第44話 三日後
夜風にざわめく木々の間で、大勢の軍人たちがいくつもの焚き火を囲んでいた。
一つの火の周辺では、四、五人の男が、照り付ける炎を受けて赤く染まった顔に少しの疲労を滲ませている。
各々、談笑の
炎の爆ぜるパチパチいう音に心地の良さを抱きながら、みんなと離れた位置で一人、じっと橙色の揺らめきを眺めているユリウスは、うとうとと眠気に襲われる感覚に陥った。
周囲の声がだんだんと遠退き、目の前の焚き火がぼんやりと像を解いてゆく。
無意識のうちにそっと目を閉じたとき、背後から、乾いた大地を鳴らす靴音が近付いてきた。
反射的に目を覚ましたユリウスは、聞き馴染みのあるその足音に、少しうんざりしながら、ちら、と肩越しに振り返った。
後ろで手を組みながら、妙にニコニコした顔でこちらに近付いてくる兄の姿が、そこにはあった。
「夜は冷えるね。少し、風も出てきたようだ」
そう言って隣に腰を下した兄・オクタヴィアは、芝居がかった所作で軍服の襟をかき合せた。
ユリウスはそっぽを向きながら、無愛想に「そうだな」とだけ返事をする。
弟のあからさまなそっけなさに触れても、全く傷付いた風でないオクタヴィアは、何がそんなに面白いのかと問い質したくなるような、へらへらした笑みを浮かべたまま、特に何か言うでもなく、弟を見つめた。
その弛緩した視線に耐え切れなかったのか、
「シーガー女史はどうした」
と、ユリウスは別段気にもしていなかった内容の質問をする。
「もう寝ているよ。大きなちからを使ったようだ。テントに入り込むなり、ばたんきゅう、さ」
「そうか」
ユリウスは軽く頷いて、傍らの銀皿にのった干し肉を一枚つまんで、口の中に投げ込んだ。
シーガー女史。
その名を、シーガー・イグニスといい、金星国軍お抱えの大魔術師である。
先の春の丘での件で、滝壺の女丈夫との激しい戦いを繰り広げたのは彼女だ。
迫り来る水の大群に、強力な炎をぶつけて退散させ、一先ずは春の丘侵入に成功できたのだが、なんということだ、お目当てのアルルの実は一つも残っていなかった。
ジェイ・エイリク・リフェールは、あの短時間のうちに、生っていたアルルの実を余すことなく全てもいで、どこかへ逃げ去ってしまったのだ。
金星国軍たちは悔しげに悪態を吐きながら、早々に春の丘を退散し、その後を追うこととなったのである。
少年はどこへ行ったのだ。
軍を欺くような真似をして。
こちらの時間だって、あまり残されてはいないのに……。
黙々と思案するユリウスの心の中に苛立ちが募ってゆく。
「どうしたの、ユリウス? 元気ないな」
オクタヴィアは、弟の皿から小さな干し肉を一切れつまみあげると、さりげなく自分の口の中に入れた。
そのセコイ行動に気付いていながらも、あえて咎めることはせず、「別に、何もねえよ」と、ユリウスは
「……」
薄ら寒い笑みを引っ込めて黙りこんだオクタヴィアは、じっくりと咀嚼した干し肉を飲み下すと、相手の胸の内を見透かすような目つきになって、囁くような声で「心が痛むか?」と言った。
「は……?」
ようやく目が合ったと思ったら、テールグリーンの瞳にぎろりと睨まれ、取り繕うように苦笑しなくてはならなかった。
「ハハ、……ごめんよ」
何故、謝罪されたのかわからず、ユリウスの鋭利な目元が、その意味を問うようにいくらか柔らかさを取り戻す。
「僕は、少し心が痛いよ」
「なんで」
「あんな純真そうな少年を脅して、僕らの勝手な都合で、彼をあの場所から追い出してしまった」
「……」
ユリウスは無言のまま、天に向かって揺らめく炎を見つめた。
「穏便に済ませられたらいいな、と思ってたんだけどね」
「……食べた人間の願いを何でも叶えてくれる《神の実》。そんなもん、本当に
「あるさ。見たろう、彼の反応を。きっとあれは本物だ。でなければ、あそこまで頑なに断らなくても、僕らを追い返すために、生っていた実の一つや二つ、くれてもいいはずさ」
ユリウスは、難しい顔をして黙り込んだ。彼は常にこのように、考え込んでいるかのように顔を顰めているので、特に何かを思っているわけでもないようだが。
「なんとしても、神の実を手に入れたい。僕たちには、あのちからが必要だ」
「……ああ、そうだな」
ユリウスは、皿の上に残った最後の一切れを、八重歯の目立つ口の中に詰め込むと、勢いをつけて立ち上がった。
「もう寝る。明日も早いんだから、あんたもさっさと寝ておけ」
そう言って、自分のテントの方へ去ってゆく弟の背中に向かって、オクタヴィアはひらひらと手を振った。
「うん、そうする。おやすみ」
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