第43話 約束を果たしたい

 外まで送る、と言って聞かなかったルシェラを「絶対安静だ」と言い聞かせて、なんとか部屋に残して病院を出た二人は、うーんと伸びをしつつ、晴れ渡った空を見上げた。

 白い光を放つ陽光は、睡眠不足の目を痛いほどに突き刺すようだ。


 結局二人は、昨夜、寝袋を使わないままテーブルで眠ってしまったため、全身に気だるさを残したまま、過酷な旅路へと戻る。


「ちゃんと寝袋を使うべきだったな」


 ライゼが首を左右に捻りながら言う。


「そうですね。寝不足です」


「次の町までは野営だからな」


「次の町?」


「そ。また山を越えることになるがね――あ」


 ライゼが呆けたような声を上げた。


「なんですか?」


「俺の荷物、村に置きっぱなしじゃないか」


「……あ」


「一度村に戻らねばならんぞ。財布もあの中だからな」


「えー……」


「文句言うなよ。お前がここ来る時に持ってきてくれればよかっただろ」


 ライゼがムッとしたように言うと、


『まあまあ、落ち着きたまえ』


 と、第三者の声がした。その声に反応できたのはジェイだけであったが。


「え?」


 いきなりジェイが虚空に向かって振り返るので、ライゼは一瞬ギョッとする。


『彼の荷物なら、ホラここに』


 そこに現れたラシン村の風が手にしていたのは、ライゼがいつも肩から提げているくたびれた鞄と剣だ。


「あッ。俺の荷物が浮いている!」


「どうしてあなたがその荷物を?」


『夜中に一度村へ戻ったのだ。ケヤキの奴が心配してるだろうからな。そしたらルシェラの家の前に、そいつの荷物らしきものが置きっぱなしになっているのを見つけたので、ついでに持ってきた』


 風は得意気に笑いながら言う。


「よかったぁ! また村に戻ってから出発することになるかと思いました。徒歩でラシン村に戻るとなるとだいぶ距離ありますよね。ありがとうございます」


 ジェイはライゼの荷物を受け取り、「ラシン村の風が持ってきてくれました」と説明して、持ち主に返す。ライゼは「そうか、そうか。こりゃありがたい。礼を言うぜ」と、全く見当違いな方向に頭を下げていた。


『もう行くのか』


「はい」


 ジェイは、名残惜しそうな声で言う風を見上げながら、頷いた。


「また近いうちに来ますけどね。ルシェラに会いに」


『そう――』


「それまでルシェラをお願いします」


『ああ。任せろ』


 ほっとしたようにジェイが微笑する。

 二人は同時に病室のほうを見上げた。ルシェラの姿がそこにあった。窓枠に身を乗り出して、こちらに手を振っている。

 ジェイたちは手を振り返した。


 ――必ず、また会いに来るよ。元気になった君に。あたたかくなった村へ、会いに行く。


『お別れの挨拶は済んだみたいだな。どうだ、アルル。私が次の町まで送ってやろうか』


「え、いいんですか!」


 急に喜ぶジェイを見て、ライゼは驚いたように背中を逸らす。


「なによ、いきなり大声出して」


「ラシン村の風が次の町まで送ってくれるって」


「まじかよ。そりゃありがたい。オルガン山脈越えは過酷な道だったんだ」


 オルガン山脈には途中に立ち寄れる集落も無い。山を超えるまでは足場の悪い道を何日もかけて進まなくてはならなかった。人は住まないが、山脈を越える旅人を狙う山賊は大勢いる。正直、旅を急ぐ上で一番厄介な道のりであった。


『お礼だよ。あそこは旅人には厳しい土地だ。こんなことでお前たちへの感謝をチャラにしようなどとは思ってないがね』


「助かります」


 ジェイがにこやかに答えると、風も微笑み返して、少年に腕を差し出す。

 軽々と抱きかかえられたジェイ。

 その身体が空中に浮かび上がる様子をぼんやり眺めていたライゼは、


『君も早くつかまりたまえ』という風の声も聴こえないまま、次の瞬間に物凄い力で腰を抱き寄せられて「ぎゃあ」と滅多に出ない声を上げる。


『しっかりつかまって』


 ライゼは慣れない浮遊感に、怯えたように頬を引きつらせた。



 病室の窓から、遠くの空へ飛んで行くジェイたちの姿を見たルシェラは、その姿が見えなくなるまでそこに立ち尽くしていた。

 やがて、朝方の空に途切れ途切れの雲が漂い始めると、部屋に一人の看護師が入ってくる。


「おはようございます」


 振り返ったルシェラは、元気な声で挨拶をした。

 穏やかで、絹のようにさらさらとした声だった。


 看護師は、彼女が起きているのを見ると、少し心配そうな顔をしたが、


「あら、ルシェラちゃん……」


 と、不思議そうに首を傾げた。


「なんだか、声が……」


「はい」


 すずが小さく揺れるような返事。


「なんだか、すごく調子がいいです。声も嗄れてないし、喉も痛くありません。息苦しくもありません。肺が、とても軽いです」


 そう言ったルシェラの手の中には、砕けた胡桃の殻のようなものがきつく握り締められていた。



 三人は、メルク国第二の首都と呼ばれるナフティスを目指す。ナフティスには港があり、他国からの人の出入りも多い大都会だ。海がすぐ傍にあることから、昔から栄えた町で、流行の最先端が集まった街である。


 遠くに海が見えてくる頃、ラシン村の風にしっかりと抱きついたライゼが遠くを見つめながらこんなことを言った。


「一ヵ月後なんて無理だぜ。それまでに事が解決できりゃいいけどよ」


 赤い髪が風に揺れる。帽子が飛んでいかないように片手で押さえ、視線はちらりとジェイに向ける。


 今、二人が抱えている軍事絡みの大きな事案を一ヶ月で解決することは到底不可能である。金星国軍は今何処にいるのか。彼らを追ってきているのか、確認できていない。


「ええ、でも」


 ジェイは遠くの景色を見つめながら応える。


「いいんですよ。生きていてくれたら。二ヶ月経とうが、三ヶ月経とうが、僕はルシェラに会いに行きます。遅れてごめん、って言ってあげれば、彼女はきっと許してくれますから」



...Next chapter.

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