第50話 妙案

 ライゼは、受話器を置いた。

 彼の背後で息を潜めるように口を噤んでいたジェイとキーリは、こちらを振り返ったの顔を、心配そうに見上げた。

「ああ……どうしよう、本当にやってしまったわ」

 キーリは変装用の大きなキャスケットを被った頭を抱えて、嘆いた。

 驚いた! 凶悪な誘拐犯にかどわかされた思われたキーリ・エヴァンスが、町の外れにある安宿の廊下に佇んでいるなどと、誰が想像しただろう。


「もう後戻りできないぜ」

「僕たち、誘拐犯になってしまいましたね」

 何故か楽しげな顔で傍の壁に寄りかかるライゼとは対照的に、ジェイは引きつった笑みを浮かべる。

 そう。彼らは誘拐犯となった。前章にて、エヴァンス家を駆け抜けた誘拐騒ぎの一件は、何を隠そうこのライゼが思いついたなのである。


 昨日、喫茶店で練られた計画の内容とは、彼女を人質にとって、命と引き換えに此度の婚姻を破棄させようというもの。

 なんという乱暴な計画であろうか。突飛という言葉の枠を逸脱した捨て身の作戦。

 キーリが家出をしたところを、悪辣あくらつを極める誘拐犯が、何かを目的とした人攫ひとさらいをし、エヴァンス家に脅迫電話をかける。

 オーソドックスな形で誘拐を遂行するに当たって、彼女は外で必要があった。

 昨夜、外食を済ませたライゼたちが、建物の影で待ち伏せしていたキーリの姿を見つけたとき、彼らの大いなる計画は幕を開けたのである。


「ごめんなさい、あたしのせいで……」

 キーリは周囲を憚って、声を押し殺して言った。といっても、この場には彼ら以外に人の姿は無い。宿の中でもとりわけ人気の無い所に設置されている電話を選んだのだ。

「心配無用だぜ。ちゃんと勝算はある」

 ライゼは余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった様子で、再び受話器をとった。

 静かな廊下の一角に、彼の指先がダイヤルを回す音が響く。

 程なくして、耳に押し当てた受話器から、呼び出し音が聞こえてくる。

『もしもし』

 この、やけに気だるげな声には聞き覚えがあった。エドラディ・グレダだ。

 ライゼは、ニィ、と悪人のような顔で笑うと、仰々しい口調で言った。

「グレダ家の坊やかい? ご機嫌はいかがかな?」

『ああん? 誰だよ、お前』

 電話の向こうで、エドラディが不機嫌そうに声を上げる。

 その口調から察するに、今、彼の周囲に人はいないのだろう。敵ながら、この二面性を使い分ける器用さには感服する。

「俺の身分など、どうでもいいことだ。今日は、大切な話しがあってね。少しお時間いただけるかな?」

『大切な話?』

 誘拐犯の彼は、エヴァンス家にした内容と同じものを、エドラディにも聞かせた。

『はあ? 何だよそれ、どういうことだ?』

 ライゼの言が途切れるなり、エドラディはむきになって食ってかかった。

「質問には答えられない。今はな。また電話するよ。それまで良い子にしてるんだな、坊や」

 滞りなく済んだ脅迫電話を終え、受話器を置こうとするライゼの手元でなにやら喚く声が聞こえていたが、構わず通話を終了する。

 作戦の第一段階は成功といったところか。


「やれやれ、小うるさい坊ちゃんだ。さァ、これで良し。今から俺らは少し出てくる。君は部屋に隠れていろ。見つかると作戦がパアになるから、静かにしてろよ」

「はい」

 キーリは、キャスケットのつばを深く下げ、頷いた。

 二人は、人目に触れないように気を配りながら、彼女を自分たちが泊まっている部屋まで送り届けた。



 宿を出た二人は、女性客の多い服屋に足を運んだ。

 恋人と思しき女性に連れられた男性客の姿はあれど、男二人で入店している奇妙な客は自分たちの他にはおらず、ジェイは居心地の悪さを覚えながらライゼにぴったりとくっついている。

「こんなところで何をしようというのです?」

 ジェイは落ちつかなそうに、声を潜めて言った。

「作戦の一環よ。必要なものをここで揃える」

「必要なもの?」

 ジェイは店内の商品をぐるりと見渡す。女性客が多いのも当然だ。ここは、ナフティスの女性たちが流行のファッションを取り入れるために足を運ぶ、女性向けアイテムを置く店であるのだから。

「女性物の服やアクセサリーをどうしようってんです」

「まあまあ、俺に良い案があるのさ」

「良い案?」

 ジェイはなんだかいやな予感がした。

 そして、彼の口からその《良い案》の内容を聞いた瞬間、果たして予感は的中する。

「な、なんですって?」

 ジェイは顔を真っ赤にしながら反論した。

「しー。声がでかいんだよお前」

「あ、すみません……じゃなくて! あんまりじゃないですか! あなた、楽しんでませんか!」

 ライゼは、うっとおしそうに耳に指を突っ込んだ。

 客の視線がちらと自分に向けられて一気に恥ずかしくなったジェイは、いくらか声を落して、納得できないとばかりに詰め寄る。

「真剣に考えているんでしょうね? 時間は余分にあるわけではないのですよ」

「俺は真剣に提案してるんだぜ。それとも、他に何か良い意見があるのか?」

「……」

 言い返したいのは山々だが、生憎とそんな簡単に妙案など思いつかない。

 しばらく黙り込んでいると、ライゼは、時間が勿体無いとばかりに服選びに取り掛かる。

「ちょっと、待ってくださいよう」

 相棒の泣きそうなその声を無視して、ライゼは一着のブリオーを手にとった。

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