第46話 キーリの結婚話

 キーリ・エヴァンスは、この辺りでは名の知れた商家の一人娘であるという。

 実の母は、今から十年前に病で他界。

 最愛の母の早すぎる死に、当時十一歳だったキーリは、深い悲しみの底で鬱々とした日々を重ねていた。

 それでも彼女は、流るる時のちからによって、徐々にその悲しみから立ち直りつつあった。

 そうして、母の死から二年が経ったころ、エヴァンス家に後妻となる女がやってくる。名を、シュードレといった。

 彼女は、ひどく痩せた、目付きの悪い女性だった。

 いつも背筋をしゃんと伸ばし、性格は几帳面で神経質。物事をはっきり言う人となりで、誰に対しても、情の欠片もない冷たい口調で喋った。


 一切笑わない。常にその顔は鉄で作られた仮面のようであり、他人に対して――否、己に対しても情などを持ち合わせていないのではないかと思うほど、シュードレには人間らしさというものが一切感じられなかった。

 キーリの実父にして、エヴァンス家の主人・ドリスは昔から気の強い性質でなく今や後妻の言いなりもいいところ。仕事の采配をシュードレに任せるようになってからは、さらにその傾向が強くなったように思える。

 それだけなら、シュードレは単に、旦那の会社の経営に協力的な良妻といったところであるが。


「それだけじゃないんですか?」

 ジェイが遠慮がちに問う。

 キーリは重々しく頷き、

義母ははは、とてもお金に執着する人なんです」

 と、少し言い辛そうに言葉を詰まらせたが、

「この町にはもう一つ、グレダ家という大きな商家があるんですけれど、義母はあたしを、そこへ嫁がせたがっていて」

 微かに震えた声が、彼女がその婚姻を望んでいないという証拠になった。

 ライゼもそれを感じたようで、

「その婚姻は、君が望んでいるのではなく、強制的なものなんだな?」

 と、確認するように訊ねた。


 キーリは頷いた。

 ライゼは、テーブルをバン! と叩いて、

「聞き捨てならん話だ!」と息巻いた。その勢いたるや、隣にいたジェイが「ひぃ!」と肩を飛び上がらせて驚いたくらいである。


「相手はグレダ家の。あたしと同い年の、どうしようもない男です。美しい女性を恋人にしてはとっかえひっかえ。周囲に自慢したいがために、いつも綺麗な人を連れているんです。交際した女性たちとのトラブルだって、後を耐絶えませんわ。この間も夜の酒場で、恋人じゃない女性と親密そうに肩を寄せ合っているのを目撃しました。彼は飽き性ですから、新しく美しい女性を見つけると、今までの恋人をあっさり捨ててしまうのです」


 語りながらキーリは、テーブルの上に置いた手を、きつく握り締めた。


「でも、いいとこの坊やなんだろ? そんなに素行が悪ければ、恋人の女の子の方から、家に苦情が入りそうなもんだけど」


「そうでしょう。けれど、あいつはそれをさせないために、別れる際に女の子に大金を握らせているのです」


「とんでもない男ですね」

 ジェイが腹立たしげに言う。


「それはそれは大層な金額ですわ。女の子が口を噤むのをのを選ぶくらいには。中には、お金に困っている家の子もいますし。……全ては聞いた話ですけれど」


「火の無い所に煙は立たぬという言葉があるぜ」

 ライゼは、話の男に呆れたようにため息をついた。


「あたしは、あいつとだけは結婚したくないと、断固として頷きませんでした。けれど、義母は「彼は将来、グレダ家の家督を継ぐのだから、この縁談は貴方にとっても文句の付けようのないお話なのですよ」と、聞いてくれなくて。義母は、お金のためにあたしを嫁がせるのです。グレダ家は、うちよりも大きな家だから……」


「家督を継ぐ?」

 気が着いたように、ジェイが声を上げた。

「次男が後を継ぐのですか?」

「そうだ、長男はいないのか?」


 キーリは、儚げな美貌に悲壮感を漂わせた。

「長男は、その……なんと言いますか、ちょっと変わってまして」

 言葉を選ぶように視線を彷徨わせ、考え込むように言を途切れさせてしまう。なんとも歯切れの悪い。


「兄貴もよっぽど酷い奴なのか?」

ライゼは、さらに鼻息荒く身を乗り出した。


「いいえ! そうではなくて……」

 キーリは少しむきになって言った。

「長男のカランは、家を継ぐ気がないんです」

「どうして?」

 ジェイとライゼは声を揃えた。

「生来の性格なんだと思います。昔から、気ままでマイペースで、しきたりとか、そういうの嫌いな人なんです。子どものころから、俺は家は継がないって、言い張っていました。幸い、下のきょうだいがでしたから、跡継ぎ問題はあいつが次期当主になるということで落ち着いたみたいですけれど」


 キーリの手から力が抜けたようだった。

 声にも冷静さが戻り、ずっと抱え込んでいた苦しみを吐露できたことで、表情から沈痛さがいくらか抜け落ちていった。


「君の父親はその婚姻の件、何と言っている?」

「大賛成しています。父は、義母にすっかり丸め込まれてしまって。それにみんな、次男の――エドラディの素行の悪さは知らないんです」

 その時だった。


「やあ、キーリ」

 と、気障な声が三人の中を割って入った。

 三人の視線が声の主の方へ向く。


「……エドラディ」

 キーリの声が、誰の耳にもわかるほど、暗く引きつった。噂の男、エドラディ・グレダを前にして。


 ――こいつが。

 ライゼは、彼の頭から爪先までを、じろりと見やった。

 背はさほど高くない。ライゼの方がスタイルもよければ、脚も長いだろう。

 丸まった背中、内側に入り込んだ両肩と、酷い蟹股は、本当に良家の息子かと疑いたくなるほどに、申し訳程度に備わった品性までもを破壊している。

 顔もお世辞にも美形とは言い難く、日々の努力を怠っているが故の締まりのない造形が出来上がってしまっていた。薄く笑った唇からちらりと見えた前歯は、可笑しいくらいすきっ歯で、スープを飲むたびに口から零れてしまいやしないかと心配になったほどだ。


 派手な刺繍が入ったブリオーの前をだらしなく開け、両手の指にはこれ見よがしに高価な指輪をはめている。

 軽くたくし上げた袖から覗く手首には、じゃらじゃらと金の腕輪をいくつも通し、わざと手を振るような仕草で、涼しげな金属音を奏でている。

 統一感のない装飾でゴテゴテと固めたファッションが、これまた酷く滑稽であったが、誰もそれを指摘しようとはしなかった。


 このとき、ライゼは妙な感覚に襲われた。

 背筋が粟立つような、一種禍々しいとさえ形容できる、言い知れぬ不快感を感じたのだ。

 この男、エドラディ・グレダを前にして。

 

「知り合いかい?」

 エドラディは、ジェイとライゼに目を向けると、妙に甘ったるい口調で、キーリに訊ねた。

「あの……」彼女が俯き気味に口を開いた時、ガタンと音を立ててライゼが立ち上がった。三人の視線が一斉に彼へと向く。

「はじめまして。俺はライゼ。君がエドラディ? はキーリから聞いてるよ。お目にかかれて光栄だ」

 ライゼは、清々しい程の満面の笑みで右手を差し出した。

「ああ……、エドラディだ、よろしく」

 エドラディは、不自然なほどに馴れ馴れしいその態度に、笑顔を引きつらせながら、彼の右手を握り返した。

「……ッ!」

 その瞬間、厳しく顔を歪めたエドラディが、その手を勢いよく振り払った。

 ジェイとキーリが、驚いたように目を見開く。


「ああ、すまんね。強く握りすぎてしまったかな」

 ライゼは冷笑れいしょうを浮かべて、エドラディを見下ろした。

「ちょっと、ライゼ……」

 ジェイは、ライゼの服の袖を掴んで、不安そうな視線を投げかけた。彼が一般人相手に妖人族のパワーを使ったのを察したのだ。


「……ッ、君、何のつもりだ」

 鋭い目付きでライゼを睨みつけるエドラディ。敵意とも取れるその眼差しに、ライゼは笑みを薄め、挑発的な態度で「ごめんね」と、しゃあしゃあと吐いた。

 余程の怪力で掴まれたのか、彼は未だ顔を顰めて右手を庇うようにしている。

 言葉を詰まらせながらエドラディは、冷や汗を額に浮かべ、キーリの方を向いた。

「あ、新しい友達かい?」

 彼女は困り顔で笑いながら、

「ええ。ライゼさんとジェイさんです」と、二人を紹介した。

「ふうん、そう」

 エドラディは、ちら、とジェイを見ながら頷いた。


 ――大丈夫ですか?

 そう問おうとしたジェイだったが、エドラディがあっけなくこの場から去って行ったので、大人しく口を噤むに留まった。


 ストン、と椅子に腰を落ち着けたライゼは、フン、と鼻を鳴らして葡萄酒を一気飲みした。


「ちょっと、どうしたんですか。いくら彼の素行が悪いとはいえ……」

 ジェイが咎めるように言うと、

「あいつ、虫が好かんな」

 エドラディの去っていった方向を睨みつける紅茶色の瞳に、嫌悪の色が滲む。

 ああ、この彼の瞳のなんと冷たいこと。赤光しゃっこうを放つ血染めの刃の如く、その双眸には、見た者を射殺してしまう殺意のようなものが潜んでいることに、ジェイは気がついた。

 だが瞬きをした次の瞬間、その目から怖気を誘う殺意は消えうせ、普段通りの紅茶色が、正面に座るキーリを捉える。


「キーリ。その望まない結婚、俺がぶっ壊してやる」

「えっ」

 と、声を上げたのは、キーリだけではなかった。

 続く言葉もなくポカンと口を開けたままのジェイを他所に、

「あのような脆弱ぜいじゃくな野郎に、君のような美しい女性は勿体無い」

 と、真剣な眼差しで、ライゼはテーブル越しにキーリの滑らかな手を取った。

「ライゼさん……」

 彼女は感動したように瞳を潤ませ、その手を握り返した。

 きっと彼女は、誰に助けを求めることも出来ず、未来に必ず訪れる望まぬ婚姻を、甘んじて受け入れるしか、残された道はなかったのだろう。

 そう思うと、ライゼはいてもたってもいられなかった。


「まかせな。俺はやるといったらやる男。必ず助けてやる」

「……」ジェイは、相棒の妙な熱の入りように、ただただ言葉を失っていた。

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