第57話 告白された罪―酒場にて

 二日前、ナフティスの酒場にて。

 四人の《重要参考人》を連れて個室を貸しきったライゼは、柔らかな革張りのソファーに深く腰掛けると、グラスを満たした炭酸水を一口飲んでから、

「で、君、名前はエート、ヨーコちゃん? エドラディの黒い噂を知ってるって、ホント?」と、単刀直入に話を切り出した。


「みんな知ってるわよ」

 テーブルを挟んでライゼの正面に座ったヨーコが、早く喋りたくてうずうずしている様子で言った。

 ヨーコは見目美しく、十九歳とは思えない程、あでやかで大人びた顔立ちをしていた。

 着ている服も少し派手であるが、喋り方や、同じく情報提供者として集められた女性たちへの接し方は、その派手で近寄りがたい容姿とは裏腹に、意外にも丁寧で気さくだった。


 ライゼは、キーリから事前に得た情報を頼りに、以前、エドラディと交際関係にあった女性たちを四人集めることに成功した。

 見た目のタイプはばらばらではあったものの、洩れなく全員が美人。隣に座ったエレーナは漁師の父親の下に生まれた豪胆な性格で、明朗闊達を絵にかいたような美人であるし、全員の顔が一望できる位置に座ったメイディは、利発そうでなおかつ天真爛漫な人となり。よくもまあ、これだけタイプの違う女性と短期間内で交際できたものだ、と感心してしまう。ライゼは生まれてこの方、恋人などいたことがないというのに。

 数日前にキーリが言っていた「美しい女性をとっかえひっかえ」という言葉を思い出して、彼の腹の中で苛立ちが募った。頭を擡げた不快感は、やにわに彼の表面上に浮上してきたが、ライゼはそれを振り払うように、本題に入る。


「じゃ、ずヨーコくん、君の話から聞こうか」

「ええ、いいわよ。あれは、半年くらい前だったかしら――」


 こうして、彼女たちからいくつかの証言を得ると、場が落ち着いたところで、ヨーコが微かに声量を落して口を開いた。

「一番やばいのは、ローリィさんが知ってるわよ」

 彼女の隣にこぢんまり座っているローリィは、この四人の中で最年長の二十五歳。彼女もまた、他の三人とは外見、性格、共に大きな差異があり、ローリィは所謂、物静かなタイプだった。幸が薄そうな顔立ちだという印象が強いが、それでも外見における美醜は、明らかに《優れている》と十中八九が口を揃えるであろう。

 艶やかなブルネットの髪はゆるやかに波打ち、小さな顔には丸いレンズの眼鏡をかけている。化粧気は薄めだが、全体的にほっそりとした造形で、手弱女たおやめといった表現にぴったりである。

 両肩を内側に巻き込むようにして背筋を丸めた彼女は、話の矛先が自分に向くや否や、深く俯いてしまった。先程からも、何か思いつめたような表情で、積極的に話に参加をしてくることはなかったのだが、それは、彼女が抱えた深い暗黒が仇なしていたせいであった。


「ローリィさん、話してもらえるか?」

 彼女は、浮かない顔で頷いた。集まってもらった当初から、このように陰鬱な表情がローリィに付きまとっていた。彼女は、重たそうに口を開いた。

「私、エドラディに二股かけられていたんです」

「とんでもない男だな」

「もう一人の子は……ミキ、と呼ばれていました。まだだいぶ若かったと思いますわ。ヨーコちゃんよりいくらか年下かと」

「それで?」

「ある日、私とエドラディがレストランで食事をしているところに、ミキさんが乗り込んできたんです。彼女、人目があるというのに、「その女、誰よ」だなんて取り乱したように騒ぎ立てて……。私、どうしたらいいかわからなくなって、ただただ黙っていました。エドは慌てて彼女をなだめていましたけれど、彼女のヒステリーは治まりません。仕方なくといった風情で彼は二人分の料理の料金を置いて、彼女と店を出て行きました。私は元々、争いごとを好まぬ性分でしたので、その場は何も言わず、彼らを見送りました。一人になった私は、いきなりのことに放心して、まともにフォークも進まないまま、なんとか食事を終えました。他に用事もなかったので、そのまま帰宅しようと、店を出ましたわ。……そうして道を歩いていると、薄暗い路地の方から、人の声が聞こえてきたんです。言い争っているようでした。一人は若い女性の声、もう一人の声には大いに聞き覚えがありました」

「エドラディか?」

「ええ。私は、二人が口論しているのだと悟って、その……気になったものですから、物陰からこっそり覗いてしまったんです。するとその時、エドラディが「いい加減にしろ!」と怒鳴って……ミキさんを物凄い勢いで突き飛ばしました。ミキさんはその衝撃で、背後にあった建物の壁に頭をぶつけて地面に倒れました。そこにエドが馬乗りになって首を絞めたのです。それで……」


 ローリィは、その光景を克明に思い出したのだろう。不意に言葉を切って、掌をきつく握り締めた。

 ライゼは、黙って話の続きを待った。


「……エドラディは、悪魔のようなすさまじい形相で、苦しそうにもがく彼女の首を絞め続けていました。やがて、ミキさんは動かなくなりました」

 声が掠れてきたローリィは、手元にあった果物のカクテルに口をつけた。

「我に返ったエドラディが彼女を起こそうとしましたが、もう既に息はないようでした」

 その時ライゼは、エドラディと初めて会ったときの、ぞわぞわとした妙な不快感の正体を悟った。

「あいつ、人を殺していたのか」


「信じがたい光景を目の当たりにして、私はその場に立ち竦みました。その時、運悪くエドと目が合ってしまいました。エドはすっと立ち上がると、逃がすまいと物凄い勢いで駆けてきて、私を路地へ引きずり込みました。……私も殺されるかと思った……。彼は鬼気迫る表情で「見たのか?」と言いました。私は一言も言葉を発することが出来ず、ただ、涙を流していました。すると彼は、私の無言を肯定と受け取ったのでしょう、「いいか、このことは誰にも言うな。絶対だ」と迫るのです。私は、そんな重い秘密を抱える勇気はありませんでしたから、「できない」と首を振りました。するとエドは、あろうことか、私にお金を握らせてきたのです。「お前の弟、病気で、治療に金がかかるんだよな?」って……。私の弟は、心臓の病に侵されていました。――半年前に、治療の甲斐なく亡くなりましたけど」


 ヨーコは、慰めるようにローリィの肩を抱いた。


「私は弟のためとはいえ、そのお金を受け取り、彼ととんでもない秘密を共有してしまいました。……私も、エドラディと同じ――」

 ライゼは「待った」と言うように、ローリィの眼前に手をかざした。

「君はあいつとは違う。君は何も悪くない。気に病む必要はない。悪いのは、乙女の心を弄び、金で全てを解決しようなどと、下品な思考しか持ち合わせていないあいつだけだ」

 ライゼは、ローリィを諭すように言うと、

「ところでミキの死は、どんな風に処理されたんだ? 今でもあのクソ野郎がのうのうと暮らしているということは、なんらかの手段で事を隠蔽したんだろ?」

「どうやらミキさんは、施設育ちだったそうで」

「そうなのか」

「はい。少し前に施設を出て、一人暮らしをしていたみたいなんです」

「施設育ち、ね。けど、親がいなくても、一人暮らしをしていたんだし、職場の同僚とか、ミキの行方不明に気が付いた人間はいくらでもいたろ? 家の大家とか」

「ええ。なので、表向きは彼女は行方不明ということになってます」

「なるほど……。ローリィ、君は、エドラディがミキの遺体をどこにやったかはわからんのか?」

「はい。彼一人で、処理したのだと思いますわ」

「そうか……」


 ライゼは考え込むように黙り込んだ。

 かくしてエドラディの黒い噂の裏は取れた。次に必要なのは、動かぬ証拠である。――やはり、殺人の証拠となる物は……。

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