頷く。
嘘つきめ。
ジェイは内心で肩を竦め、再びフォンダンショコラに向き直った。
そしてまた彼のおしゃべりが始まる。
そのリップ可愛いね。純朴な君にとてもよく似合うよ。この後、どうしようか? どこか行きたい所ある? 買い物とかどう? それとも、お芝居がいいかな? どういうお話が好みだい? この間、劇団ポラリスの《サクリファイス》っていう舞台を観たんだけど、それがすごく面白くて……etc..etc..
ああ、ええ、そうですか――またしても女の子に喋る暇を与えず、マシンガントークを繰り広げる。
(一方的な)話し合いの末、二人は近くの劇場へ向かうことになった。チケット代はエドラディ持ち。決して安くないチケット代くらいは事前にライゼから受け取っていた軍資金から出そうと思っていたのだが、彼が頑としてそれを認めなかったので、お言葉に甘える形となった。
エドラディご贔屓の劇団ポラリスによる《マリアージュ・アクシダン》というコメディを観る。
この舞台は第一部と第二部に分かれており、間に二十分の休憩を挟んで、トータル三時間半の公演となっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます